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また、[[北陸鉄道]]設立時の初代社長や金沢商工会議所会頭、石川県商工会議所会頭<ref name="kodansha-japanese-name-dictionary-2001" />、[[エフエム東京]]代表取締役会長<ref name="kodansha-japanese-name-dictionary-2001" />も務めた。 |
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[[1947年]](昭和22年)、大和を辞して[[第1回参議院議員通常選挙]]にて[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党]]公認で[[石川県選挙区]]より出馬し、[[参議院議員]]に初当選。のちに[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党]]、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に参加。国民民主党が[[新政クラブ]]と共に[[改進党]]を結成した時には、それに参加せず、自由党に移籍した。通算当選3回、落選2回。[[第4次吉田内閣]]の[[国務大臣]]として地元の石川県で[[内灘闘争|内灘試射場]]の用地接収にあたった<ref name="labour-year-book-japan-27-1955" />。この接収への反対運動が盛り上がったため[[1953年]](昭和28年)[[4月24日]]の[[第3回参議院議員通常選挙]]では現職閣僚ながら落選した<ref name="labour-year-book-japan-27-1955" />が、辞任はせず[[5月21日]]の[[内閣改造]]までの27日間引き続き閣僚にとどまった。 |
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[[1973年]](昭和48年)4月に委員長として学校法人松雲学園設立準備委員会を発足させ、[[1975年]](昭和50年)11月16日には松雲学園(現学校法人北陸大学)理事長として[[北陸大学]]を開学させる<ref name="shoun-institute-10years-1985">{{Cite book | 和書 | authors =松雲学園十年史編集委員会 | title = 松雲学園十年史 | publisher = 松雲学園(現[[北陸大学]]) | year = 1985}}</ref>など晩年まで精力的に活動を続けた。 |
[[1973年]](昭和48年)4月に委員長として学校法人松雲学園設立準備委員会を発足させ、[[1975年]](昭和50年)11月16日には松雲学園(現学校法人北陸大学)理事長として[[北陸大学]]を開学させる<ref name="shoun-institute-10years-1985">{{Cite book | 和書 | authors =松雲学園十年史編集委員会 | title = 松雲学園十年史 | publisher = 松雲学園(現[[北陸大学]]) | year = 1985}}</ref>など晩年まで精力的に活動を続けた。 |
2020年12月26日 (土) 10:33時点における版
林屋 亀次郎 はやしや かめじろう | |
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生年月日 | 1886年6月1日[1] |
出生地 | 石川県 |
没年月日 | 1980年5月4日(93歳没)[1] |
前職 | 会社会長 |
所属政党 |
(民主党→) (国民民主党→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
勲一等瑞宝章(1972年(昭和47年)) 金沢市名誉市民(1978年(昭和53年)) |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1947年5月3日 - 1953年5月2日 1956年7月8日 - 1968年7月7日 |
内閣 | 第4次吉田内閣 |
在任期間 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 |
林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉6月1日 - 1980年〈昭和55年〉5月4日[1])は、石川県金沢市生まれの日本の実業家[1]、政治家[1]である。参議院議員(3期)[1]。
来歴・人物
製茶業を営む父新兵衛の8男として生まれる[2]。金沢商業学校卒業[1]。
1930年(昭和5年)金沢市内に当時としては数少ない鉄筋コンクリートの商業ビルを建設、テナントとして三越金沢店を入居させる[3]。1935年(昭和10年)三越との契約切れを待って同年9月に丸越百貨店を開業するが[4]、1943年(昭和18年)12月21日に戦時統合により宮市大丸百貨店と合併し大和百貨店となり会長に就任[4]。このとき社長に就任したのが後に第3回参議院議員通常選挙では現職閣僚ながら落選した際の相手候補となった[5]井村徳二であった[4]。
また、北陸鉄道設立時の初代社長や金沢商工会議所会頭、石川県商工会議所会頭[1]、エフエム東京代表取締役会長[1]も務めた。
1947年(昭和22年)、大和を辞して第1回参議院議員通常選挙にて民主党公認で石川県選挙区より出馬し、参議院議員に初当選。のちに国民民主党、自由党、自由民主党に参加。国民民主党が新政クラブと共に改進党を結成した時には、それに参加せず、自由党に移籍した。通算当選3回、落選2回。第4次吉田内閣の国務大臣として地元の石川県で内灘試射場の用地接収にあたった[5]。この接収への反対運動が盛り上がったため1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙では現職閣僚ながら落選した[5]が、辞任はせず5月21日の内閣改造までの27日間引き続き閣僚にとどまった。
1973年(昭和48年)4月に委員長として学校法人松雲学園設立準備委員会を発足させ、1975年(昭和50年)11月16日には松雲学園(現学校法人北陸大学)理事長として北陸大学を開学させる[6]など晩年まで精力的に活動を続けた。
丸越や北陸鉄道など林屋が初代社長を勤めた企業の経営を名古屋鉄道が引継いだことから、同社の元社長・会長の土川元夫との関係も深い。土川が犬山市にある名鉄犬山ホテルの隣接地に織田有楽斎の作で国宝の茶室「如庵」の移設を完了させた際には、僅か20人ほどの出席者の一員として夫妻共々招かれて同席している[7]。
兄にニッコーの創業者の一人である林屋次三郎(二男)[2]、甥に日本古代中世史研究で著名な京都大学教授、京都国立博物館館長を務めた林屋辰三郎がいる[8]。
1980年(昭和55年)5月4日死去。享年93。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第1回参議院議員通常選挙 | 1947年4月20日 | 石川県地方区 | 民主党 | 115,048 | 40.7 | 1/4 | - | - | |
落 | 第3回参議院議員通常選挙 | 1953年4月24日 | 石川県地方区 | 無所属 | 194,279 | 46.6 | 2/3 | - | - | |
当 | 第4回参議院議員通常選挙 | 1956年7月8日 | 石川県地方区 | 自由民主党 | 268,824 | 68.5 | 1/3 | - | - | |
当 | 第6回参議院議員通常選挙 | 1962年7月1日 | 石川県地方区 | 自由民主党 | 222,535 | 55.7 | 1/4 | - | - | |
落 | 第8回参議院議員通常選挙 | 1968年7月7日 | 石川県地方区 | 自由民主党 | 167,460 | 32.2 | 2/4 | - | - | |
当選回数3回 (参議院議員3) |
脚註
- ^ a b c d e f g h i 上田正昭 平山郁夫 西澤潤一 三浦朱門『講談社 日本人名大辞典』講談社、2001年12月6日。ISBN 4-06-210800-3。
- ^ a b 重利俊一『日本硬質陶器58年の歩み』日本硬質陶器(現ニッコー )、1965年10月20日。
- ^ 大岡聡「昭和戦前・戦時期の百貨店と消費社会」『成城大学経済研究所研究報告no.52』、成城大学経済研究所、2009年4月。
- ^ a b c 大和五十年史刊行委員会『大和五十年のあゆみ』大和、1972年9月。
- ^ a b c 法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 第27集 1955年版』時事通信社、1954年11月5日。
- ^ 松雲学園十年史編集委員会『松雲学園十年史』松雲学園(現北陸大学)、1985年。
- ^ “表千家家元と有楽苑”. 表千家愛知県同門会だより 第12号 (表千家 愛知県同門会) (1999-9).
- ^ “大変容の金沢駅前を探索 あすから「城北から城西」前編”. 北國新聞 (北國新聞社). (2009年11月6日)
参考文献
- 北国新聞社政治部『陣太鼓―林屋亀次郎が行く』北国新聞社 北国出版社、1976年。
関連項目
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 大野木秀次郎 |
国務大臣 1952年 - 1953年 |
次代 緒方竹虎 |
党職 | ||
先代 重宗雄三 |
自由民主党参議院議員会長 第5代 : 1961年 - 1965年 |
次代 青木一男 |