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** 第5話「掟の陰に消えた女」(1977年)
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** 第53話「今戸の子守唄」(1979年)- 亥之吉
** 第53話「今戸の子守唄」(1979年)- 亥之吉
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズ]] / [[獄門島]](1977年、MBS) - 清水巡査
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI(1977年)|横溝正史シリーズ]] / [[獄門島]](1977年、MBS) - 清水巡査
* [[華麗なる刑事]] 第8話「エース・ストライカーを撃つな」(1977年、CX / 東宝) - 岡崎志郎
* [[華麗なる刑事]] 第8話「エース・ストライカーを撃つな」(1977年、CX / 東宝) - 岡崎志郎
* [[土曜ワイド劇場]] (ANB)
* [[土曜ワイド劇場]] (ANB)

2021年4月18日 (日) 08:49時点における版

かわらざき ちょういちろう
河原崎 長一郎
本名 河原崎 統一
生年月日 (1939-01-11) 1939年1月11日
没年月日 (2003-09-19) 2003年9月19日(64歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1961年 - 2003年
配偶者 伊藤榮子
著名な家族 四代目河原崎長十郎(父)
河原崎しづ江(母)
河原崎次郎(弟)
河原崎建三(弟)
岩下志麻(いとこ)
大川栄子(義妹)
主な作品
テレビドラマ
白い巨塔
沿線地図
1年B組新八先生
親愛なる者へ
花の咲く家
妹よ
映画
五番町夕霧楼
神々の深き欲望
受賞
ブルーリボン賞
助演男優賞
1963年五番町夕霧楼
その他の賞
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河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、1939年1月11日[1][2] - 2003年9月19日[2])は、日本俳優。本名:河原崎 統一(かわらざき とういち)[2][注 1]

東京府武蔵野町(東京都武蔵野市)出身[1][2]東京都立武蔵高等学校卒業、早稲田大学第一文学部中退[1][2]。独立企画に所属していた[1]

四代目河原崎長十郎の長男。妻は伊藤榮子。弟は河原崎次郎河原崎建三岩下志麻はいとこ(母親が姉妹関係)。親族や友人、仕事仲間たちからは「長さん」と呼ばれ親しまれていた。

人物・来歴

幼少の頃より舞台に立つが、反抗期だった高校時代に子役を務めた前進座の舞台が嫌になり、早稲田大学に進学[3]画家になるなどと言い始めたため[3]、厳しい長十郎も考えあぐね、親友・内田吐夢薄田研二が長一郎の身柄を預かる形で[3]、早稲田大学在学中の1961年に東映に籍を置くことになり東映と契約する[3]

東映で5年間準主役を続け[3]、東映作品30数本に出演[3]1963年の『五番町夕霧楼』で佐久間良子演じる主人公と心を通わせる若い僧役などが高評価を受ける[3]

1965年、古巣の前進座に帰参し、研究生からスタート[3]

40代頃からは「日本の良き優しい父親像」を多く演じ、ホームドラマに欠かせない存在となった。

糖尿病の持病があり、一時病状が小康を得た頃に『花の咲く家』にて昼ドラとしては例外的に主役を務めた(第3部)。

1990年代後半からは脳血管障害(脳梗塞)も患い、療養生活を送ることになる。

2003年9月19日、急性心不全のため64歳で死去。何度か共演経験がある千葉真一は「素晴らしい俳優さんだと思った。彼の分もきっちりとした映画を伝えていきたい」と肩を落としながら偲んだ[4]

妻とは「おしどり夫婦」として知られていた。

特技は日本舞踊[1]乗馬[1]

出演

映画

テレビドラマ

脚注

注釈

  1. ^ 芸名と同じとする資料もある[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、54頁。 
  2. ^ a b c d e “河原崎 長一郎(カワラザキ チョウイチロウ)とは - コトバンク”. (n.d.). https://kotobank.jp/word/%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%B4%8E%20%E9%95%B7%E4%B8%80%E9%83%8E-1643027 2019年2月22日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h 「〈タウン〉 古巣にもどった前進座の反逆児」『週刊新潮』1965年4月19日号、新潮社、17頁。 
  4. ^ “千葉 & 松方「座頭市」を斬る” (日本語). 読売新聞. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2003年9月20日). オリジナルの2003年12月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/NThSb 2003年9月20日閲覧。 

関連項目

外部リンク