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マルトレイヴァース男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルトレイヴァース男爵
Baron Maltravers
創設時期1330年6月5日
創設者エドワード3世
貴族イングランド貴族
初代初代男爵ジョン・マルトレイヴァース英語版
現所有者26代男爵エドワード・フィッツアラン=ハワード
付随称号なし
現況存続
1415年以降、あるいは1627年議会法の決議以降は、アランデル伯爵の従属爵位
現在はノーフォーク公爵嫡孫の儀礼称号

マルトレイヴァース男爵: Baron Maltravers)はイギリスの古い男爵位。イングランド貴族爵位。廷臣ジョン・マルトレイヴァース英語版が1330年に貴族院に議会招集されたことに始まる。男爵位は、女系継承を経てアランデル伯爵、ついでノーフォーク公爵の従属爵位となっている。ゆえに公爵家の男子の嫡孫が名乗る儀礼称号に使用されている。

爵位に対して臨時紋章官のマルトレイヴァース紋章官補英語版が割り当てられている[1]

歴史

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11代男爵トマス・ハワード 彼の代に男爵位が伯爵位に附属することが決まった。

ジョン・マルトレイヴァース英語版(1290-1364)は国王エドワード2世及びエドワード3世につかえた廷臣である[2]。彼は1330年に王族初代ケント伯英語版処刑の是非に関する調査委員に任命されたが、その年の6月5日マルトレイヴァース男爵(Baron Maltravers)として議会招集を受けた[註釈 1][2][4]

初代男爵が1364年に亡くなると、早世した彼の長男ジョン(?-1359/60)の2人の娘ジョアンとエレノアの間で優劣がつかず、爵位は停止した[5]

その後、ジョアンが子供のないまま死去すると、エレノアが継承者に確定して1383年に停止解除となった[6]

2代女男爵エレノア(1345-1405)はアランデル伯爵家に嫁いだため、マルトレイヴァース男爵位は伯爵家に流出することとなる[4][5]

その子ジョン(1385-1421)は母の死去に伴って男爵位を継承、さらに1415年には父よりアランデル伯爵を相続した[7]

伯爵家(のちノーフォーク公爵家)はのちに私権剥奪を受けることとなるが、第21代アランデル伯爵の代に爵位を回復するとともに、1627年制定の議会法によって「マルトレイヴァース男爵位はアランデル伯爵位と恒久的に不可分一体である[註釈 2]」と定められたため、現在に至るまで伯爵位ひいてはノーフォーク公爵の従属爵位として公爵家によって継承され続けている[4][8]

1887年、当時の軍務伯第15代ノーフォーク公爵)の指名に基づいて、男爵位に対する紋章官マルトレイヴァース紋章官補英語版」が創設された[9]。臨時紋章官であるため幾度かの休止を挟むものの、現在まで紋章官としてその名を残している[1]

マルトレイヴァース男爵(1330年)

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以降の歴代男爵はアランデル伯爵及びノーフォーク公爵を参照。

脚注

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註釈

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  1. ^ エドワード2世廃位ののちは、王妃イザベラとその愛人ロジャー・モーティマーの傀儡のもとエドワード3世が即位した[3]。モーティマーは専横を極め、敵対するケント伯を公開裁判を経て処刑した[3]。初代男爵はその処刑に強く疑問を抱いていたという[2]
  2. ^ この際に、1627年創設のフィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵に関しても同様の趣旨の決定がなされている[8]

出典

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  1. ^ a b スレイター, スティーヴン 著、朝治 啓三 訳『【図説】紋章学事典』(第1版)創元社、2019年9月30日、39頁。ISBN 978-4-422-21532-7 
  2. ^ a b c Kingsford, Charles (1893). "Maltravers, John" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 36. London: Smith, Elder & Co. p. 6-7.
  3. ^ a b 森護『英国王室史話』大修館書店、1986年(昭和61年)、138-139頁。ISBN 978-4469240900 
  4. ^ a b c Arundel, Earl of (E, c.1139)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月17日閲覧。
  5. ^ a b Richardson, Douglas (2011). Magna Carta Ancestry: A Study in Colonial and Medieval Families, ed. Kimball G. Everingham. I (2nd ed.). Salt Lake City: Douglas Richardson. pp. 28-32  ISBN 1449966373
  6. ^ Cokayne, G.E. (1932). The Complete Peerage, edited by Vicary Gibbs. VIII (2nd ed.). London: St Catherine Press. pp. 583-586 
  7. ^ Gibbs, Vicary, ed (1910). “Arundel”. The Complete Peerage. 1 (2nd ed.). London: St. Catherine Press. p. 246. https://archive.org/details/completepeerageo01coka/page/246 
  8. ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 680. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  9. ^ "No. 25763". The London Gazette (英語). 2 December 1887. p. 6721.

関連項目

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