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チャールズ・ダグラス=ヒューム (第12代ヒューム伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第12代ヒューム伯爵夫婦、1870年8月18日撮影。

第12代ヒューム伯爵チャールズ・アレクサンダー・ダグラス=ヒューム英語: Charles Alexander Douglas-Home, 12th Earl of Home KT TD、出生名チャールズ・アレクサンダー・ヒュームCharles Alexander Home)、1834年4月11日1918年4月30日)は、イギリスの貴族、政治家。1879年から1890年までベリックシャー統監を、1890年から1915年までラナークシャー統監を務めた[1]。1841年から1881年までダングラス卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第11代ヒューム伯爵コスパトリック・アレクサンダー・ヒュームと妻ルーシー・エリザベス(Lucy Elizabeth、旧姓モンタギュー=スコット(Montagu-Scott)、1805年11月14日 – 1877年5月15日、第2代ボートンのモンタギュー男爵ヘンリー・モンタギュー=スコットの長女)の息子として、1834年4月11日にザ・ヘイゼル英語版で生まれた[1]。1845年から1850年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1852年7月6日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1855年にM.A.の学位を修得した[2]

1852年2月25日、ラナークシャー副統監に任命された[3]

1859年2月18日にラナークシャー・ヨーマンリー連隊英語版の大尉に任命され[4]、1866年4月10日に副隊長指揮官(Lieutenant-Colonel Commandant、軍階は中佐)に昇進した[5]。同年8月25日、名誉隊長に任命された[6]。1886年4月28日、大佐の名誉階級を与えられた[7]。1887年6月21日にヴィクトリア女王エー=ド=カン英語版(副官)に任命され[8]、1897年まで務めた[1]

1879年6月23日にベリックシャー統監に任命され[9]、1890年3月4日までに辞任した後[10][11]、1890年4月18日にベリックシャーの副統監に任命された[12]。1890年2月1日にラナークシャー統監に任命され[13]、1915年10月15日までに辞任した[10][14]

1877年に母が死去すると、「ダグラス」を姓に加えた[2]。1881年7月4日に父が死去すると、ヒューム伯爵位を継承した[1]貴族院では保守党に属した[1]

1892年11月22日、キャメロニアンズ (スコッティッシュ・ライフルズ)英語版第5志願兵大隊の隊長としてボランティア・オフィサーズ・デコレーション英語版を授与された[15]。1904年11月26日、同連隊の第3と第4志願兵大隊の名誉隊長に任命された[16]。また、Royal Company of Archersでの軍職にも就き、1907年6月24日に中尉から大尉に昇進した[17]。1899年7月3日、シッスル勲章を授与された[1]。1910年1月4日、国防義勇軍勤続章英語版を授与された[18]

1894年2月2日、グラスゴーの副統監に任命された[19]

1918年4月30日にザ・ヘイゼルで死去、5月3日に埋葬された[1]。息子チャールズ・コスパトリック・アーチボルドが爵位を継承した[1]

家族

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1870年8月18日、マリア・グレイ(Maria Grey、1849年2月23日 – 1918年5月25日、チャールズ・コンラッド・グレイの娘)と結婚[1]、1男4女をもうけた[20][21]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 560.
  2. ^ a b "Home [post Douglas-Home], Charles Alexander Douglas, Lord Dunglass. (HM852CA)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ "No. 22604". The London Gazette (英語). 4 March 1862. p. 1250.
  4. ^ "No. 22233". The London Gazette (英語). 25 February 1859. p. 743.
  5. ^ "No. 23101". The London Gazette (英語). 13 April 1866. p. 2395.
  6. ^ "No. 23168". The London Gazette (英語). 28 September 1866. p. 5238.
  7. ^ "No. 25581". The London Gazette (英語). 27 April 1886. p. 2031.
  8. ^ "No. 25773". The London Gazette (英語). 5 January 1888. p. 224.
  9. ^ "No. 24737". The London Gazette (英語). 24 June 1879. p. 4086.
  10. ^ a b Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月27日閲覧
  11. ^ "No. 26030". The London Gazette (英語). 7 March 1890. p. 1268.
  12. ^ "No. 26043". The London Gazette (英語). 18 April 1890. p. 2278.
  13. ^ "No. 26020". The London Gazette (英語). 4 February 1890. p. 605.
  14. ^ "No. 29333". The London Gazette (英語). 19 October 1915. p. 10264.
  15. ^ "No. 26347". The London Gazette (英語). 22 November 1892. p. 6578.
  16. ^ "No. 27738". The London Gazette (英語). 25 November 1904. p. 7945.
  17. ^ "No. 28033". The London Gazette (英語). 25 June 1907. p. 4344.
  18. ^ "No. 28325". The London Gazette (英語). 1 January 1910. p. 37.
  19. ^ "No. 26481". The London Gazette (英語). 2 February 1894. p. 687.
  20. ^ a b c d e Paul, James Balfour, Sir, ed. (1907). The Scots Peerage (英語). Vol. IV. Edinburgh: David Douglas. p. 483.
  21. ^ a b c d e f Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 2 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1244.

外部リンク

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名誉職
先代
ロクスバラ公爵
ベリックシャー統監
1879年 – 1890年
次代
ローダーデイル伯爵
先代
サー・エドワード・コールブルック準男爵英語版
ラナークシャー統監
1890年 – 1915年
次代
ニューランズ男爵英語版
スコットランドの爵位
先代
コスパトリック・ヒューム
ヒューム伯爵
1881年 – 1918年
次代
チャールズ・ダグラス=ヒューム