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2011年、宮原・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。同年高1のときからレギュラーに抜擢され中心選手として活躍し<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2011-10-05|url=http://web.gekisaka.jp/189962_87240_fl|title=広島MF川辺駿(1年、広島ユース)_主役候補が見せた絶大な存在感|accessdate=2014-01-31}}</ref>、同年度の[[第66回国民体育大会|山口国体]]少年の部3位、高円宮杯では2連覇([[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011年高円宮杯プレミア]]・[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012|2012年高円宮杯プレミア]])などに貢献した。
2011年、宮原・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。同年高1のときからレギュラーに抜擢され中心選手として活躍し<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2011-10-05|url=http://web.gekisaka.jp/189962_87240_fl|title=広島MF川辺駿(1年、広島ユース)_主役候補が見せた絶大な存在感|accessdate=2014-01-31}}</ref>、同年度の[[第66回国民体育大会|山口国体]]少年の部3位、高円宮杯では2連覇([[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011年高円宮杯プレミア]]・[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012|2012年高円宮杯プレミア]])などに貢献した。


2013年高3から宮原・大谷らと共にトップチームに[[2種登録選手]]として登録され、同年3月13日ACL第2節対北京国安戦にベンチ入りを果たす。のち同年3月25日、宮原と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ<ref name="chugoku20130326">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2013-03-26|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201303260053.html|title=ユースの川辺・宮原とプロ契約|accessdate=2014-01-31}}</ref>。なお高校年代選手のプロ契約としては[[萩洋次郎]]・[[岡本知剛]]以来3例目であるが<ref name="chugoku20130326" />、ユース所属でのプロ契約は初のケース。同年3月30日にJ1リーグデビューを果たしている。同時に活躍した広島ユースでは[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]]準優勝、[[第21回Jリーグユース選手権大会|同年度のJユースカップ]]準優勝に貢献する。
2013年高3から宮原・大谷らと共にトップチームに[[2種登録選手]]として登録され、同年3月13日ACL第2節対北京国安戦にベンチ入りを果たす。のち同年3月25日、宮原と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ<ref name="chugoku20130326">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2013-03-26|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201303260053.html|title=ユースの川辺・宮原とプロ契約|accessdate=2014-01-31}}</ref>。なお高校年代選手のプロ契約としては[[萩洋次郎]]・[[岡本知剛]]以来3例目であるが<ref name="chugoku20130326" />、ユース所属でのプロ契約は初のケース。同年3月30日にJ1リーグデビューを果たしている。同時に活躍した広島ユースでは[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]]準優勝、[[第21回Jリーグユース選手権大会|同年度のJユースカップ]]準優勝に貢献する。


=== サンフレッチェ広島 ===
=== サンフレッチェ広島 ===

2020年11月30日 (月) 04:03時点における版

川辺 駿
名前
愛称 ハヤオ
カタカナ カワベ ハヤオ
ラテン文字 KAWABE Hayao
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1995-09-08) 1995年9月8日(29歳)
出身地 広島県広島市安佐北区[1]
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション MF / FW
背番号 8
利き足 右足
ユース
広島高陽FC(落合東小)
2008-2010 サンフレッチェ広島Jr.ユース(落合中)
2011-2013 サンフレッチェ広島ユース(吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2013- サンフレッチェ広島 71 (3)
2014-2015 Jリーグ・アンダー22選抜 1 (0)
2015-2017 ジュビロ磐田 (Loan) 91 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川辺 駿(かわべ はやお、1995年9月8日 - )は、広島県広島市安佐北区出身[1]プロサッカー選手Jリーグサンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード並木学院高等学校卒。

来歴

プロ入り前

4歳上の兄の影響で自身も幼少期からサッカーに親しみ[1]、小学1年生の頃から地元強豪チームの広島高陽FCでプレーする[2]。同クラブの2期上に渡大生、4期上に中山雄登、6期上に増田卓也がいる。

2008年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する[2]。同期に宮原和也大谷尚輝。ボランチとして活躍し、日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会3位進出に貢献している[3]

2011年、宮原・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。同年高1のときからレギュラーに抜擢され中心選手として活躍し[4]、同年度の山口国体少年の部3位、高円宮杯では2連覇(2011年高円宮杯プレミア2012年高円宮杯プレミア)などに貢献した。

2013年高3から宮原・大谷らと共にトップチームに2種登録選手として登録され、同年3月13日ACL第2節対北京国安戦にベンチ入りを果たす。のち同年3月25日、宮原と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ[5]。なお高校年代選手のプロ契約としては髙萩洋次郎岡本知剛以来3例目であるが[5]、ユース所属でのプロ契約は初のケース。同年3月30日にJ1リーグデビューを果たしている。同時に活躍した広島ユースでは日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会準優勝、同年度のJユースカップ準優勝に貢献する。

サンフレッチェ広島

2014年にトップチーム昇格[1]。同期入団は、宮原、大谷、高橋壮也皆川佑介茶島雄介ビョン・ジュンボン。また、鈴木政一率いるU-18日本代表にも選出され、AFC U-19選手権2014 (予選)AFC U-19選手権2014に出場している。

ジュビロ磐田

2015年開幕直前にジュビロ磐田名波浩監督に見初められ磐田へ期限付き移籍[6][7]。4月10日にプロA契約を締結[8]。第3節カマタマーレ讃岐戦では、途中出場途中交代を経験したが、第6節横浜FC戦で後半スタートから出場、初アシストを記録しチームの逆転勝利に貢献した。川辺は「丸亀があったからこそいい準備ができたし生かせた。今日のプレーを続けていきたい。」と話している[9]。第27節ファジアーノ岡山FC戦で記録したリーグ戦初ゴールはJ2通算14000ゴール目であった[10][11]。後半戦からはレギュラーに定着し磐田の3年ぶりのJ1復帰に貢献、U-22日本代表候補に選出されている。

2016年7月23日の横浜F・マリノス戦(日産スタジアム)でJ1初ゴールを挙げた[12]。8月に小林祐希が移籍後は、小林の代役として本来のボランチではなくトップ下でプレー[13]し、トップ下でも良いプレーを見せた[14]

2017年シーズンもレギュラーとして活躍し、この年に横浜FMから加入した中村俊輔からは「駿は代表に入ってもおかしくないし、もう一皮むけるといいと思う」と称賛された[15]。また、シーズン終了後にはJ1・J2・J3に所属する満23歳以下の選手を対象としたタグ・ホイヤーヤングガンアワードのベスト11に選出された[16]

サンフレッチェ広島復帰

2018年より4年ぶりに広島に復帰[17]。2018年シーズンは、広島ユース出身である事や期限付き先の磐田で活躍した事もあり期待値が高かったが[18]、本来のポジションでは無いサイドハーフでの起用が多く、リーグ戦33試合に出場するもスタメンは12試合でレギュラー獲得までとはいかなかった[19]

2019年シーズン、ボランチとして開幕スタメンを掴み、4月6日に行われた第6節のガンバ大阪戦で得点を決め、広島での初ゴールを挙げた[20]。この年リーグ戦全試合に出場した。

人物・エピソード

  • 2018年8月7日、マツダスタジアムで行われたプロ野球広島東洋カープ中日ドラゴンズの試合[注 1] で始球式に臨み、ノーバウンドでストライクゾーンに投げ込んだ。始球式後には「(現在ともに首位の両チームの)同時優勝を目指します。お互いが協力して、平和を発信し続けたい」と話した。自身は曾祖母が被爆者という被爆4世であり、毎年8月6日に黙祷を捧げている [21][22]

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013 広島 36
[注 2]
J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2014 1 0 0 0 3 0 4 0
2015 磐田 40 J2 33 3 - 1 0 34 3
2016 J1 26 2 5 0 0 0 31 2
2017 32 4 3 1 3 0 38 5
2018 広島 36 33 0 5 0 3 0 41 0
2019 40 34 3 2 0 1 0 37 3
2020 8
通算 日本 J1 129 9 15 1 10 0 154 10
日本 J2 33 3 - 1 0 34 3
総通算 162 12 15 1 11 0 188 13

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2014 J-22 - J3 1 0 1 0
2015 0 0 0 0
通算 日本 J3 1 0 1 0
総通算 1 0 1 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2013 広島 37[注 2] 2 0
2014 36 2 0
2019 40 4 0
通算 AFC 6 0

その他の国際公式戦

タイトル

チーム

サンフレッチェ広島ユース

個人

  • TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD:1回(2017年)

代表歴

脚注

注釈
  1. ^ この日の試合は核兵器のない世界になるように祈るピースナイターであった。
  2. ^ a b 先にACLの背番号登録を行い、後にJリーグの背番号登録を行ったため、背番号が異なることに注意。なお37番は宮原のJリーグ登録用背番号。
出典
  1. ^ a b c d 輝け サンフレルーキーズ<3>MF川辺駿(18)=広島ユース”. 中国新聞 (2014年1月31日). 2014年1月31日閲覧。
  2. ^ a b J's GOAL、2013年3月25日付
  3. ^ adidas CUP 2010 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会 準決勝” (PDF). 日本クラブユースサッカー連盟 (2010年8月22日). 2014年1月31日閲覧。
  4. ^ 広島MF川辺駿(1年、広島ユース)_主役候補が見せた絶大な存在感”. ゲキサカ (2011年10月5日). 2014年1月31日閲覧。
  5. ^ a b ユースの川辺・宮原とプロ契約”. 中国新聞 (2013年3月26日). 2014年1月31日閲覧。
  6. ^ 川辺駿選手が期限付き移籍加入”. ジュビロ磐田公式サイト (2015年2月27日). 2015年2月27日閲覧。
  7. ^ 磐田がMF川辺獲得 名波監督一目ぼれ”. ニッカンスポーツ (2015年2月28日). 2015年11月2日閲覧。
  8. ^ 川辺 駿選手とプロA契約締結”. ジュビロ磐田公式サイト (2015年4月10日). 2015年4月10日閲覧。
  9. ^ 磐田川辺決勝アシスト「今日のプレーを続けたい」”. 日刊スポーツ (2015年4月6日). 2015年4月6日閲覧。
  10. ^ 磐田2位キープ 川辺劇的プロ初弾、岡山に逆転勝ち”. 日刊スポーツ (2015年8月2日). 2015年8月2日閲覧。
  11. ^ J2リーグ戦 通算14,000ゴール!”. Jリーグ公式サイト (2015年8月1日). 2015年8月1日閲覧。
  12. ^ 磐田川辺ドロー弾リオ代表落ち悔しさ胸にJ1初得点”. 日刊スポーツ (2016年7月24日). 2016年7月26日閲覧。
  13. ^ 磐田川辺、トップ下で起用か 移籍小林の穴埋める”. 日刊スポーツ (2016年8月19日). 2016年11月8日閲覧。
  14. ^ 磐田、待望の2nd初勝利。課題残るも、流れ変えうる勝点3。光明はトップ下・川辺駿”. フットボールチャンネル (2016年8月26日). 2016年11月3日閲覧。
  15. ^ 磐田・中村俊輔、加入1年目を振り返る「外からの余計なストレスがなかった」 Goal.com 2017年12月2日
  16. ^ 川辺 駿選手が「タグ・ホイヤーヤングガンアワード」受賞のお知らせ ジュビロ磐田 2017年12月4日
  17. ^ 川辺駿選手 期限付き移籍より復帰のお知らせ サンフレッチェ広島、2017年12月12日
  18. ^ 川辺駿・自分を生かし切れず悔しさを感じた2018年広島アスリートマガジン2019年3月号 2019年2月26日
  19. ^ フットボールラボ 川辺駿 2018年
  20. ^ 日本代表GKが一歩も動けないコントロールショット…広島初弾のMF川辺駿「これで終わりだと思った」ゲキサカ 2019年4月6日
  21. ^ J1広島のMF川辺がノーバウンド始球式 中日との「ピースナイター」 サンスポ 2018年8月7日
  22. ^ 核兵器のない世界祈る 今年も広島で「ピースナイター」 朝日新聞DIGITAL 2018年8月7日

参考資料

関連項目

外部リンク