「ラトランド公爵」の版間の差分
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[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の四男である初代[[ヨーク公爵]][[エドマンド・オブ・ラングリー (初代ヨーク公)|エドマンド・オブ・ラングリー]]の長男[[エドワード・オブ・ノリッジ]]<small>(1373-1415)</small>が[[1390年]][[2月25日]]にラトランド伯爵に叙されたのが最初の創設である<ref name="cracrofts">{{cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の四男である初代[[ヨーク公爵]][[エドマンド・オブ・ラングリー (初代ヨーク公)|エドマンド・オブ・ラングリー]]の長男[[エドワード・オブ・ノリッジ]]<small>(1373-1415)</small>が[[1390年]][[2月25日]]にラトランド伯爵に叙されたのが最初の創設である<ref name="cracrofts">{{cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/lateplantagenet.htm|title=The Later House of Plantagenet|date=2012-11-19|publisher=Cracroft's Peerage|accessdate=2015-01-03}}</ref>。彼はさらに1402年に父から第2代ヨーク公爵位を継承したが、子孫のないまま[[アジャンクールの戦い]]で戦死した<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10198.htm#i101980|title= Edward of York, 2nd Duke of York|accessdate= 2015-07-30 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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その後、ラトランド伯爵位は甥の第3代ヨーク公[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|リチャード・プランタジネット]]<small>(1411-1460)</small>([[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の父)へ継承されたと考えられている<ref name="burke">{{cite book |title= Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood|publisher=Burke's Peerage & Gentry |editor= Mosley, Charles |edition=107 |year= 2003 |page= |pages=3446–3451 |ref=Burke |isbn=0-9711966-2-1}}</ref>。 |
その後、ラトランド伯爵位は甥の第3代ヨーク公[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|リチャード・プランタジネット]]<small>(1411-1460)</small>([[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の父)へ継承されたと考えられている<ref name="burke">{{cite book |title= Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood|publisher=Burke's Peerage & Gentry |editor= Mosley, Charles |edition=107 |year= 2003 |page= |pages=3446–3451 |ref=Burke |isbn=0-9711966-2-1}}</ref>。 |
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[[1525年]]6月18日に第12代{{仮リンク|ド・ロス男爵|en|Baron de Ros}}{{仮リンク|トマス・マナーズ (初代ラトランド伯爵)|label=トマス・マナーズ|en|Thomas Manners, 1st Earl of Rutland}}<small>(1488年頃-1543年)</small>が[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]によって'''ラトランド伯爵'''<small>(Earl of Rutland)</small>に叙されたのが、現在まで続く第3期のラトランド伯爵位の始まりである<ref>Debrett's Peerage, 1968, p.969</ref><ref name="CP ER">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[1525年]]6月18日に第12代{{仮リンク|ド・ロス男爵|en|Baron de Ros}}{{仮リンク|トマス・マナーズ (初代ラトランド伯爵)|label=トマス・マナーズ|en|Thomas Manners, 1st Earl of Rutland}}<small>(1488年頃-1543年)</small>が[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]によって'''ラトランド伯爵'''<small>(Earl of Rutland)</small>に叙されたのが、現在まで続く第3期のラトランド伯爵位の始まりである<ref>Debrett's Peerage, 1968, p.969</ref><ref name="CP ER">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/rutland1525.htm|title= |
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Rutland, Earl of (E, 1525)|accessdate= 2015-12-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk |
Rutland, Earl of (E, 1525)|accessdate= 2015-12-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。彼は第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの曾孫にあたる<ref name="CP ER" />。 |
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{{仮リンク|議会招集令状|en|Writ of summons}}による爵位であるド・ロス男爵位は男子なき場合の姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、3代ラトランド伯{{仮リンク|エドワード・マナーズ (第3代ラトランド伯爵)|label=エドワード・マナーズ|en|Edward Manners, 3rd Earl of Rutland}}<small>(1549-1587)</small>が男子なく死去した際に娘に女系継承が行われ、ラトランド伯爵位と分離した。その娘の系統が絶えた後に6代ラトランド伯{{仮リンク|フランシス・マナーズ (第6代ラトランド伯爵)|label=フランシス・マナーズ|en|Francis Manners, 6th Earl of Rutland}}<small>(1578-1632)</small>に戻ったが、彼も男子を残さずに死去したので娘に女系継承が行われて以降再び分離している<ref name="CP ER" />。また1616年7月22日に6代伯はイングランド貴族爵位'''ハムレイクのロス男爵'''{{small|(Baron Ros of Hamlake)}}に叙されているが、これは一代で廃絶した<ref name="CP ER" />。 |
{{仮リンク|議会招集令状|en|Writ of summons}}による爵位であるド・ロス男爵位は男子なき場合の姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、3代ラトランド伯{{仮リンク|エドワード・マナーズ (第3代ラトランド伯爵)|label=エドワード・マナーズ|en|Edward Manners, 3rd Earl of Rutland}}<small>(1549-1587)</small>が男子なく死去した際に娘に女系継承が行われ、ラトランド伯爵位と分離した。その娘の系統が絶えた後に6代ラトランド伯{{仮リンク|フランシス・マナーズ (第6代ラトランド伯爵)|label=フランシス・マナーズ|en|Francis Manners, 6th Earl of Rutland}}<small>(1578-1632)</small>に戻ったが、彼も男子を残さずに死去したので娘に女系継承が行われて以降再び分離している<ref name="CP ER" />。また1616年7月22日に6代伯はイングランド貴族爵位'''ハムレイクのロス男爵'''{{small|(Baron Ros of Hamlake)}}に叙されているが、これは一代で廃絶した<ref name="CP ER" />。 |
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=== ラトランド公爵 === |
=== ラトランド公爵 === |
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[[File:10th Duke of Rutland 2 Allan Warren.jpg|thumb|250px|{{仮リンク|ビーヴァー城|en|Belvoir Castle}}をバックに立つ10代ラトランド公{{仮リンク|チャールズ・マナーズ (第10代ラトランド公爵)|label=チャールズ・マナーズ|en|Charles Manners, 10th Duke of Rutland}}]] |
[[File:10th Duke of Rutland 2 Allan Warren.jpg|thumb|250px|{{仮リンク|ビーヴァー城|en|Belvoir Castle}}をバックに立つ10代ラトランド公{{仮リンク|チャールズ・マナーズ (第10代ラトランド公爵)|label=チャールズ・マナーズ|en|Charles Manners, 10th Duke of Rutland}}]] |
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9代ラトランド伯爵{{仮リンク|ジョン・マナーズ (初代ラトランド公爵)|label=ジョン・マナーズ|en|John Manners, 1st Duke of Rutland}}<small>(1638-1711)</small>は、襲爵前の1679年3月6日に議会招集令状によるイングランド貴族爵位として'''ハッドンのマナーズ男爵''' <small>(Baron Manners of Haddon)</small>に叙された。同年[[9月29日]]に第9代ラトランド伯爵位を継承し、ついで[[1703年]][[3月29日]]にイングランド貴族爵位'''ラトランド公爵'''<small>(Duke of Rutland)</small>と'''グランビー侯爵'''<small>(Marquess of Granby)</small>に叙せられた<ref>{{cite DNB|wstitle=Manners, John (1638-1711)|first=William Arthur Jobson |last=Archbold|volume=36}}</ref><ref name="CP DR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
9代ラトランド伯爵{{仮リンク|ジョン・マナーズ (初代ラトランド公爵)|label=ジョン・マナーズ|en|John Manners, 1st Duke of Rutland}}<small>(1638-1711)</small>は、襲爵前の1679年3月6日に議会招集令状によるイングランド貴族爵位として'''ハッドンのマナーズ男爵''' <small>(Baron Manners of Haddon)</small>に叙された。同年[[9月29日]]に第9代ラトランド伯爵位を継承し、ついで[[1703年]][[3月29日]]にイングランド貴族爵位'''ラトランド公爵'''<small>(Duke of Rutland)</small>と'''グランビー侯爵'''<small>(Marquess of Granby)</small>に叙せられた<ref>{{cite DNB|wstitle=Manners, John (1638-1711)|first=William Arthur Jobson |last=Archbold|volume=36}}</ref><ref name="CP DR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/rutland1703.htm|title= |
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Rutland, Duke of (E, 1703)|accessdate= 2015-12-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk |
Rutland, Duke of (E, 1703)|accessdate= 2015-12-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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その孫である第3代ラトランド公爵[[ジョン・マナーズ (第3代ラトランド公爵)|ジョン・マナーズ]]<small>(1696-1779)</small>は、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の政治家としてホイッグ党政権下で{{仮リンク|家政長官 (イギリス)|label=家政長官|en|Lord Steward}}や{{仮リンク|主馬頭 (イギリス)|label=主馬頭|en|Master of the Horse}}などの宮廷職を務めた<ref name="CP DR" />。 |
その孫である第3代ラトランド公爵[[ジョン・マナーズ (第3代ラトランド公爵)|ジョン・マナーズ]]<small>(1696-1779)</small>は、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の政治家としてホイッグ党政権下で{{仮リンク|家政長官 (イギリス)|label=家政長官|en|Lord Steward}}や{{仮リンク|主馬頭 (イギリス)|label=主馬頭|en|Master of the Horse}}などの宮廷職を務めた<ref name="CP DR" />。 |
2020年12月4日 (金) 05:10時点における版
ラトランド公爵 Duke of Rutland | |
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Or, two bars azure a chief quarterly azure and gules; in the 1st and 4th quarters two fleurs-de-lis and in the 2nd and 3rd a lion passant guardant all or. | |
創設時期 | 1703年3月29日 |
創設者 | アン女王 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | ジョン・マナーズ(9代ラトランド伯) |
現所有者 | デイヴィッド・マナーズ(11代ラトランド公) |
相続人 | チャールズ・マナーズ(グレンビー侯) |
相続資格 | 初代公の直系の嫡出男系男子(the 1st Duke's heirs male of the body lawfully begotten) |
付随称号 | グレンビー侯爵、ラトランド伯爵、マナーズ男爵、ルース男爵 |
邸宅 | ハッドン・ホール、ビーヴァー城 |
ラトランド公爵(英語: Duke of Rutland)は、イングランド貴族の公爵位。
前身のラトランド伯爵位は3回創設されている。ラトランド公爵位は第9代ラトランド伯爵(第3期)ジョン・マナーズが1703年に叙されたのに始まる。
歴史
ラトランド伯爵
第1期
エドワード3世の四男である初代ヨーク公爵エドマンド・オブ・ラングリーの長男エドワード・オブ・ノリッジ(1373-1415)が1390年2月25日にラトランド伯爵に叙されたのが最初の創設である[1]。彼はさらに1402年に父から第2代ヨーク公爵位を継承したが、子孫のないままアジャンクールの戦いで戦死した[2]。
その後、ラトランド伯爵位は甥の第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(1411-1460)(エドワード4世の父)へ継承されたと考えられている[3]。
第2期
1446年1月29日には第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの次男エドムンド(1443-1460)(エドワード4世の弟)によって2期目のラトランド伯爵位が創設されている[1]。彼は1459年に議会から一時私権剥奪処分を受けるも、1460年に爵位への復帰が認められた。しかし子孫なく父とともに戦死した[4]。
第3期
1525年6月18日に第12代ド・ロス男爵トマス・マナーズ(1488年頃-1543年)がヘンリー8世によってラトランド伯爵(Earl of Rutland)に叙されたのが、現在まで続く第3期のラトランド伯爵位の始まりである[5][6]。彼は第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの曾孫にあたる[6]。
議会招集令状による爵位であるド・ロス男爵位は男子なき場合の姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、3代ラトランド伯エドワード・マナーズ(1549-1587)が男子なく死去した際に娘に女系継承が行われ、ラトランド伯爵位と分離した。その娘の系統が絶えた後に6代ラトランド伯フランシス・マナーズ(1578-1632)に戻ったが、彼も男子を残さずに死去したので娘に女系継承が行われて以降再び分離している[6]。また1616年7月22日に6代伯はイングランド貴族爵位ハムレイクのロス男爵(Baron Ros of Hamlake)に叙されているが、これは一代で廃絶した[6]。
ラトランド公爵
9代ラトランド伯爵ジョン・マナーズ(1638-1711)は、襲爵前の1679年3月6日に議会招集令状によるイングランド貴族爵位としてハッドンのマナーズ男爵 (Baron Manners of Haddon)に叙された。同年9月29日に第9代ラトランド伯爵位を継承し、ついで1703年3月29日にイングランド貴族爵位ラトランド公爵(Duke of Rutland)とグランビー侯爵(Marquess of Granby)に叙せられた[7][8]。
その孫である第3代ラトランド公爵ジョン・マナーズ(1696-1779)は、ホイッグ党の政治家としてホイッグ党政権下で家政長官や主馬頭などの宮廷職を務めた[8]。
その孫である第4代ラトランド公爵チャールズ・マナーズ(1754-1787)は、王璽尚書やアイルランド総督などを歴任した[9][8]。
その孫である第6代ラトランド公爵チャールズ・マナーズ(1815-1888)は襲爵前に保守党の庶民院議員で保守党庶民院院内総務を務めていた[10]。
その弟である第7代ラトランド公爵ジョン・マナーズ(1818-1906)も襲爵前には保守党の庶民院議員だった。彼はディズレーリらとともに「ヤング・イングランド」を結成し、党の主流派に背いた[11]。その後、保守党政権下で建設長官(1852,1858-1859,1866-1868)、郵政長官(1874-1880,1885-1886)、ランカスター公領大臣(1886-1892)など閣僚職を歴任し、1896年6月17日には連合王国貴族爵位レスター州におけるビーヴァーのルース男爵 (Baron Roos of Belvoir, of Belvoir in the County of Leicester)」に叙せられた[8]。
2019年現在の当主は、その玄孫にあたる第11代ラトランド公爵デイヴィッド・マナーズ(1959-)である[12]。
邸宅はダービーシャーのハッドン・ホール、レスターシャーにあるビーヴァー城である[8]。現在は両方の建物が一般公開されている。
一族の家訓は「貴方の物を手に入れるために(Pour Y Parvenir)」[8]。
現当主の保有爵位
現在の当主である第11代ラトランド公爵デイヴィッド・マナーズは以下の爵位を保有する[8]。
- 第11代ラトランド公爵 (11th Duke of Rutland)
- 第11代グランビー侯爵 (11th Marquess of Granby)
- (1703年3月20日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- 第19代ラトランド伯爵 (19th Earl of Rutland)
- ハッドンの第11代マナーズ男爵 (11th Baron Manners of Haddon)
- レスター州におけるビーヴァーの第5代ルース男爵 (5th Baron Roos of Belvoir, of Belvoir in the County of Leicester)
- (1896年6月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)
歴代当主
ラトランド伯 第1期(1390年)
肖像 | 爵位の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
---|---|---|---|---|
初代ラトランド伯 エドワード・オブ・ノリッジ (1373-1415) |
1390年 - 1415年 | 初代ヨーク公の子 | ヨーク公爵(1385年) ケンブリッジ伯(1362年) | |
2代ラトランド伯 リチャード・プランタジネット (1411-1460) |
1425年 - 1460年 | 先代の甥 |
ラトランド伯 第2期(1446年)
肖像 | 爵位の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
---|---|---|---|---|
初代ラトランド伯 エドムンド (1443-1460) |
1446年-1459年(私権剥奪) 1460年(回復)-1460年 |
3代ヨーク公の子 | 無し |
ラトランド伯 第3期(1525年)
肖像 | 爵位の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
---|---|---|---|---|
初代ラトランド伯 トマス・マナーズ (1488頃-1543) |
1525年6月18日 - 1543年9月20日 |
11代ド・ロス男爵の子 | ド・ロス男爵(1299年) | |
2代ラトランド伯 ヘンリー・マナーズ (1516-1563) |
1543年9月20日 - 1563年9月17日 |
先代の長男 | ||
3代ラトランド伯 エドワード・マナーズ (1549-1587) |
1563年9月17日 - 1587年4月14日 |
先代の長男 | ||
4代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1552頃-1588) |
1587年4月14日 - 1588年2月24日 |
先代の弟 | 無し | |
5代ラトランド伯 ロジャー・マナーズ (1576-1612) |
1588年2月24日 - 1612年6月26日 |
先代の長男 | ||
6代ラトランド伯 フランシス・マナーズ (1578-1632) |
1612年6月26日 - 1632年12月17日 |
先代の弟 | ド・ロス男爵(1299年) ハムレイクのロス男爵(1616年) | |
7代ラトランド伯 ジョージ・マナーズ (1580-1641) |
1632年12月17日 - 1641年3月29日 |
先代の弟 | 無し | |
8代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1604-1679) |
1641年3月29日 - 1679年9月29日 |
先代の又従兄弟 | ||
9代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1638-1711) |
1679年9月29日 - 1711年1月10日 |
先代の息子 | ||
1703年3月29日にラトランド公爵に叙される。以降ラトランド公爵位と継承者が同じ。下記のラトランド公の欄参照。 |
ラトランド公(1703年)
肖像 | 爵位の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 他の称号 |
---|---|---|---|---|
初代ラトランド公 ジョン・マナーズ (1638-1711) |
1703年3月29日 - 1711年1月10日 |
グランビー侯(1703年) ラトランド伯(1525年) ハッドンのマナーズ男爵(1679年) | ||
2代ラトランド公 ジョン・マナーズ (1676-1721) |
1711年1月10日 - 1721年2月22日 |
先代の子 | ||
3代ラトランド公 ジョン・マナーズ (1696-1779) |
1721年2月22日 - 1779年5月29日 |
先代の長男 | ||
4代ラトランド公 チャールズ・マナーズ (1754-1787) |
1779年5月29日 - 1787年10月24日 |
先代の孫 | ||
5代ラトランド公 ジョン・ヘンリー・マナーズ (1778-1857) |
1787年10月24日 - 1857年1月20日 |
先代の長男 | ||
6代ラトランド公 チャールズ・セシル・マナーズ (1815-1888) |
1857年1月20日 - 1888年3月3日 |
先代の三男 | ||
7代ラトランド公 ジョン・ジェイムズ・ロバート・マナーズ (1818-1906) |
1888年3月3日 - 1906年8月4日 |
先代の弟 | グランビー侯(1703年) ラトランド伯(1525年) ハッドンのマナーズ男爵(1679年) ビーヴァーのルース男爵(1896年) | |
8代ラトランド公 ヘンリー・ジョン・ブリンスリー・マナーズ (1852-1925) |
1906年8月4日 - 1925年5月8日 |
先代の長男 | ||
9代ラトランド公 ジョン・ヘンリー・モンタギュー・マナーズ (1886-1940) |
1925年5月8日 - 1940年4月22日 |
先代の子 | ||
10代ラトランド公 チャールズ・ジョン・ロバート・マナーズ (1919-1999) |
1940年4月22日 - 1999年1月3日 |
先代の長男 | ||
11代ラトランド公 デイヴィッド・チャールズ・ロバート・マナーズ (1959-) |
1999年1月3日 - 受爵中 |
先代の長男 |
爵位継承順位
- グランビー侯(儀礼称号)チャールズ・ジョン・マナーズ(1999-) 現当主の長男。法定推定相続人
- ヒューゴ・ウィリアム・ジェイムズ・マナーズ卿 (2003-) 現当主の次男
- エドワード・ジョン・フランシス・マナーズ卿 (1965-) 現当主の弟(10代公に遡っての分流)
- アルフレッド・チャールズ・ニコラス・マナーズ (2013-) 現当主の甥(10代公に遡っての分流)
- ビージー・ピーター・マイケル・マナーズ (2013-) 現当主の甥(10代公に遡っての分流)
- リチャード・ジョン・ペベレル・マナーズ (1963-) 現当主の従兄弟(9代公に遡っての分流)
- ハリー・マナーズ 現当主の従兄弟甥(9代公に遡っての分流)
- ジョン・ラムリー・マナーズ=サットン (1914-) 3代公に遡っての分流
- ジョン・フレデリック・マナーズ=サットン (1955-) 3代公に遡っての分流
- 第6代マナーズ男爵ジョン・ヒュー・マナーズ (1956-) 3代公に遡っての分流
- ジョン・アレグザンダー・デイヴィッド・マナーズ閣下 (2011-) 3代公に遡っての分流
- エドワード・プレストン・マナーズ (1948-) 3代公に遡っての分流
- ルパート・フランシス・ヘンリー・マナーズ (1950-) 3代公に遡っての分流
- スティーブン・フランシス・マナーズ (1978-) 3代公に遡っての分流
- フィリップ・マナーズ (1979-) 3代公に遡っての分流
- トマス・ベンジャミン・キャベル・マナーズ (1954-) 3代公に遡っての分流
- ルパート・キャベル・マナーズ (1990-) 3代公に遡っての分流
- ヒュー・キャベル・マナーズ (1993-) 3代公に遡っての分流
- トマス・ジャスパー・マナーズ閣下 (1929-) 3代公に遡っての分流
- チャールズ・ヘンリー・マナーズ (1957-) 3代公に遡っての分流
- ジョゼフ・ピーター・マナーズ (1991-) 3代公に遡っての分流
- アーサー・ロジャー・マナーズ (1959-) 3代公に遡っての分流
- ヒューゴ・マナーズ (1989-) 3代公に遡っての分流
- ロバート・ヒュー・マナーズ (1962-) 3代公に遡っての分流
- アーチー・トマス・マナーズ (1993-) 3代公に遡っての分流
- オーランド・ダグラス・マナーズ (1995-) 3代公に遡っての分流
- ハンフリー・ウィルモット・マナーズ (1998-) 3代公に遡っての分流
家系図
エドワード3世 (1312–1377) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ヨーク公爵 エドマンド・オブ・ラングリー (1341–1402) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1390年ラトランド伯(第1期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ヨーク公 初代ラトランド伯 エドワード・オブ・ノリッジ (1373–1415) | 3代ケンブリッジ伯 リチャード・オブ・コニスバラ (1375–1415) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1390年ラトランド伯(第1期) (回復 1425) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ヨーク公 2代ラトランド伯 リチャード・オブ・ヨーク (1411–1460) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1446年ラトランド伯(第2期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
アン・オブ・ヨーク (1439–1476) m.(2) トマス・セント・レジャー | エドワード4世 (1442–1483) | 初代ラトランド伯 エドムンド (1443–1460) | リチャード3世 (1452–1485) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
アン・セント・レジャー (1476–1526) m. 11代ド・ロス男爵 ジョージ・マナーズ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1525年ラトランド伯(第3期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ラトランド伯 トマス・マナーズ (c.1492–1543) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ラトランド伯 ヘンリー・マナーズ (c.1516–1563) | ジョン・マナーズ (1527–1611) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ラトランド伯 エドワード・マナーズ (1549–1587) | 4代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (c.1552–1588) | ジョージ・マナーズ (c.1572–1623) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
5代ラトランド伯 ロジャー・マナーズ (1576–1612) | 6代ラトランド伯 フランシス・マナーズ (1578–1632) | 7代ラトランド伯 ジョージ・マナーズ (1580–1641) | 8代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1604–1679) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1703年ラトランド公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ラトランド公 9代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1638–1711) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ラトランド公 10代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1676–1721) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ラトランド公 11代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1696–1779) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) ジョン・マナーズ (1721–1770) | ジョージ・マナーズ=サットン (1723–1783) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロス卿(儀礼称号) ジョン・マナーズ (1751–1760) | 4代ラトランド公 12代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1754–1787) | チャールズ・マナーズ=サットン (1755–1828) (カンタベリー大主教) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
カンタベリー子爵 | マナーズ男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代ラトランド公 13代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1778–1857) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) ジョージ・マナーズ (1807) | グランビー侯(儀礼称号) ジョージ・マナーズ (1813–1814) | 6代ラトランド公 14代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1815–1888) | 7代ラトランド公 15代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1818–1906) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
8代ラトランド公 16代ラトランド伯 ヘンリー・マナーズ (1852–1925) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
マナーズ卿(儀礼称号) ロバート・マナーズ (1885–1894) | 9代ラトランド公 17代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1886–1940) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
10代ラトランド公 18代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1919–1999) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
11代ラトランド公 19代ラトランド伯 デイヴィッド・マナーズ (1959-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) チャールズ・マナーズ (1999-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b “The Later House of Plantagenet”. Cracroft's Peerage (2012年11月19日). 2015年1月3日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward of York, 2nd Duke of York” (英語). thepeerage.com. 2015年7月30日閲覧。
- ^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. pp. 3446–3451. ISBN 0-9711966-2-1
- ^ Lundy, Darryl. “Edmund Plantagenet, Earl of Rutland” (英語). thepeerage.com. 2015年7月30日閲覧。
- ^ Debrett's Peerage, 1968, p.969
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Rutland, Earl of (E, 1525)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月28日閲覧。
- ^ Archbold, William Arthur Jobson (1893). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 36. London: Smith, Elder & Co. . In
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Rutland, Duke of (E, 1703)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月28日閲覧。
- ^ "Granby, Charles (Manners), Marquess of (GRNY771C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ ブレイク 1993, p. 303.
- ^ ブレイク 1993, p. 198.
- ^ Lundy, Darryl. “John Manners, 1st Duke of Rutland” (英語). thepeerage.com. 2015年7月30日閲覧。
参考文献
- ブレイク, ロバート 著、谷福丸 訳、灘尾弘吉監修 編『ディズレイリ』大蔵省印刷局、1993年。ISBN 978-4172820000。