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「分析哲学」の版間の差分

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言語哲学以外にも、分析哲学に関わり、当初からの重要な位置をしめていたものに[[科学哲学]]があり、またこれに関連して、従来の認識論が現代の自然科学の自然認識を基礎付けないばかりか多くの点で不整合になったことから発展した[[知識の哲学]]、そして知識の哲学の中から生まれ、[[認知科学]]の発展に呼応して展開する[[心の哲学]]など、分析哲学自体は衰退することなく逆に拡大と発展を遂げた。このなかで、従来なら分析哲学が棄却しようとした問題(たとえば[[形而上学]]として排斥された[[実在論]]の問題)が、分析哲学及びそれを批判しつつ継承する流れの中で、再び取り上げられるようになっている。またそれぞれの科学についての哲学、具体的に言えば[[生物学の哲学]]や[[心理学の哲学]]も、近年における分析哲学の一角を形成している。
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分析哲学の手法を用いて[[仏教哲学]]・[[道教|道教哲学]]・[[易経|易の哲学]]・[[西田哲学]]といった[[東洋哲学]]を再解釈する試みも始まっている<ref name=":0">{{Cite web|title=京都大学大学院文学研究科 応用哲学・倫理学教育研究センター|url=http://www.cape.bun.kyoto-u.ac.jp/project/project08/|accessdate=2021-01-18}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|title=Members – Network for Analytic Asian Philosophy|url=http://www.aap.bun.kyoto-u.ac.jp/people/member/|accessdate=2021-01-18|website=aap.bun.kyoto-u.ac.jp}}</ref>。具体的には、[[2010年代]]、[[出口康夫]]や[[グレアム・プリースト]]によって、[[京都大学]]を拠点に「[[分析アジア哲学]]」という名称の国際[[共同研究]]プロジェクトが立ち上げられている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。ただし、同様の営みはそれ以前から行われている。例えば、[[末木剛博]]や[[黒崎宏]]はウィトゲンシュタイン研究者の立場から東洋哲学を解釈している<ref>[[末木剛博]]『東洋の合理思想』講談社現代新書 1970(増補新版 法蔵館 2001)</ref><ref>[[黒崎宏]]『ウィトゲンシュタインから[[道元]]へ 私説『[[正法眼蔵]]』』哲学書房 2003</ref>。また、分析哲学の源流にあたるラッセルや[[アイヴァー・リチャーズ|リチャーズ]]<ref>{{Cite journal|和書|author=香春|year=2019|title=リチャーズによる哲学的メタファー論の復活|url=http://doi.org/10.18999/jouhunu.2.205|journal=名古屋大学人文学研究論集|volume=2|page=1}}</ref>は、二人とも訪中経験があり、それぞれの立場から[[諸子百家]]を解釈している<ref>{{Cite book|和書|title=論理的原子論の哲学|year=2007|publisher=筑摩書房|author=[[バートランド・ラッセル]]:著 高村夏輝:訳|page=168;235|date=}}([[ハーバート・ジャイルズ]]によって英訳された『[[荘子 (書物)|荘子]]』に出てくる、[[名家 (諸子百家)|名家]]の学説「黄馬驪牛三」を、{{仮リンク|クラス (哲学)|en|Class (philosophy)|label=クラス}}の実在についての学説として解釈している)</ref><ref>Richards, I. A. ''Mencius on the Mind: Experiments in Multiple Definition'' (Kegan Paul, Trench, Trubner & Co.: London; Harcourt, Brace: New York, 1932).</ref>。
分析哲学の手法を用いて[[仏教哲学]]・[[道教|道教哲学]]・[[易経|易の哲学]]・[[西田哲学]]といった[[東洋哲学]]を再解釈する試みも始まっている<ref name=":0">{{Cite web|title=京都大学大学院文学研究科 応用哲学・倫理学教育研究センター|url=http://www.cape.bun.kyoto-u.ac.jp/project/project08/|accessdate=2021-01-18}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|title=Members – Network for Analytic Asian Philosophy|url=http://www.aap.bun.kyoto-u.ac.jp/people/member/|accessdate=2021-01-18|website=aap.bun.kyoto-u.ac.jp}}</ref>。具体的には、[[2010年代]]、[[出口康夫]]や[[グレアム・プリースト]]によって、[[京都大学]]を拠点に「[[分析アジア哲学]]」という名称の国際[[共同研究]]プロジェクトが立ち上げられている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。ただし、同様の営みはそれ以前から行われている。例えば、[[末木剛博]]や[[黒崎宏]]はウィトゲンシュタイン研究者の立場から東洋哲学を解釈している<ref>[[末木剛博]]『東洋の合理思想』講談社現代新書 1970(増補新版 法蔵館 2001)</ref><ref>[[黒崎宏]]『ウィトゲンシュタインから[[道元]]へ 私説『[[正法眼蔵]]』』哲学書房 2003</ref>。また、{{要出典|範囲=分析哲学の源流にあたるラッセルや[[アイヴァー・リチャーズ|リチャーズ]]|date=2021年1月}}<ref>{{Cite journal|和書|author=香春|year=2019|title=リチャーズによる哲学的メタファー論の復活|url=http://doi.org/10.18999/jouhunu.2.205|journal=名古屋大学人文学研究論集|volume=2|page=1}}</ref>は、二人とも訪中経験があり、それぞれの立場から[[諸子百家]]を解釈している<ref>{{Cite book|和書|title=論理的原子論の哲学|year=2007|publisher=筑摩書房|author=[[バートランド・ラッセル]]:著 高村夏輝:訳|page=168;235|date=}}([[ハーバート・ジャイルズ]]によって英訳された『[[荘子 (書物)|荘子]]』に出てくる、[[名家 (諸子百家)|名家]]の学説「黄馬驪牛三」を、{{仮リンク|クラス (哲学)|en|Class (philosophy)|label=クラス}}の実在についての学説として解釈している)</ref><ref>Richards, I. A. ''Mencius on the Mind: Experiments in Multiple Definition'' (Kegan Paul, Trench, Trubner & Co.: London; Harcourt, Brace: New York, 1932).</ref>。


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====第二次世界大戦以後====
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{{See also|ポスト分析哲学}}
第二次大戦後すぐは[[日常言語学派]]が大きな力を持つようになり、[[ギルバート・ライル]]、[[ジョン・L・オースティン]]らによって哲学的な問題が日常言語の問題へと解体されていった。これに対するウィトゲンシュタインの影響は大きく、この洞察はムーアに帰着する。
第二次大戦後すぐは[[日常言語学派]]が大きな力を持つようになり、[[ギルバート・ライル]]、[[ジョン・L・オースティン]]らによって哲学的な問題が日常言語の問題へと解体されていった。これに対するウィトゲンシュタインの影響は大きく、この洞察はムーアに帰着する。


しかしその後、第二次大戦中にドイツ語圏から主要な哲学者がアメリカへと移住したことをうけ、第二次大戦後の分析哲学の中心は次第にアメリカへと移って行った。この動きを代表するのが、[[ルドルフ・カルナップ]]の影響をうけた[[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン|W・クワイン]]の戦後の一連の著作である。クワインは分析と総合の区別の否定、意味の全体論、根源的翻訳の議論、自然化された認識論の議論など、刺激的なテーゼを提出し、分析哲学の指導的役割を果たした。
しかしその後、第二次大戦中にドイツ語圏から主要な哲学者がアメリカへと移住したことをうけ、第二次大戦後の分析哲学の中心は次第にアメリカへと移って行った。この動きを代表するのが、[[ルドルフ・カルナップ]]の影響をうけた[[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン|W・クワイン]]の戦後の一連の著作である。クワインは分析と総合の区別の否定、意味の全体論、根源的翻訳の議論、自然化された認識論の議論など、刺激的なテーゼを提出し、分析哲学の指導的役割を果たした。

{{See also|ポスト分析哲学}}
緑の[[リチャード・ローティ|ローティ]]によって示された[[プラグマティズム]]の現在の動向は、[[言語論的転回]]の案件同様、示唆的である。


===通史===
===通史===

2021年1月21日 (木) 17:27時点における版

分析哲学(ぶんせきてつがく、: Analytic philosophy)は、ゴットロープ・フレーゲバートランド・ラッセル論理学的研究に起源を持ち、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの誤解を含め多大な影響を受けた論理実証主義の批判と受容を経て形成された哲学の総称である。学際領域の黎明期[1]に成立している。なお広辞苑によれば、分析哲学の主唱者はジョージ・エドワード・ムーアである。

これは、現代の記号論理学や論理的言語分析、加えて、自然科学方法及び成果の尊重を通じて形成された。20世紀には英語圏で主流となった哲学である。たとえばアメリカ合衆国の圧倒的多数の大学で、哲学科で教育され研究されるのは「分析哲学」である。これは、イギリスカナダオーストラリアでも同様である。 こうした状況の中で、分析哲学全体に共通する主張といったものを見いだすのは困難である。分析哲学には、多様で共通点のない様々な観点が可能であり、蓋然的な共通点しかない可能性もある。ひどくおおざっぱに言えば、分析哲学は、明晰さの追求と徹底的な論述を特徴とする。

20世紀大陸ヨーロッパ(特にフランスドイツ)において主流となった大陸哲学に比較されることもあり、単に「英米(現代)哲学」といえば、この記事で扱う分析哲学を指す場合が多い。

特徴

性質的特徴

分析哲学という一つのまとまった、一枚岩の哲学は存在しない。しばしば分析哲学とは言語哲学であるかのように言われるが、分析哲学の哲学者は分析哲学が「もっぱら言語とか論理とかいった主題を扱うものだと決め込んでいる節がある」[2]とはいえ、実際には言語そのものを対象としているのは分析哲学の一部であり、主題においても立場においても非常に多様である。しかし、概ね次のように特徴付けることができるだろう。

一つ目は、厳密には解明されるべき真理は存在せず、哲学の目的はただ思考の論理的明晰化をはかることであるという、実証主義の伝統である。この考えは、アリストテレス以来の伝統的な哲学の基礎付け主義と対照的である。基礎付け主義という伝統的な考え方は、哲学を諸学の中で特権的な位置つまり最も優越する位置におき、哲学が諸科学を含む学さえもすべて含め、あらゆるものの原理を研究するというものだった。反対に、分析哲学者は自分たちの研究が、自然科学とつながるもの、あるいは自然科学に従属するものと考えることさえ普通である。

二つ目は、論理的言語分析の方法を用いて諸命題を明晰化することが、諸命題の論理形式の分析で達成できるほとんど唯一のことであるという考えである。命題の論理形式は、同じ体裁の他すべての命題との類似を示すために用いられる、命題を表現する方法の一つである。これには、しばしば現代記号論理学の形式化された文法と記号が用いられる。ただし、日常言語をどのように論理的に分析するのかについて、分析哲学者の間での見解の一致はない。

三つ目は、世間で言う「哲学的な」言辞と旧態依然とした曖昧で不明瞭な哲学(言うなれば、疑似哲学)を棄却することである。この「大理論」の拒絶は、(全てではないが)分析哲学者が、形而上学的なうぬぼれに対して、日常言語や常識を擁護するという姿となって現れる。特に日本では、晦渋な翻訳の問題の是正に貢献している面もある。

方法的特徴

分析哲学の方法としては以下のことが挙げられる。反対に言えば、こうした特徴をそなえていれば、マルクス主義であっても分析的マルクス主義として分析哲学の一分野であり得るだろうし、形而上学も研究方法次第では分析形而上学となり得るだろう。

  • 言語分析、概念分析を中心的な道具とする[3]
  • 定義や議論の論理構造をはっきりさせ、明瞭な論述を行う(記号論理学を応用する)
  • 言語表現の水準で問題を設定する[4]
  • 分析の正しさの基準として、しばしば思考実験に訴える[5]
  • 経験科学の知見を取り入れて議論を展開することも多い[6]

歴史

概要

分析哲学の歴史は、大まかに言えば、19世紀末から20世紀初頭にかけての論理学の発展を背景にした、「論理的言語分析の哲学」[7]、つまり或る種の典型的な言語哲学として始まった。なお、言語は古代ギリシア哲学から哲学の主題であり続けたが、今日では一般に、「言語哲学」は分析哲学における言語哲学を指す。これは、バートランド・ラッセルのように論理学的な人工言語を重視する流れ(理想言語学派)と、反対に日常言語を重視する流れ(日常言語学派)とに分かれた。この分離は以後ますます大きくなり、これは1960年代以降、分析哲学における言語哲学の衰退に繋がる。

言語哲学以外にも、分析哲学に関わり、当初からの重要な位置をしめていたものに科学哲学があり、またこれに関連して、従来の認識論が現代の自然科学の自然認識を基礎付けないばかりか多くの点で不整合になったことから発展した知識の哲学、そして知識の哲学の中から生まれ、認知科学の発展に呼応して展開する心の哲学など、分析哲学自体は衰退することなく逆に拡大と発展を遂げた。このなかで、従来なら分析哲学が棄却しようとした問題(たとえば形而上学として排斥された実在論の問題)が、分析哲学及びそれを批判しつつ継承する流れの中で、再び取り上げられるようになっている。またそれぞれの科学についての哲学、具体的に言えば生物学の哲学心理学の哲学も、近年における分析哲学の一角を形成している。

分析哲学の手法を用いて仏教哲学道教哲学易の哲学西田哲学といった東洋哲学を再解釈する試みも始まっている[8][9]。具体的には、2010年代出口康夫グレアム・プリーストによって、京都大学を拠点に「分析アジア哲学」という名称の国際共同研究プロジェクトが立ち上げられている[8][9]。ただし、同様の営みはそれ以前から行われている。例えば、末木剛博黒崎宏はウィトゲンシュタイン研究者の立場から東洋哲学を解釈している[10][11]。また、分析哲学の源流にあたるラッセルやリチャーズ[要出典][12]は、二人とも訪中経験があり、それぞれの立場から諸子百家を解釈している[13][14]

第二次世界大戦以前

20世紀初頭にゴットロープ・フレーゲやラッセルによって記号論理学が成立し、論理学が強力な分析のツールとなったことが一つの契機としてあげられる。L・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、記号論理学の使用について一つのパラダイム、範例となり、ウィーン学団の論理実証主義に影響を与えるなど、影響は絶大なものであった。また、G・E・ムーアの「自然主義的誤謬」についての分析など、概念分析を中心とする分析が登場したのも20世紀初頭であった。

この時期を分析哲学に含めるべきか、或いは、その前段階とみなすべきかには論争があるものの、少なくともそのころのこの種の哲学的活動の中心はイギリス(とドイツ語圏)であり、言語哲学における意味の理論や数学の基礎づけに関する影響は確かである。科学哲学における操作主義や論理実証主義などが次第に主な領域となった。

第二次世界大戦以後

第二次大戦後すぐは日常言語学派が大きな力を持つようになり、ギルバート・ライルジョン・L・オースティンらによって哲学的な問題が日常言語の問題へと解体されていった。これに対するウィトゲンシュタインの影響は大きく、この洞察はムーアに帰着する。

しかしその後、第二次大戦中にドイツ語圏から主要な哲学者がアメリカへと移住したことをうけ、第二次大戦後の分析哲学の中心は次第にアメリカへと移って行った。この動きを代表するのが、ルドルフ・カルナップの影響をうけたW・クワインの戦後の一連の著作である。クワインは分析と総合の区別の否定、意味の全体論、根源的翻訳の議論、自然化された認識論の議論など、刺激的なテーゼを提出し、分析哲学の指導的役割を果たした。

緑のローティによって示されたプラグマティズムの現在の動向は、言語論的転回の案件同様、示唆的である。

通史

分析哲学の理解に供する通史を便宜的に述べる。既述の内容についてはなるべく省略する。

古代

アテナイ アテナイ市民による外郭の形成があった。それはランガージュに相当する。有史以来の人類規模の思索でもある古代ギリシア哲学の普及は偏にプラトンの迷走そしてまた分離・独立による。アリストテレスの擁護と譲歩は圏域に関する留保ではなく、詳細の名状にも思える内容は具体的な弁別である。夙にプロティノスの警句は原典の輝きを象徴しただけではなく、現代の警句にもなっている。

ローマ ローマ帝政期には、議会と元老院が成立した。貨幣と4種類以上の様々な金属もあった。それ以外に、パルミジャーノレジャーノ、ペコリーノロマーノ、グラナパダーノなどのチーズが生まれた。だが、パルミジャーノレジャーノに先行してギリシアにはフェタがあった。

中世

中世は知識の頂点に君臨する教父の副次的な活動に焦点がある。主語を中核とする中世の論理学は人生と深く結びついたものだった。天使の羽ばたきさながらの生活の綻びは、流出説を彷彿させる。

アウグスティヌス 人間工学の成立を背景に立脚されたその前著は、第一に自身は教父であり、第二に自身は哲学者達に属するという趣旨である。なお、二義的な要素は宗教の習慣としても特に珍しいということはない。そして、グレコロマーノの建設者であり、ローマ侵攻とローマ陥落に論究している。中世で最も先鋭な二人の教父の内の一人である。比較研究の対象として、比較文化論的な研究もある澤田允茂が挙げられる。

トマス・アクィナス 中世でもっとも穏健な教父である。その人生は均衡の結果としての素朴な実践としての意味を持っている。そのグロリアは古代の絵画批判に対しての反駁とも言える。その意味ではルソーに近い。

オッカム 幼少期は、ミカエルでもカマエルでもない天使だった。そしてサタナエル若しくはマモンではなかった。実証としてのオッカムの剃刀は試練だった。その実践は肯定的だった。後著は超越的時空論としても現代的言語の論理としても存立している。オッカムの剃刀の一件は、本人にとっては難であり、そしてまたサタナエル若しくはマモンで、後に書き改められることは無かった。本人による区別が明確であったこともあり、これは、主語についての限界地点だと解することができる。オッカムは自己自身を認める。

生活習慣を通底する事柄については、以下のことが挙げられる。

星哲学 星学者として認めてもらうには観測点を獲得する力が必要になる。それは観察なり観測なりとは異なる本体であり、客観視なり星図の作成なりといった第三者の予想は謬見である。第三者はそこに主客の転倒を見て取るが、それは星学とは関係が無いと言う。例えば、この世には星座は存在しないと述べても、自己の立脚点は消失しない。同様に、正当化ができないと学問にはできない。その上で、価値が存在すると述べる。その人には当然の、推移があり劣化は並行する。価値には互換性が無く、補填も無いと述べる。立脚して貰うには査定が存在するので、価値の再配列を起こすことになる。つまり、学問の遂行は不完全である。ここに見て取れるポジティブな姿勢が体系における主語の拡散を助長したのだった。

通貨 価値に到達する者が現れる。そういうものがあって、それによって人間相互の関係性が成立している。主体的な衝突が生じてもその図式のみではなくそれも変化しないと言う。原点としての本人にとっては言わば人間が本来の通貨なのである。内的には、この時代の論理に従っても高い整合性を有する。正当化の途に意識が向くものの、全体主義的な動向との折衝による結果であり、正当化が追いつかない。愛好の棄却が消極的にではあるが生じている。

講堂 第3の玉座の天使は平均的な教父である。形式的な礼拝は完成しているのに、配慮の帰着点に対して配慮しても利益が無い。生活習慣に対する空虚は均衡になっている。集団が力を持つ。小さく切られてナイフの様になったパンも配慮次第で実際に、視野狭窄な脱落者になる。そういう局面だ。

事件 その価値の転倒は感覚与件の切断を含んでいた。個人的な振る舞いが主体の素朴な教父の嘘言は広域的な言行不一致になった。物理的な内容が伝達・継承される。それがビザンツ帝国の外郭の内部で顕在化した。

近世以降

ジャーゴンと思想

原点は、超国家的法の烙印である。それは無節操な法の脱落だった。同時期のフランシス・ベーコンの科学は測地学統計学によって立脚される数学に例えられる。

最初のリヴァイアサンは、法実践者だった。ガウシアン数学の成立はその後のことであり、プラグマティックな気運の高まりに反発して起こされたボストン茶会事件1773年のことだったが、更に後の1777年である。

第二のビヒモスは失敗だった。その中心教理と目される内容は、主体的な図式であることを抜きにしても本体はエールに過ぎず、政策論である。悪質性は弱いが否定性が高い。

第三の悪魔は臍の緒である。自然必然性によって特徴付けられる以上、最初の物自体は、最初のリヴァイアサンに対しての非難であると同時に距離感を踏まえたその同一性の説明でもあるという解釈は成り立つ。

本質的な相違はワトキンスによって次のように特徴付けられている。ワトキンスが用意した真理値を念頭に置かない2つの定立は、正確に理解できる内容になる。同様の過失はハーバーマスも犯している。

次のような二つの命題が、広く論じられてきた。その内の一つは、哲学的諸観念は道徳や政治に対していかなる意味も持ち得ないという命題であり、もう一つの命題は、トップレベルの道徳・政治上の諸原理については理性的討論が不可能だというものである。わたくしは、このケーススタディによって、この二つの命題がともに誤りであることが明らかにされたものと希望して止まない。 — 『ホッブズの諸観念の大系』第2版、 J・W・N・ワトキンス1973年、強調引用者

それは玉座の天使としてのヘーゲルによって補填される実践体系である。そして、プラグマティズムとは対照的である。そのフレキシビリティがビンテージである程価値は高い。なぜならそれは、有用な指標となり得るからである。

デカルトスピノザライプニッツバークリーヒュームは、いずれも、17世紀から18世紀の中核的な思想で、穏健な語彙で重厚な玄理を伝えている。充実した研究が図られたものの、前述の影響が顕著である。その影響は懸念のかたちで確認することも可能だ。デカルト、スピノザ、ライプニッツは、いずれも数学的な性質を特に重視した。それは以降の研究者についても認められる[15]。以下に、便宜的に補足を述べる。

デカルトによって確保された近世の地平が、スピノザによって再解釈され、中世との齟齬を発展的に解消するすることを目指す機運が生じた。その後、ライプニッツにより、デカルトによって開かれた語彙で、形而上学モナドロジーが綴られた。それは、中世の論理学を再解釈した内容に基づく。個人を超えた基礎の研究の意義を認めることができる。

バークリーは、経験論の立脚点であり、形而上学ならびに神学、そしてまた神の存在証明に象徴される意味論的な内容に対する、根底的な示唆を生んでいる。他方では、常識学派の原型ともなっている。

ヒュームは、バークリーによって確かめられた経験論を拡張して、バークリー固有の問題の解消を試みた。その他方には、経験論の後退とデカルト冪の限界を見て取ることが可能だ。

クーデターを起こした軍人によって作られたピタゴラスの三角形が挫かれると、その後の動向は更に分岐する。

更に後年の研究者であるフーコーが人間の分野について述べていることはそのようなことである。理性の中核はフーコーの中では、イタリックで示された相対主義の部品に過ぎない。そこに感受性の低下を認めることができる。そして、周辺状況の悪化が見て取れる。

新しい人間主義の凡ゆる幻想、人間についての、半ば実証的半ば哲学的な一般的反省として理解された「人間学」の凡ゆる安易さが、そこから生まれて来ている。しかしながら、人間とは最近の発明品、二世紀も経っていない一形象、わたしたちの知の単なる折り目に過ぎず、知が新しい形式を見出しさえすればすぐにでも消え去るものだと考えることは、わたしたちのとって慰めであり、深い安らぎでもあろう。 — 『言葉と物』、ミシェル・フーコー1966年
教示的人生と空虚

力学原理は安定化した数多の知識階層による入念な観測によって認められた。多数の観測点と選択公理によって成立した時空は、一切の宥和よりも高く、その全体は部分よりも多い。

フィヒテシェリングが生んだ体系は、抽象的な対象の同一性、主語の交換によって変化しない同一性、変化を伴っても認められる同一性、論理的には棄却される内容の同一性を、扱うことができる。だからフィヒテとシェリングは二人よりも高い世界を知ると看做せる。

ヘーゲルは発展の段階であり、新論理学の幕開けを予告している。音声中心主義批判の主要かつ内的な焦点に数える。

数学者達の招きによって導かれた1910年から1913年にかけての、超数規模の一大コンベンションは、複数の体系を樹立した。その物理学は著書名にも認められる。『原理』は古典的な行動についての倫理でもあり、『論考』は『叙説』に対する反動としての性質も有する。

数学原理』が成立した当時の内容についての一節を挙げる。デリダはその過程を音声中心主義が明確化する契機として述べている。

真理についての凡ゆる形而上学的規定は、ハイデガーが形而上学的なオントセオロジーを超えて我々をそこへ呼び戻す真理の規定さえ、ロゴスの審級と、あるいはロゴスの系譜において考えられた理性の審級と、多かれ少なかれ直接的に不可分である。ロゴスをどんな意味で理解しようと、つまりソクラテス以前的意味であれ、哲学的意味であれ、神の無限の知性という意味であれ、人間学的意味であれ、ヘーゲル以前的意味であれ、ヘーゲル以後的意味であれ、その点に変わりはない。ところでこのロゴスにおいては、声との根源的かつ本質的な絆が断たれたことはかつて無かった。多かれ少なかれ暗黙裡に規定されて来たように、声の本質は、ロゴスとしての思考の中で意味に関係し、それを生み出し、受け取り、言及し、結集するものと、直接的に近接している。声と存在との、声と存在と意味との、声と意味のイデア性との絶対的近接。 — 『グラマトロジーについて』、ジャック・デリダ1967年

フレーゲは遠方の体系とも大陸の大理論とも距離を取り先進的な表記法を確立した。急性な動向には抗ったこともあった。集合論を恣意的に限定するだけでは意味論は得られないのでフレーゲの功績は大きい。

ラッセルは学派についての二肢からヘーゲル派として歩むことを選んだ。その後、共産主義者を含む人々に自己自身を立脚する権利を獲得するように要求された。実態を無視したその暴力は永井成男を破壊したが、当然世間の釈明は無い。ラッセルが用意した論理的原子論と中性的一元論は、ウィトゲンシュタインのムーア主義言語観に対する脚注でもある。これは、現代の思考法としても知られる。

ウィトゲンシュタインの思索は、形式的には、クワインによって引き継がれている。その後、存在と存在によって紡がれたスペキュレイティブにより、クワインとデイヴィドソンは関連付けられる。これにより、政治宗教の庇護に依らずに、思想と決別する途が用意された。 その他方では、マックス・ヴントにより否定された途は、ジョン・デューイに引き継がれた。

アリス・ピアソル・スミスアリス・アンブローズマーガレット・デイヴィドソンマーシャ・キャヴェルらによって席巻された文壇は、この時代の特徴でもある。

以下は、ラッセルが用意した意味と論理についての帰結である。

一九三二年以降における私の大部分の仕事がそうであるように、本書においても私は、調査研究やその他多くの点において、妻パトリシア・ラッセルに大きい援助を受けた。 — 『西洋哲学史と最古の時代から現代までのその政治的かつ社会的な諸周辺状況との関係』、バートランド・ラッセル1945年
そのような哲学的方法を実践するにあたり獲得された綿密な誠実性というものは、人間活動の全領域に拡張しうるのであって、それが存在するところでは常に、熱狂的態度は減殺され、同情と相互理解の能力増進をもたらすことができる。その独断的な数々の自負を一部分放棄するとしても、哲学はある生き方を示唆したまま鼓舞することを止めないのである。 — 同
技術とバーバリアン

数学原理はデミウルゴスとベルフェゴールではない。その凱旋門は科学試験ではない。統一科学が理解されると哲学における科学についての説明が理解される。科学哲学批判は、脱ヘーゲルによる正常化の運動に数えられる。ドイツ国内でさえ、少なくとも現状では、それによる実質的な支障は生じていない。国内では既に感情論となっている。ドイツは世界最大の化学メーカーBASFを擁する科学立国である。 科学哲学についての厳正な評価についても、上述のことは有益な手掛りになる。

技術についての代表的な人物としてホワイトヘッドを挙げることができる。体裁については、回帰現象が認められることを踏まえても形式的ではあるが儀礼的習慣を弁えていることは認められる、ホワイトヘッドの文芸は、マッシブでフィジカルなことを度外視しても処遇相応の扱いと呼ぶには若干ながら文芸としての瑕疵が顕著である。しかも規範性が無い。職習慣に関しても節操が懸念される。それはダメットの最初の著書により註釈が加えられた体系であると言える。

ダメットにより明確になった[16]、ホワイトヘッド自身による有名な一節がある。局在化した内的な声を留保した段階での抽象観念を接続しただけのその反プラトニズムは、時間に対する責任の放棄同様である。そして自身の個性と可能性についての高らかな宣言である。

ヨーロッパの哲学的伝統の最も安全で包括的な特徴付けは、それがプラトンへの一連の脚注からなるというものだ。 — 『過程と実在』、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド1929年
生活と基礎

アーサー・ショーペンハウアーは、英語化済みのドイツ語を広めたとも言えるし、母語をドイツ語化したとも言える。真の微分学とさえ言える。ハイデガーは、ショーペンハウアーによって予告されたアズラエルだった。それは、1905年のラッセルの気付きは非本質であるという意味である。ハイデガーの疑念符は技術への問いで締め括られている。カルナップのハムと集会はその後のことである。

ニーチェには実証主義者としての側面がある。ブーバーは渦巻きのようなニーチェとは異なる図式を示した。ガダマーによって補填されるニーチェの解釈には課題が多い。

サルトルは、普遍的な動向とも共時的な動向とも異なる自身の真理性を徹底する実存主義を広めた。

ベルクソンは、数学のアレゴリーとしても存立しているが、倫理の制止によってその熱を奪われる。そして、ドゥルーズとデリダは、無よりも微少で論理的な過剰補正を提示する。

オースティンは、ドドソンよりは具体的な研究を残した。別の国の研究者の仕事によって補填されている。

有史以来の伝統に逆らわずに、ジェイムズは、先行して存立していたその主体的な思想を踏まえて、プラグマティズムと名付けた。プラグマティズムと同時に存立するそのオルガノンは、具体的な思想であり、世界中に存在している。

科学者生活についての転倒はフッサールによって述べられた。判断中止を補填したことでも知られるフッサールは超越論的還元を遂行する。

具体的な生活世界は科学的に真な世界にとってはその基礎となる地盤であると同時に、その固有の普遍的具体性においては、科学的に真な世界を包摂しているのである。 — 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、エトムント・フッサール1936年

主要人物

世界

日本

脚注

  1. ^ 哲学と心理学の学際領域の研究が確認できる
  2. ^ 飯田隆「分析哲学としての哲学/哲学としての分析哲学」『現代思想』32巻8号、2004年、48-57頁。ISBN 9784791711239
  3. ^ 古典的には、数学的命題のかたちで表された特徴がある
  4. ^ 一階述語論理に対する反省の背景として、言語と論理についての、認識論と存在論の妥当性が挙げられる
  5. ^ (非文に対する)平文による定式化は不活発である
  6. ^ 初期の研究には、論理の実証の検討も含まれる
  7. ^ 山本巍今井知正宮本久雄・藤本隆志・門脇俊介・野矢茂樹・高橋哲哉『哲学:原典資料集』東京大学出版会、1993年。ISBN 4130120522 ISBN 978-4130120524
  8. ^ a b 京都大学大学院文学研究科 応用哲学・倫理学教育研究センター”. 2021年1月18日閲覧。
  9. ^ a b Members – Network for Analytic Asian Philosophy”. aap.bun.kyoto-u.ac.jp. 2021年1月18日閲覧。
  10. ^ 末木剛博『東洋の合理思想』講談社現代新書 1970(増補新版 法蔵館 2001)
  11. ^ 黒崎宏『ウィトゲンシュタインから道元へ 私説『正法眼蔵』』哲学書房 2003
  12. ^ 香春「リチャーズによる哲学的メタファー論の復活」『名古屋大学人文学研究論集』第2巻、2019年、1頁。 
  13. ^ バートランド・ラッセル:著 高村夏輝:訳『論理的原子論の哲学』筑摩書房、2007年、168;235頁。 ハーバート・ジャイルズによって英訳された『荘子』に出てくる、名家の学説「黄馬驪牛三」を、クラス英語版の実在についての学説として解釈している)
  14. ^ Richards, I. A. Mencius on the Mind: Experiments in Multiple Definition (Kegan Paul, Trench, Trubner & Co.: London; Harcourt, Brace: New York, 1932).
  15. ^ 通俗的な数学に対してのイメージとは相違するという感想が出る場合があるが、当時からの諸分野の性質並びに関係を正しく理解した説明である。現代においても、その相対的な関係にはほぼ違いが無い
  16. ^ ファブリス・パトー「ダメットとの対話」『思想』第九五四号、岩波書店、2003年、73-105頁。

関連項目

外部リンク