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[[ソビエト連邦の崩壊]]後、ソ連軍の主力はロシア連邦軍へ移行した。第11、第56、第83の3個空挺旅団はロシア連邦軍成立後の一時期、[[ロシア連邦陸軍]]の空中襲撃旅団に改編転属されていたが、2013年11月に再び空挺軍の隷下とされた<ref>『平成27年版[[防衛白書]]』第1章第4節</ref>。 |
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2018年の編制は、降下・襲撃師団(空挺/ヘリボーン)x2個師団、空挺師団(パラシュート降下)x2個師団、降下・襲撃旅団 x4個旅団、特別任務旅団 x1個旅団とされる<ref name="GK2018-10"/>。 |
2018年の編制は、降下・襲撃師団(空挺/ヘリボーン)x2個師団、空挺師団(パラシュート降下)x2個師団、降下・襲撃旅団 x4個旅団、特別任務旅団 x1個旅団とされる<ref name="GK2018-10"/>。 |
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2020年12月25日 (金) 23:50時点における版
ロシア空挺軍 Воздушно-десантные войска | |
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ロシア空挺軍の紋章 | |
創設 | 1930年代 |
国籍 | ロシア |
上級部隊 | ロシア連邦軍 |
主な戦歴 | |
ロシア空挺軍(ロシアくうていぐん、ロシア語: Воздушно-десантные войска; 略称ВДВ)は、ロシア連邦軍の独立兵科である空挺部隊。ロシアの機動戦力の主力を構成する。漸次、志願制に移行しつつある。
ブルー・ベレーと、青と白の横縞の水兵シャツを特徴とする。軍管区から独立しており、ロシア連邦軍参謀本部を通じて大統領直結で指揮を受ける。迅速介入部隊としての性格が強い。
2018年段階では、総兵力は約4万5千人と見積もられている[1]。5000人は2時間以内に出動できる態勢にあるとの推定もある[2]。
歴史
創設期
空挺軍の歴史はソビエト連邦時代、ヴォロネジ近郊のモスクワ軍管区空軍演習において、12名から成る空挺部隊がパラシュートで降下した1930年8月2日にその起源を遡る。最初の空挺部隊となったのは、1931年にレニングラード軍管区で編成された164名から成る航空強襲支隊だった。
1932年、ソ連革命軍事会議決定に基づき、大規模な空挺部隊の創設が決定され、1933年3月までに、白ロシア、ウクライナ、モスクワ及び沿ヴォルガ軍管区に1個航空強襲支隊を編成することが計画された。
1941年夏までに、各1万人の5個空挺軍団の兵員充足が終了した。ソ・フィン戦争(1939~1940年)時、第201、第204及び第214空挺旅団が地上部隊として実戦に投入された。
第二次世界大戦
独ソ戦開始と共に、5個空挺軍団全ては、ソ連全土において戦闘に投入された。首都モスクワ郊外での逆襲中、ドイツ軍のヴャゼムスク-ルジェフ-ユフノフスク集団の包囲及び撃破における西部及びカリーニングラード戦線部隊への協力のために、1942年初め、第4空挺軍団の空挺降下を伴うヴャゼムスク空挺作戦が行われた。これは、独ソ戦中最大の空挺作戦だった。ドイツ軍後方には、計1万人の空挺兵が降下した。空挺軍団の部隊は、敵後方に突破したP.A.ベーロフの騎兵隊と協力して、1942年6月まで戦闘行動を行った。戦闘は、ほぼ6ヶ月間にわたった。
1942年夏、スターリングラード周辺の戦況が悪化したため、大規模な戦略予備が必要とされた。そのため、最高司令部大本営は、10個空挺軍団を狙撃師団に再編成し、それを都市防衛に振り向けた。
1945年8月のソ連対日参戦時、4,000人以上の空挺兵が、満州国のハルビン、吉林、旅順及び南樺太(南サハリン)の飛行場に着陸し、関東軍など日本陸軍守備隊の行動を麻痺させた。
戦後
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ソビエト連邦の崩壊後、ソ連軍の主力はロシア連邦軍へ移行した。第11、第56、第83の3個空挺旅団はロシア連邦軍成立後の一時期、ロシア連邦陸軍の空中襲撃旅団に改編転属されていたが、2013年11月に再び空挺軍の隷下とされた[3]。 2018年の編制は、降下・襲撃師団(空挺/ヘリボーン)x2個師団、空挺師団(パラシュート降下)x2個師団、降下・襲撃旅団 x4個旅団、特別任務旅団 x1個旅団とされる[1]。
特徴的な軍服であるブルー・ベレーと、青と白の横縞の水兵シャツは、第二次世界大戦で武功を上げた海軍歩兵にあやかったもの。
組織
- 第7親衛空挺師団:ノヴォロシースク
- 第76親衛空挺師団:プスコフ
- 第98親衛空挺師団:イワノヴォ
- 第106親衛空挺師団:ツーラ
- 第11独立親衛空挺旅団
- 第31独立親衛空挺旅団:ウリヤノフスク
- 第56独立親衛空挺旅団
- 第83独立親衛空挺旅団
- 第45独立親衛特殊任務旅団:クビンカ ※スペツナズ(特殊部隊)
- 第1182親衛砲兵連隊:ナロ=フォミンスク
- 第38独立通信連隊:メドヴェージ・オジョーラ
- 第107独立高射ミサイル大隊:ドンスコイ
- 第322独立工兵大隊:ツーラ
- 第731独立通信大隊:ツーラ
- 第43独立修理・復旧大隊:ツーラ
- 第242空挺軍教育センター:オムスク
- 第266独立輸送飛行隊
- 第58独立ヘリ飛行隊:リャザン
- リャザン空挺軍大学:リャザン
装備
- 装甲車両
- 火砲
出典:[4]
歴代司令官
氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
---|---|---|---|---|
ワシーリー・グラズノフ | 中将 | 1941.9-1943.6 | ロシア帝国軍の下士官 | 第3空挺軍団長 |
アレクサンドル・カピトーヒン | 少将 | 1943.6-1944.8 | 親衛空挺師団長 | |
イワン・ザテヴァーヒン | 中将 | 1944.8-1946.1 | 独立親衛空挺軍司令官 | |
ワシーリー・グラゴレフ | 大将 | 1946.1-1947.10 | バキン指揮課程 | 第9親衛軍司令官 |
アレクサンドル・カザンキン | 中将 | 1947.10-1948.12 | 赤色指揮官課程 | 入院 |
セルゲイ・ルジェーンコ | 航空元帥 | 1948.12-1950.1 | カチン軍事飛行士学校 | 第16航空軍司令官 |
アレクサンドル・カザンキン | 中将 | 1950.1-1950.3 | 赤色指揮官課程 | |
アレクサンドル・ゴルバトフ | 上級大将 | 1950.3-1954 | 騎兵指揮課程 | 軍司令官 |
ワシーリー・マルゲロフ | 1954-1959.3 | 統合白ロシア軍事学校 | ||
イワン・トゥタリノフ | 大将 | 1959.3-1961.7 | ||
ワシーリー・マルゲロフ | 上級大将 | 1961.7-1979.1 | 統合白ロシア軍事学校 | |
ドミトリー・スホルコフ | 1978.12-1987.7 | レニングラード軍事工兵学校 | 中央軍集団司令官 | |
ニコライ・カリーニン | 大将 | 1987.8-1989.1 | レニングラード・スヴォーロフ士官学校 | シベリア軍管区司令官 |
ウラジスラフ・アチャロフ | 1989.1-1990.12 | カザン戦車赤旗学校 | レニングラード軍管区参謀長 | |
パーヴェル・グラチョフ | 上級大将 | 1991.1-1996.8 | リャザン高等空挺指揮学校 | 空挺軍副司令官 |
エフゲニー・ポドコルジン | 大将 | 1991.8-1996.12 | アルマ・アタ空挺軍学校 | 空挺軍参謀長 |
ゲオルギー・シュパク | 1996.12-2003.9 | リャザン高等空挺指揮学校 | 沿ヴォルガ軍管区参謀長 | |
アレクサンドル・コルマコフ | 2003.9-2006.12 | 極東軍管区副司令官 | ||
ワレリー・エフトゥホヴィッチ | 中将 | 2007.1-2009.5 | 空挺軍参謀長兼副司令官 | |
ウラジーミル・シャマーノフ | 2009.5- | ロシア連邦軍戦闘訓練・部隊勤務総局長 |
脚注
参考文献
- デービッド・C・イスビー著、林憲三訳『ソ連地上軍 兵器と戦術のすべて (元題:WEAPONS AND TACTICS OF THE SOVIET ARMY)』原書房、1987年。ISBN 4-562-01841-0。
関連項目
外部リンク
- ロシア連邦国防省公式サイト(ロシア語、英語)
- 第76親衛空挺師団公式サイト(ロシア語)
- 第100親衛空挺師団博物館(ロシア語、解散)
- 空挺軍博物館「空の親衛隊」(ロシア語)
- ロシア空挺軍非公式サイト(ロシア語)