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槇 (楢型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1917年10月16日[1]
進水 1917年12月28日[1]
就役 1918年4月7日[1]
除籍 1934年4月1日[1]
その後 1936年5月6日海軍工機学校保管船[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:770トン
常備:850トン
全長 全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1]
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[2]
全幅 25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1]
吃水 7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1]
機関 推進:2軸 x 730rpm
主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基
出力:17,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基
速力 31.5ノット
燃料 重油212トン、石炭98トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 竣工時定員 112名[3]
兵装 45口径三年式12cm単装砲3門
三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺
45cm3連装魚雷発射管2基6門
搭載艇 4隻

(まき)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、楢型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「槇 (初代)」や「槇I」などと表記される。

艦歴

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1917年(大正6年)10月16日、佐世保海軍工廠で起工[4]。同年12月28日進水[5][注釈 2]1918年(大正7年)4月7日竣工[6]

1934年昭和9年)4月1日除籍。1936年(昭和11年)5月6日に海軍工機学校保管船となる。

艦長

[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 有地十五郎 少佐:1917年12月1日 - 1918年1月21日
  • (兼)有地十五郎 少佐:1918年1月21日 - 4月30日
駆逐艦長
  • 有地十五郎 少佐:1918年1月21日 - 5月1日
  • 小沢潔 少佐:1918年5月1日[7] - 7月2日[8]
  • (心得)長井実養 大尉:1918年7月2日[8][9] -
  • 今泉美啓 少佐:1918年12月1日[10] - 1919年12月1日[11]
  • 松田鹿三 少佐:1919年12月1日[11] - 1920年12月1日[12]
  • 大島平 少佐:1920年12月1日[12] - 1921年11月10日[13]
  • 山中順一 少佐:1921年11月10日[13] - 1923年11月10日[14]
  • (心得)日野昇一 大尉:1923年11月10日[14] - 1923年12月1日[15]
  • 日野昇一 少佐:1923年12月1日[15] - 1925年5月15日[16]
  • 田村劉吉 大尉:1925年10月15日 - 1926年12月1日
  • 木村昌福 少佐:1926年12月1日 - 1929年5月10日
  • 新美和貴 少佐:1929年5月10日 - 1930年6月20日
  • 牟田口格郎 少佐:1930年6月20日 - 1931年10月31日
  • (兼)寺西武千代 大尉:1931年10月31日[17] - 12月1日[18]
  • 曽木与吉 大尉:1931年12月1日[18] - 1932年2月5日[19]
  • (兼)宮崎定栄 大尉:1932年2月5日[19] - 1932年4月1日[20]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表では桃型と同じ水線長85.85m、垂線間長83.82m、最大幅7.74m、公試状態吃水2.36mとしている。また#日本駆逐艦史1992p.52では全長85.9mとしている。
  2. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.275では12月18日進水となっている。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、299頁。
  2. ^ #横須賀海軍工廠史3p.13。ただし楢の値として。
  3. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.570-571『大正六年十二月二十八日(内令三二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表其二ヲ附表ノ通改ム(附表略)』槇を追加、將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒79人。
  4. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像69『大正六年十月十九日 佐世保海軍工廠長山口九十郎 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦起工ノ件 驅逐艦槇及欅大正六年十月十六日起工 右報告ス(了)』
  5. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像82『驅逐艦槇本日無事進水 佐世保工廠長 十二月二十八日』
  6. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像68『槇本日授受結了 四月七日 佐鎮司令長官』
  7. ^ 海軍辞令公報 大正7年5月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070262800 
  8. ^ a b 『官報』第1775号、大正7年7月3日。
  9. ^ 『官報』第1777号、大正7年7月5日。『官報』第1775号で「心得」の記載が漏れていたことの訂正あり。
  10. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  11. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  12. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  13. ^ a b 『官報』第2784号、大正10年11月11日。
  14. ^ a b 『官報』第3368号、大正12年11月13日。
  15. ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  16. ^ 『官報』第3817号、大正14年5月16日。
  17. ^ 『官報』第1454号、昭和6年11月2日。
  18. ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  19. ^ a b 『官報』第1530号、昭和7年2月8日。
  20. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。

参考文献

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  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠/編 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。

関連項目

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