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2021年4月18日 (日) 11:19時点における版
ラジオ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、CDなどでの販売や公式なアーカイブなど常に参照可能な状態のネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
ありがとう浜村淳です | |
---|---|
ジャンル | 情報・バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1974年4月8日 - |
放送時間 | 月 - 金曜 8:00-10:30 |
放送局 | MBSラジオ |
パーソナリティ |
浜村淳 佐々木りつ子(月・火曜) 鳥居睦子(水 - 金曜) |
出演 |
吉村珠佳 西田愛 畠山美咲 岡田麻紗巳 |
提供 | 日本香堂ほか各社 |
公式サイト | 公式サイト |
『ありがとう浜村淳です』(ありがとうはまむらじゅんです)は、毎週月曜日から土曜日までの午前中に、MBSラジオが関西ローカルで放送している生ワイド番組。土曜日のみ『ありがとう浜村淳です土曜日です』というタイトルの下で放送されている。
本記事では主として、毎週月曜日から金曜日まで放送されている版について記述する。
概要
1974年4月8日(月曜日)に放送を開始。現在の放送時間は、月 - 金曜日が「8:00 - 10:30」、土曜日が「8:00 - 11:30」となっている。
関西圏ラジオの聴取率調査では、2012年10月の調査時点で、5回続けて在阪ラジオ全局・全番組で聴取率トップを記録するほどの人気番組である[1]。2013年4月8日(月曜日)の放送で開始40年目を迎えた。
46周年を迎えた2020年度のキャッチフレーズは「四六時中、ありがとう。」。同年度の最終放送(2021年3月31日=水曜日)までは、土曜版とともに毎日放送のラジオ局(ラジオ放送事業部門)で制作していた。毎日放送は「新日本放送」時代の1959年3月1日からテレビ放送事業とラジオ放送事業を兼営してきたが、2021年4月1日(木曜日)付でラジオ放送事業を「株式会社MBSラジオ」へ移管したことに伴って、当番組も同日放送分から「株式会社MBSラジオ」で制作している。このような制作体制の変更に伴って、番組開始当初から「毎日放送」という社名を入れていたジングル(サウンドステッカー)や、後述するオープニングの口上も「MBSラジオ」という新社名や「Mラジ」(エムラジ)という新略称入りのバージョンへ一新された。
放送開始当時の状況
在阪ラジオ局が平日の早朝に放送していた番組では、関西(滋賀県)出身で阪神ファンの中村鋭一がパーソナリティを務める『おはようパーソナリティ中村鋭一です』(1971年からABCラジオで放送を開始)が絶大な人気を誇っていた。MBSラジオも対抗策として1972年4月から、中村と対照的な個性(東京都出身・巨人ファン)の持ち主である阪本時彦(当時は毎日放送アナウンサー)を『おはようリスナー阪本時彦です』のパーソナリティに起用。一定の人気を博したものの、『おはようパーソナリティ中村鋭一です』の後塵を拝した。
MBSラジオでは、『おはようリスナー阪本時彦です』の後継番組として、当時深夜番組で評判を呼んでいた浜村淳[注 1]をパーソナリティに据えた生放送番組を企画した。これに対し、主に深夜番組への出演していた浜村は当初、平日朝の生放送番組のパーソナリティへの就任要請を固辞していた。しかし、毎日放送の関係者から「枕元にマイクを置いてでもやってもらいたい」と説得されたことを機に、「1〜2年」という約束で当番組への出演を承諾。番組の開始にこぎ着けた[3]。ちなみに、毎日放送では、第2回(1974年4月9日)の放送を収録した音源を所蔵。当番組を紹介するイベントや、他の番組で随時流している。
毎日放送社史『毎日放送の四〇年』(1991年)には「季節感、情感を盛り込んだ歯切れのよい話術はスポーツ型の中村鋭一と好対照を見せ、女性層を中心に驚異的速度で聴取率を伸ばしていった。ABCとMBSの一騎討ちはそのまま“中村鋭一 対 浜村淳”の競り合いとなり、ラジオは新しいパーソナリティの時代に激しく突入していった」と記されている[4]。『おはようパーソナリティ中村鋭一です』がパーソナリティの変更で『おはようパーソナリティ道上洋三です』に代わった1977年度以降も、現在に至るまで、当番組との間で関西圏におけるラジオ聴取率のトップを争っている[5]。
なお、平日版の放送開始45周年を迎える2019年には、開始当初の状況や浜村の半生などを織り込んだラジオドラマを制作[6]。『浜村淳青春物語』というタイトルで、4月13日に前編、20日に後編を放送した(いずれも土曜日の20:00 - 21:00)。このドラマでは、浜村と同郷(京都市出身)の佐々木蔵之介を浜村役に起用。浜村自身や放送時点でのアシスタント(佐々木りつ子・鳥居睦子)をはじめ、当番組のレギュラー経験者(後述する「ありがとう娘。」の一部など)も出演した[7]。
出演者
- パーソナリティ
- 当番組の放送開始以来、編成上の事情による休止期間(選抜高等学校野球大会のラジオ中継など)を除いて、2021年1月13日(水曜日)放送分まで1回も休演していなかった[8]。2011年には、当番組などによる放送文化への長年の貢献に対して、放送文化基金から第37回放送文化基金賞(個人・グループ部門・放送文化賞)を授与された。
- 2021年1月13日放送分への出演後に国立循環器病センターで定期検診を受けたところ、脳内の血管にごく小さな閉塞の症状を検査医が発見[9]。この症状の解消に効果のある治療薬を探す必要に迫られたことから、再検査と投薬治療を目的にそのまま入院したため、14日(木曜日)・15日(金曜日)放送分を休演した(詳細後述)[10]。浜村が(放送休止期間やあらかじめ取得を決めていた休暇を除いて)当番組を完全に休演することは初めてであったが、共演者やスタッフに電話でメッセージを伝えられるほど体調は良好[11]で、16日放送の土曜版から電話を介して一部の時間帯で出演を再開[12]。同日中の退院を経て、18日(月曜日)放送分からスタジオへ復帰した[9]。
- 当番組の放送開始を機に、「放送前日の夜10時半に就寝してから、翌朝の5時に起床したうえで、自家用車を運転しながら毎日放送のラジオスタジオへ向かう」という生活を40年以上にわたって継続[8]。朝6時前後に同局へ到着してからは、生放送開始までの約2時間を、放送に使う予定の「ネタ」の整理に充てている。もっとも、浜村本人の弁によれば、「(資料や新聞・雑誌記事を基に)『ネタ』を作っても放送で使えるのは(全体の)3分の1」という[3]。火曜日の早朝(5:46)に発生した阪神・淡路大震災(1995年1月17日)や、月曜日の本番直前(7:58)に発生した大阪府北部地震(2018年6月18日)では、当番組の大半を報道特別番組に急遽変更したが、浜村自身は両日とも当番組の放送枠内で出演していた。
- 休演には至らなかったものの、自家用車で毎日放送へ向かう途中に大雪による大渋滞に巻き込まれた影響で、車内から電話で出演したことが1回だけある[8]。また、日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大している2020年には、高齢(85歳)であることを踏まえた暫定措置として、4月28日(火曜日)から5月22日(金曜日)まで自宅からのリモート中継による出演に変更(詳細後述)。パーソナリティへの就任に向けた口説き文句(「枕元にマイクを置いてでもやってもらいたい」)に近い状況が、奇しくも実現している。
- 『偉大なる、しゅららぼん』(2014年3月8日公開の映画版) では、滋賀県長浜市の商店街で実施されたロケに、浜村が通行人役で深田恭子と共演。カメオ出演ながら、出演シーンの最後に「ありがとう」という台詞を述べている[13]。その縁もあって、同年3月3日の「朝からようこそ」では、同作品に出演の深田・濱田岳・岡田将生へのインタビュー(事前収録)を放送した。
- ペ・ヨンジュンが日本で人気を博し始めた2004年頃からは、「ヨン様」(日本における彼の愛称)にちなんで、MBSラジオで放送される当番組の告知CMに「ヨン様、淳様、ありがとう」というキャッチフレーズが使われている。
- 前述の放送開始40周年イベントでは、「何が何でも50周年を迎えたい」と宣言。81歳だった2016年1月には、毎日放送社長の三村景一から、直々に「(当番組のパーソナリティを)ずっとやって欲しい」と打診された。浜村自身は、この打診に対して、「病気になっても病室から放送したい」という表現で快諾している[14]。
- アシスタント
- 妹尾和夫が主宰する劇団パロディフライで活動中の女優で、2015年3月までは浜村の所属事務所である昭和プロダクションにも業務提携扱いで所属していた。MBSラジオでは、当番組への出演を始めるまで『日曜コンちゃん おはようさん』(毎週日曜日8:00 - 8:30)で「コンちゃん」(近藤光史)のアシスタントを務めていた。2017年1月7日より土曜版のアシスタントを兼務。当番組では浜村から、「ササリン」という愛称で呼ばれている。
- 当番組土曜版の基になった『ごめんやす馬場章夫です』シリーズで、末期(1996年 - 2005年)のアシスタントを担当。2015年春までは、当番組への出演と並行しながら『ノムラでノムラだ♪』の月曜アシスタントや『日曜出勤生ラジオ』(いずれもMBSラジオの生ワイド番組)のパーソナリティも続けていた[注 2]。いずれの番組でも、名前の「睦子(むつこ)」にちなんで、「むっちゃん」と呼ばれることが多い。2021年度からの制作体制の変更に際しては、担当日の関係で、変更前最後の放送(2021年3月31日)・変更後最初の放送(4月1日)のいずれにも出演している。
- ありがとう娘。
- 吉村珠佳(よしむら あやか) - 2009年8月 - 2016年9月・2018年10月 - 、兵庫県川西市の出身で、浜村と同じく昭和プロダクションに所属。2015年4月から2016年3月までは、『今日は日曜♪野村啓司のラジオなひととき』のリポーターを兼務していた。2017年4月から2018年3月まで、契約アナウンサーとして山陰放送に在籍。同局のラジオ番組でパーソナリティを務めていたが、契約期間の満了を経て、2018年10月から当番組に復帰。
- 西田愛(にしだ めぐみ) - 2012年5月 - 、富山県滑川市の出身で、昭和プロダクションに所属。MBSラジオでは、当番組への出演と並行しながら、2021年4月から『おわらナイト』(土曜日未明の生放送番組)の「ナビゲーター」(パーソナリティ)を単独で務めている。
- 岡田麻紗巳 (おかだ あさみ) - 2016年10月 - 、群馬県藤岡市の出身で、パートナーズ・プロに所属。
- 田下愉香(たした ゆか) - 2018年10月 - 、大阪市の出身で、MC企画に所属。
- 「今朝の新聞から」で紹介する新聞記事のスクラップ作りから電話の受付、ゲストへのお茶出し、「ありがとうファミリー劇場」の出演など番組の手伝いを行う。浜村は彼女たちに出身地の話を振ることが多い。かつては「ありがとうギャルズ」と呼ばれていたが、モーニング娘。に肖って現在の名称に変更された。
過去の出演者
- アシスタント
- 清水良子(番組開始 - 1974年9月)
- 板垣晶子(1974年10月 - 1976年3月)
- 松田静代(1976年4月 - 1976年9月)
- 鈴木美智子(1976年10月 - 1993年3月)※2015年10月23日、2016年11月28日、2018年4月5日には「朝からようこそ」にゲスト出演。
- 寺嶋千恵子(1993年4月 - 1998年11月)
- 宮西直美(1998年12月 - 2002年10月)
- 奥井ともこ(木・金曜、2002年10月 - 2006年9月)
- 阿部宏美(木・金曜、2006年10月 - 2008年9月)
- 桜井一枝(月 - 水曜、2002年10月 - 2013年9月25日)
- 大内真紀(木・金→月・金曜、2008年10月 - 2014年3月28日)[注 3]
- 放送開始当初 - 2002年9月までは一人のアシスタントが全曜日を通して出演していたが、2002年10月以降は週前半・週後半それぞれで異なるアシスタントを起用する形が採られるようになった。
- ありがとうギャルズ
- 橋本のりこ - 1988年 - 1989年
- 井口美喜子 - 1999年3月
- 長居知恵子 - 2001年9月
- 奥村直子 - 1999年3月
- 井上佳代子 - 1998年3月
- 梅田エリカ - 2000年3月
- 大橋由佳 1998年4月 - 2001年9月
- 中野加奈子 1999年4月 - 2001年9月。2014年3月1日から、大内に代わって土曜版のアシスタントを担当。
- 吉井ゆかり 1999年4月 - 2000年3月
- 藤原美佳 2000年4月 - 2001年9月
- 三宅奈緒子 2001年10月 - 2003年9月
- 竹内奈美子 2001年10月 - 2003年9月
- 住吉二三 2001年10月 - 2003年9月
- ありがとう娘。
- 松木宏美 2003年10月 - 2007年10月、香川県さぬき市出身。出産のため、番組卒業。
- 河合美保 2003年10月 - 2007年12月
- 桜井佑理子 -2007年10月 - 2009年8月
- 宮﨑真理 - 2007年10月 - 2011年3月?
- 山下真央子 - 2011年4月 - 2012年5月
- 加藤万梨子 - 2011年4月 - 2013年2月、青森県八戸市出身。
- 小﨑成子 - 2013年3月 -2015年9月、愛媛県宇和島市出身。
- 三田愛美(さんだ あいみ) - 2016年10月 -2017年9月 、大阪市出身。 卒業翌月の2017年10月から2018年3月まで、同局の2017年度ナイターオフ期間番組『次は〜新福島!』木曜日にコーナー出演。
- 畠山美咲 - 2013年3月 - 2018年9月、大阪市出身。
放送時間
- 番組開始から2002年10月4日まで
- 8:00 - 10:00
- 2002年10月7日から
- 8:00 - 10:30
- ※MBSラジオが選抜高等学校野球大会の全試合を中継していた2008年までは、大会期間中に3〜4試合を予定している日に放送時間を短縮していた(3試合日=9:30試合開始のときは8:00 - 9:25まで。4試合日=8:30からとなる場合は8:00 - 8:25まで)。大会期間中には、浜村が休暇を取ったり、番組の主催で浜村・アシスタントとリスナーの交歓ツアーを実施したりすることが多かった(後述)。
タイムテーブル
- 8:00 今朝の新聞から
- 当日の新聞や週刊誌などから、政治・経済、事件・事故、芸能情報といった、あらゆるジャンルのニュースを、独特の浜村節で紹介する、この番組の看板コーナー。8時台は、浜村の生コマーシャル(途中で約5分間挿入、月曜日を除く)と前後約2分ずつのスポンサーCMを除いて、当コーナーの放送に充てられる。また、生コマーシャルの時間帯を除いて、当番組のテーマソングをBGMに使用。放送日によっては、9時の時報以降も、当コーナーをしばらく続けることもある(ただし、BGMはかからない)。
- 当コーナーの放送中には、基本として天気予報や交通情報を挿入しない。ただし、緊急時には、MBSラジオの報道ブース(当番組での呼称は「ニューススタジオ」→「報道フロア」)から担当のアナウンサーがニュース速報や気象警報などを伝える。前述のCMを挿入する直前には、浜村が「時刻をお知らせしておきましょう」と言った後に、アシスタントがその時点での時刻を知らせる。
- 生コマーシャルの放送を開始する以前の浜村は、前述のCMを除いて、当コーナーでほぼ1時間にわたってニュースを語り続けていた。
- 9:00 9時クイズ
- リスナー参加のクイズコーナー。月曜 - 木曜は当日の新聞記事から出題、金曜は童謡・唱歌、テレビ番組の主題歌のタイトルを当てる。3つの選択肢(浜村曰く「ヒント」)が提示されるが、誰でも正解できるような判りやすい選択肢となっている。金曜の歌の問題では、解答となる部分のマスキングはされない。
- 応募者の中から抽選で3 - 5名に、スポンサー企業などから提供された商品をプレゼントする。また、プロ野球のペナントレースシーズン中、阪神タイガースが前日の試合で勝利した場合は、浜村がこのコーナーおよび番組冒頭で「阪神勝った明くる日は、ワンカップ大関で乾杯しよう」と言い、抽選で3名にプレゼントする[注 4]。逆に阪神が敗北した場合、または前日に阪神の試合がなかった場合は、番組特製のクオカード・タオル地のハンカチ・メモ帳を、それぞれ3名にプレゼントする。2006年9月まではオレンジカードだったが、同年10月にクオカードに変更された。Jスルーカードにしなかったのは、同カードが使えない和歌山県(阪和線以外の線区)や中国・四国地方、中京地方などのリスナーに対する配慮であった。なお、不定期で上記以外のプレゼントが追加されることもある。
- 「MBSラジオ スペシャルウィーク」期間中には、8時台にも出題。同局が平日に放送する他の生ワイド番組でも、当該番組のパーソナリティが出題するプレゼントクイズとして実施したうえで、出題当日の放送中に正解とプレゼント当選者を発表することがある。
- 2017年12月12 - 14日:『次は〜新福島!』(「夜の9時クイズ」として午後9時の時報明けに出題)
- 2019年6月10 - 14日:『子守康範 朝からてんコモリ!』『松井愛のすこ〜し愛して♥』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』『上泉雄一のええなぁ!』(当番組の放送45周年を記念した連動企画「何時になっても9時クイズ」として放送中に出題)
- コーナーテーマ曲(全て女声)は日替わりで、宝塚歌劇調やド演歌調、西部劇調、ジャズ調のオリジナル楽曲4種類の他、替え歌が用いられる日もある[注 5]。これまでに登場した替え歌は「桃太郎」「らいおんハート」「ドラえもんのうた」「水戸黄門(ああ人生に涙あり)」「ゴッドファーザー(愛のテーマ)」「アルプスの少女ハイジ(おしえて)」「ロート製薬」「サンタが街にやってくる」(クリスマス限定)「一月一日」(お正月限定)etc.
- 2010年3月までは交通情報は他時間帯と異なり、大阪センター(阪神高速道路と一般道路)と吹田センター(阪高以外の高速道路)の双方から中継されていた。
- 各コーナーの終わりには浜村とアシスタントがそろって「ありがとうございました」と言う(MBSニュースについては2015年頃より割愛)。
- 9:30 ありがとうファミリー劇場
- 「さあ、(いつものように)幕をあけましょう」のフレーズで始まるコーナーで、通常は浜村と曜日アシスタントの二人だけが出演。毎週1つのテーマに沿って、ラジオドラマや名曲を放送する。放送開始からしばらくの間、花王が当コーナーのみ提供。2013年9月までは、永らく10時台に放送していた。
- ラジオドラマの場合には、実際にあった珍事件を取り上げる「事件の裏側」、歴史上の偉人の物語、リスナーから寄せられたエピソードに基づくストーリーなどを1週間通じて放送。浜村と曜日アシスタントが、進行やナレーションにとどまらず、演技もこなす。ただし、登場人物が多い場合には、"ありがとう娘。"やディレクターも登場。実話を題材にする場合には、構成を担当した作家の氏名や脚本の出典を、必ずオープニングで紹介している。ただし、出演者が揃ってのリハーサルはなく、いわゆる「ぶっつけ本番」形式で放送する。
- MBSラジオのイベント(MBSラジオまつり)の一環としてラジオドラマを放送する場合には、同局の他番組のレギュラー出演者も登場。2009年4月の改編後には、スペシャルウィーク期間中のみ、前枠番組『子守康範 朝からてんコモリ!』にレギュラーで出演するタレント(メインパーソナリティの子守康範を含む)や上泉雄一(MBSアナウンサー、2009 - 2014年度の後枠番組『上泉雄一のええなぁ!』のメインパーソナリティ)、松井愛(同、2015年度以降の後枠番組『松井愛のすこ〜し愛して♥』のメインパーソナリティ)が参加したこともあった。
- 放送週によっては、毎日新聞大阪本社版朝刊の童話コーナー「読んであげて」に掲載されている童話の名作や、リスナーから寄せられた作文を朗読することもある。また「名曲をありがとう」というタイトルで、リスナーにとって思い出の1曲をエピソードとともに紹介することもある。
- 9:40 ジャパネットたかたラジオショッピング
- 2009年4月改編から内包。放送日が年末年始・祝日の場合には休止する。当初は10:20頃に放送。その一方で、金曜日には放送を休止していた。
- ジャパネットの佐世保本社にあるスタジオからの生中継で、社員が商品を紹介。創業者の高田明も、代表取締役社長を務めていた時期に、「プレゼンター」として定期的に出演していた。
- 2014年3月までは、中継の終了直後に、アシスタントが商品名、価格、受付電話番号などを復唱ししていた。
- 9:45 今日の運勢〜天地がささやくエジプト占星術〜
- 土曜版でも放送されるコーナーで、その日の運勢を誕生月ごとに紹介する。月曜日は「ラッキーカラー占い」、火曜日は「ラッキープレイス占い」、木曜日は「ラッキーアイテム占い」、金曜日は「ラッキーフード占い」、水・土曜日は「エジプト占星術占い」。
- 桜井がアシスタントを務めていた当時は、浜村との掛け合いがあった。また、大内が当コーナーで披露する関西弁は、浜村に合わせているのか独特の発音であった。
- コーナー終了後の10時の時報前には、浜村(またはアシスタント)による日本香堂の生コマーシャルと、同社のラジオCMを立て続けに放送。編成上は、CBCラジオの『三遊亭円楽のおたよりください』や、TBSラジオの『(伊集院光と)らじおとお便りと』(『伊集院光とらじおと』シリーズ内の1コーナー)と同じ日本香堂提供のネット枠と扱われている。
- 9:50
- 月〜木曜日:ありがとう芸能情報
- 基本として、8時台に紹介できなかった芸能情報を1〜2項目取り上げる。MBSテレビで金曜日の深夜に浜村の解説で映画(ほとんどは洋画、たまにアジア系の作品)を定期的に放送していた時期には、当日の当コーナーでその内容を予告していた。
- 金曜日:ありがとう耳寄り情報
- "ありがとう娘。"の1名が、店舗・企業・イベント会場を訪れる中継コーナー。「ありがとう芸能情報」に差し替えられる日もある(事前の告知は特になし)。
- 10:00
- 時報が鳴るとすぐに、9時クイズの受付締切を知らせるチャイムの連続音が鳴る。
- 10:02 MBSニュース
- 10:05 朝からようこそ
- 毎日話題のゲストを迎え、様々な話を聞くコーナー。概ね歌手や俳優、お笑いタレント等が登場する。なおゲストの都合が付かない場合は、事前に収録したものを放送する場合がある(映画の宣伝で俳優が出演する場合は概ね事前収録)。2013年9月までは、永らく9時台の後半に放送。同年10月の放送から「ありがとうファミリー劇場」と放送順を入れ替えた。
- コーナーのオープニングでは、"ありがとう娘。"が1名登場。「おはようございます。ありがとう娘。の〜です。今朝のお客様・(ゲストの氏名)さんにお茶をお持ちしました」という決まり文句でゲストを紹介する(事前収録の場合を除く)。
- 10:25
- 月〜木曜日:演歌天気予報
- 日本気象協会から提供された資料を基に、演歌のBGMを流しながら、アドリブ混じりの五七調で当日の天気概況を伝えるユニークなコーナー。一時期「声に出して読みたいお天気のお知らせ」というタイトルだったこともある。浜村が言ったフレーズをアシスタントが復唱することが特徴。
- 金曜日:ご当地天気予報
- 土曜・日曜を利用して観光地へ出かけるリスナーからのリクエストと、日本気象協会から提供された資料を基に、滞在日における目的地のピンポイント予報を伝えるコーナー。
- リクエストの対象は、日本全国およびアジア諸国。前日(木曜日)の17:00にリクエストを締め切ったうえで、放送で2名分を紹介する。
- エンディング
- 9時クイズの正解およびプレゼントの当選者を発表。『上泉雄一のええなぁ!』が後枠で放送されていた2014年度の途中からは、後枠番組のパーソナリティ(現在は『松井愛のすこ〜し愛して♥』の松井愛)に向けて、浜村がメッセージを投げ掛けることで生放送を締めくくる。
(※)9時台にも天気予報があるが、9時台の天気予報は、「演歌(ご当地)天気予報」とは別で、日本気象協会所属の気象予報士が出演する。
インターネットでの音源配信
- 「今朝の新聞から」の放送内容を1時間弱に編集した音源を、YouTube内のMBSラジオ公式チャンネル(#外部リンクを参照)から配信。当番組の公式サイトや、MBSラジオ公式サイト内の「WEBラジオ」ページからも、埋め込みリンクを通じて聴取できる。
- 配信対象は基本として、「今朝の新聞から」8時台のうち、CM・生コマーシャル・BGMを除く部分。生放送の同録音源を活用するため、放送中や放送直後に間違いが判明したデータ・情報、政治的な発言なども割愛されることがある。
- 2013年9月24日までは、Windows Media Player対応の音源を、放送直後(放送日の11時台)から当番組の公式サイトでストリーミング配信。金曜日以外の放送分は翌日の更新時間、金曜日の放送分は翌日(土曜日)の午前5時まで聴取できた。その一方で、土曜日の正午頃から月曜日正午頃までの間は、上記ページでの配信を停止していた。なお、同月25日からYouTubeでの配信へ移行したことを機に、過去数日間の音源も「バックナンバー」として公開されるようになった。
- 2010年2月末日(実際は2010年2月24日放送分)までは、RealPlayer形式でのストリーミング配信も実施。2012年11月下旬までは、前述の「オープニングソング」とBGMも含めて配信されていた。また、YouTubeで「今朝の新聞から」の音源配信を始めるまでは、土曜版「映画サロン」での浜村節を彷彿とさせる15秒間の番組PR音源(番組インフォメーション)も公式サイトからWindows Media Player形式で公開していた。
2014年4月1日より、radiko.jpプレミアム(エリアフリー聴取)が開始されたが、開始当初MBSラジオはradiko.jpプレミアムに参加しておらず、近畿広域圏以外の地域では聴取不可能であったが、2014年9月2日放送よりradiko.jpプレミアムを通じて全国で聴取可能となった。
「浜村節」
この番組の魅力の一つに、「今朝の新聞から」や「映画サロン」等における浜村の独特の話芸が挙げられるが、その中でもよく使われる言い回しや、お決まりの一言などを挙げる。
放送中に多用される決まり文句
あいさつ
- 「いろはの『い』の字によく似た姿、淳と」「○○(アシスタントの下の名前)で」「ありがとう」
- 平日版の生放送を締めくくる挨拶。挨拶の途中まで浜村1人で披露するが、アシスタントの名前のみ本人が発声。最後の「ありがとう」では、浜村とアシスタントが声を合わせる。
- ラジオスタジオ内で机をはさみ向き合っていては互いに記事が読みにくいので、隣り合って座っている姿を、ひらがなの「い」の字に例えている。
- 2002年10月4日までは10時の時報直前(9:59)、以降は現在まで10:29に披露。ただし、放送終了までの残り時間が少ない場合には割愛。浜村が挨拶の最初の一節を思い出せないまま、番組を終えることもある。
- 当番組の後枠で『上泉雄一のええなぁ!』を放送していた2015年1- 3月には、放送終了まで時間に余裕がある場合に、上記の挨拶を済ませてから浜村が「この後は上泉さんです・・・ええなぁ」という台詞を加えることで同番組へつなげていた。後番組が『松井愛のすこ〜し愛して♥』になってからは「この後は松井愛さんの『すこ〜し愛して♥』がはじまります」とつなげている。
比喩表現
- 「歩いて○○分、走って●●分、ケンケンして△△分、はいずりまわって××分」
- ある場所までの所要時間を示すときによく用いられる。
- 「うぐいすがハチミツをなめたような声」・「カラスがコールタールを飲んだような声」
- 美声・悪声を比喩するときに使う表現。セットで用いられることが多い。「カラス……」は主に浜村自身の声を指して言う。
- 「聖武天皇さまがお聴きになっても『これは古い!』とおっしゃるほどの○○」
- 戦前の音楽など、非常に古い音源を紹介するときに用いられる。「聖徳太子さま」等に置き換えられることもある。
- 「横板に取り餅」
- 「立て板に水」と反対の意味で、滑舌の悪い様子をたとえる。
古方言
- 「ええコンコロ(心)持ち」
- 「ころこんで」
- 転ぶ、転がり込むと言った意味。「喜んでころこんで」と重ねると、欣喜雀躍する様子になる。
- 「好きやん」
- 「すっきゃん」と発音。恋人のこと。
- 「不服でおます」
- 浜村は「今朝の新聞から」でニュースを紹介する際、物語のように説明を行うため、記事上の人物がフィクションの登場人物としてセリフを発するような調子になる。この例は、裁判の結果、原告・被告が、控訴・上告する際に必ず発するフレーズである。当事者が関西以外の人間でもこのように言うことになっている。
ダジャレ・地口
- 有言不実行の様を示す。
- 人名を略す話が出たときのお決まりの一言。「浜村淳はハマジュン」と言うときもある。かつての日本道路公団(JH)が話題にのぼったとき、「JH、ジュン・ハマムラ」と言うパターンもあった。
- 「大阪名物岩おこしに、掘り起こし」
- 古くからある地口。江戸時代の大坂で工事が多かったことを揶揄したもの。
- 豪州(ごうしゅう)とかけたもの。
- 「アルマーニ」と「有馬稲子」をかけたもの。盗難などの事件を伝える際、高級ブランドの名称として用いる。
- 「同志社大学文学部をシュセキ(酒席)で卒業した」
- トップの成績を意味する「首席」とかけ、教授と酒を共にして取り入ったと豪語する。
- 「何を言うてはりまやばし!」
- 「ニュージーランドはややこが多い」
- 「ややこ」は乳児(ニュージ)のことである。
- 「微分積分。かすかにわかる、わかったつもり」
- 「風呂屋のオッサン飛行機乗りになりよったで」「戦闘(銭湯)機やろ?」
- 「蛇の長さは9mのヘビー級」
- 矛盾 →「浜村むじゅん」
- 「名犬ラッシーがややこ産んだ」→ ややこシー → ややこしい
ことわざ・俚言・古流行語
- 「あら松ちゃん出ベソの宙返り」
- 驚きを表す時に発する。
- 「昨日の敵は明日の友」
- 「窮鼠(かえって)猫を噛む」
- 「この土手に 登るべからず 警視庁」
- 「天網恢々疎にして漏らさず」
- 「遠くて近きは男女の仲、近くて遠いは田舎の道」
- 「何を言うやらミカンやら、キンカン升で量るやら」
- 「笑って誤魔化せ自分の失敗、しつこく責めよう他人の失敗」
落語・放送番組等からの引用
- 「あー、あやかりたい、かやつりたい」
- 落語の『子ほめ』からの引用。
- 「オッサン喰たろか、ボンボン噛んだろか」
- 「お土産、お土産」
- 長らくMBSテレビで放送されていた素人参加番組『素人名人会』で、初代司会者の西条凡児が出演者をねぎらう際に常用した言葉。なお浜村は、2代目司会者の西川きよしの選挙活動期間中に同番組の代理司会を務めた。
- 「ジャジャジャージャージャージャージャー」
- 古典落語のさわりでよく使われる小咄。「頼朝の頭蓋骨」と称した人骨を見せる見世物小屋が話の舞台。頼朝は頭が大きかったと伝わるため、頼朝にしては骨が小さい、と客がただすと、このセリフとなる。
- 「にぶゎーい」
- 「バカなことを言うな!」
- 若井ぼん・はやとの若井ぼんのギャグ。関西とも標準語とも違う不思議なアクセントで発話される。
- 「持った湯のみをバッタと落とし、小膝たたいてにっこり笑い」
- 広沢虎造の浪曲『石松三十石船』からの引用。登場する人物が妙案(もしくは悪巧み)を思いついた様を示す。「湯のみ」の部分は、話題の内容によって時折変化する。
- 「ようお越し またお越し 岩おこし」
- パート2のギャグ。
擬音・擬態語
- 「ガンガラ ガンガラ ドスンプスン」・「ドンガラガッチャン ガンガラガッチャン ドッカンバッタンプッスン」
- 何か物にぶつかった様子や、物を叩く様子を表現する擬音。
- 「ぱぷぱぷ」
- 嬰児が泣いたり、何か意思表示をしたりしようとしている様子。「(何か意思表示をしたくても)『ぱぷぱぷ』しかよう言わん」「『ぱぷぱふ』言うてるややこでもわかる」などと表現される。
- 「ポンカラキンコンカン」
歌
- 「いちばんめーはーいちのみやー」
- 「ドレミファソラシドー、ドシタラヨカロウー」
- 「浪速の空は日本晴れー」
- 三橋美智也「夕焼けとんび」の替え歌。阪神タイガースが勝利した次の日の放送の冒頭で、他の出演陣も巻き込んで歌われる。浜村は、この歌を「歌うたびに下手になる歌」と表現している(これは、歌われるたびにアシスタント(特に桜井一枝)の歌うこの歌が下手になっているように聞こえるからである)。
その他
- 「あちゃら語で言うと」
- 外国語、外来語の意味。
- 話題中に例示のために架空の人物を設定する際、このように実在しないような突飛な名称が用いられる。
- 「さりとて」
- 「新春シャンソンショー」
- NGや言葉を噛む話題が出たとき「ポリ袋入りお煮しめでおなじみの摂津洋酒醸造所が新進のシャンソン歌手を集めてお贈りする新春シャンソンショー」という台詞を昔司会で言わされたという話をすることがある。
- 「セミプロ」
- 「ぷーさん」
- エルヴィス・プレスリーのこと(プレスリーの生後2日後に浜村は生まれた)。京都先斗町のスナック「鳩」のママがプレスリーを「ぷーさん」と呼んだことに由来する。また、五山送り火開催日とプレスリーの命日が同じ日(8月16日)であるため、当日の送り火の行事紹介をする際に、毎年必ず「ぷーさん」が話のネタにされる。
- 「真面目の国から真面目の宣伝に来たような人」
- 悪事には全く無縁そうで、とても事件を起こしそうにもないような人を形容する表現。主に「仕事熱心な人」などと報じられる容疑者に対して用いられることが多い。
オープニングについて
番組のオープニングは開始当初は浜村・アシスタントが、タイトルコールを言ってからテーマ曲が流れていたが、1978年11月23日の中波周波数変更の時から以下のような流れが行われている。
2016年3月19日のワイドFM(90.6MHz)開始を契機に同年4月11日からそれに対応したキャッチフレーズとなり、2021年4月1日のMBSラジオ分社時に局名部分を変更している。
- 現在のオープニングの流れ
- アシスタント「一番に入れるスイッチなんでしょう。来る日も来る日も(毎日放送→)MBSラジオ、1179」(中波周波数との語呂合わせで、「一 (1) 番に入 (1) れるスイッチな (7) んでしょう。来 (9) る日も来る日もMBSラジオ、1179」)
- ありがとうギャルズ(現在の「ありがとう娘。」の前身)「ありがとう浜村淳です」(1992年以前は、浜村とアシスタントが言っていた)
- アシスタント「おはようございます、(アシスタント名)です。花の放送局(MBS→)MBSラジオから、AM1179・FM906で夢いっぱいの番組をお届けします」
- 平日のテーマ曲が流れ、「今朝の新聞から」がスタート。なお、テーマ曲は「今朝の新聞から」のコーナー中、BGMとして、延々と流れ続ける。
平日版の「花の放送局MBSラジオから…」の部分は、千里丘スタジオ(吹田市)から放送していた時代は「花と緑の、愛の千里丘からお送りします」、茶屋町移転からワイドFM開始までは「星の放送局から星の21世紀をお届けします」という台詞であった。土曜版については、前日に阪神タイガースが勝利した場合は「ちょいとでましたー」と「一番に…」の部分が、前述の「浪速の空は日本晴れー」になることがあるほか、USJからの放送が開始される前は「土曜日でーす」の部分を除いては平日と同じであった。
テーマ曲
- 「ありがとう」作曲:奥村貢(作品コード 066-3235-1)
関連番組
- TBSラジオでは一時、当番組とほぼ同じ内容の生放送番組(『お待たせしました 浜村淳です!』→『古今東西!浜村淳』)を流していた。ただし、浜村をはじめとする出演者は、大阪のスタジオから中継回線を通じて登場していた。
- 2009年11月8日には、MBS・ABC両局によるコラボレーション企画として、『おはようパーソナリティ道上洋三です』でパーソナリティを務める道上洋三と浜村のトークショーが第七藝術劇場(大阪市淀川区)で実現。その模様が、同月23日に両局で放送された。
- ABCラジオでは19:30 - 20:00に、土谷多恵子の進行で『誰がとめるねん!? 道上洋三vs浜村淳』として放送。MBSラジオでは20:00 - 20:30に、桜井一枝の進行で『浜村淳+道上洋三 ラジオトップ対談』として流された[注 6]。
- MBSラジオでは、2011年9月10日の15:45 - 17:43に、『永六輔・つボイノリオ・浜村淳の御三家ラジオ』(MBSラジオ・TBSラジオ・CBCラジオの3局共同制作番組)をTBS・CBCから1週間遅れで放送。当番組から、浜村と大内がMBS代表として出演している。
- 2016年10月16日には、『MBSサンデースペシャル』枠(20:00 - 21:00)にて、当番組女性レギュラー陣と『土曜日です』から中野加奈子が出演の「ありがとう女子会スペシャル〜妙齢の美女7人でございます〜」を放送。
- 2019年3月21日(月曜日・春分の日)には、MBSラジオ・近畿日本鉄道(近鉄)・クラブツーリズムによる特別企画として、近鉄が臨時に走行させる団体貸切列車「あおぞらII」内からの全編生放送『番組開始45周年記念 近鉄電車からありがとう』を実施。クラブツーリズムが催行する予約定員制(同月8日まで予約受付)の有料ツアーおよび、「第38回ラジオウォーク」(MBSラジオの特別番組との同時進行方式によって奈良市内の平城宮跡歴史公園周辺で開催)と連動した企画で、「あおぞらII」は通常運行しないルート(大阪上本町駅→<<近鉄大阪線>>→大和八木駅構内の新ノ口連絡線→<<近鉄橿原線>>→橿原神宮駅→<<橿原線>>→平端駅→<<近鉄天理線>>→天理駅→<<天理線>>→平端駅→<<橿原線>>→大和西大寺駅の順)で走行した[15]。
- 日本国内を走行している臨時貸切列車の車内からの生中継だけで構成する番組は、NHK総合テレビが1964年に東海道新幹線の試験走行車両で実施している。ただし、毎日放送が制作する番組および、日本国内向けのラジオ番組では初めての試みという。近鉄にとっても、走行中の列車を長時間の生放送番組向けに提供することは初めてとされる[16]。
- 「あおぞらII」は6両編成で、放送機材を搭載する車両(1両)以外の5両に300名の予約客を乗せるとともに、先頭車両を仮設スタジオに見立てて生放送。予約客には、「キッチンぷいぷい」(MBSテレビ『ちちんぷいぷい』内の料理コーナー)に出演する料理人の一部(卜部吉恵・中辻利宏・松下平)がプロデュースに携わった特製の弁当を振る舞うほか、MBSラジオだけを受信できるツアーオリジナルの携帯ラジオ受信機をプレゼント。また、放送の合間には、浜村との記念撮影の機会を設けた。
- 上記のルートでは、近鉄大阪線から橿原神宮方面へ向かう通常の列車では使用しない新ノ口連絡線から橿原線へ進入。天理線内の運行については、通常の列車と違って、橿原線と接続する平端駅の構内でスイッチバックによって列車の進行方向を変更した。このような事情から、浜村・鳥居や「ありがとう娘。」の田下に加えて、毎日放送きっての鉄道通であるスポーツアナウンサーの馬野雅行や、後輩アナウンサーの福島暢啓も、ツアーへ同行しながら生放送に出演。その一方で、不測の事態による放送事故を回避すべく、佐々木と「ありがとう娘。」の西田が毎日放送本社のラジオスタジオから進行役を務めた[16]。
- 「あおぞらII」の出発時刻が8:12に設定されていたため、オープニングトークと「今朝の新聞から」は、大阪上本町駅のホームに停車中の車両から放送。出発後は、車内から「9時クイズ」を出題したほか、「第38回ラジオウォーク」のステージイベントに出演する笑い飯哲夫をゲストに迎える格好で「朝からようこそ」を放送した。「あおぞらII」が放送用の電波を届けにくい場所を通過する最中には、浜村・福島からのリクエスト曲の放送や、佐々木・西田によるスタジオトークで対応。佐々木と西田は、「ラッキーアイテム占い」のアナウンスや、「9時クイズ」のプレゼント当選者発表も担当した。その結果、大きな放送事故に見舞われることなく、「あおぞらII」はエンディングまでに大和西大寺駅へ到着。浜村・鳥居・哲夫とツアーの参加者は、放送終了後に同駅から国営平城宮跡歴史公園へ移動している。
- 通常は祝日にも放送されるレギュラーコーナーのうち、「ありがとうファミリー劇場」「ありがとう芸能情報」「演歌天気予報」については休止。「今朝の新聞から」も、当日放送分のみ、YouTube公式アカウントからの音源配信を見合わせている。
番組プロデュース商品
「浜村淳です! 幸せひと筋・感動カレー」
セブンイレブンとのコラボレーションによるプロデュース商品として、2011年7月29日から近畿2府4県・数量限定で発売(1箱525円)。国産の牛すじを煮込んだ中辛味のレトルトカレーで、「涙のスパイス」と称するスパイスの小袋が付いていた。
当番組にとって、コンビニエンスストアとのコラボレーション企画は初めての試み。発売前後には、同商品の発売を告知するジングルを特別に流していた。発売直前には、「ありがとうファミリー劇場」でも、カレーにちなんだラジオドラマを放送している。
「ありがとう 春待ち華やぎ弁当」
サークルKサンクスとのコラボレーションによるプロデュース商品として、2013年2月11日から同月25日までの2週間にわたって、近畿2府4県と岡山県の同社店舗で発売(1箱550円)。春の訪れを感じさせる10種類の和食(ゆかりと青菜のだし御飯、里芋・こんにゃく・人参・大根・かぼちゃ・椎茸の煮物、茄子と湯葉のあんかけ、切干大根、生麩の田楽風、小松菜と刻み揚げのおひたし、鶏のゆず胡椒焼き、だし巻き玉子、有頭えび煮、さば煮のおろし揚げ)を、1箱に詰め込んでいる。
ちなみにMBSラジオでは、2013年1月1日1時から、(当番組の放送時間帯を含む)時報の直前にサークルKサンクスのCMを放送。当弁当の発売期間中には店舗発行のレシートを貼ったハガキを同年2月28日までに投函することを条件に、伊藤園のペットボトル茶(指定の3製品から最低1製品)との同時購入者から抽選で当番組特製の湯呑みを進呈するキャンペーンも実施していた。
「ありがとう恵方巻」
ダイエーとのコラボレーションによる節分向けのプロデュース商品として、2017年から、節分の前後に近畿2府4県のダイエー・グルメシティの店舗で提供。毎年1月上旬に当該店舗で予約を受け付ける一方で、節分の当日(例年は2月3日・2021年のみ2月2日)には大半の店頭で販売する(2017年には節分前日の2月2日にも販売)。節分が日曜以外の曜日と重なる場合には、「ありがとう娘」による販売中の店舗からの生中継リポートを当番組で放送するほか、放送後に中継先の店舗で実施する販売促進イベントへ浜村が参加する。
「縁起の良い食材」として浜村が勧める数の子・クワイ・黒豆・椎茸・ゴボウ・レンコン・海老・卵(卵焼き)を酢飯の中へ入れたうえで、1枚当たり1,870個の細かい穴を開けた海苔で酢飯ごと巻くことによって、節分の風習である「丸かぶり」でも歯切れ良く食べられるように工夫している。
価格については、8が「末広がり」を意味する数字であることにちなんで、1本当たりの本体価格を2019年まで888円(消費税込みで959円)に設定していた。2020年からは、食べやすさを重視した小型化に伴って、本体価格を698円(消費税込みで約753円)に引き下げている。
「ありがとう!16品目の彩り弁当」
平日版の放送開始45周年記念企画の一環で、ダイエーとのコラボレーションによるプロデュース商品として、2019年10月31日から近畿2府4県と岡山県の同社店舗で発売(1箱税別450円)。βカロテンとビタミンCが豊富な緑黄色野菜、もち麦、黒米、豆苗など、栄養価の高い16品目の食材を用いた9種類のオリジナル料理を、八角形の容器に盛り付けている。
放送枠外企画(イベントなど)
- 番組パーソナリティを務める浜村自身が映画評論家でもあることから、当番組の土曜日版に設けられている「映画サロン」コーナーに於いて近日公開予定の映画1本を紹介するほか[注 7]、年に数回程度「ありがとう名画サロン」(浜村の司会・解説およびAIG損保[注 8]や岡村製油[17]の提供による新作映画のリスナー向け試写会)を開催している[注 9]。
- 番組放送開始30年目の2003年12月には梅田コマ劇場(現在の梅田芸術劇場)で、35年目の2008年9月29日には初代フェスティバルホール、40周年の2014年4月7日には2代目フェスティバルホール(いずれも大阪市北区)で、それぞれ大規模な記念イベントを開催した。中でも2014年4月に開かれた40周年記念イベントでは歌手の五木ひろしと谷村新司、漫才師の西川きよし他が招かれ、浜村が「神様から与えられた仕事。今後も楽しくやりたい」と語ると共に「50周年は京セラドームかUSJで祝いたい」と早くも10年後のことを思い描いていたのに対し、五木は「まだやるの?」、きよしは「ドームより墓場の前でやったら?終わったらそのまま墓に入れる」と、それぞれ冗談交じりに返していた[21][22]。
- MBSでは2013年4月8日に、放送開始から40年目に入った当番組について、「1人のパーソナリティーが帯番組を生放送で40年」という内容でギネス世界記録に申請することを表明していた[23][24]。しかし、当時のアメリカで90歳のDJがラジオの生放送番組にレギュラーで出演していることが判明したため、申請を断念。このことを知らされた浜村は、ギネスから「現役最高齢DJ」として認定されることを視野に、少なくとも90歳まで当番組のパーソナリティーを続けることを新たな目標に挙げた[25]。
- 番組開始20年目を迎えた1993年と翌1994年には、『サントリー1万人の第九』(MBSが1983年から毎年12月第1日曜日に大阪城ホールで開催するコンサート)に、「ありがとう合唱団」(浜村と番組で募集したリスナーによるコーラスグループ)名義で「1万人の第九特別合唱団」へ参加した[26]。
- 番組開始45周年を迎える2019年には、平成時代最後の月である4月17日(火曜日)の本番終了後に、「『ありがとう浜村淳です』45周年記念公演 "しじゅうご"縁がありますように… 平成最後の大パーティー!」と称する全席指定の有料イベントを、毎日放送の本社に隣接する梅田芸術劇場のメインホールで開催。レギュラー出演者の浜村、鳥居、佐々木、ありがとう娘。(西田愛、岡田麻紗巳、吉村珠佳、田下愉香)、土曜版にのみレギュラーで出演する西川きよし、MBSラジオ他番組のパーソナリティから松井愛と近藤光史が登場した[27]ほか、八代亜紀、加藤ヒロユキ、純烈などをゲストに迎えた。同月26日(土曜日)の19:00 - 21:00には、このイベントのダイジェスト番組をMBSラジオで放送。
エピソード
- 2010年6月1日(火曜日)には、毎日放送東京支社内のラジオスタジオから、全編にわたって生放送を実施。浜村は、当番組の本番終了後に、同支社の近隣にあるTBS本社のラジオスタジオから放送していた『大沢悠里のゆうゆうワイド』にゲストで出演している[28]。
- 毎日放送がラジオの本放送を開始してから65周年を迎えた2016年には、毎日放送が(ワイドFMの周波数90.6MHZにちなんで)9月6日を「MBSラジオの日」にすることが日本記念日協会に認定されたため、同日の「朝からようこそ」内で浜村が「毎日放送代表」として協会代表理事の加瀬清志から登録証を受け取った[29]。
- 2020年には、日本国内における新型コロナウイルス感染拡大の影響で、4月から番組の制作体制を暫定的に変更。同月13日(月曜日)以降は、MBSラジオ制作の全番組への暫定措置でスタジオへ同時に滞在できる人数を原則として3人以下に制限しているため、「ありがとう娘。」が別室(会議室)からの生中継、「朝からようこそ」でスタジオへの登場を予定していたゲストが電話で出演している[30]。4月時点で85歳の浜村は、同月27日(月曜日)放送分まで(土曜版を含めて)週6日のスタジオ生出演を続けていたが、翌28日(火曜日)から5月23日(土曜日)まで自宅からの中継による出演に変更[31][注 10]。この期間中は、鳥居・佐々木の両アシスタントからいずれか1名と、ディレクター1名がMBSラジオのスタジオに待機していた。
- 浜村が自宅からの中継出演で発した第一声は、「私は今朝、スタジオを離れまして、『只今フランスはパリの近くヴェルサイユの宮殿から放送している』といえば格好良いんですが、ヴェルサイユ宮殿の裏にあるあばらやのような自宅から、ササリン(当日のアシスタントである佐々木)も『ありがとう娘。』(当日出演していた岡田と田下)の美貌の顔を見ることなく一人で放送しております」[32]。「今朝の新聞から」では、「ありがとう娘。」が通常どおりスタジオで当日の朝刊から注目の記事を切り抜いた後に、その記事をディレクター1名が浜村の自宅へ朝6時に届けたうえで、届けられた記事を浜村が1人で読むことによって本番への準備を進めた[31]。本番でも、このディレクターが浜村の自宅で中継のサポート役を担っていた。その一方で、浜村とアシスタントがスタジオで同席していないにもかかわらず、エンディングでは「いろはの『い』の字によく似た姿、淳と○○(アシスタントの下の名前)でありがとう」という挨拶を続けていた。
- 浜村による自宅からの出演は5月6日(水曜日)までを予定していたが、平日版では同月22日(金曜日)、土曜版では16日(土曜日)まで延長。そのため、浜村はオープニングの口上に入れる自宅の比喩を、以下のように1週単位で変えている。
- 4月27日(月曜日) - 5月1日(金曜日):「フランスはパリのヴェルサイユ宮殿の裏にあるあばら家宮殿」
- 5月4日(月曜日・みどりの日) - 5月8日(金曜日):「ロンドンはバッキンガム宮殿の裏にあるチューインガム宮殿」
- 5月11日(月曜日) - 5月15日(金曜日):「アメリカはニューヨークのカーネギーホールの裏にある玉ねぎーホール」
- 5月18日(月曜日) - 5月22日(金曜日):「オーストラリアはシドニーのオペラハウスの裏にあるおけらハウス」
- 浜村による自宅からの出演は5月6日(水曜日)までを予定していたが、平日版では同月22日(金曜日)、土曜版では16日(土曜日)まで延長。そのため、浜村はオープニングの口上に入れる自宅の比喩を、以下のように1週単位で変えている。
- 浜村が自宅からの出演を始めた当初は、MBSラジオのスタジオからも浜村の自宅からも、双方の様子を映像で確認できない状態で放送していた。5月11日(月曜日)以降は浜村が自宅からスタジオの映像を見られるように改善されたが、電波の届く範囲に制約があるとのことで、スタジオからは浜村の様子を映像で確認できないまま放送を続けていた。また、浜村の自宅のコピー機が新聞記事の拡大に適さないサイズの機種であったため、浜村は「今朝の新聞から」の準備に手間取ったという。さらに、自宅内外の物音が生放送に乗ってしまうハプニングが数回発生した。このため、浜村はスタジオ出演の再開に際して、自宅からの放送で不自由を感じていたことを吐露している。
- 平日版で最後にスタジオへ出演した4月24日(金曜日)放送分では、「自分の通っている高校は、(新型インフルエンザ感染拡大の影響で3月中旬から休校しているので、当時日本政府が5月6日までの予定で全国に発令していた新型インフルエンザ等)緊急事態宣言の期間が長引けば、Zoom(ズーム)という機械(本来はウェブ会議用のアプリケーション・ソフトフェア)を使って(自宅向けのオンライン)授業を始めるかも知れない」という男子学生からの投書を、浜村が「200m(にひゃくメートル)という機械」と誤読するハプニングが発生。当日のアシスタントだった鳥居が、すかさず訂正を入れた後に、「(投書メールのプリントアウトで"Zoom"の文字が)ちょっと『200m』に見える」とのコメントで浜村をかばう一幕があった。
- 2020年7月5日にMBSテレビで放送された『MBSマンスリーリポート』では、「新型コロナウイルス感染拡大 MBSラジオとアナウンサーの取り組み」という特集の中で、上記のリモート出演の背景や実態を紹介。毎日放送のラジオ局で当時ラジオ制作局長を務めていた渥美昌泰が、このような出演の意図として、「(日本政府などから要請されていた)『STAY HOME』(不要不急の外出の自粛)をリスナーに勧める点で説得力がある」と述べた映像などを放送した[33]。
- 浜村が自宅からの中継出演で発した第一声は、「私は今朝、スタジオを離れまして、『只今フランスはパリの近くヴェルサイユの宮殿から放送している』といえば格好良いんですが、ヴェルサイユ宮殿の裏にあるあばらやのような自宅から、ササリン(当日のアシスタントである佐々木)も『ありがとう娘。』(当日出演していた岡田と田下)の美貌の顔を見ることなく一人で放送しております」[32]。「今朝の新聞から」では、「ありがとう娘。」が通常どおりスタジオで当日の朝刊から注目の記事を切り抜いた後に、その記事をディレクター1名が浜村の自宅へ朝6時に届けたうえで、届けられた記事を浜村が1人で読むことによって本番への準備を進めた[31]。本番でも、このディレクターが浜村の自宅で中継のサポート役を担っていた。その一方で、浜村とアシスタントがスタジオで同席していないにもかかわらず、エンディングでは「いろはの『い』の字によく似た姿、淳と○○(アシスタントの下の名前)でありがとう」という挨拶を続けていた。
- 浜村が検査入院によって当番組の全編を初めて休演した2021年1月14日(木曜日)放送分では、浜村のアシスタントを担当する予定だった鳥居を中心に、他曜日アシスタントの佐々木、「ありがとう娘。」の西田・田下(担当・肩書はいずれも同日時点)で進行。「今朝の新聞から」では4人が個人的に気になっている話題(主に芸能ニュース)を交互に紹介したほか、「ありがとうファミリー劇場」内のラジオドラマや「9時クイズ」などのレギュラーコーナーを女性陣だけで放送した。なお、「朝からようこそ」のゲストに迎えることが浜村の休演前から決まっていたサキタハヂメ(ミュージカルソー奏者・作曲家)は、当初の予定に沿ってスタジオへ出演している。
- 翌15日(金曜日)には、鳥居を中心に、佐々木と「ありがとう娘。」の西田・田下・岡田で生放送を進行(田下・岡田は別のスタジオからリモートで出演)。「朝からようこそ」に電話で出演した八嶋智人(奈良県出身)が「(当番組を休んだのは)47年で初めてでしょ?1回ぐらい休ませてあげましょうよ」と語ったほか、鳥居から入院中の浜村に向けて「(2021年の)3月いっぱいで(放送開始から)47年。(前々日の13日まで)月曜から土曜まで1回も休んでいらっしゃらないのは驚異的で、尊敬に値しますね。大事をとって、ゆっくり万全の状態で戻ってきて下さい」とのエールが送られた[34]。
- 通常は浜村とアシスタント(鳥居/佐々木)が掛け合うエンディングの口上(前述)については、浜村の完全休演を受けて、「いろはの『い』の字によく似た姿、(鳥居)睦子と」「(佐々木)りつ子で」「ありがとう」に変えていた[35]。もっとも、浜村が放送上完全に休演したのは14・15日の2日間だけで、退院を控えた16日(土曜日)に電話で出演を再開。18日(月曜日)放送分からスタジオへ復帰した[9]。
脚注
注釈
- ^ 作家で俳優の中谷彰宏も大阪在住時代に『ヒットでヒット バチョンといこう!』を聴取していたことを自著の中で明かしているのだが、その木曜日放送分に於いてパーソナリティを務めていた浜村について「ボキャブラリーの豊富さと、リズム感に酔わされた」と評価、同じく映画評論家として知られた淀川長治と共に「今の自分のしゃべりの一つのお手本になっているかもしれない」と述懐している[2]。
- ^ その関係で、両番組の終了半年後まで担当曜日が変則的になっていた。
- ^ 2013年9月までは木・金曜のアシスタント。2012年9月15日から2014年2月22日までは、土曜版にも出演していた。2012年6月から約1ヶ月間、仏門修行を理由に休演。休演期間には、MBSラジオの他番組にレギュラーで出演する鳥居、おだしずえ、さわともか、上田悦子(毎日放送アナウンサー)などが日替わりで木・金曜日のアシスタントを務めていた。
- ^ その際、BGMとして加藤登紀子歌唱の「酒は大関」が流れる。かつては、日本盛の清酒「虎の神撃ニューカップ180ml」30本や、メルシャンのワイン赤白両方の他に、アサヒスーパードライの24缶1ケースをプレゼントしていた。そのため「阪神勝った明くる日は○○(メルシャンワイン・日本盛・アサヒビール)で乾杯しよう」だった。
- ^ 替え歌はアカペラである。
- ^ 土谷、桜井とも、ショートの髪型で、大山のぶ代版ドラえもんのようなハスキーボイスの持ち主、という共通点を持つ。土谷は同年7月より裏番組『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』に出演しているが、担当曜日が金曜日のため、桜井とは出演が被っていなかった。
- ^ 当番組公式サイトの後半部分に、直近放送分に於ける「映画サロン」コーナーで紹介された映画作品の一覧表が掲載されている。
- ^ 大阪市内に本社を置いていた前身の富士火災時代から実施している企画で、AIU損害保険との合併によるAIG損保の設立・富士火災の解散(2018年1月)後も、AIG損保が企画のスポンサーを継承。
- ^ 最近の例として、『神様のカルテ2』(2014年3月21日公開)[18]、『フューリー』(2014年11月28日公開)[19]、『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016年3月12日公開)[20]が存在する
- ^ 『おはようパーソナリティ道上洋三です』では、浜村より早く、道上洋三(4月時点で77歳)が同月20日(月曜日)から5月22日まで自宅からのスカイプ出演に切り替えていた(参考)
出典
- ^ 2013年新春MBS社長記者会見資料
- ^ 中谷彰宏「1人で聴くラジオが、先生だった。」『大人になる前にしなければならない50のこと』PHP研究所、2004年11月1日。ASIN B00799XJNA。ISBN 978-4-569-66292-3。
- ^ a b 【動画】浜村淳「最初は1~2年の約束だった」。放送40年半「ありがとう浜村淳です」50年目指す(『THE PAGE』2014年10月5日付動画記事)
- ^ 井上章一『阪神タイガースの正体』太田出版、2001年、327頁。ISBN 4872335651。
- ^ 道上アナが浜村淳に「あのバケモノ…」(『デイリースポーツ』2014年7月4日付記事)などを参照
- ^ 三村景一社長記者会見を開催(毎日放送2019年1月18日付ニュースリリース)
- ^ 佐々木蔵之介が浜村淳に 「ありがとう浜村淳です」45周年記念ラジオドラマ(『デイリースポーツ』2019年3月15日付記事)
- ^ a b c 「ありがとう浜村淳です」40年でギネス!本人「50年続けたい」 (『スポーツニッポン』2013年4月9日付記事)
- ^ a b c 浜村淳が復帰「体を大事にしなければいけないと」(『日刊スポーツ』2021年1月18日付記事)
- ^ 浜村淳が入院 脳内血管に詰まりが見つかる、大事をとって(『スポーツニッポン』2021年1月14日付記事)
- ^ 浜村淳が検査入院でラジオ番組「ありがとう浜村淳です」を初欠席(『サンケイスポーツ』2021年1月14日付記事)
- ^ 浜村淳16日復帰へ「電話で番組に出演される予定」(『日刊スポーツ』2021年1月15日付記事)
- ^ 浜村淳、本人役で映画出演 アドリブ(『デイリースポーツ』2014年1月24日付記事)。
- ^ 浜村淳 生涯現役宣言!ラジオ長寿番組「死ぬまでやりたい」(『スポーツニッポン』2016年1月22日付記事)
- ^ 浜村淳 ラジオ45周年記念で列車内から生放送「50周年には映画を」(『スポーツニッポン』2019年3月21日付記事)
- ^ a b 浜村淳 ラジオ冠番組45周年は“通過駅” 記念イベントで初の“列車オンエア”挑戦(『スポーツニッポン』2019年3月16日付記事)
- ^ “ありがとう名画サロン試写会”. 岡村製油ブログ. 岡村製油 (2014年5月21日). 2016年3月20日閲覧。 ※ 『ポリス・ストーリーレジェンド』がとりあげられた回の様子。
- ^ “『神様のカルテ2』試写会ご招待”. MOVIE 映画. 毎日放送(MBS) (2014年3月5日). 2016年3月20日閲覧。
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- ^ “浜村淳「50周年は大阪DかUSJで」”. デイリースポーツonline. (2014年4月8日) 2016年3月20日閲覧. "全2頁中1頁目。2頁目はこちら"
- ^ “浜村淳 ラジオ番組50周年に意欲も「墓場の前で?」”. スポニチ(Sponichi Annex). (2014年4月8日) 2016年3月20日閲覧。
- ^ “浜村淳、ラジオ番組40年でギネス申請へ”. デイリースポーツonline. (2013年4月9日) 2016年3月20日閲覧. "全2頁中1頁目。2頁目はこちら"
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- ^ “浜村淳90歳まで現役DJ宣言 ギネス申請を目指す”. 日刊スポーツ. (2016年3月29日) 2019年4月21日閲覧。
- ^ “「1991-1998」1万人の響へ”. サントリー1万人の第九. 毎日放送(MBS). 2016年3月20日閲覧。
- ^ “ありがとう浜村淳です。45周年記念公演”. MBSアナブログ 松井愛オフィシャルブログ. (2019年4月17日) 2019年4月17日閲覧。
- ^ 浜村淳ラジオ長寿番組リレー!東から「ありがとう」(『スポーツニッポン』大阪本社発行版2010年6月2日付記事)
- ^ 9月6日は「MBSラジオの日」…FM周波数にちなみ(『スポーツ報知』大阪本社発行版2016年9月6日付記事)
- ^ ありがとう娘。現在『会議室』よりリモートにて出演中です(MBSトピックス2020年4月24日付記事)
- ^ a b 浜村淳、初のテレワーク出演「ホントにスムーズでした」(『サンケイスポーツ』2020年4月28日付記事)
- ^ 浜村淳 自宅から放送!?(MBSトピックス2020年4月28日付記事)
- ^ 『MBSマンスリーリポート』2020年7月5日放送分
- ^ 浜村淳 2日連続で冠ラジオ欠席 共演者説明「『すぐに帰ってきたい』とスタッフに」(『スポーツニッポン』2021年1月15日付記事)
- ^ いろはのいの字によく似た姿、睦子とりつ子でありがとう!(MBSトピックス2021年1月15日付記事)
関連項目
外部リンク
- MBSラジオ・ありがとう浜村淳です
- YouTube・MBSラジオ公式チャンネル『ありがとう浜村淳です』 - 「今朝の新聞から」の放送・編集済み音源を配信
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