「1991年ウィンブルドン選手権」の版間の差分
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* 女子シングルス準々決勝で、当時15歳3ヶ月の[[ジェニファー・カプリアティ]]が大会前年優勝者の[[マルチナ・ナブラチロワ]]を破る勝利を挙げた。前年から世界を席巻していたテニスの“天才少女”は、続く準決勝で第2シードの[[ガブリエラ・サバティーニ]]に敗れた。 |
* 女子シングルス準々決勝で、当時15歳3ヶ月の[[ジェニファー・カプリアティ]]が大会前年優勝者の[[マルチナ・ナブラチロワ]]を破る勝利を挙げた。前年から世界を席巻していたテニスの“天才少女”は、続く準決勝で第2シードの[[ガブリエラ・サバティーニ]]に敗れた。 |
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* 大会第1週に雨が多く、試合日程の消化が大幅に遅れたため、日曜日の休養日「ミドル・サンデー」(6月30日)を返上して試合が行われた。ウィンブルドン選手権の歴史を通じて、この伝統が破られたのは史上初めての出来事であった。 |
* 大会第1週に雨が多く、試合日程の消化が大幅に遅れたため、日曜日の休養日「ミドル・サンデー」(6月30日)を返上して試合が行われた。ウィンブルドン選手権の歴史を通じて、この伝統が破られたのは史上初めての出来事であった。 |
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* 注意点:[[1991年]]は[[ソ連崩壊]]の年であり、[[ユーゴスラビア]]でも紛争のため[[クロアチア]]などの独立国家が誕生した。「シード選手」の一覧において、旧ソ連出身選手や旧ユーゴスラビア出身選手の国籍表示は注意を要する。 |
* 注意点:[[1991年]]は[[ソビエト連邦の崩壊]]の年であり、[[ユーゴスラビア]]でも紛争のため[[クロアチア]]などの独立国家が誕生した。「シード選手」の一覧において、旧ソ連出身選手や旧ユーゴスラビア出身選手の国籍表示は注意を要する。 |
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== 外部リンク == |
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2020年12月25日 (金) 23:57時点における版
1991年 ウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon 1991)は、イギリス・ロンドン郊外にある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」にて、1991年6月24日から7月7日にかけて開催された。
シード選手
男子シングルス
- ステファン・エドベリ (ベスト4)
- ボリス・ベッカー (準優勝)
- イワン・レンドル (3回戦)
- ジム・クーリエ (ベスト8)
- アンドレ・アガシ (ベスト8)
- ミヒャエル・シュティヒ (初優勝)
- ギー・フォルジェ (ベスト8)
- ピート・サンプラス (2回戦)
- マイケル・チャン (1回戦)
- ゴラン・イワニセビッチ (2回戦) [注:クロアチアの独立国家は6月25日に成立。大会開幕時はユーゴスラビア領]
- エミリオ・サンチェス (1回戦)
- アンドレイ・チェルカソフ (1回戦)
- ヤコブ・ラセク (2回戦)
- カレル・ノバチェク (4回戦)
- ブラッド・ギルバート (3回戦)
- ジョン・マッケンロー (4回戦)
女子シングルス
- シュテフィ・グラフ (優勝、2年ぶり3度目)
- ガブリエラ・サバティーニ (準優勝)
- マルチナ・ナブラチロワ (ベスト8)
- アランチャ・サンチェス (ベスト8)
- メアリー・ジョー・フェルナンデス (ベスト4)
- ヤナ・ノボトナ (2回戦)
- ジーナ・ガリソン (ベスト8)
- カテリナ・マレーバ (4回戦)
- ジェニファー・カプリアティ (ベスト4)
- ヘレナ・スコバ (1回戦)
- ナタリー・トージア (4回戦)
- ナターシャ・ズベレワ (2回戦)
- アンケ・フーバー (4回戦)
- エミー・フレージャー (4回戦)
- サンドラ・チェッキーニ (1回戦)
- ジュディス・ヴィースナー (4回戦)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
- ステファン・エドベリ vs. シェリー・シャンピオン 6-3, 6-2, 7-5
- ミヒャエル・シュティヒ vs. ジム・クーリエ 6-3, 7-6, 6-2
- デビッド・ウィートン vs. アンドレ・アガシ 6-2, 0-6, 3-6, 7-6, 6-2
- ボリス・ベッカー vs. ギー・フォルジェ 6-7, 7-6, 6-2, 7-6
準決勝
- ミヒャエル・シュティヒ vs. ステファン・エドベリ 4-6, 7-6, 7-6, 7-6
- ボリス・ベッカー vs. デビッド・ウィートン 6-4, 7-6, 7-5
女子シングルス
準々決勝
- シュテフィ・グラフ vs. ジーナ・ガリソン 6-1, 6-3
- メアリー・ジョー・フェルナンデス vs. アランチャ・サンチェス 6-2, 7-5
- ジェニファー・カプリアティ vs. マルチナ・ナブラチロワ 6-4, 7-5
- ガブリエラ・サバティーニ vs. ローラ・ギルデマイスター 6-2, 6-1
準決勝
- シュテフィ・グラフ vs. メアリー・ジョー・フェルナンデス 6-2, 6-4
- ガブリエラ・サバティーニ vs. ジェニファー・カプリアティ 6-4, 6-4
決勝戦の結果
- 男子シングルス
- ミヒャエル・シュティヒ vs. ボリス・ベッカー 6-4, 7-6, 6-4
- 女子シングルス
- シュテフィ・グラフ vs. ガブリエラ・サバティーニ 6-4, 3-6, 8-6
- 男子ダブルス
- ジョン・フィッツジェラルド& アンダース・ヤリード vs. ハビエル・フラナ& レオナルド・ラバル 6-3, 6-4, 6-7, 6-1
- 女子ダブルス
- ナターシャ・ズベレワ& ラリサ・サブチェンコ vs. ジジ・フェルナンデス& ヤナ・ノボトナ 6-4, 3-6, 6-4
- 混合ダブルス
- ジョン・フィッツジェラルド& エリザベス・スマイリー vs. ジム・ピュー& ナターシャ・ズベレワ 7-6, 6-2
みどころ
- 男子シングルス決勝で、テニス4大大会史上初の「ドイツ対決の決勝」が実現した。ミヒャエル・シュティヒがボリス・ベッカーを破って4大大会初優勝。女子シングルス優勝のシュテフィ・グラフと合わせて、この大会の男女シングルスは2年ぶりの“ドイツ・アベック優勝”となった。グラフは1990年全豪オープン以来の4大大会優勝で、通算「10勝」は女子テニス史上7人目となる。
- 女子シングルス準々決勝で、当時15歳3ヶ月のジェニファー・カプリアティが大会前年優勝者のマルチナ・ナブラチロワを破る勝利を挙げた。前年から世界を席巻していたテニスの“天才少女”は、続く準決勝で第2シードのガブリエラ・サバティーニに敗れた。
- 大会第1週に雨が多く、試合日程の消化が大幅に遅れたため、日曜日の休養日「ミドル・サンデー」(6月30日)を返上して試合が行われた。ウィンブルドン選手権の歴史を通じて、この伝統が破られたのは史上初めての出来事であった。
- 注意点:1991年はソビエト連邦の崩壊の年であり、ユーゴスラビアでも紛争のためクロアチアなどの独立国家が誕生した。「シード選手」の一覧において、旧ソ連出身選手や旧ユーゴスラビア出身選手の国籍表示は注意を要する。
外部リンク
先代 1991年全仏オープンテニス |
テニス4大大会 1991年 |
次代 1991年全米オープンテニス |
先代 1990年ウィンブルドン選手権 |
ウィンブルドン選手権 1991年 |
次代 1992年ウィンブルドン選手権 |