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阪本時彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さかもと ときひこ
阪本 時彦
プロフィール
愛称 時さん
出身地 日本の旗東京府東京市浅草区
(現・東京都台東区
生年月日 1942年9月22日
没年月日 2020年
最終学歴 日本大学
職歴 毎日放送アナウンサー→アナウンサー室長
活動期間 1965年 - 2020年
ジャンル 情報 他
出演番組・活動
出演経歴 あどりぶランド

阪本 時彦(さかもと ときひこ、1942年昭和17年〉9月22日[1][2] - 2020年令和2年〉)は、元毎日放送アナウンサーフリーアナウンサー。愛称は「時さん」。

来歴・人物

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東京府東京市浅草区(現・東京都台東区[2])出身。1965年日本大学卒業後、毎日放送へ入社[2]。同期入社に吉田智子がいる。また道上洋三は大学の同期に当たる。

MBSラジオの生ワイド番組でパーソナリティを担当したアナウンサーの草分け的存在。特に、ABCラジオの『おはようパーソナリティ中村鋭一です』に対抗する目的で平日の早朝に開始した『おはようリスナー阪本時彦です』では、中村のように阪本の主張や個性を押し出そうとした。しかし、この路線にはMBSの局内で議論があったばかりか、阪本本人も「ふっきれない部分を抱えたまま船出した」という。中村に対抗して東京出身・巨人ファンという部分を売りにしようとしたものの、温厚な紳士である阪本は「後発の弱みもあって、健闘も及ばなかった」[3]

後にアナウンス部長・アナウンサー室長を歴任。アナウンサー室長時代は管理職に専念していたため、アナウンサー総出演の番組だった『あどりぶランド』(MBSテレビ)が1998年3月に終了してからは、『MBSニュース』以外の番組にほとんど出演しなかった。

2002年に毎日放送を定年で退職してからも、MBSラジオの『ラジオの達人』に出演していた。その後は、吹田ケーブルテレビ(現在のJ:COM吹田)で部長を務めるかたわら、講演活動を展開。イベントやシンポジウムの司会も担当していた。

2020年9月21日MBSラジオで放送された『桜井一枝のそれそれ!?リクエスト』のオープニングで、同年に死去していたことが、パーソナリティの桜井一枝(阪本の毎日放送アナウンサー時代にMBSラジオ『時さんの土曜リクエスト』で共演)から初めて公表された。77歳没。桜井が葬儀後に阪本の妻から伝えられたところによれば、晩年はで闘病生活を送っていたとのことで、葬儀は家族葬として執り行われたという。

出演番組

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テレビ

ラジオ

関連人物

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『こちら・あどりぶランド』 1986, pp. 68–72.
  2. ^ a b c d e DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、256頁。
  3. ^ 井上章一『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)P325~326。「 」の箇所は『毎日放送の四〇年』(1991年)からの引用。この番組に代わってスタートしたのが『ありがとう浜村淳です』である。

参考文献

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  • 毎日放送 編著『こちら・あどりぶランド : This is MBS』八曜社、1986年3月15日。NDLJP:12276263