「エドワード・フィッツアラン=ハワード (第18代ノーフォーク公)」の版間の差分
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2020年12月4日 (金) 05:08時点における版
第18代ノーフォーク公爵 エドワード・フィッツアラン=ハワード Edward Fitzalan-Howard 18th Duke of Norfolk | |
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2013年のノーフォーク公 | |
生年月日 | 1956年12月2日(67歳) |
出身校 | オックスフォード大学リンカン・カレッジ |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 18代ノーフォーク公爵他 |
配偶者 | ジョージナ |
親族 | 17代ノーフォーク公爵マイルス(父) |
在任期間 | 2002年6月24日 - 現職 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 2002年6月24日 - 現職[1] |
第18代ノーフォーク公爵エドワード・ウィリアム・フィッツアラン=ハワード(英語: Edward William Fitzalan-Howard, 18th Duke of Norfolk, DL、1956年12月2日 - )は、イギリスの貴族、政治家。
父が爵位を継承した1975年から自身が爵位を継承した2002年までアランデル伯爵(Earl of Arundel)の儀礼称号で称された。
経歴
1956年12月2日、後に第17代ノーフォーク公爵となるマイルス・フィッツアラン=ハワードとその妻アン・メアリー・テレサ(旧姓コンスタブル・マックスウェル)の長男として生まれる[2]。
ローマ・カトリック系のインデペンデント・スクールアンプルフォース・カレッジを経て、オックスフォード大学リンカン・カレッジへ進学した[3]。
1989年にはパークウッド・グループ株式会社(Parkwood Group Ltd)の会長(Chairman)を務めた[2]。
2002年6月24日、第18代ノーフォーク公爵位を継承した[2]。イギリス貴族院は1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が大幅に制限されていたが、軍務伯(ノーフォーク公爵家世襲職)は議席を保ち続けることになり[4]、彼も爵位継承とともに貴族院議員に列した[1]。貴族院内では無所属議員である[5]。
ケンブリッジ大学セント・エドマンズ・カレッジの名誉フェローになっている[6]。
栄典
爵位
2002年6月24日に父マイルス・フィッツアラン=ハワードの死去により以下の爵位を継承した[7][3][2]。
- 第18代ノーフォーク公爵 (18th Duke of Norfolk)
- 第36代アランデル伯爵 (36th Earl of Arundel)
- (1139年頃アランデル城所有によって創設されたイングランド貴族爵位)
- 第18代サリー伯爵 (18th Earl of Surrey)
- (1483年6月28日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- 第16代ノーフォーク伯爵 (16th Earl of Norfolk)
- 第13代バーモント男爵 (13th Baron Beaumont)
- 第26代マルトレイヴァース男爵 (26th Baron Maltravers)
- 第16代フィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵 (16th Baron FitzAlan, Clun and Oswaldestre)
- (1627年の議会法によるイングランド貴族爵位)
- 第5代グロソップのハワード男爵 (5th Baron Howard of Glossop)
家族
1987年にジョージナ・ゴアと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けている[2]。
- 第1子(長男)ヘンリー・マイルス・フィッツアラン=ハワード(1987年-) : ノーフォーク公爵位の法定推定相続人。儀礼称号でアランデル伯爵。レーサー
- 第2子(長女)レイチェル・フィッツアラン=ハワード(1989年-) : 儀礼称号で嬢(Lady)
- 第3子(次男)トマス・フィッツアラン=ハワード(1992年-) : 儀礼称号で卿(Lord)
- 第4子(次女)イザベル・フィッツアラン=ハワード(1994年-) : 儀礼称号で嬢
- 第5子(三男)フィリップ・フィッツアラン=ハワード(1996年-) : 儀礼称号で卿
2011年4月には妻ジョージナと別居状態になったとマスコミに報じられた[8][9]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b UK Parliament. “Mr Edward Fitzalan-Howard” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月28日閲覧。
- ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Edward William Fitzalan-Howard, 18th Duke of Norfolk” (英語). thepeerage.com. 2014年5月28日閲覧。
- ^ a b "Dod's Parliamentary Companion"(2004) p.666
- ^ 田中(2009) p.241
- ^ “Duke of Norfolk”. www.parliament.uk. 2014年5月28日閲覧。
- ^ “St Edmund's College - University of Cambridge” (英語). www.st-edmunds.cam.ac.uk. 2018年9月10日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Norfolk, Duke of (E, 1483)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月3日閲覧。
- ^ “Duke of Norfolk and wife to begin trial separation” (英語). タイムズ. (April 15 2011) 2014年12月7日閲覧。
- ^ “Duke and his wife to separate” (英語). デイリー・ミラー. (2011年4月13日) 2014年12月7日閲覧。
参考文献
- 田中嘉彦『英国ブレア政権下の貴族院改革 第二院の構成と機能』(PDF)一橋大学、2009年 。
- Dod's Parliamentary Companion. Vacher Dod Publishing, Limited. (2004). ISBN 978-0905702438
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Duke of Norfolk
- Edward Fitzalan-Howard, 18th Duke of Norfolk
公職 | ||
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先代 第17代ノーフォーク公爵 |
軍務伯 2002年 - 現在 |
現職 |
イングランドの爵位 | ||
先代 マイルス・フィッツアラン=ハワード |
第18代ノーフォーク公爵 2002年 - 現在 |
次代 受爵中 (法定推定相続人 ヘンリー・フィッツアラン=ハワード) |