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2020年12月1日 (火) 12:08時点における版

山花 郁夫
やまはな いくお
法務副大臣就任時に公表された肖像写真
生年月日 (1967-01-18) 1967年1月18日(57歳)
出生地 日本の旗 東京都調布市
出身校 立命館大学法学部卒業
前職 LEC東京リーガルマインド講師
所属政党民主党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党赤松G
称号 法学士(立命館大学・1989年
親族 祖父・山花秀雄(元日本社会党副委員長)
父・山花貞夫(元日本社会党委員長
公式サイト 山花郁夫 やまはないくお 立憲民主党 衆議院議員

選挙区東京22区→)
比例東京ブロック
当選回数 4回
在任期間 2000年6月26日 - 2005年8月8日
2009年8月30日 - 2012年11月16日
2017年10月23日 - 現職
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山花 郁夫(やまはな いくお、1967年1月18日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(4期)、立憲民主党憲法審査会長[1]法務副大臣野田第3次改造内閣)、外務大臣政務官菅第1次改造内閣菅第2次改造内閣)等を務めた。

父は日本社会党委員長政治改革担当大臣旧民主党副代表等を務めた元衆議院議員の山花貞夫。祖父は元日本社会党副委員長の山花秀雄

来歴

2010年11月19日国際協力機構理事長緒方貞子(左)と
2011年6月20日経済産業大臣海江田万里(左)、在ウィーン国際機関政府代表部特命全権大使中根猛(右)と

東京都調布市生まれ[2]晃華学園小学校早稲田高等学校立命館大学法学部卒業[2]。大学卒業後、1999年まで10年間、LEC東京リーガルマインド専任講師を務め、公務員志望者を対象に憲法学の講義を担当していた[2]

2000年、議員在職のまま死去した父・山花貞夫の地盤を引き継ぎ、第42回衆議院議員総選挙東京22区から民主党公認で出馬。6人が立候補した混戦を制して初当選した[2]。当選後、男性国会議員では初めて産休を取得した[2]2002年民主党代表選挙では、現職の鳩山由紀夫代表ではなく、同じ東京都選出の菅直人東京18区選出)を支持したが、菅は鳩山に敗れた。同年12月、執行部人事等をめぐり党内の混乱を招いた鳩山代表が引責辞任したため、再度代表選に立候補した菅の推薦人に名を連ね、菅は岡田克也を破り民主党代表に選出された。2003年第43回衆議院議員総選挙では、東京22区で自由民主党前職の伊藤達也(前回は比例東京ブロック単独で立候補し、当選していた)を破り、再選(伊藤も比例復活[2]。なお、父の山花貞夫は1996年第41回衆議院議員総選挙で、新進党公認の伊藤に敗れた。

2005年第44回衆議院議員総選挙では現職の金融担当大臣である伊藤に東京22区で敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでも復活できず、落選した[2]2009年第45回衆議院議員総選挙では、東京22区で自民党前職の伊藤を破り、4年ぶりに国政に復帰した[3][2]

2010年第1次菅改造内閣外務大臣政務官に任命され、第2次菅改造内閣まで務める[2][4]2012年民主党代表選挙では赤松広隆の推薦人に名を連ねたが、赤松は現職の野田佳彦首相に敗れた[5]。代表選後に発足した第3次野田改造内閣法務副大臣に任命されるが、同年12月の第46回衆議院議員総選挙では東京22区で伊藤に敗れ、比例東京ブロックでの復活もできず落選した[6][2]2014年第47回衆議院議員総選挙にも民主党公認で東京22区から出馬したが、自民党前職の伊藤に敗れ、比例復活もできず再び落選した[7]

2017年第48回衆議院議員総選挙に際しては、前原誠司民進党代表9月27日、民進党を事実上解党し、希望の党からの立候補を容認する方針を明らかにした[8]。山花は10月2日、「安保法制の白紙撤回を求めてきた立場で(希望の党とは)距離がある」として希望の党への公認を申請せず、枝野幸男が結党した立憲民主党から出馬する意向を表明[9]。希望の党は10月3日、弁護士の金ヶ崎絵美を擁立したことを発表[10]。立憲民主党公認で東京22区から出馬し、選挙区では自民党前職の伊藤に敗れたが、比例東京ブロックで復活し、5年ぶりに国政に復帰した[11]

政策・主張

2010年11月18日国際連合ボランティア計画事務局長フラビア・パンシエーリ(左)と

活動

2011年4月19日、日本駐箚パラグアイ特命全権大使ナオユキ・トヨトシ(左)と
  • 名古屋刑務所受刑者が高圧放水によって死亡した事件について、2003年3月、消防用ホースを用いた再現実験を山花、永田寿康の2名で行った。しかし実際の水圧は実験のものの10分の1程度にすぎなかったため、民主党は謝罪に追い込まれた[13]
  • 2003年8月、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わった[14]

所属団体・議員連盟

脚注

  1. ^ 立憲民主党 役員一覧 - 立憲民主党
  2. ^ a b c d e f g h i j プロフィール│衆議院議員 山花郁夫 やまはないくお オフィシャルウェブサイト
  3. ^ “東京 小選挙区:総選挙2009:YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. 読売新聞. https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/kaihyou/ya13.htm#k022 2018年9月5日閲覧。 
  4. ^ 法務副大臣 山花 郁夫(やまはな いくお)│野田第三次改造内閣 副大臣名簿
  5. ^ “民主代表に野田首相再選、24日までに党執行部人事”. ロイター通信. (2012年9月21日). https://jp.reuters.com/article/t9e8kj003-dpj-noda-idJPTYE88K04V20120921 2018年9月5日閲覧。 
  6. ^ “2012衆院選 東京22区”. 毎日新聞. http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_ichiran.html?aid=A13022 2018年9月5日閲覧。 
  7. ^ “2014衆院選 東京”. 毎日新聞. http://senkyo.mainichi.jp/47shu/ichiran.html?aid=A13001&st=tk#022 2018年9月5日閲覧。 
  8. ^ “衆院選:民進党、事実上解党 「希望の党」に合流へ”. 毎日新聞. (2017年9月28日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170928/k00/00m/010/120000c 2017年11月18日閲覧。 
  9. ^ “【衆院選】民進元職・山花郁夫氏が枝野氏の立憲民主党へ 「安保の白紙撤回求めてきたので」希望に申請せず”. 産経新聞. (2017年10月2日). https://www.sankei.com/politics/news/171002/plt1710020103-n1.html 2018年9月5日閲覧。 
  10. ^ “【衆院選】希望の党・第1次公認リスト(192人)”. 産経新聞. (2017年10月3日). https://www.sankei.com/politics/news/171003/plt1710030138-n2.html 2020年2月15日閲覧。 
  11. ^ “衆院選2017:立憲・末松氏ら、比例復活当選 希望・伊藤氏も/東京”. 毎日新聞. (2017年10月24日). https://mainichi.jp/articles/20171024/ddl/k13/010/215000c 2018年9月5日閲覧。 
  12. ^ a b c d e f g h i “第48回衆院選 立憲 東京22区 山花 郁夫”. 毎日新聞. http://senkyo.mainichi.jp/47shu/ichiran.html?aid=A13001&st=tk#022 2018年9月5日閲覧。 
  13. ^ 衆議院会議録情報 第19号 平成15年5月28日
  14. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ

関連項目

外部リンク

公職
先代
谷博之
日本の旗 法務副大臣
2012年
次代
後藤茂之
先代
吉良州司
西村智奈美
徳永久志
日本の旗 外務大臣政務官
菊田真紀子
徳永久志と共同

2011年 - 2012年
次代
中野譲
加藤敏幸
浜田和幸