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|blank1_info=46500-0709<ref>{{cite web|url=https://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/addresscodedownload|title=自動車登録関係コード検索システム|publisher=国土交通省|accessdate=2021-04-26}}</ref> |
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'''黒神町'''(くろかみちょう |
'''黒神町'''(くろかみちょう<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/images.html|title=鹿児島市の町名|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-10-02}}</ref>)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の[[町丁|町]]{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}。旧[[大隅国]][[大隅郡]]桜島郷'''黒神村'''、[[鹿児島郡]][[東桜島村]]'''大字黒神'''。[[郵便番号]]は枦ノ木ケ谷は891-1501<ref>{{cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=46&city=1462010&id=157973|title=鹿児島県鹿児島市黒神町(枦ノ木ケ谷)の郵便番号|publisher=日本郵便|accessdate=2021-04-12}}</ref>、その他は891-1401<ref>{{cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=46&city=1462010&id=157974|title=鹿児島県鹿児島市黒神町(その他)の郵便番号|publisher=日本郵便|accessdate=2021-04-12}}</ref>。人口は118人、世帯数は86世帯(2020年4月1日現在)<ref>{{Cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/soumu/soumu/shise/toke-02/jinko/h2704age5.html|title=年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)|date=2020-04-01|accessdate=2020-05-08|publisher=鹿児島市}}</ref>。面積は16.5[[平方キロメートル]]<ref>{{cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shisaku/toshisesaku/documents/01-kurokami.pdf|title=総合整備計画書(鹿児島県鹿児島市黒神辺地)|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref>。 |
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[[鹿児島市]]の最東端、[[活火山]]である[[桜島]]の東部に位置しており{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=683}}、[[桜島]]の[[噴火]]による[[溶岩]]の流出や[[火山灰]]の降灰による埋没を数度経験している{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}。[[桜島#大正大噴火|大正大噴火]]の際には桜島と[[大隅半島]]を隔てていた瀬戸海峡及び瀬戸海峡に面していた瀬戸集落が[[溶岩]]の流出によって埋没したことにより[[大隅半島]]と接続し{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=40}}、黒神集落には[[火山灰]]が約1.8[[メートル]]から2.2メートル程度降り積もった{{Sfn|寺田仁志|川西基博|2015|p=29}}。黒神集落にある腹五社神社の[[鳥居]]は噴火により上部を残し埋没しており、「噴火により埋没した鳥居」として鹿児島県の[[天然記念物]]に指定され{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}<ref name="pref-torii">{{cite web|url=https://www.pref.kagoshima.jp/ba08/documents/24464_20120327110015-1_1.pdf|title=噴火により埋没した鳥居,門柱|publisher=鹿児島県|accessdate=2021-04-13}}</ref>、噴火の凄まじい威力を伝える史跡として残されている{{Sfn|南日本新聞|2015|p=487}}。 |
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黒神町は[[1950年]](昭和25年)[[10月1日]]に[[東桜島村]]が鹿児島市に編入された際、それまでの[[大字]]黒神及び大字瀬戸の全域を以て新たに鹿児島市の町として設置された<ref name="pref-s25-412"/>。本項では黒神町の一部となっている大字「'''瀬戸'''」(せと)についても述べる。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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[[File:Kurokami River and Showa Volcanic crater.JPG|thumb|黒神川から望む昭和火口]] |
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[[桜島]]の東部に位置している。町域の北方には鹿児島市[[高免町]]、南方には[[垂水市]][[海潟]]、鹿児島市[[有村町]]、鹿児島市[[持木町]]、西部には鹿児島市[[桜島白浜町]]、鹿児島市[[桜島二俣町]]、鹿児島市[[桜島西道町]]、鹿児島市[[桜島武町]]、東方には[[鹿児島湾]](旧海峡)を挟んで垂水市[[牛根麓]]にそれぞれ接している。町域の南方には[[国道220号]]、[[国道224号]]が通っている。 |
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[[ファイル:Sakurajima LavaMap J.jpg|thumb|黒神町の大半は大正溶岩及び昭和溶岩に覆われている]] |
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[[鹿児島市]]の最東端、[[桜島]]の東部に位置する{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=683}}。南は[[垂水市]]海潟・垂水市牛根麓・鹿児島市[[有村町]]、北は[[高免町]]、東は鹿児島湾に面する{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=683}}。かつては桜島は島であったが桜島の大正大噴火によって、黒神東部の瀬戸が溶岩によって埋没し、桜島の対岸の[[大隅半島]]と接続した{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=40}}{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=683}}。桜島と大隅半島の接続部である桜島口には「黒神風穴」と呼ばれる[[風穴]]の存在が確認されており、[[安山岩]]・[[玄武岩]]、風穴の上部は大正大噴火による溶岩によって構成されている{{Sfn|堀内雅生|山口隆子|松本昭大|2020}}。 |
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桜島の南岳の北東麓に位置しており、黒神町の南東部を含む南岳火口及び昭和火口から半径2キロメートルの区域は2020年現在、[[災害対策基本法]]の規定に基づき鹿児島市長によって[[警戒区域]]に設定されており、災害応急対策に従事する者以外の立ち入りが禁じられている<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kikikanri/kurashi/bosai/bosai/sakurajima/kinshi.html|title=桜島の立入禁止区域(災害対策基本法第63条に基づく警戒区域)|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref>。また、[[京都大学防災研究所]]附属火山活動研究センター桜島火山観測所黒神観測室が設置されており、噴火現象の観測が行われているほか、爆破観測や音波アレイ観測、MT観測などの実験も行われている<ref name="kyoto-u-kazan">{{cite web|url=http://www.svo.dpri.kyoto-u.ac.jp/svo/%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E6%96%BD%E8%A8%AD/|title=観測施設|publisher=国立大学法人京都大学防災研究所附属火山活動研究センター桜島火山観測所|accessdate=2021-04-13}}</ref>。 |
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町域の中部に[[鹿児島市立黒神小学校]]及び[[鹿児島市立黒神中学校]]があり、黒神中学校に隣接して腹五社神社が所在している。腹五社神社の社叢には[[シイ]]林の[[自然林]]である[[ミミズバイ]]―[[スダジイ]]群衆が確認されている{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=39}}{{Sfn|寺田仁志|川西基博|2015|p=36}}。また、塩屋ヶ元一帯は[[クズ]]に覆われており、所々に[[タブノキ]]や[[アラカシ]]、[[ヤブニッケイ]]の植生がある{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=32}}。 |
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北部には避難港に指定されている宇土港、南部には塩屋ヶ元港があり、町域の東部を[[鹿児島県道26号桜島港黒神線]]が通り、町域の南端部を通る[[国道220号]]に接続している。 |
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また、辺地に係る公共的施設の総合整備のための財政上の特別措置等に関する法律に基づき黒神町の全域が「黒神辺地」に指定されている<ref>{{cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shisaku/toshisesaku/henchi.html|title=辺地に係る総合整備計画|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref>。 |
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=== 自然公園・自然保護地区 === |
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黒神町の全域が[[国立公園]]である[[霧島錦江湾国立公園]]の区域に指定されており<ref name="national-park-pdf">{{cite web|url=https://www.env.go.jp/park/kirishima/upload_test.pdf|title=霧島錦江湾国立公園(錦江湾地域)指定書、公園計画書及び公園計画変更書(平成30年8月)|publisher=環境省|accessdate=2021-04-12}}</ref>、特別区域特別保護地区(桜島山頂、桜島東溶岩原)・第1種特別地域(桜島北斜面、桜島港黒神線道路沿線、瀬戸崎)・第2種特別地域(桜島北及び東斜面、黒神)・第3種特別地域(桜島北及び東麓、燃埼、黒神、瀬戸)・普通地域から構成される<ref name="national-park-pdf"/><ref>{{cite web|url=https://www.env.go.jp/park/kirishima/%E9%8C%A6%E6%B1%9F%E6%B9%BE%E5%9C%B0%E5%8C%BA50%2C000%EF%BC%88%E6%A1%9C%E5%B3%B6%E3%83%BB%E5%A5%A5%E9%8C%A6%E6%B1%9F%E6%B9%BE%E5%9C%B0%E5%8C%BA%29.pdf-1.pdf|title=錦江湾地区 50,000(桜島・奥錦江湾地区A1 2013.4.4)|publisher=環境省|accessdate=2021-04-12}}</ref>。 |
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=== 山岳 === |
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* 南岳 |
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* 権現山(標高:350メートル) |
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* 鍋山(標高:359メートル) |
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=== 河川 === |
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付近は火口の風下にあたる範囲が広い事から[[噴石]]や[[火山灰]]による被害が大きい。[[文明溶岩]]が海上に伸びてできた大燃崎が所在し、町域には昭和溶岩によって埋め尽くされてできた地獄河原と呼ばれる[[溶岩原]]がある。 |
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* 黒神川(水無川) |
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*: [[1999年]](平成11年)度より黒神川の砂防工事が直轄事業となり、[[2007年]](平成19年)度に整備が完了した{{Sfn|南日本新聞|2015|p=880}}。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 中世の黒神と噴火 === |
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=== 成り立ちから町村制施行まで === |
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黒神という地名は[[ |
黒神という地名は[[室町時代]]より見え、[[大隅国]][[大隅郡]]向島のうちであった。[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])9月12日に向島([[桜島]])黒神村において大噴火が発生した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=114}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=230}}。[[薩藩旧記雑録]]に掲載されている「池田氏年代記」には「文明三年九月一二日、向島黒神村燃出ル、人民多死」と記録されている{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}。 |
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=== 近代の黒神と瀬戸 === |
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[[安永]]8年に発生した安永大噴火では甚大な被害を呈し、住民は付近の垂水や敷根、福山などに避難した。[[1887年]](明治20年)に北大隅郡の所属となった<ref name="kadokawar">『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 p.268 - 角川書店</ref>。 |
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[[File:Sangoku meisho zue vol43 seto kurokami.png|thumb|桜島と瀬戸・黒神を描いた絵図([[三国名勝図会]])]] |
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[[江戸時代]]になり黒神は[[大隅国]][[大隅郡]]桜島郷([[外城制|外城]])のうちとなった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}。黒神は「黒上」とも書かれていた{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}。[[石高|村高]]は「[[天保郷帳]]」では48石余{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}、「三州御治世要覧」では138石余、「[[旧高旧領取調帳]]」では108石余であった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}。 |
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瀬戸村も[[江戸時代]]より見えるが、[[薩摩藩]]の[[地誌]]である「[[三国名勝図会]]」には脇村(現在の[[有村町]]の一部)のうちであったとされ、脇村から分村し「瀬戸村」として成立したとされる{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=119}}{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}。[[延享]]年間の「三州御治世要覧」に見えるのが初見であり[[石高|村高]]は105石余であった{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}。また、「[[旧高旧領取調帳]]」では80石余であった{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}。 |
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=== 町村制施行以降 === |
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[[1889年]](明治22年)に[[町村制]]が施行されたのに伴い桜島の東半分の区域より[[東桜島村]]が成立し、それまでの黒神村は東桜島村の[[大字]]「'''黒神'''」となった。その後、[[1914年]](大正3年)に起こった桜島の大正大噴火では黒神では687戸が埋没し、火山噴出物によってそれまで[[海峡]]であった区域が埋め立てられ[[大隅半島]]と陸続きになった。さらに[[1946年]](昭和21年)に南岳の東側山腹で発生した噴火で発生した[[溶岩流]]によって集落の全域が埋没する被害を受けている<ref name="kadokawar"/>。 |
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[[安永]]8年([[1779年]])に発生した安永大噴火では甚大な被害を呈し{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}、瀬戸では[[火山弾]]が飛来し家が炎上したとされ、降灰は約4メートルにも達した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=160}}。旧南林寺境内の桜島燃亡霊碑には瀬戸村の死者は46名、黒神村の死者は5名であると記録されている{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=159}}。黒神村や脇村、有村、古里村の住民は瀬戸海峡を渡船して近隣の垂水や敷根、福山などに避難した{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=160}}。[[寛政]]12年([[1800年]])には赤水村と黒神村から25名が[[新島 (鹿児島県)|新島]]に移住した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=14}}。 |
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[[1950年]](昭和25年)には東桜島村が鹿児島市に編入され、大字黒神は鹿児島市の町名「'''黒神町'''」となった<ref name="kadokawar"/>。 |
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黒神には[[宝暦]]年間に温泉場が開設され、塩湯と鉄湯があった{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=101}}。「[[三国名勝図会]]」には黒神村(黒上村とも)に存在していた温泉について以下のように述べている。 |
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{{Quote| |
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黒上温泉 黒上村にあり、涌出の年月詳ならず、是亦潮湯にして、能諸病を治す、是温泉の所在は、人家より頗る近し、故に浴者の爲に便利なり、是を以て近来浴場に往く者、古里より甚た多しとかや、 |
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|[[三国名勝図会]]巻之四十三}} |
|||
[[文久]]3年([[1863年]])に[[鹿児島湾]]で勃発した[[薩英戦争]]では大隅半島との海峡に位置する瀬戸は軍事要地とされ、砲台は設置されなかったものの警備の[[武士]]が配備された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=166}}。また、江戸時代後期には瀬戸に造船所が設置され、薩摩藩によって洋式[[軍艦]]である[[昇平丸]]などが造船された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}。 |
|||
[[1887年]](明治20年)[[4月2日]]には「{{ws|[[:s:鹿兒島縣下分郡ノ件|鹿兒島縣下分郡ノ件]]}}」(明治20年勅令第7号)により[[大隅郡]]が南北に分割され、黒神村及び瀬戸村は[[北大隅郡]]の所属となった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}<ref>鹿兒島縣下分郡ノ件(明治20年勅令第7号、明治20年4月2日付官報所収、{{ws|[[:s:鹿兒島縣下分郡ノ件|原文]]}})</ref>。 |
|||
=== 町村制施行と明治時代 === |
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[[File:Sakurajima southeast map before 1914.png|thumb|大正大噴火以前の測量地図。桜島と大隅半島の間に瀬戸海峡があり、瀬戸の集落が書かれている。薄い灰色で描かれている影が大正大噴火後の地形である]] |
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[[1889年]](明治22年)[[4月1日]]に[[町村制]]が施行されたのに伴い桜島の東半分にあたる湯之村、野尻村、古里村、有村、黒神村、高免村、瀬戸村、脇村の区域より[[北大隅郡]][[東桜島村]]が成立した{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=535}}。それまでの黒神村は東桜島村の[[大字]]「'''黒神'''」となり{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}、それまでの瀬戸村は東桜島村の大字「'''瀬戸'''」となった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=375}}。 |
|||
[[1897年]](明治30年)[[4月1日]]には「{{ws|[[:s:鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律|鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律]]}}」(明治29年法律第55号)によって北大隅郡が[[鹿児島郡]]に統合され、東桜島村は鹿児島郡のうちとなった<ref>鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律(明治29年法律第55号、明治29年3月29日付官報所収、{{ws|[[:s:鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律|原文]]}})</ref>。 |
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=== 大正大噴火による埋没・積灰 === |
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[[File:Sakurajima taisyo eruption at seto strait.jpg|thumb|大正大噴火によって溶岩が流出し埋没した瀬戸海峡(桜島大正噴火誌)]] |
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[[1914年]](大正3年)[[1月12日]]に桜島が爆発し、[[噴煙]]は高さ約1万メートルに及んだ([[桜島#大正大噴火|大正大噴火]]){{Sfn|桜島大爆震記編纂事務所|1927|p=15}}{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=40}}。爆発時点で黒神の住民は1,855名、瀬戸の住民は1,722名であった{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=49-50}}。 |
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{{See also|桜島#大正大噴火}} |
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噴火の予兆として黒神では[[1月3日]]に井戸水が増加し9日には水が溢れ出ていることが確認されており{{Sfn|山科健一郎|1998|p=389}}、爆発の3日前となる同月9日ごろから[[地震]]が発生するなど予兆があったことから前日の11日までに800人が桜島から離れていた{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=49}}。爆発当日の早朝には1,500名程が避難準備を済ませて海岸から対岸の[[大隅半島]]にある牛根村(現在の[[垂水市]])への避難を開始していた{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=49}}。また、瀬戸は11日までに老人や女性・子供は全員避難が完了し、爆発時点では全員が避難を完了していた{{Sfn|井口正人|中道治久|2019|p=300}}{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=50}}。 |
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12日午前8時から午前9時の間に爆発が発生した{{Sfn|内務省|1914|p=1}}{{Sfn|桜島大爆震記編纂事務所|1927|p=15}}。黒神では避難のため船へ乗船中であったが、動転した船の船頭は30人ほどを積み残し沖へ出港した。これにより溺死した者2名、残留不明者4名の犠牲があった{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=49-50}}。また、避難先の牛根村では4名が行き倒れとなった{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=49-50}}。黒神に駐在していた[[巡査]]である前田は「九時ごろからして、南の御岳から三ヶ所、又黒神からは、自分の正面に当るところに、元の噴火口から白煙が少しづつ見えた。それと同時に南の御岳の砂石が崩壊したのが見えた。」と語っている{{Sfn|山科健一郎|1998|p=391}}。爆発後の午後11時には黒神方面の家屋が焼失したとされ{{Sfn|桜島大爆震記編纂事務所|1927|p=16}}、正午には瀬戸も焼滅した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=531}}。 |
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翌日の[[1月13日]]には、桜島から瀬戸海峡を泳いで対岸の大隅半島へ避難しようとした東桜島村の[[助役]]が溺死した{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=82}}。また、黒神集落には駐在していた巡査と小学校長など20名程が取り残されており、黒神の南東に位置する垂水村大字海潟(現在の[[垂水市]]海潟)の中俣から駆け付けた船によって救助された{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=83}}。同日には[[火砕流]]が桜島東側に流出したことによって、幅360メートル水深75メートルであった瀬戸海峡が埋められ{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=40}}、[[1月30日]]にはそれまでの瀬戸海峡は[[地峡]]となり[[大隅半島]]と陸続きになった{{Sfn|井口正人|中道治久|2019|p=284}}{{Sfn|鹿児島県|1927|p=457}}{{Sfn|内務省|1914|p=2}}{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=40}}。これによって瀬戸集落は完全に埋没し、全滅した{{Sfn|鹿児島県|1927|p=189}}{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=53}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=775}}。黒神集落においても246戸のうち197戸が消失し、軽石や火山灰によって埋没するなど甚大な被害を受けた{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012a|p=53}}{{Sfn|鹿児島県|1927|p=457}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=5}}。 |
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=== 大正大噴火後の復旧と移住 === |
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[[File:Sakurajima taisyo eruption at miyahara elementary school.jpg|thumb|降灰で埋没した黒神の宮原小学校(現在の黒神小学校の前身)]] |
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大隅半島へ避難した黒神・瀬戸地区の住民のうち移住希望者は、[[国有地]]の無償譲与が行われた[[種子島]]{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=114}}、[[肝属郡]][[佐多町|佐多村]](現在の[[南大隅町]])の大中尾{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=117}}<ref>{{cite web|url=http://www.asahi.com/special/news/articles/SEB201305100062.html|title=(桜島の大正大噴火100年)学舎新設、集落の中心に|publisher=朝日新聞デジタル|date=2013-05-10|accessdate=2021-04-14}}</ref>、同郡[[田代町 (鹿児島県)|田代村]](現在の[[錦江町]])の内之牧・中尾・久木野{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=117}}、花岡村(現在の[[鹿屋市]])の花里{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=119}}などにそれぞれ移住し、東桜島村の資料によれば上記の国有地(官有指定地)への移住者とその他の移住地(任意移住地)への移住者とを併せて最終的には583戸(瀬戸集落:307戸、黒神集落:276戸)が他の地域へ移住した{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=107}}。移住先のうち官有指定地への移住戸数の一覧は以下のとおりである{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=107}}。 |
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{| class="wikitable" style="text-align:right;" |
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|+官有指定地への移住戸数 |
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|- |
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!移住先 |
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!黒神集落 |
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!瀬戸集落 |
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|- |
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![[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[西之表市|北種子村]] |
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|18 |
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|26 |
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|- |
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![[肝属郡]][[田代町 (鹿児島県)|田代村]] |
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|0 |
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|22 |
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|- |
|||
!肝属郡新城村 |
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|3 |
|||
|6 |
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|- |
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!肝属郡[[佐多町|佐多村]] |
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|52 |
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|170 |
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|- |
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!肝属郡[[大根占町|大根占村]] |
|||
|71 |
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|0 |
|||
|} |
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同年[[2月14日]]には帰還通達が出され、徐々に帰還が始まった{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=102}}。[[5月1日]]には90[[センチメートル]]もの降灰が降り積もり休止していた[[小学校]]が再開した{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=104}}。 |
|||
[[第二次世界大戦]]後になり、大正大噴火で埋没した黒神集落にある腹五社神社の鳥居を住民が掘り起こそうとしたが、東桜島村長が「災害の記憶として後世に残すべきである」としたことにより、集落の民家にあった門柱と共にそのままの状態で保存されており<ref>{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/6c93c9b23f926808b8de76ce23010960.pdf|title=かごしま市民のひろば(平成28年5月号)|date=2016-05|accessdate=2021-04-16|publisher=鹿児島市}}</ref>、これらは「噴火により埋没した鳥居,門柱」として[[1958年]](昭和33年)[[4月28日]]に鹿児島県の[[天然記念物]]に指定された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=194}}<ref name="pref-torii"/>。 |
|||
=== 昭和噴火による埋没 === |
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[[1935年]](昭和10年)9月より小噴火を繰り返しており、[[1939年]](昭和14年)には黒神に新しい[[火口]]ができるなど活発な動きを見せていた桜島であったが{{Sfn|南日本新聞|1966}}、[[1946年]](昭和21年)1月頃より噴煙活動を開始し{{Sfn|宇平幸一|1994|p=53}}、[[3月10日]]に南岳の東側山腹で噴火が発生した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=775}}。溶岩流は鍋山と権現山の間を抜け黒神河原に溶岩原を形成し{{Sfn|宇平幸一|1994|p=53}}、黒神の集落を埋め尽くして[[4月5日]]には海岸まで溶岩が到達し{{Sfn|宇平幸一|1994|p=53}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=5}}、海中に約2000メートル、最大幅2,000メートルにわたって溶岩が突入した{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=268}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=775}}。この溶岩の流出は[[5月25日]]まで続いた{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=775}}。 |
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黒神の住民は40世帯ほどが鹿児島市内へ避難し、30世帯・128名が牛根村の松ヶ崎へ避難した{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=86}}。噴火の終息後には塩屋ケ元に48戸、宇土に62戸が黒神開拓団として入植し、[[畑作]]などを行った{{Sfn|南日本新聞|1976a}}。しかし生活再建への道のりは遠く人手不足や降灰、[[二酸化硫黄]]の発生などにより噴火前の耕地の6分の1しか耕作されなかった{{Sfn|南日本新聞|1966}}。 |
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=== 鹿児島市への編入以降 === |
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[[File:Kagoshima Bay near Kurokami-Cho, Kagoshima.jpg|thumb|かつては定期航路が寄港していた塩屋ケ元港。現在は漁港及び避難港として整備されている。]] |
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[[1950年]](昭和25年)[[10月1日]]には[[東桜島村]]が[[鹿児島郡]][[伊敷村]]とともに[[鹿児島市]]に編入された<ref>市村の廃置分合(昭和25年総理府告示第301号、昭和25年10月17日付官報所収、{{ws|[[:s:市村の廃置分合 (昭和25年総理府告示第301号)|原文]]}})</ref>。同年[[10月18日]]に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の[[告示]]である「{{ws|[[:s:鹿兒島市の一部大字の變更|鹿兒島市の一部大字の變更]]}}」により、東桜島村が鹿児島市に編入された10月1日に大字黒神及び大字瀬戸の区域を以て新たに鹿児島市の町「'''黒神町'''」が設置された<ref name="pref-s25-412">鹿兒島市の一部大字の變更(昭和25年鹿児島県告示第412号、昭和25年10月1日付鹿児島県公報第3305号所収、{{ws|[[:s:鹿兒島市の一部大字の變更|原文]]}})</ref><ref>{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/oldpdf/s25/s25_10_20/s25_10_20.pdf|title=かごしま市政だより(昭和25年10月号)|date=1950-10-20|accessdate=2021-04-16|publisher=鹿児島市}}</ref>。 |
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この頃の黒神と他の集落とを結ぶ交通手段として仕立船と呼ばれる不定期航路があった{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=236}}。市町村合併までは東桜島村、市町村合併後は鹿児島市が運営を行っており、貨客の輸送を行っていた{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=236}}。[[1957年]](昭和32年)に自衛隊によって桜島一周道路が建設されると、[[1962年]](昭和37年)には西桜島村営バスが黒神まで運行されるようになった{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=236}}{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=253}}。[[1963年]](昭和38年)には[[鹿児島市交通局]]が運営する[[鹿児島港]]・黒神間の黒神航路に新造船「ひまわり」が就航し、1時間20分で結んだ<ref>{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/oldpdf/s38/s38_12_15.pdf|title=鹿児島市政だより(昭和38年12月15日付)|date=1963-12-15|accessdate=2021-04-16}}</ref>。しかし、道路の開通によるバスや自家用車の利用が進んだことにより鹿児島市は黒神航路の廃止を検討した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=236}}。「ひまわり」の航路権が[[岩崎産業]]の手に渡るのを憂れた西桜島村は、[[1968年]](昭和43年)に旅客定期航路事業として黒神航路を鹿児島市から移管した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=228}}<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/sakurajima-ferry/gaiyo/documents/sakurajima-f80thbook.pdf|title=桜島フェリー就航80周年記念誌|page=26|accessdate=2021-04-16|publisher=鹿児島市}}</ref>。[[1976年]](昭和51年)[[3月26日]]をもって黒神航路のうち浦之前・新島間(現在の行政連絡船「しんじま丸」の区間)を除いて全区間の運航が終了した{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=230}}<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/sakurajima-ferry/gaiyo/documents/sakurajima-f80thbook.pdf|title=桜島フェリー就航80周年記念誌|page=28|accessdate=2021-04-16|publisher=鹿児島市}}</ref>。これによって黒神町の港から定期航路が無くなり、塩屋ケ元港など航路の寄港地は寂れた{{Sfn|南日本新聞|1976d}}。 |
|||
黒神町には桜島の噴火による被害対策として[[1976年]](昭和51年)までに退避舎2か所、退避壕2か所、避難道路1箇所が整備された{{Sfn|南日本新聞|1976d}}。 |
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=== 町域の変遷 === |
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{| class="wikitable" |
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!変更後 |
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!変更年 |
|||
!変更前 |
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|- |
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|rowspan="2"|黒神町(新設) |
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|rowspan="2"|[[1950年]](昭和25年) |
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|大字黒神(全域) |
|||
|- |
|||
|大字瀬戸(全域) |
|||
|} |
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== 人口 == |
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以下の表は[[国勢調査]]による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 |
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{| |
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!colspan="2"|統計年 |
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!colspan="2"|人口 |
|||
|- |
|||
|[[1995年]](平成7年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000023630600|title=国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|245 |
|||
|<div style="width:24.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2000年]](平成12年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025138246|title=国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|195 |
|||
|<div style="width:19.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2005年]](平成17年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025514538|title=国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|175 |
|||
|<div style="width:17.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2010年]](平成22年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000012671630|title=国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|149 |
|||
|<div style="width:14.9px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2015年]](平成27年) |
|||
|<ref name="gov-2015">{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000031522312|title=国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|123 |
|||
|<div style="width:12.3px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|} |
|||
== 文化財 == |
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=== 県指定 === |
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* 噴火により埋没した鳥居(天然記念物(地質鉱物)){{Sfn|鹿児島市|2020|p=3}} |
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* 噴火により埋没した門柱(天然記念物(地質鉱物)){{Sfn|鹿児島市|2020|p=3}} |
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== 施設 == |
== 施設 == |
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[[ファイル:Honden_of_Haragosha_Shrine.JPG|thumb|腹五社神社]] |
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=== 教育 === |
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* [[鹿児島市立黒神中学校]]{{Sfn|南日本新聞|2015|p=951}} |
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* [[鹿児島市立黒神小学校]]{{Sfn|南日本新聞|2015|p=950}} |
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* 鹿児島市黒神保育園<ref>{{cite web|url=http://g-reiki.city.kagoshima.lg.jp/kagoshima2/reiki_honbun/q702RG00000446.html|title=鹿児島市へき地保育所条例|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
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=== 寺社 === |
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* 腹五社神社 |
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=== その他 === |
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* [[京都大学防災研究所]]附属火山活動研究センター桜島火山観測所黒神観測室<ref name="kyoto-u-kazan"/> |
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* 黒神ビュースポット |
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*: 県道桜島港黒神線の沿線にある展望スポットであり、昭和噴火の際の溶岩が流れた場所に建てられている<ref>{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/wp-content/uploads/2016/03/c5b4ca0a7c6e932e38598ab3bbadfc7b.pdf|title=かごしま市民のひろば(平成28年4月号)|publisher=鹿児島市|date=2016-04|accessdate=2021-04-16}}</ref>。 |
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== 産業 == |
|||
[[2015年]](平成27年)の[[国勢調査]]によると黒神町に居住する15歳以上の就業者数は43人であり、産業別では多い順に[[漁業]]14名、[[農業]]・[[林業]]5名、教育・学習支援業5名となっている<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031581122&fileKind=1|title=産業(大分類),男女別15歳以上就業者数 -町丁・字等|publisher=[[総務省]][[統計局]]|date=2017-05-30|accessdate=2021-04-02}}</ref>。 |
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=== 漁業 === |
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黒神では漁業が古くより盛んであり{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=106}}、海岸線が複雑で入江が多いことから[[ハマチ]]の[[養殖]]が行われている{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=108}}。 |
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=== 農業 === |
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農業人口は大量の[[降灰]]の影響により極めて少なく{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=91}}、宇土において[[ビワ]]や[[ミカン]]が栽培されているほか、塩屋ケ元では畑作が行われている{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=102}}。[[1975年]](昭和50年)の鹿児島市役所東桜島支所による統計では、塩屋ケ元の37戸、宇土に51戸の農家があり、ほとんどが兼業農家であった{{Sfn|南日本新聞|1976b}}。黒神町の農業生産高は1,223万円であり、[[ビワ]]、[[稲]]、[[ミカン]]の順であった{{Sfn|南日本新聞|1976b}}。 |
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=== 畜産 === |
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大正大噴火前には[[軍馬]]の産地であった{{Sfn|南日本新聞|1976c}}。昭和噴火後の[[1958年]](昭和33年)から[[1961年]](昭和36年)にかけて鹿児島市の産業資金によって畜産の振興策が計られたが、降灰の被害によって[[牧草]]が発育せず、以降衰退した{{Sfn|南日本新聞|1976c}}。 |
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== 教育 == |
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[[File:Kurokami Junior High School.JPG|thumb|鹿児島市立黒神中学校]] |
[[File:Kurokami Junior High School.JPG|thumb|鹿児島市立黒神中学校]] |
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[[File:Kurokami Elementary school.JPG|thumb|鹿児島市立黒神小学校]] |
[[File:Kurokami Elementary school.JPG|thumb|鹿児島市立黒神小学校]] |
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黒神町には、[[鹿児島市立黒神中学校]]及び[[鹿児島市立黒神小学校]]が設置されている。かつては瀬戸に瀬戸[[尋常小学校]]が設置されていたが{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=516}}、大正大噴火によって瀬戸全体が埋没し廃校となった{{Sfn|中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会|2012b|p=104}}。 |
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[[File:Honden of Haragosha Shrine.JPG|thumb|腹五社神社]] |
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;教育 |
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=== 中学校 === |
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黒神中学校は、[[1947年]](昭和22年)に東桜島村立東桜島中学校の[[分校]]「黒神分校」として開校した。[[1950年]](昭和25年)[[10月1日]]には東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い、[[鹿児島市立東桜島中学校]]黒神分校となった{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=949}}。[[1954年]](昭和29年)[[4月1日]]に独立校となり、鹿児島市立黒神中学校となった{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=949}}。[[2020年]](令和2年)[[4月1日]]に生徒数が0となったのに伴い、同日を以て[[休校]]となった<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/kysoumu/documents/200307.pdf|title=令和元年度第2回臨時会|publisher=鹿児島市|date=2020-12-01|accessdate=2021-04-12}}</ref>。翌年の[[2021年]](令和3年)[[4月6日]]に1名が入学し1年ぶりに再開した<ref>{{cite web|url=https://www.mbc.co.jp/news/article/2021040600048373.html|title=桜島の黒神中学校に新入生 1年ぶりに学校再開|publisher=[[南日本放送]]|date=2021-04-06|accessdate=2021-04-12}}</ref>。前述の通り[[2021年]](令和3年)現在、生徒数は1名であり、小規模校であることから[[特認校]]に指定されている<ref name="tokunin">{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gaku-gakuji/tokuninkou.html|title=特認校制度|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref>。 |
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*[[鹿児島市立黒神小学校]] |
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{{Main|鹿児島市立黒神中学校}} |
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;寺社 |
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*[[腹五社神社]]:黒神埋没鳥居 |
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== 小 |
=== 小学校 === |
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黒神小学校は、[[1877年]](明治10年)に黒神小学校として創立した{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=37}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=943}}。[[1887年]](明治20年)に簡易小学校となり{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=37}}、[[1897年]](明治30年)には宮原小学校に改称した{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=37}}。[[1914年]](大正3年)の大正大噴火により廃校となったが、4年後の[[1918年]](大正7年)に高免小学校の[[分教場]]として再開した{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=37}}。 |
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[[1941年]](昭和16年)には[[国民学校]]となり、黒神国民学校となった{{Sfn|鹿児島市立黒神小学校|1977|p=37}}。[[1946年]](昭和21年)の桜島の爆発による溶岩流出のため休校となり翌年[[1947年]](昭和22年)に復旧した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=943}}。[[1950年]](昭和25年)[[10月1日]]に[[東桜島村]]が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立黒神小学校となった{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=942}}。[[2014年]](平成26年)現在児童数は5名であり{{Sfn|南日本新聞|2015|p=950}}、小規模校であることから[[特認校]]に指定されている<ref name="tokunin"/>。 |
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{{Main|鹿児島市立黒神小学校}} |
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=== 小・中学校の学区 === |
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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる<ref>{{Cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gaku-gakuji/kosodate/gakko/sho/koku.html|title=小・中学校の校区(学区)表|publisher=鹿児島市役所|accessdate=2020-09-26}}</ref>。 |
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる<ref>{{Cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gaku-gakuji/kosodate/gakko/sho/koku.html|title=小・中学校の校区(学区)表|publisher=鹿児島市役所|accessdate=2020-09-26}}</ref>。 |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
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94行目: | 280行目: | ||
|} |
|} |
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==交通== |
== 交通 == |
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[[File:Kagoshima pref road 26 Sakurajima Kurokami line at Sakurajima entrance.JPG|thumb|桜島口付近の[[鹿児島県道26号桜島港黒神線]]]] |
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===道路=== |
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=== 道路 === |
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; [[一般国道]] |
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*[[国道 |
:* [[国道220号]] |
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; [[主要地方道]] |
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;県道 |
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*[[鹿児島県道26号桜島港黒神線]] |
:* [[鹿児島県道26号桜島港黒神線]] |
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:*: 町域を海岸線に沿って縦断する[[主要地方道]]である。[[1957年]](昭和32年)に桜島一周道路として[[陸上自衛隊]]によって建設され{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=438}}、[[1958年]](昭和33年)[[11月1日]]に県道「早崎桜島港線」として認定され{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=438}}、[[1982年]](昭和57年)[[4月1日]]に[[主要地方道]]となった{{Sfn|桜島町郷土誌編さん委員会|1988|p=439}}。 |
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=== バス === |
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* [[鹿児島市交通局]] |
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** (70 桜島代替線):東浦ノ前 - 西宇土 - 東宇土 - 黒神小学校前 - 黒神中学校前 - 塩屋ヶ元 - 黒神口 |
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* [[鹿児島交通]] |
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** (鹿児島空港-垂水港):桜島口 |
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** (桜島港-垂水港):桜島口 |
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=== 港湾 === |
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* [[桜島港]]<ref>{{cite web|url=http://g-reiki.city.kagoshima.lg.jp/kagoshima2/reiki_honbun/q702RG00000668.html|title=鹿児島市港湾管理条例|publisher=鹿児島市|date=1993-03-25|accessdate=2021-04-29}}</ref> |
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** 塩屋ヶ元港(避難港)<ref name="city-port">{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/faq-kankyomachizukuri/kasenkowan/q2.html|title=鹿児島市ではどの港を管理しているのか。|publisher=鹿児島市|accessdate=2021-04-12}}</ref> |
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** 宇土港(避難港)<ref name="city-port"/> |
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== 舞台となった作品 == |
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* 「黒神」 - [[1970年]](昭和45年)に公開された[[岩波映画製作所]]の大重潤一郎の処女作。「黒神という風土に生きる農民の姿を通して、現代人を考える」という内容である{{Sfn|南日本新聞|1990|p=958}}。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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*{{cite web |
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|author = [[内務省 (日本)|内務省]] |
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|url = https://www.digital.archives.go.jp/img/1031557 |
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|title = 内務大臣決裁書類・大正3年 大正3年1月桜島爆発に関する被害其の他の概況 |
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|date=1914 |
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|publisher=国立公文書館デジタルアーカイブ |
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|ref={{SfnRef|内務省|1914}} |
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|accessdate=2021-04-14 |
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}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|editor = 鹿児島新聞記者編 |
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|year = 1914 |
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|title = 大正三年桜島大爆震記 |
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}}{{近代デジタルライブラリー|951950}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|author = 鹿児島県 |
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|year = 1927 |
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|title = 桜島大正噴火誌 |
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|publisher = [[鹿児島県]] |
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|isbn = |
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|ref={{SfnRef|鹿児島県|1927}} |
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}}{{近代デジタルライブラリー|1271933}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
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|author = 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 |
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|year = 1955 |
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|title = 鹿児島のおいたち |
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}} |
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*{{Cite news|和書 |
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| title=桜島 大正大噴火から52年 (3) 姿を消した黒神集落 |
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*{{Cite book|和書 |
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*{{Cite book|和書 |
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|title = 鹿児島市史 第二巻 |
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*{{Cite news|和書 |
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| title=火山灰に住む(5)良泉今は溶岩の下 |
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*{{Cite news|和書 |
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| title=火山灰に住む(9)自然の克服に挑む |
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*{{Cite news|和書 |
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| title=火山灰に住む(12)廃船横たわる避難港 実らぬ撤去の訴え |
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*{{Cite book|和書 |
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|year = 1977 |
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|title = 鹿児島市立黒神小学校創立百周年記念誌 |
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*{{Cite book|和書 |
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|year = 1983 |
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|title = 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県 |
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|isbn = 978-4040014609 |
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|ref = {{SfnRef|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983}} |
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}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|author = 桜島町郷土誌編さん委員会 |
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|year = 1988 |
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|title = 桜島町郷土誌 |
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}} |
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* {{Cite book|和書 |
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|author = [[南日本新聞]] |
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|year = 1990 |
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|title = 鹿児島市史 第四巻 |
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|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima.html |
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}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = 宇平幸一 |
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|year = 1994 |
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|title = 大正噴火以後の桜島の活動史 |
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|journal = 験震時報 |
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}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = 山科健一郎 |
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|year = 1998 |
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|title = 資料からみた1914年桜島大正噴火の開始と噴火に先立つ過程 |
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}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|author1 = [[芳即正]] |
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|author2 = [[五味克夫]] |
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|year = 1998 |
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|title = [[日本歴史地名大系]]47巻 鹿児島県の地名 |
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|isbn = 978-4582910544 |
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|ref={{SfnRef|芳即正|五味克夫|1998}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = [[中央防災会議]]災害教訓の継承に関する専門調査会 |
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|year = 2012 |
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|title = 第2章 大正噴火の経過と災害 |
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|serial = 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914 桜島噴火 |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = [[中央防災会議]]災害教訓の継承に関する専門調査会 |
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|year = 2012 |
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|title = 第3章 救済・復旧・復興の状況 |
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}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|author = [[南日本新聞]] |
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|year = 2015 |
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|title = 鹿児島市史 第五巻 |
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|publisher = 鹿児島市長 [[森博幸 (政治家)|森博幸]] |
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|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/kagoshima-05.html |
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}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = 寺田仁志,川西基博 |
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|year = 2015 |
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|title = 大正噴火後100年を経過した桜島の植生について |
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|journal = [[鹿児島県立博物館]]研究報告 |
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|naid = 40020494228 |
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}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = 井口正人, 中道治久, 小林哲夫, 岩松暉, 幸福崇, 田嶋祐哉, 黒岩賢彦, 上林嵩弘, 三田和朗, 竹林幹雄, 福島大輔 |
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|year = 2019 |
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|title = 桜島の大規模噴火を考える |
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|serial = 自然災害科学 |
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|volume = 38 |
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|doi = 10.24762/jndsj.38.3_279 |
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|ref = {{SfnRef|井口正人|中道治久|2019}} |
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}} |
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*{{Cite journal ja-jp |
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|author = 堀内雅生, 山口隆子, 松本昭大 |
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|year = 2020 |
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|title = 桜島にある黒神風穴の確認 |
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|serial = 2020年度日本地理学会春季学術大会 |
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|doi = 10.14866/ajg.2020s.0_93 |
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|ref = {{SfnRef|堀内雅生|山口隆子|松本昭大|2020}} |
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}} |
|||
*{{cite web |
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|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/bunka/bunka/bunkazai/documents/siteiitiran.pdf |
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|title=鹿児島市内の指定文化財等一覧表 |
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|publisher=鹿児島市 |
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|date=2020-04-01 |
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|accessdate=2020-11-08 |
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|ref={{SfnRef|鹿児島市|2020}} |
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}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Kurokami-chō}} |
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* [[鹿児島市]] |
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* [[火山噴火の歴史]] |
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== 外部リンク == |
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* [https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005301238_00000 ふん火ですがたを変える大地] - 瀬戸海峡の埋没について解説した[[NHK for School]]の動画。 |
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{{Geographic Location |
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|Centre = 黒神町 |
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|North = [[高免町]] |
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|Northeast = [[鹿児島湾]] |
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|East = [[鹿児島湾]] |
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|Southeast = [[垂水市]][[牛根麓]] |
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|South = [[鹿児島市]][[有村町]]・[[垂水市]][[海潟]]・[[牛根麓]] |
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|Southwest = [[野尻町 (鹿児島市)|野尻町]]・[[東桜島町]] |
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|West = [[桜島二俣町]]・[[桜島西道町]]・[[桜島武町]] |
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|Northwest = [[桜島白浜町]] |
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|image = |
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{{鹿児島市の町丁}} |
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{{Pref-stub|pref=鹿児島県}} |
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{{Japan-block-stub}} |
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[[Category:鹿児島市の町丁]] |
[[Category:鹿児島市の町丁]] |
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[[Category:桜島]] |
[[Category:桜島]] |
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[[Category:1889年制定の町・字]] |
2021年4月29日 (木) 07:48時点における版
黒神町 | |
---|---|
北緯31度34分59.9秒 東経130度42分25.6秒 / 北緯31.583306度 東経130.707111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 桜島地域 |
地区 | 東桜島地区 |
面積 | |
• 合計 | 16.5 km2 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 118人 |
• 密度 | 7.2人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-1501(枦ノ木ケ谷) 891-1401(その他の区域) |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
運輸局住所コード | 46500-0709[1] |
黒神町(くろかみちょう[2])は、鹿児島県鹿児島市の町[3]。旧大隅国大隅郡桜島郷黒神村、鹿児島郡東桜島村大字黒神。郵便番号は枦ノ木ケ谷は891-1501[4]、その他は891-1401[5]。人口は118人、世帯数は86世帯(2020年4月1日現在)[6]。面積は16.5平方キロメートル[7]。
鹿児島市の最東端、活火山である桜島の東部に位置しており[8]、桜島の噴火による溶岩の流出や火山灰の降灰による埋没を数度経験している[3]。大正大噴火の際には桜島と大隅半島を隔てていた瀬戸海峡及び瀬戸海峡に面していた瀬戸集落が溶岩の流出によって埋没したことにより大隅半島と接続し[9]、黒神集落には火山灰が約1.8メートルから2.2メートル程度降り積もった[10]。黒神集落にある腹五社神社の鳥居は噴火により上部を残し埋没しており、「噴火により埋没した鳥居」として鹿児島県の天然記念物に指定され[11][12]、噴火の凄まじい威力を伝える史跡として残されている[13]。
黒神町は1950年(昭和25年)10月1日に東桜島村が鹿児島市に編入された際、それまでの大字黒神及び大字瀬戸の全域を以て新たに鹿児島市の町として設置された[14]。本項では黒神町の一部となっている大字「瀬戸」(せと)についても述べる。
地理
鹿児島市の最東端、桜島の東部に位置する[8]。南は垂水市海潟・垂水市牛根麓・鹿児島市有村町、北は高免町、東は鹿児島湾に面する[8]。かつては桜島は島であったが桜島の大正大噴火によって、黒神東部の瀬戸が溶岩によって埋没し、桜島の対岸の大隅半島と接続した[9][8]。桜島と大隅半島の接続部である桜島口には「黒神風穴」と呼ばれる風穴の存在が確認されており、安山岩・玄武岩、風穴の上部は大正大噴火による溶岩によって構成されている[15]。
桜島の南岳の北東麓に位置しており、黒神町の南東部を含む南岳火口及び昭和火口から半径2キロメートルの区域は2020年現在、災害対策基本法の規定に基づき鹿児島市長によって警戒区域に設定されており、災害応急対策に従事する者以外の立ち入りが禁じられている[16]。また、京都大学防災研究所附属火山活動研究センター桜島火山観測所黒神観測室が設置されており、噴火現象の観測が行われているほか、爆破観測や音波アレイ観測、MT観測などの実験も行われている[17]。
町域の中部に鹿児島市立黒神小学校及び鹿児島市立黒神中学校があり、黒神中学校に隣接して腹五社神社が所在している。腹五社神社の社叢にはシイ林の自然林であるミミズバイ―スダジイ群衆が確認されている[18][19]。また、塩屋ヶ元一帯はクズに覆われており、所々にタブノキやアラカシ、ヤブニッケイの植生がある[20]。
北部には避難港に指定されている宇土港、南部には塩屋ヶ元港があり、町域の東部を鹿児島県道26号桜島港黒神線が通り、町域の南端部を通る国道220号に接続している。
また、辺地に係る公共的施設の総合整備のための財政上の特別措置等に関する法律に基づき黒神町の全域が「黒神辺地」に指定されている[21]。
自然公園・自然保護地区
黒神町の全域が国立公園である霧島錦江湾国立公園の区域に指定されており[22]、特別区域特別保護地区(桜島山頂、桜島東溶岩原)・第1種特別地域(桜島北斜面、桜島港黒神線道路沿線、瀬戸崎)・第2種特別地域(桜島北及び東斜面、黒神)・第3種特別地域(桜島北及び東麓、燃埼、黒神、瀬戸)・普通地域から構成される[22][23]。
山岳
- 南岳
- 権現山(標高:350メートル)
- 鍋山(標高:359メートル)
河川
歴史
中世の黒神と噴火
黒神という地名は室町時代より見え、大隅国大隅郡向島のうちであった。文明3年(1471年)9月12日に向島(桜島)黒神村において大噴火が発生した[25][26]。薩藩旧記雑録に掲載されている「池田氏年代記」には「文明三年九月一二日、向島黒神村燃出ル、人民多死」と記録されている[11]。
近代の黒神と瀬戸
江戸時代になり黒神は大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちとなった[3]。黒神は「黒上」とも書かれていた[3]。村高は「天保郷帳」では48石余[3]、「三州御治世要覧」では138石余、「旧高旧領取調帳」では108石余であった[3]。
瀬戸村も江戸時代より見えるが、薩摩藩の地誌である「三国名勝図会」には脇村(現在の有村町の一部)のうちであったとされ、脇村から分村し「瀬戸村」として成立したとされる[27][11]。延享年間の「三州御治世要覧」に見えるのが初見であり村高は105石余であった[11]。また、「旧高旧領取調帳」では80石余であった[11]。
安永8年(1779年)に発生した安永大噴火では甚大な被害を呈し[3]、瀬戸では火山弾が飛来し家が炎上したとされ、降灰は約4メートルにも達した[28]。旧南林寺境内の桜島燃亡霊碑には瀬戸村の死者は46名、黒神村の死者は5名であると記録されている[11][29]。黒神村や脇村、有村、古里村の住民は瀬戸海峡を渡船して近隣の垂水や敷根、福山などに避難した[3][28]。寛政12年(1800年)には赤水村と黒神村から25名が新島に移住した[30]。
黒神には宝暦年間に温泉場が開設され、塩湯と鉄湯があった[31]。「三国名勝図会」には黒神村(黒上村とも)に存在していた温泉について以下のように述べている。
黒上温泉 黒上村にあり、涌出の年月詳ならず、是亦潮湯にして、能諸病を治す、是温泉の所在は、人家より頗る近し、故に浴者の爲に便利なり、是を以て近来浴場に往く者、古里より甚た多しとかや、
—三国名勝図会巻之四十三
文久3年(1863年)に鹿児島湾で勃発した薩英戦争では大隅半島との海峡に位置する瀬戸は軍事要地とされ、砲台は設置されなかったものの警備の武士が配備された[11][32]。また、江戸時代後期には瀬戸に造船所が設置され、薩摩藩によって洋式軍艦である昇平丸などが造船された[11]。
1887年(明治20年)4月2日には「 鹿兒島縣下分郡ノ件」(明治20年勅令第7号)により大隅郡が南北に分割され、黒神村及び瀬戸村は北大隅郡の所属となった[3][33]。
町村制施行と明治時代
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い桜島の東半分にあたる湯之村、野尻村、古里村、有村、黒神村、高免村、瀬戸村、脇村の区域より北大隅郡東桜島村が成立した[34]。それまでの黒神村は東桜島村の大字「黒神」となり[3]、それまでの瀬戸村は東桜島村の大字「瀬戸」となった[35]。
1897年(明治30年)4月1日には「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)によって北大隅郡が鹿児島郡に統合され、東桜島村は鹿児島郡のうちとなった[36]。
大正大噴火による埋没・積灰
1914年(大正3年)1月12日に桜島が爆発し、噴煙は高さ約1万メートルに及んだ(大正大噴火)[37][9]。爆発時点で黒神の住民は1,855名、瀬戸の住民は1,722名であった[38]。
噴火の予兆として黒神では1月3日に井戸水が増加し9日には水が溢れ出ていることが確認されており[39]、爆発の3日前となる同月9日ごろから地震が発生するなど予兆があったことから前日の11日までに800人が桜島から離れていた[40]。爆発当日の早朝には1,500名程が避難準備を済ませて海岸から対岸の大隅半島にある牛根村(現在の垂水市)への避難を開始していた[40]。また、瀬戸は11日までに老人や女性・子供は全員避難が完了し、爆発時点では全員が避難を完了していた[41][42]。
12日午前8時から午前9時の間に爆発が発生した[43][37]。黒神では避難のため船へ乗船中であったが、動転した船の船頭は30人ほどを積み残し沖へ出港した。これにより溺死した者2名、残留不明者4名の犠牲があった[38]。また、避難先の牛根村では4名が行き倒れとなった[38]。黒神に駐在していた巡査である前田は「九時ごろからして、南の御岳から三ヶ所、又黒神からは、自分の正面に当るところに、元の噴火口から白煙が少しづつ見えた。それと同時に南の御岳の砂石が崩壊したのが見えた。」と語っている[44]。爆発後の午後11時には黒神方面の家屋が焼失したとされ[45]、正午には瀬戸も焼滅した[46]。
翌日の1月13日には、桜島から瀬戸海峡を泳いで対岸の大隅半島へ避難しようとした東桜島村の助役が溺死した[47]。また、黒神集落には駐在していた巡査と小学校長など20名程が取り残されており、黒神の南東に位置する垂水村大字海潟(現在の垂水市海潟)の中俣から駆け付けた船によって救助された[48]。同日には火砕流が桜島東側に流出したことによって、幅360メートル水深75メートルであった瀬戸海峡が埋められ[9]、1月30日にはそれまでの瀬戸海峡は地峡となり大隅半島と陸続きになった[49][50][51][9]。これによって瀬戸集落は完全に埋没し、全滅した[52][53][54]。黒神集落においても246戸のうち197戸が消失し、軽石や火山灰によって埋没するなど甚大な被害を受けた[53][50][55]。
大正大噴火後の復旧と移住
大隅半島へ避難した黒神・瀬戸地区の住民のうち移住希望者は、国有地の無償譲与が行われた種子島[56]、肝属郡佐多村(現在の南大隅町)の大中尾[57][58]、同郡田代村(現在の錦江町)の内之牧・中尾・久木野[57]、花岡村(現在の鹿屋市)の花里[59]などにそれぞれ移住し、東桜島村の資料によれば上記の国有地(官有指定地)への移住者とその他の移住地(任意移住地)への移住者とを併せて最終的には583戸(瀬戸集落:307戸、黒神集落:276戸)が他の地域へ移住した[60]。移住先のうち官有指定地への移住戸数の一覧は以下のとおりである[60]。
移住先 | 黒神集落 | 瀬戸集落 |
---|---|---|
熊毛郡北種子村 | 18 | 26 |
肝属郡田代村 | 0 | 22 |
肝属郡新城村 | 3 | 6 |
肝属郡佐多村 | 52 | 170 |
肝属郡大根占村 | 71 | 0 |
同年2月14日には帰還通達が出され、徐々に帰還が始まった[61]。5月1日には90センチメートルもの降灰が降り積もり休止していた小学校が再開した[62]。
第二次世界大戦後になり、大正大噴火で埋没した黒神集落にある腹五社神社の鳥居を住民が掘り起こそうとしたが、東桜島村長が「災害の記憶として後世に残すべきである」としたことにより、集落の民家にあった門柱と共にそのままの状態で保存されており[63]、これらは「噴火により埋没した鳥居,門柱」として1958年(昭和33年)4月28日に鹿児島県の天然記念物に指定された[11][12]。
昭和噴火による埋没
1935年(昭和10年)9月より小噴火を繰り返しており、1939年(昭和14年)には黒神に新しい火口ができるなど活発な動きを見せていた桜島であったが[64]、1946年(昭和21年)1月頃より噴煙活動を開始し[65]、3月10日に南岳の東側山腹で噴火が発生した[66]。溶岩流は鍋山と権現山の間を抜け黒神河原に溶岩原を形成し[65]、黒神の集落を埋め尽くして4月5日には海岸まで溶岩が到達し[65][55]、海中に約2000メートル、最大幅2,000メートルにわたって溶岩が突入した[3][66]。この溶岩の流出は5月25日まで続いた[66]。
黒神の住民は40世帯ほどが鹿児島市内へ避難し、30世帯・128名が牛根村の松ヶ崎へ避難した[67]。噴火の終息後には塩屋ケ元に48戸、宇土に62戸が黒神開拓団として入植し、畑作などを行った[68]。しかし生活再建への道のりは遠く人手不足や降灰、二酸化硫黄の発生などにより噴火前の耕地の6分の1しか耕作されなかった[64]。
鹿児島市への編入以降
1950年(昭和25年)10月1日には東桜島村が鹿児島郡伊敷村とともに鹿児島市に編入された[69]。同年10月18日に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の告示である「 鹿兒島市の一部大字の變更」により、東桜島村が鹿児島市に編入された10月1日に大字黒神及び大字瀬戸の区域を以て新たに鹿児島市の町「黒神町」が設置された[14][70]。
この頃の黒神と他の集落とを結ぶ交通手段として仕立船と呼ばれる不定期航路があった[71]。市町村合併までは東桜島村、市町村合併後は鹿児島市が運営を行っており、貨客の輸送を行っていた[71]。1957年(昭和32年)に自衛隊によって桜島一周道路が建設されると、1962年(昭和37年)には西桜島村営バスが黒神まで運行されるようになった[71][72]。1963年(昭和38年)には鹿児島市交通局が運営する鹿児島港・黒神間の黒神航路に新造船「ひまわり」が就航し、1時間20分で結んだ[73]。しかし、道路の開通によるバスや自家用車の利用が進んだことにより鹿児島市は黒神航路の廃止を検討した[71]。「ひまわり」の航路権が岩崎産業の手に渡るのを憂れた西桜島村は、1968年(昭和43年)に旅客定期航路事業として黒神航路を鹿児島市から移管した[74][75]。1976年(昭和51年)3月26日をもって黒神航路のうち浦之前・新島間(現在の行政連絡船「しんじま丸」の区間)を除いて全区間の運航が終了した[76][77]。これによって黒神町の港から定期航路が無くなり、塩屋ケ元港など航路の寄港地は寂れた[78]。
黒神町には桜島の噴火による被害対策として1976年(昭和51年)までに退避舎2か所、退避壕2か所、避難道路1箇所が整備された[78]。
町域の変遷
変更後 | 変更年 | 変更前 |
---|---|---|
黒神町(新設) | 1950年(昭和25年) | 大字黒神(全域) |
大字瀬戸(全域) |
人口
以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
統計年 | 人口 | ||
---|---|---|---|
1995年(平成7年) | [79] | 245 | |
2000年(平成12年) | [80] | 195 | |
2005年(平成17年) | [81] | 175 | |
2010年(平成22年) | [82] | 149 | |
2015年(平成27年) | [83] | 123 |
文化財
県指定
施設
教育
- 鹿児島市立黒神中学校[85]
- 鹿児島市立黒神小学校[86]
- 鹿児島市黒神保育園[87]
寺社
- 腹五社神社
その他
- 京都大学防災研究所附属火山活動研究センター桜島火山観測所黒神観測室[17]
- 黒神ビュースポット
- 県道桜島港黒神線の沿線にある展望スポットであり、昭和噴火の際の溶岩が流れた場所に建てられている[88]。
産業
2015年(平成27年)の国勢調査によると黒神町に居住する15歳以上の就業者数は43人であり、産業別では多い順に漁業14名、農業・林業5名、教育・学習支援業5名となっている[89]。
漁業
黒神では漁業が古くより盛んであり[90]、海岸線が複雑で入江が多いことからハマチの養殖が行われている[91]。
農業
農業人口は大量の降灰の影響により極めて少なく[92]、宇土においてビワやミカンが栽培されているほか、塩屋ケ元では畑作が行われている[93]。1975年(昭和50年)の鹿児島市役所東桜島支所による統計では、塩屋ケ元の37戸、宇土に51戸の農家があり、ほとんどが兼業農家であった[94]。黒神町の農業生産高は1,223万円であり、ビワ、稲、ミカンの順であった[94]。
畜産
大正大噴火前には軍馬の産地であった[95]。昭和噴火後の1958年(昭和33年)から1961年(昭和36年)にかけて鹿児島市の産業資金によって畜産の振興策が計られたが、降灰の被害によって牧草が発育せず、以降衰退した[95]。
教育
黒神町には、鹿児島市立黒神中学校及び鹿児島市立黒神小学校が設置されている。かつては瀬戸に瀬戸尋常小学校が設置されていたが[96]、大正大噴火によって瀬戸全体が埋没し廃校となった[62]。
中学校
黒神中学校は、1947年(昭和22年)に東桜島村立東桜島中学校の分校「黒神分校」として開校した。1950年(昭和25年)10月1日には東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立東桜島中学校黒神分校となった[97]。1954年(昭和29年)4月1日に独立校となり、鹿児島市立黒神中学校となった[97]。2020年(令和2年)4月1日に生徒数が0となったのに伴い、同日を以て休校となった[98]。翌年の2021年(令和3年)4月6日に1名が入学し1年ぶりに再開した[99]。前述の通り2021年(令和3年)現在、生徒数は1名であり、小規模校であることから特認校に指定されている[100]。
小学校
黒神小学校は、1877年(明治10年)に黒神小学校として創立した[101][102]。1887年(明治20年)に簡易小学校となり[101]、1897年(明治30年)には宮原小学校に改称した[101]。1914年(大正3年)の大正大噴火により廃校となったが、4年後の1918年(大正7年)に高免小学校の分教場として再開した[101]。
1941年(昭和16年)には国民学校となり、黒神国民学校となった[101]。1946年(昭和21年)の桜島の爆発による溶岩流出のため休校となり翌年1947年(昭和22年)に復旧した[102]。1950年(昭和25年)10月1日に東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立黒神小学校となった[103]。2014年(平成26年)現在児童数は5名であり[86]、小規模校であることから特認校に指定されている[100]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[104]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
黒神町 | 全域 | 鹿児島市立黒神小学校 | 鹿児島市立黒神中学校 |
交通
道路
バス
- 鹿児島市交通局
- (70 桜島代替線):東浦ノ前 - 西宇土 - 東宇土 - 黒神小学校前 - 黒神中学校前 - 塩屋ヶ元 - 黒神口
- 鹿児島交通
- (鹿児島空港-垂水港):桜島口
- (桜島港-垂水港):桜島口
港湾
舞台となった作品
脚注
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- 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会、2012、「第3章 救済・復旧・復興の状況」 (pdf)(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914 桜島噴火)、内閣府
- 南日本新聞『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年 。
- 寺田仁志,川西基博、2015、「大正噴火後100年を経過した桜島の植生について」 (pdf) 、『鹿児島県立博物館研究報告』34巻、鹿児島県立博物館、NAID 40020494228
- 井口正人, 中道治久, 小林哲夫, 岩松暉, 幸福崇, 田嶋祐哉, 黒岩賢彦, 上林嵩弘, 三田和朗, 竹林幹雄, 福島大輔、2019、「桜島の大規模噴火を考える」 (pdf)38巻3号(自然災害科学)、doi:10.24762/jndsj.38.3_279
- 堀内雅生, 山口隆子, 松本昭大、2020、「桜島にある黒神風穴の確認」 (pdf)(2020年度日本地理学会春季学術大会)、doi:10.14866/ajg.2020s.0_93
- “鹿児島市内の指定文化財等一覧表”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年11月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ふん火ですがたを変える大地 - 瀬戸海峡の埋没について解説したNHK for Schoolの動画。
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座標: 北緯31度34分59.9秒 東経130度42分25.6秒 / 北緯31.583306度 東経130.707111度