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高校は[[東京都]]の[[東海大学菅生高等学校]]に進学<ref name="sponichi200122"/>。3年春に甲子園大会に出場した<ref name="sponichi200122"/>。当時は投手も兼任しており、[[二刀流]]の選手でもあった<ref name="sponichi150916">{{cite news|title=東海大菅生・勝俣がプロ志望届 U―18W杯で打率、打点の2冠|publisher=スポーツニッポン|date=2015-09-16 |url= |
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高校卒業後、[[千葉県大学野球連盟]]の[[国際武道大学野球部|国際武道大学]]に進学した<ref name="sponichi200122"/>。大学時代は1年春から内野手のレギュラーとして活躍<ref name="sponichi200122"/>。2年春には首位打者を獲得し、4年春にはリーグ通算100安打を達成する<ref name="sponichi200122"/>。大学野球日本代表に選出されるなどの実績を残した<ref name="sponichi200122"/>。また4年時には主将も務めていた<ref name="sponichi190109">{{cite news|title=15年U18W杯戦士 大学で4人が主将就任、チーム統率ぶりに注目|publisher=スポーツニッポン|date=2019-01-09 |url= |
2021年1月7日 (木) 21:02時点における版
オリックス・バファローズ #0 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県足柄下郡箱根町 |
生年月日 | 1997年7月20日(27歳) |
身長 体重 |
177 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2019年 ドラフト5位 |
初出場 | 2020年6月24日 |
年俸 | 800万円(2020年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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勝俣 翔貴(かつまた しょうき、1997年7月20日 - )は神奈川県足柄下郡箱根町出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
経歴
プロ入り前
中学時代は「小田原足柄リトルシニア」でプレー[1]。
高校は東京都の東海大学菅生高等学校に進学[1]。3年春に甲子園大会に出場した[1]。当時は投手も兼任しており、二刀流の選手でもあった[2]。その後の高校野球日本代表にも同世代の小笠原慎之介やオコエ瑠偉、2学年下の清宮幸太郎らとともに選出された[3]。WBSC U-18ワールドカップでは首位打者と打点王に輝き[1]、ドラフト候補にも名が上がったためプロ志望届を提出するが、2位以上での指名を志望していたことが原因か指名漏れをした[1]。高校時代の監督は元中日ドラゴンズの投手の若林弘泰、1学年上には読売ジャイアンツの髙橋優貴がいた。
高校卒業後、千葉県大学野球連盟の国際武道大学に進学した[1]。大学時代は1年春から内野手のレギュラーとして活躍[1]。2年春には首位打者を獲得し、4年春にはリーグ通算100安打を達成する[1]。大学野球日本代表に選出されるなどの実績を残した[1]。また4年時には主将も務めていた[4]。2019年10月のドラフト会議ではオリックス・バファローズから5位で指名を受けた。これにより箱根町出身者では初めてのプロ野球選手となった[1]。
プロ入り後
2020年3月3日のオープン戦では、12球団の新人一番乗りとなるバックスクリーンへの本塁打を放った。
選手としての特徴
高校時代は投手も兼任しており、当時のストレートの最速は144km/hをマークしていた[2]。50メートル走は6.4を記録[1]。広角へ強い打撃ができることがセールスポイント[5]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2020 | オリックス | 5 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 5 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
三塁 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2020 | オリックス | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2020年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初打席:2020年6月24日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(ZOZOマリンスタジアム)、9回表に大城滉二の代打で出場、益田直也から空振り三振
- 初先発出場:2020年6月25日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ZOZOマリンスタジアム)、6番・三塁手で先発出場
- その他の記録
- プロ初打席から8打席連続三振 ※史上初
背番号
- 0(2020年 - )
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k “【20年版球界新士録(8)】オリックスドラ5 勝俣翔貴 5年前に指名漏れ…悔しさ糧に磨いた打撃で成長”. スポーツニッポン. (2020年1月22日) 2020年2月24日閲覧。
- ^ a b “東海大菅生・勝俣がプロ志望届 U―18W杯で打率、打点の2冠”. スポーツニッポン. (2015年9月16日) 2020年2月24日閲覧。
- ^ “高校日本代表に清宮、小笠原ら20選手 U―18W杯”. スポーツニッポン. (2015年8月20日) 2020年2月24日閲覧。
- ^ “15年U18W杯戦士 大学で4人が主将就任、チーム統率ぶりに注目”. スポーツニッポン. (2019年1月9日) 2020年2月24日閲覧。
- ^ “オリックスのドラ5国際武道大・勝俣 契約金3000万円、年俸800万円で仮契約 背番号0”. スポーツニッポン. (2019年11月26日) 2020年2月24日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 勝俣翔貴 - NPB.jp 日本野球機構