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「ヒューム伯爵」の版間の差分

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その曽孫の第3代ヒューム卿[[アレクサンダー・ヒューム (第3代ヒューム卿)|アレクサンダー・ヒューム]]<small>(?-1516)</small>は、幼いスコットランド王[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェイムズ5世]]の摂政[[マーガレット・テューダー]]の補佐役を務めた。しかし彼は親イングランド派だったため、1516年に親仏派のオールバニ公{{仮リンク|ジョン・ステュワート (オールバニ公)|label=ジョン・ステュワート|en|John Stewart, Duke of Albany}}が摂政に就任するとイングランドと通じたとされて大逆罪で処刑された{{sfn|森護|1994|p=326}}。爵位もこの際に接収されたが、[[1522年]]に3代卿の弟である{{仮リンク|ジョージ・ヒューム (第4代ヒューム卿)|label=ジョージ・ヒューム|en|George Home, 4th Lord Home}} <small>(?-1549)</small>が第4代ヒューム卿を継承することを認められ、爵位は存続した<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10939.htm#i109384 |title=George Home, 4th Lord Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
その曽孫の第3代ヒューム卿[[アレクサンダー・ヒューム (第3代ヒューム卿)|アレクサンダー・ヒューム]]<small>(?-1516)</small>は、幼いスコットランド王[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェイムズ5世]]の摂政[[マーガレット・テューダー]]の補佐役を務めた。しかし彼は親イングランド派だったため、1516年に親仏派のオールバニ公{{仮リンク|ジョン・ステュワート (オールバニ公)|label=ジョン・ステュワート|en|John Stewart, Duke of Albany}}が摂政に就任するとイングランドと通じたとされて大逆罪で処刑された{{sfn|森護|1994|p=326}}。爵位もこの際に接収されたが、[[1522年]]に3代卿の弟である{{仮リンク|ジョージ・ヒューム (第4代ヒューム卿)|label=ジョージ・ヒューム|en|George Home, 4th Lord Home}} <small>(?-1549)</small>が第4代ヒューム卿を継承することを認められ、爵位は存続した<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10939.htm#i109384 |title=George Home, 4th Lord Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


その孫である6代ヒューム卿{{仮リンク|アレクサンダー・ヒューム (初代ヒューム伯爵)|label=アレクサンダー・ヒューム|en|Alexander Home, 1st Earl of Home}}<small>(1566頃–1619)</small>は、{{仮リンク|マーチェス管理長官|en|Lord Warden of the Marches}}、{{仮リンク|バーウィックシャー|en|Berwickshire}}[[シェリフ]]、{{仮リンク|スコットランド枢密院|label=スコットランド枢密顧問官|en|Privy Council of Scotland}}などを歴任して、[[1605年]][[3月4日]]にスコットランド貴族爵位'''ヒューム伯爵'''と'''ダグラス卿'''{{small|(Lord Dunglass)}}を与えられた<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p270.htm#i2699 |title=Alexander Home, 1st Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。この2つの爵位は直系非直系問わず男系男子(heirs male whatsoever)に継承される爵位だった。そのため、2代伯[[ジェイムズ・ヒューム (第2代ヒューム伯爵)|ジェイムズ・ヒューム]]<small>(?-1633)</small>の死で初代伯の直系が絶えた後も初代伯の先祖に遡った分流の3代ヒューム伯[[ジェイムズ・ヒューム (第3代ヒューム伯爵)|ジェイムズ・ヒューム]]<small>(1615頃–1666)</small>に継承されて爵位は存続した<ref name="CP EH">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/home1604.htm|title=Home, Earl of (S, 1604/5)|accessdate= 2016-01-29 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.3EH">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p21831.htm#i218308 |title=James Home, 3rd Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。以降この3代伯の子孫によって現在まで継承されている。
その孫である6代ヒューム卿{{仮リンク|アレクサンダー・ヒューム (初代ヒューム伯爵)|label=アレクサンダー・ヒューム|en|Alexander Home, 1st Earl of Home}}<small>(1566頃–1619)</small>は、{{仮リンク|マーチェス管理長官|en|Lord Warden of the Marches}}、{{仮リンク|バーウィックシャー|en|Berwickshire}}[[シェリフ]]、{{仮リンク|スコットランド枢密院|label=スコットランド枢密顧問官|en|Privy Council of Scotland}}などを歴任して、[[1605年]][[3月4日]]にスコットランド貴族爵位'''ヒューム伯爵'''と'''ダグラス卿'''{{small|(Lord Dunglass)}}を与えられた<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p270.htm#i2699 |title=Alexander Home, 1st Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。この2つの爵位は直系非直系問わず男系男子(heirs male whatsoever)に継承される爵位だった。そのため、2代伯[[ジェイムズ・ヒューム (第2代ヒューム伯爵)|ジェイムズ・ヒューム]]<small>(?-1633)</small>の死で初代伯の直系が絶えた後も初代伯の先祖に遡った分流の3代ヒューム伯[[ジェイムズ・ヒューム (第3代ヒューム伯爵)|ジェイムズ・ヒューム]]<small>(1615頃–1666)</small>に継承されて爵位は存続した<ref name="CP EH">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/home1604.htm|title=Home, Earl of (S, 1604/5)|accessdate= 2016-01-29 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.3EH">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p21831.htm#i218308 |title=James Home, 3rd Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。以降この3代伯の子孫によって現在まで継承されている。


11代伯{{仮リンク|コスパトリック・ヒューム (第11代ヒューム伯爵)|label=コスパトリック・ヒューム|en|Cospatrick Home, 11th Earl of Home}}<small>(1799–1881)</small>は、外務官僚として活躍し、[[1875年]][[6月11日]]に[[連合王国貴族]]爵位'''ラナーク州におけるダグラスのダグラス男爵'''{{small|(Baron Douglas, of Douglas in the County of Lanark)}}に叙された<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1081.htm#i10808 |title=Cospatrick Alexander Home, 11th Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。これにより以降の当主は1999年の貴族院改革まで自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列することになった。
11代伯{{仮リンク|コスパトリック・ヒューム (第11代ヒューム伯爵)|label=コスパトリック・ヒューム|en|Cospatrick Home, 11th Earl of Home}}<small>(1799–1881)</small>は、外務官僚として活躍し、[[1875年]][[6月11日]]に[[連合王国貴族]]爵位'''ラナーク州におけるダグラスのダグラス男爵'''{{small|(Baron Douglas, of Douglas in the County of Lanark)}}に叙された<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1081.htm#i10808 |title=Cospatrick Alexander Home, 11th Earl of Home|accessdate= 2015-08-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。これにより以降の当主は1999年の貴族院改革まで自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列することになった。

2020年12月4日 (金) 05:10時点における版

ヒューム伯爵

紋章記述

Quarterly: 1st & 4th grandquarters, quarterly: I & IV: vert a lion rampant argent armed and langued gules (Home); II & III: Argent three popinjays vert beaked and membered gules (Pepdie of Dunglas); overall an escutcheon or charged with an orle azure (Landale); 2nd & 3rd grandquarters, quarterly: I: Azure a lion rampant argent armed and langued gules crowned with an imperial crown or (Lordship of Galloway); II: Or a lion rampant gules armed and langued azure debruised of a ribbon sable (Abernethy); III: Argent three piles gules (Lordship of Brechin); IV: or a fess checky azure and argent surmounted of a bend sable charged with three buckles of the field (Stewart of Bonkill); over all on an inescutcheon argent a man's heart gules ensigned with an imperial crown proper and a chief azure charged with three mullets of the field (Douglas)
創設時期1605年3月4日
創設者ジェームズ6世
貴族スコットランド貴族
初代6代ヒューム卿アレクサンダー・ヒューム英語版
現所有者15代伯デイヴィッド・ダグラス=ヒューム英語版
相続人ダグラス卿マイケル・ダグラス=ヒューム
付随称号ヒューム卿
ダグラス卿
ダグラス男爵
現況存続
邸宅ザ・ハーセル英語版
旧邸宅ダグラス城英語版
ヒューム城英語版
ファスト城英語版
ボスウェル城英語版
モットーOver the first crest:A Home, a Home, a Home; Over the second crest: Jamais Arriére
(Never behindhand); Under the arms:True To The End

ヒューム伯爵英語: Earl of Home)は、スコットランド貴族伯爵位。

1473年創設のスコットランド貴族爵位ヒューム卿を前身とし、1603年に第6代ヒューム卿アレクサンダー・ヒューム英語版が叙されたのに始まる爵位である。14代伯爵アレクサンダー・フレデリック・ダグラス=ヒューム1963年から1964年にかけて首相を務めたことで著名である。

歴史

首相を務めた第14代ヒューム伯爵アレクサンダー・ダグラス=ヒューム

1473年8月2日ヒューム・クラン英語版の長であるアレクサンダー・ヒューム英語版スコットランド貴族爵位ヒューム卿(Lord Home)に叙されたのが、貴族としてのヒューム家の始まりである[1]

その曽孫の第3代ヒューム卿アレクサンダー・ヒューム(?-1516)は、幼いスコットランド王ジェイムズ5世の摂政マーガレット・テューダーの補佐役を務めた。しかし彼は親イングランド派だったため、1516年に親仏派のオールバニ公ジョン・ステュワート英語版が摂政に就任するとイングランドと通じたとされて大逆罪で処刑された[2]。爵位もこの際に接収されたが、1522年に3代卿の弟であるジョージ・ヒューム英語版 (?-1549)が第4代ヒューム卿を継承することを認められ、爵位は存続した[3]

その孫である6代ヒューム卿アレクサンダー・ヒューム英語版(1566頃–1619)は、マーチェス管理長官英語版バーウィックシャー英語版シェリフスコットランド枢密顧問官英語版などを歴任して、1605年3月4日にスコットランド貴族爵位ヒューム伯爵ダグラス卿(Lord Dunglass)を与えられた[4]。この2つの爵位は直系非直系問わず男系男子(heirs male whatsoever)に継承される爵位だった。そのため、2代伯ジェイムズ・ヒューム(?-1633)の死で初代伯の直系が絶えた後も初代伯の先祖に遡った分流の3代ヒューム伯ジェイムズ・ヒューム(1615頃–1666)に継承されて爵位は存続した[5][6]。以降この3代伯の子孫によって現在まで継承されている。

11代伯コスパトリック・ヒューム(1799–1881)は、外務官僚として活躍し、1875年6月11日連合王国貴族爵位ラナーク州におけるダグラスのダグラス男爵(Baron Douglas, of Douglas in the County of Lanark)に叙された[7]。これにより以降の当主は1999年の貴族院改革まで自動的に貴族院議員に列することになった。

その子である12代伯チャールズ・ダグラス=ヒューム(1834–1918)は、母方からダグラス家のダグラス城英語版ボスウェル城英語版ランカシャーロクスバーグシャー英語版バーウィックシャー英語版の104,000エーカーにも及ぶ広大な土地を相続[8]1877年には「ダグラス=ヒューム」と改姓した[9]

その孫である14代伯アレクサンダー・ダグラス=ヒューム(1903–1995)は、保守党の政治家として活躍し、1963年から1964年にかけて首相を務めた。しかし貴族院議員が首相になることは忌避される時代になっていたため、彼は首相就任に際して1963年貴族法の規定を使って自分一代について爵位を返上した[10]

現在の当主はその息子である15代ヒューム伯デイヴィッド・ダグラス=ヒューム英語版(1943-)である。

現当主の保有爵位

上記の経緯から現当主デイヴィッド・ダグラス=ヒューム英語版は、以下の爵位を保有している[11][5]

  • 第15代ヒューム伯爵(15th Earl of Home)
    (1605年3月4日勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第20代ヒューム卿 (20th Lord Home)
    (1473年8月2日の特許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第15代ダグラス卿 (15th Lord Dunglass)
    (1605年3月4日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • ラナーク州におけるダグラスの第5代ダグラス男爵(5th Baron Douglas, of Douglas in the County of Lanark)
    (1875年6月11日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧

ヒューム卿 (1473年)

ヒューム伯 (1605年)

法定推定相続人は現当主の息子ダグラス卿(儀礼称号)マイケル・デイヴィッド・アレクサンダー・ダグラス=ヒューム(1987-).

系図

ヒューム伯爵ダグラス=ヒューム家系図
 
 
 
 
1473年ヒューム卿
 
 
 
 
 
 
 
初代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム英語版
(?–1491頃)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アレクサンダー・ヒューム
(?–1456頃)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム英語版
(?–1506)
 
ジョン・ヒューム
(?-1493頃)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム
(?–1516)
 
4代ヒューム卿
ジョージ・ヒューム英語版
(?-1549)
 
マンゴ・ヒューム
(?-1513)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム英語版
(?–1575)
 
サー・ジョン・ヒューム
(?-1573以前)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1605年ヒューム伯
 
 
 
 
 
 
 
 
初代ヒューム伯
6代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム英語版
(1566頃–1619)
 
サー・ジョン・ヒューム
(?-1592)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ヒューム伯
7代ヒューム卿
ジェイムズ・ヒューム英語版
(?-1633)
 
サー・ジョン・ヒューム
(?-1629頃)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョン・ヒューム
(?-1620以前)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ヒューム伯
8代ヒューム卿
ジェイムズ・ヒューム
(1615頃–1666)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代ヒューム伯
9代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム
(?-1674)
 
5代ヒューム伯
10代ヒューム卿
ジェイムズ・ヒューム
(?-1687)
 
6代ヒューム伯
11代ヒューム卿
チャールズ・ヒューム
(?-1706)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代ヒューム伯
12代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム
(?-1720)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8代ヒューム伯
13代ヒューム卿
ウィリアム・ヒューム
(?-1761)
 
9代ヒューム伯
14代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム
(?-1786)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10代ヒューム伯
15代ヒューム卿
アレクサンダー・ヒューム
(1769–1841)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1875年ダグラス男爵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11代ヒューム伯
16代ヒューム卿
初代ダグラス男爵

コスパトリック・ヒューム
(1799–1881)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12代ヒューム伯
17代ヒューム卿
2代ダグラス男爵

チャールズ・ダグラス=ヒューム
(1834–1918)
 
 
 
 
 
 
 
 
1877年ダグラス=ヒュームに改姓
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
13代ヒューム伯
18代ヒューム卿
3代ダグラス男爵

チャールズ・ダグラス=ヒューム
(1873–1951)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
13代ヒューム伯
18代ヒューム卿
3代ダグラス男爵

チャールズ・ダグラス=ヒューム
(1873–1951)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
14代ヒューム伯
19代ヒューム卿
4代ダグラス男爵

アレクサンダー・ダグラス=ヒューム
(1903–1995)
 
 
 
 
 
 
 
 
1963年爵位一代放棄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
15代ヒューム伯
20代ヒューム卿
5代ダグラス男爵

デイヴィッド・ダグラス=ヒューム英語版
(1943–)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダグラス卿(儀礼称号)
マイケル・ダグラス=ヒューム
(1987–)

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Home, 1st Lord Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  2. ^ 森護 1994, p. 326.
  3. ^ Lundy, Darryl. “George Home, 4th Lord Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Home, 1st Earl of Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  5. ^ a b Heraldic Media Limited. “Home, Earl of (S, 1604/5)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月29日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “James Home, 3rd Earl of Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Cospatrick Alexander Home, 11th Earl of Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  8. ^ John Bateman (1878), The Great Land Owners of Great Britain and Ireland, London, Harrison and Sons
  9. ^ Lundy, Darryl. “Charles Alexander Douglas-Home, 12th Earl of Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  10. ^ 前田英昭 1976, p. 54/58.
  11. ^ Lundy, Darryl. “David Alexander Cospatrick Douglas-Home, 15th Earl of Home” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。

参考文献

関連項目