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[[2017年]](平成29年)[[5月16日]]、国際基督教大学の同級生で、[[法律事務所]]勤務のKと[[婚約]]する準備が進められていると報道された<ref>{{Cite news|title=眞子さま 同級生とご婚約へ |newspaper=NHK|date=2017-05-16|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170516/k10010983991000.html|accessdate=2017-05-16}}</ref>。同日、宮内庁も婚約することを明らかにし<ref name="婚約">{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HBM_W7A510C1MM8000/|title=眞子さま婚約へ 大学の同級・小室さんと|accessdate=2017-05-16|publisher=日本経済新聞}}</ref>、当初は同年秋以降に予定していた婚約内定発表を前倒しすることになった<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H6N_V20C17A5000000/|title=眞子さまの婚約内定は今夏に 宮内庁長官 |accessdate=2017-05-25|publisher=日本経済新聞}}</ref>。 |
[[2017年]](平成29年)[[5月16日]]、国際基督教大学の同級生で、[[法律事務所]]勤務のKと[[婚約]]する準備が進められていると報道された<ref>{{Cite news|title=眞子さま 同級生とご婚約へ |newspaper=NHK|date=2017-05-16|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170516/k10010983991000.html|accessdate=2017-05-16}}</ref>。同日、宮内庁も婚約することを明らかにし<ref name="婚約">{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HBM_W7A510C1MM8000/|title=眞子さま婚約へ 大学の同級・小室さんと|accessdate=2017-05-16|publisher=日本経済新聞}}</ref>、当初は同年秋以降に予定していた婚約内定発表を前倒しすることになった<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H6N_V20C17A5000000/|title=眞子さまの婚約内定は今夏に 宮内庁長官 |accessdate=2017-05-25|publisher=日本経済新聞}}</ref>。 |
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同年[[9月3日]]午前、祖父にあたる当時の天皇・[[明仁]]の裁可を得て婚約が内定し、午前11時15分、[[山本信一郎]][[宮内庁長官]]が婚約内定を正式発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H0M_T00C17A9000000/|title=眞子さま、小室さんと来年秋にも挙式 婚約内定|accessdate=2017-9-3|publisher=日本経済新聞}}</ref>。同日午後3時、眞子内親王と |
同年[[9月3日]]午前、祖父にあたる当時の天皇・[[明仁]]の裁可を得て婚約が内定し、午前11時15分、[[山本信一郎]][[宮内庁長官]]が婚約内定を正式発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H0M_T00C17A9000000/|title=眞子さま、小室さんと来年秋にも挙式 婚約内定|accessdate=2017-9-3|publisher=日本経済新聞}}</ref>。同日午後3時、眞子内親王と[[小室圭]]氏は、赤坂御用地内の赤坂東邸で婚約内定会見を行った<ref>{{Cite news|title=プロポーズは食事の後で 眞子さま小室さん婚約内定会見|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2017-09-03|url=http://www.asahi.com/articles/ASK934QRXK93UTIL00P.html|accessdate=2017-09-03}}</ref>。なお、婚約内定は[[7月8日]]に発表される予定だったが、[[平成29年7月九州北部豪雨]]を受けて延期されている。 |
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その後、「Kの母親と元婚約者との間に金銭問題が生じている」などKの家庭を巡る様々な報道が相次ぎ、2018年(平成30年)[[2月6日]]、宮内庁は眞子内親王の[[納采の儀]]を始めとする結婚関係諸儀式を延期すると発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26591950W8A200C1MM8000/|title=眞子さまと小室さん、結婚を2020年に延期|accessdate=2018-2-6|publisher=日本経済新聞}}</ref>。眞子内親王は文書で「お気持ち」を公表し、「予期せね時期の報道をきっかけに、結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する人々と相談しながら準備を進めてきたが、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間がないことを認識するようになったためだ」と説明した<ref>{{cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20180207/k00/00m/040/076000c?fm=mnm|title=眞子さま 結婚延期 20年に「準備の余裕ない」|author=|publisher=毎日新聞|accessdate=2018-02-06}}</ref>。{{Quotation|私たちは,今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて,二人で話し合い,それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし,その過程で,現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について,充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。 |
その後、「Kの母親と元婚約者との間に金銭問題が生じている」などKの家庭を巡る様々な報道が相次ぎ、2018年(平成30年)[[2月6日]]、宮内庁は眞子内親王の[[納采の儀]]を始めとする結婚関係諸儀式を延期すると発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26591950W8A200C1MM8000/|title=眞子さまと小室さん、結婚を2020年に延期|accessdate=2018-2-6|publisher=日本経済新聞}}</ref>。眞子内親王は文書で「お気持ち」を公表し、「予期せね時期の報道をきっかけに、結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する人々と相談しながら準備を進めてきたが、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間がないことを認識するようになったためだ」と説明した<ref>{{cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20180207/k00/00m/040/076000c?fm=mnm|title=眞子さま 結婚延期 20年に「準備の余裕ない」|author=|publisher=毎日新聞|accessdate=2018-02-06}}</ref>。{{Quotation|私たちは,今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて,二人で話し合い,それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし,その過程で,現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について,充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。 |
2021年5月21日 (金) 03:45時点における版
眞子内親王 | |
---|---|
秋篠宮家 | |
続柄 | 秋篠宮文仁親王第1女子[1] |
全名 | 眞子(まこ) |
身位 | 内親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 木香茨 |
出生 |
1991年10月23日(33歳) 日本・東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院 |
父親 | 秋篠宮文仁親王 |
母親 | 文仁親王妃紀子 |
栄典 |
宝冠大綬章 |
役職 |
公益財団法人日本テニス協会名誉総裁 公益社団法人日本工芸会総裁 東京大学総合研究博物館特任研究員 インターメディアテク客員研究員 |
称号:内親王 | |
---|---|
敬称 |
殿下 Her Imperial Highness the Princess |
皇室 |
---|
|
眞子内親王(まこないしんのう、1991年〈平成3年〉10月23日 - )は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下[2]。お印は木香茨(もっこうばら)。勲等は宝冠大綬章。
秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子で、徳仁(第126代天皇)は伯父にあたる。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。2021年(令和3年)現在、内親王では最年長[3]。
住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸で、改修工事に伴い、2022年(令和4年)3月まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に仮住まいしている[4]。
来歴
幼少時代
1991年(平成3年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この時に第125代天皇明仁から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。
同年10月29日、命名の儀が執り行われ、父の秋篠宮文仁親王により、「眞子(まこ)」と名付けられる。この名は、「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された[5]。
学習院進学
1998年(平成10年)4月、学習院初等科入学。その後学習院女子中・高等科に進学。この間、2005年(平成17年)頃からは、日本国内を中心として両親の公務、接見に同行・同座することが多くなり、最年長の内親王として国民の前に姿を現す機会も増えている。高校時代のあだ名は「まこしー」[6]。
2006年(平成18年)8月の夏休み期間中、2週間に渡ってオーストリアのウィーンでホームステイをした。ホームステイ先は、女系の祖父・川嶋辰彦の仕事仲間だったオーストリア人の家。かねてより美術や建築に関心があり、美術館や、シュテファン大聖堂やシェーンブルン宮殿などの建築物を見学した[7][8]。
2006年(平成18年)には、父・秋篠宮の三重県訪問に同行して伊勢神宮式年遷宮の行事「川曳き」を視察、自ら行事に参加した。高等科在学中の2008年(平成20年)からは、単独公務も開始している。
大学時代
2009年(平成21年)11月、国際基督教大学をAO入試で受験して、合格したことが発表された[9]。2010年(平成22年)に学習院女子高等科を卒業し、同年4月、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科に入学。皇族の同大学への入学は初となる[注釈 1]。雪面滑走競技部に入部した[10]。同年7月14日から、同大学の海外英語研修としてアイルランド共和国に留学し、1か月間、アイルランド国立大学ダブリン校で英語を学んだほか、研修生の一員としてアイルランド大統領のメアリー・マッカリースとの懇談や、イギリスの北アイルランド地方への訪問も行った[11][12]。
2011年(平成23年)7月、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地で身分を隠してボランティア活動を行った[6]。同年10月23日、成年を迎え、宝冠大綬章を授与された。以後、成年皇族として各種行事、儀式に出席している。
2012年(平成24年)4月、3学年に進級し、美術・文化財研究を専攻。在学中に学芸員資格および運転免許証を取得[13][14]。2012年(平成24年)8月3日、同年9月から2013年(平成25年)5月までイギリスのエディンバラ大学に留学することが閣議で報告された[15]。同大学では美術史などを学んだ[13]。皇族の同大学への留学は高円宮家の承子女王に次いで2人目となる。
2014年(平成26年)3月、国際基督教大学教養学部を卒業し、「学士(教養)」の学位を修得[10]。卒業論文は日本神話を題材とした絵画をテーマとした「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」(英文、80頁)。同年国際陶磁器フェスティバル美濃名誉総裁に就任[13][16]。
大学院時代
2014年(平成26年)9月、レスター大学大学院博物館学研究科に入学し[17][18]、日本を離れる。翌2015年(平成27年)9月、同大学院の課程を終えて帰国する[19]。
大学院在学中は、他の学生と変わらず学生寮で生活し、サイモン・ネル教授(Simon Knell)の指導の下、ブラシュカ父子の海洋生物模型を題材に、修士論文「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」を執筆したほか、イギリス王室との交流も行った。また、2015年(平成27年)7月から8週間、コヴェントリーのハーバート美術博物館で実務研修プログラムに参加し、レスターのニュー・ウォーク博物美術館での研究にも従事した[20][21][22][23][24]。
帰国後の同年10月、父の文仁親王から引き継ぐ形で、日本テニス協会名誉総裁に就任[25]。全日本テニス選手権表彰式では、天皇杯を授与している。同年11月、東京大学総合研究博物館客員研究員に就任。
2016年(平成28年)1月21日、レスター大大学院の修了式に出席し、「修士(博物館学)」の学位記を受けた[26]。同年、JPタワー学術文化総合ミュージアム(日本郵便と東京大学産学協働プロジェクト)「インターメディアテク」客員研究員就任[27][28]。同年4月1日、東京大学総合研究博物館特任研究員に就任。公務を優先しながら週3回ほど勤務している[29]。同年6月15日、日本工芸会総裁に就任[30]。同会の主要事業である日本伝統工芸展では、総裁賞と高松宮記念賞の選定を行っている[31]。
同年9月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程に入学し、比較文化を研究領域とする博物館学を中心に研究に取り組んでいる[32][33]。
婚約内定と延期
2017年(平成29年)5月16日、国際基督教大学の同級生で、法律事務所勤務のKと婚約する準備が進められていると報道された[34]。同日、宮内庁も婚約することを明らかにし[35]、当初は同年秋以降に予定していた婚約内定発表を前倒しすることになった[36]。
同年9月3日午前、祖父にあたる当時の天皇・明仁の裁可を得て婚約が内定し、午前11時15分、山本信一郎宮内庁長官が婚約内定を正式発表した[37]。同日午後3時、眞子内親王と小室圭氏は、赤坂御用地内の赤坂東邸で婚約内定会見を行った[38]。なお、婚約内定は7月8日に発表される予定だったが、平成29年7月九州北部豪雨を受けて延期されている。
その後、「Kの母親と元婚約者との間に金銭問題が生じている」などKの家庭を巡る様々な報道が相次ぎ、2018年(平成30年)2月6日、宮内庁は眞子内親王の納采の儀を始めとする結婚関係諸儀式を延期すると発表した[39]。眞子内親王は文書で「お気持ち」を公表し、「予期せね時期の報道をきっかけに、結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する人々と相談しながら準備を進めてきたが、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間がないことを認識するようになったためだ」と説明した[40]。
私たちは,今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて,二人で話し合い,それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし,その過程で,現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について,充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。これまでのことを振り返ってみたいと思います。昨年5月,予期せぬ時期に婚約報道がなされました。このことに私たちは困惑いたしましたが,結婚の意思を固めていたことから,曖昧な状態を長引かせない方がよいとの判断をし,当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました。婚約の内定発表に際しては,多くの方々がお祝いのお気持ちを寄せてくださったことを大変有り難く思っております。その後,昨年11月には,それ以降の諸行事の予定を立て,発表いたしました。
しかし,色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。ここで一度,この速度が自分たちに本当に合っているのかを慎重に考えるべきでしたが,婚約の内定発表に関しても,それ以降の事柄に関しても,私たちはそのまま前に進むという選択をしてまいりました。
今,私たちは,結婚という人生の節目をより良い形で迎えたいと考えております。そして,そのために二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに,結婚までの,そして結婚後の準備に充分な時間をかけて,できるところまで深めて行きたいと思っております。本来であれば婚約内定の発表をするまでにその次元に到達していることが望ましかったとは思いますが,それが叶わなかったのは私たちの未熟さゆえであると反省するばかりです。
これらのことを踏まえ,それぞれの親や関係の皆様と相談を重ねた結果,この度,今後の私たちの結婚とそれに関わる諸行事を,これから執り行われる皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の再来年に延期し,充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました。
一度決めた予定を大幅に変更することは,私たちの結婚に快く協力してくださっている方々に多大なご迷惑とさらなるご負担をおかけすることとなり,大変申し訳なく思っております。
私は,結婚に関わる諸行事を延期したい旨,天皇皇后両陛下にご報告申し上げました。両陛下は,私たち二人の気持ちを尊重してくださいました。
私たちは,この度の延期を,新たな生活を始めるための時間を作る良い機会と考え,その時間を大切に,結婚までの期間を過ごしてまいりたいと思います。 — 眞子内親王殿下、宮内庁
2018年(平成30年)11月22日、父の秋篠宮文仁親王は、53歳の誕生日に先立って行われた記者会見の際に、「今でもその2人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をすべきだ」と指摘し、「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、いわゆる婚約に当たる納采の儀を行うことができない」との認識を示した[41]。
2020年(令和2年)9月11日、母の文仁親王妃紀子は、54歳の誕生日に際して文書を発表し、「長女の気持ちをできる限り尊重する」と思いやった[42]。
11月13日、眞子内親王は自身のKとの結婚について「お気持ち」として宮内庁を通じて文章を公表した。その中で、「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」と述べ、改めて結婚への強い意志を表明した[43]。
一昨年の2月7日に,私とKさんの結婚とそれに関わる諸行事を,皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の本年に延期することをお知らせいたしました。新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが,11月8日に立皇嗣の礼が終わった今,両親の理解を得たうえで,改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。
前回は,行事や結婚後の生活について充分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間,私たちは,自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに,様々なことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやりあたたかく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを,心よりありがたく思っております。
一方で,私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き,心配されている方々もいらっしゃると思います。また,様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし,私たちにとっては,お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり,結婚は,私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。
今後の予定等については,今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが,結婚に向けて,私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております。
この度,私がこの文章を公表するに当たり,天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに,深く感謝申し上げております。
11月20日、文仁親王は、55歳の誕生日記者会見で「結婚することを認める」とし、婚姻の自由を保障した憲法の規定を理由に、2人の結婚を容認する気持ちを初めて明言した[44]。一方で「決して多くの人が納得し、喜んでくれている状況ではない」とも述べ、「やはりそれ(相応の対応)が見える形になるというのは必要なこと」と一定の対応を促した。また、「結婚と婚約は違う」との見解を示し、憲法にある結婚は認めるものの、両家の約束に当たる婚約の儀式(納采の儀)実施については含みを残した[45]。
11月30日、内閣官房長官の加藤勝信は同日午前の定例会見で、文仁親王が眞子内親王とKの結婚を認めると発言したことについて、「政府としては今後とも静かに見守っていきたい」と述べた[46]。また、文仁親王が婚約の条件として多くの人が受け入れることを挙げたと指摘し、「一般論として、多くの人にお祝いされる(ことを望む)のは、親としては当然なのではないか」とも語った[47]。
12月3日、皇室会議及び皇室経済会議元議員で、現予備議員の伊吹文明は、Kの姿勢に異例の苦言を呈し、一連のトラブルについて国民への説明責任を果たすよう求めた[48]。
12月10日、宮内庁長官西村泰彦は定例の記者会見で、「結婚に向けて、批判に対して説明責任を果たすべき方が果たしていくことがきわめて重要だと考えている」と述べ、K親子側の対応を求めた[49]。
2021年(令和3年)2月19日、今上天皇は、誕生日に先立って行われた記者会見にて、眞子内親王の結婚問題に言及し、「国民の間でさまざまな意見があることは私も承知している」とした上で「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と述べた[50]。
年譜
- 1991年(平成3年)10月23日、東京都千代田区千代田、皇居・宮内庁病院にて誕生。
- 賜剣の儀、命名の儀を行う。
- 1998年(平成10年)3月、学習院幼稚園卒園。
- 2004年(平成16年)3月、学習院初等科卒業。
- 2007年(平成19年)3月、学習院女子中等科卒業。
- 2010年(平成22年)3月、学習院女子高等科卒業。
- 2014年(平成26年)3月、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科卒業。
- 2015年(平成27年)10月、日本テニス協会名誉総裁就任。
- 2016年(平成28年)1月、英国レスター大学大学院博物館学研究科修了。
- 2016年(平成28年)4月、東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任。
- 2016年(平成28年)6月、日本工芸会総裁就任。
- 2016年(平成28年)9月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程入学(在学中)。
外遊歴(単独公式訪問)
ブラジルやペルー、ボリビアなど日本人移民の歴史を持つ南米各国とのパイプ役を上皇夫妻から引き継いだほか、ブータン王室とも家族ぐるみの交流がある[51]。
年 | 出国 | 帰国 | 訪問地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2015年(平成27年) | 12月2日 | 12月12日 | エルサルバドル、 ホンジュラス ( アメリカ合衆国立ち寄り) |
エルサルバドル国政府及びホンジュラス国大統領からの招待 外交関係樹立80周年記念[52] |
2016年(平成28年) | 9月6日 | 9月16日 | パラグアイ ( ドイツ、 ブラジル立ち寄り) |
パラグアイ国政府からの招待 日本人の同国移住80周年記念[53] |
2017年(平成29年) | 5月31日 | 6月8日 | ブータン ( シンガポール立ち寄り) |
ブータン国政府からの招待 [54] |
2018年(平成30年) | 7月17日 | 7月31日 | ブラジル ( ドイツ、 アメリカ合衆国立ち寄り) |
ブラジル国政府からの招待 日本人の同国移住110周年記念[55] |
2019年(令和元年) | 7月9日 | 7月22日 | ペルー、 ボリビア ( アメリカ合衆国立ち寄り) |
ペルー国政府及びボリビア国政府からの招待 日本人の同国移住120周年[56] |
逸話
- 平成の天皇(第125代天皇、現上皇)夫妻の初孫であるため、注目度の高さから幼年期は報道、ワイドショーへの露出も多かった。また、この時期は警備にも多数の人員が割かれていたという。
- 1993年(平成5年)夏、軽井沢静養の折り、大型犬が母の紀子に抱かれた眞子内親王の眼前まで飛び上がり、驚いた飼い主に対し紀子が「お友だちになりたいのね」と咄嗟にフォローしたことがある。
- 1995年(平成7年)5月、葉山静養の折り、浜辺の散策において、海蛇に関心を持っていた当時3歳の眞子内親王が「あっちまで行ったら海蛇がいるよね、お父さま。(あの人たちは)どうして海蛇釣るの?」と父の文仁親王にしきりに尋ねる映像がある。幼少時のエピソードの中でも有名なもので、皇室特番やニュースでも頻繁に紹介されている。
- 美術、古文書、建築物などに関心がある。特に日本画に関心が深く、学習院初等科を卒業した時の作文には正倉院、唐招提寺、京都御所において美術を鑑賞し、奈良鳥類研究所において鳥を描く際の心得についての指導を受けた出来事が記されている。同作文においては、修復技術への関心もうかがわせた。
- 祖母の上皇后美智子(当時は皇后)が手がけていた養蚕(皇后御親蚕)を、母の紀子や妹の佳子内親王と共に手伝っていた。皇后御親蚕において小石丸から採取された糸から作られた絹は、皇族が儀式に用いる着物に用いられ、眞子内親王も瑞鳥である鶴をあしらった晴れ着を着用した。
- 同様に1996年(平成8年)から、妹とともに祖父の上皇(当時は天皇)が行っていた皇居での稲作(お田植え)も手伝っている[57]。
- インターネット上での人気が高く、話題となったことがある[58]。
- ジャニーズ事務所所属の芸能人男性アイドルのファンと言われ、そのコンサートに観客として行ったとするゴシップ記事が掲載されたこともあったが[59]、2008年(平成20年)9月26日になって、テレビ番組での報道と併せ、コンサートを鑑賞した事実が宮内庁発表により否定されている[60]。
- 公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠しないが、自署などでは「秋篠宮眞子」とした例がある[61]。
系譜
眞子内親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 明仁 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 美智子(上皇后) |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
曾祖母: 川嶋紀子 | |||
祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
曾祖母: 杉本栄子 |
脚注
注釈
- ^ なお同大学の創設には高松宮宣仁親王も関与しており、皇室と縁のある大学の一つである。詳細は国際基督教大学#沿革を参照。
出典
- ^ 宮内庁 秋篠宮家
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ ご略歴 宮内庁
- ^ “秋篠宮ご一家「仮住まい」に 宮邸の改修に伴い”. 日本経済新聞. 2019年2月7日閲覧。
- ^ “秋篠宮「眞子」さま 内親王命名の儀 ご夫妻でお決めに”. 読売新聞. (1991年10月29日). オリジナルの2014年7月6日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ a b “眞子さま、大学時代に名前隠しボランティア 担当記者の解説です。”. Yahoo!ニュース. (2015年11月6日). オリジナルの2015年11月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 眞子さまがホームステイ 夏にオーストリアへ 北海道新聞 2006年7月11日10時44分[リンク切れ]
- ^ 世界遺産の宮殿を見学 ウィーンで眞子さま 中国新聞 2006年8月12日[リンク切れ]
- ^ “眞子さまが国際基督教大に合格 AO入試、教養学部進学へ”. 47NEWS. (2009年11月5日). オリジナルの2009年11月7日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ a b 眞子さま、ICU卒業 結婚は、「遅過ぎず早過ぎず」 朝日新聞 2014年3月26日[リンク切れ]
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- ^ “研究者コラム”. インターメディアテク. 2021年2月2日閲覧。
参照文献
関連項目
- 宮中某重大事件 - 大正時代に起きた皇族の婚約(皇太子裕仁親王と良子女王、眞子内親王の曽祖父母にあたる昭和天皇と香淳皇后の結婚)を巡る騒動。
- 久邇宮朝融王 - 上記事件とは別の婚約騒動を起こした皇族(眞子内親王の曾祖母にあたる香淳皇后の実兄)。
外部リンク
- 秋篠宮家のご活動 - 宮内庁 - 皇嗣家(秋篠宮一家)の紹介
- 秋篠宮家のご日程 - 宮内庁 - 皇嗣家(秋篠宮一家)の動静
- 秋篠宮ご夫妻に長女 眞子さま誕生 | NHK放送史(動画・記事)
- 眞子内親王殿下のご婚約内定関係 - 宮内庁