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「1951年の政治」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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* [[1月20日]]
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** [[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]党大会。国内治安、海上保安力整備、警察制度改革を主張。
** [[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]党大会。国内治安、海上保安力整備、警察制度改革を主張。
** [[国民民主党 (日本 1950-1952)#国民民主党 (日本1950-1952)|国民民主党]]党大会。幹事長に[[三木武夫]]を選出。再軍備を主張。
** [[国民民主党 (日本 1950)#国民民主党 (日本1950-1952)|国民民主党]]党大会。幹事長に[[三木武夫]]を選出。再軍備を主張。
* [[1月25日]] - ダレス特使再来日。[[吉田茂]]首相との第1回会談で対日講和7原則を提出。
* [[1月25日]] - ダレス特使再来日。[[吉田茂]]首相との第1回会談で対日講和7原則を提出。



2020年12月26日 (土) 10:38時点における版

1951年の政治では、1951年昭和26年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと

1月

2月

3月

4月

マッカーサー(右下)の解任を知らせる世界通信・政治版。

5月

貞明皇后崩御。病身の夫君大正天皇を支え、養蚕、救癩事業に尽力した(画像は、1912年撮影)
音羽御殿と称された鳩山一郎邸(現在の鳩山会館

6月

7月

8月

9月

サンフランシスコ平和条約に調印する吉田茂とそれを見守る日本全権団

10月

  • 10月1日から4日 - 社会党中央執行委員会開催。条約承認について党議決定方法に関し左右両派が対立。
  • 10月4日
    • 社会党中執委採決で講和条約賛成・安保条約反対に決定。
    • 出入国管理令公布。
  • 10月10日 - 第12臨時国会召集(11月30日閉会)。
  • 10月10日 - 社会党第8回党大会。
  • 10月24日 - 社会党臨時党大会。条約承認の賛否をめぐり、社会党は左右両派に分裂。
  • 10月26日 - 衆議院、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約締結を承認。
    • サンフランシスコ条約賛成307票、反対47票。安保条約賛成289票、反対71票。
  • 10月末まで、12万0261名の公職追放解除が決定。

11月

  • 11月1日 - 出入国管理令実施。
  • 11月18日 - 参議院、サンフランシスコ平和条約締結を承認、内閣が批准
    • サンフランシスコ条約賛成174票、反対45票。安保条約賛成147票、反対76票。
  • 11月23日 - 日米行政協定交渉のため、米国務省のラスク次官補が来日。

12月

この年、イスラエルは「帰還法」「不在者財産法」の二法を制定。