ジョン・マナーズ (第4代ラトランド伯爵)
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第4代ラトランド伯爵ジョン・マナーズ(英語: John Manners, 4th Earl of Rutland、1551年以前 – 1588年2月24日)は、イングランド貴族。
生涯
[編集]第2代ラトランド伯爵ヘンリー・マナーズと1人目の妻マーガレット・ネヴィル(Margaret Neville、1559年10月13日没、第4代ウェストモーランド伯爵ラルフ・ネヴィルの娘)の息子として生まれた[1]。1566年にグレイ法曹院に入学した[1]。
1586年頃、騎士爵に叙された[1]。1587年4月14日に兄にあたる第3代ラトランド伯爵エドワード・マナーズが死去すると、ラトランド伯爵位を継承した[1]。同年、ノッティンガム城総督(Constable of Nottingham Castle)、シャーウッド御料林管理官(Warden of Sherwood Forest)、ノッティンガムシャー統監に任命された[1]。
1588年2月24日にノッティンガムで死去、4月2日にボッテスフォード(Bottesford)で埋葬された[1]。息子ロジャーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]エリザベス・チャールトン(Elizabeth Charleton、1594年3月24日埋葬、フランシス・チャールトンの娘)と結婚[1]、5男4女をもうけた[2]。
- ブリジット(1572年2月11日 – 1604年9月) - 1594年8月、ロバート・ティリット(Robert Tyrwhitt)と結婚、子供あり
- エドワード(1576年)
- ロジャー(1576年 – 1612年) - 第5代ラトランド伯爵
- フランシス(Francis、1578年 – 1632年) - 第6代ラトランド伯爵
- ジョージ(1580年頃 – 1641年) - 第7代ラトランド伯爵
- オリヴァー(1581年頃 – 1613年) - 庶民院議員、生涯未婚[3]
- メアリー
- エリザベス(1654年3月16日埋葬) - 1609年、と結婚
- フランシス(Frances、1588年10月27日 – 1643年頃) - 1603年2月4日、と結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 464.
- ^ "Rutland, Earl of (E, 1525)". Cracroft's Peerage (英語). 6 March 2009. 2020年4月26日閲覧。
- ^ Thorpe, S. M. (1981). "MANNERS, Oliver (c.1581-1613), of Belvoir, Lincs. and Pillerton, Warws.". In Hasler, P. W. (ed.). The House of Commons 1558-1603 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年4月26日閲覧。
公職 | ||
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先代 ラトランド伯爵 |
ノッティンガムシャー統監 1587年 – 1588年 |
次代 シュルーズベリー伯爵 |
ノッティンガムシャー首席治安判事 1587年 – 1588年 |
次代 トマス・スタンホープ | |
イングランドの爵位 | ||
先代 エドワード・マナーズ |
ラトランド伯爵 1587年 – 1588年 |
次代 ロジャー・マナーズ |