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中山雄登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山 雄登
名前
カタカナ ナカヤマ ユウト
ラテン文字 NAKAYAMA Yuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1991-04-11) 1991年4月11日(33歳)
出身地 広島県
身長 165cm
体重 58kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 Criacao Shinjuku
ポジション MF (DH / OH)
背番号 21
利き足 左足
ユース
2004-2009 日本の旗 サンフレッチェ広島
2010-2013 日本の旗 流通経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2014-2019 日本の旗 ロアッソ熊本 171 (2)
2020-2022 日本の旗 ザスパクサツ群馬 45 (1)
2023- 日本の旗 Criacao Shinjuku 28 (0)
通算 244 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年2月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中山 雄登(なかやま ゆうと、1991年4月11日 - )は、広島県出身のプロサッカー選手。ポジションは、MF

経歴

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小学生時代は広島のサッカー強豪チームである広島高陽FCでプレーする。高陽FCおよびサンフレッチェ広島ジュニアユースの先輩には田坂祐介髙柳一誠森重真人がおり、更に田坂と髙柳は広島ユースの先輩でもある。

サンフレッチェ広島ユース出身の選手で、当ユースから流通経済大学へ進学したのは中山が最初の選手である。大学在籍時のポジションはボランチや右サイドハーフ[1]であった。

2013年に、2014年シーズンのロアッソ熊本入りが内定した[2]。2014年シーズンの開幕戦でスタメン出場、Jリーグデビューを果たした。最終的にはノーゴールながら、左足のテクニックとラストパスを武器に8アシストを記録し、チームの攻撃の中心的選手に成長した。

2015年シーズンも攻撃的MFやボランチの主力としてプレー。持ち前のラストパスを対策された(スカパー試合中継にて発言あり)ことでアシスト数は減ったが、高い位置からの守備などで貢献した。2016年シーズンは縦に速いサッカーを標榜したことにより、中盤でのポゼッションを強みとする中山の出番は減ってしまった。2017年も不遇のシーズンだったが、渋谷監督になってからは常にチームの主力としてプレーし続けた。2019年も主力として多くの試合に出場したが、12月11日にロアッソ熊本より契約満了が発表された。

2020年1月6日、ザスパクサツ群馬に加入[3]

2022年11月30日、2023年シーズンより、Criacao Shinjukuに加入することが発表された[4]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 流経大FC 11 JFL 12 0 - - 12 0
2014 熊本 27 J2 37 0 - 1 0 38 0
2015 35 0 - 2 0 37 0
2016 19 0 - 2 0 21 0
2017 17 0 - 1 0 18 0
2018 32 1 - 1 0 33 1
2019 J3 31 1 - 1 0 32 1
2020 群馬 41 J2 12 0 - - 12 0
2021 30 1 - 1 0 31 1
2022 3 0 - 2 0 5 0
2023 新宿 21 JFL 28 0 - 0 0 28 0
2024 -
通算 日本 J2 185 2 - 10 0 195 2
日本 J3 31 1 - 1 0 32 1
日本 JFL 40 0 - 0 0 40 0
総通算 256 3 0 0 11 0 267 3
  • その他:熊本県サッカー選手権大会(2019年):1試合0得点

代表歴

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  • 2011年度デンソーカップチャレンジ関東選抜B

脚注

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  1. ^ 熊本 中山 巻の相棒名乗り 山形と練習試合 トップ下で猛アピール - 西日本新聞 2014年2月15日
  2. ^ 中山雄登選手、来季加入内定のお知らせ ロアッソ熊本 プレスリリース 2013年12月30日付
  3. ^ 群馬、熊本退団のMF中山雄登を獲得”. ゲキサカ (2020年1月6日). 2021年1月6日閲覧。
  4. ^ 中山雄登 選手 クリアソン新宿へ完全移籍のお知らせ”. ザスパクサツ群馬 (20202-11-30). 2022年11月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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