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「ムスチスラフ1世」の版間の差分

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*ヤロポルク
*ヤロポルク
*[[ウラジーミル・ムスチスラヴィチ (キエフ大公)|ウラジーミル]](1132年 - 1173年) - キエフ大公
*[[ウラジーミル・ムスチスラヴィチ (キエフ大公)|ウラジーミル]](1132年 - 1173年) - キエフ大公
*[[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ|エウフロシヤ]](1130年 - 1186年) - [[ハンガリー王]][[ゲーザ2世]]と結婚、子女6人
*[[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ|エウフロシヤ]](1130年 - 1186年) - [[ハンガリー王]][[ゲーザ2世 (ハンガリー王)|ゲーザ2世]]と結婚、子女6人


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2021年5月24日 (月) 21:05時点における版

ムスチスラフ1世
Мстислав I Владимирович
キエフ大公
在位 1125年 - 1132年

出生 (1076-06-01) 1076年6月1日
スモレンスク
死去 (1132-04-14) 1132年4月14日(55歳没)
配偶者 クリスティーナ・インゲスドッテル
  リュバヴァ・ザヴィジチ
子女 一覧参照
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ウラジーミル2世モノマフ
母親 ギータ・オブ・ウェセックス
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ムスチスラフ1世によって建てられたノヴゴロド近郊の聖ニコライ聖堂、大公の家族を描いた12世紀のフレスコ画が残る

ムスチスラフ1世Мстислав I Владимирович, 1076年6月1日 - 1132年4月14日)は、ノヴゴロド公(在位:1088年 - 1094年)、ロストフ公(在位:1094年 - 1095年)、ベルゴロド公(在位:1117年 - 1125年)、キエフ大公(在位:1125年 - 1132年)。「偉大なる」ムスチスラフとあだ名される。ウラジーミル・モノマフの長男。

生涯

1076年にスモレンスクに生まれる。1093年から95年までロストフ、そしてスモレンスクで過ごす。1111年には父ウラジーミルとクマン人(ポロヴェツ)に遠征する。1116年に再度遠征し、彼らの町を奪う。1125年、父の死に伴いキエフ大公位を相続する。1130年にチュヂ族討伐のために遠征。1132年に死去。大公位は弟のヤロポルク2世に渡った。

子女

1095年にスウェーデン王インゲ1世の娘クリスティーナと結婚し、10人の子女をもうけた。

クリスティーナと死別(1122年1月18日)後、ノヴゴロド市長のドミトル・ザヴィジチ(ru)の娘リュバヴァと再婚し、3人の子女をもうけた。

先代
スヴャトポルク2世
ノヴゴロド公
1088年 - 1094年
次代
ダヴィド
先代
ウラジーミル2世モノマフ
キエフ大公
19代
1125年 - 1132年
次代
ヤロポルク2世