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2020年11月29日 (日) 00:03時点における版
瀬能あづさ | |
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生誕 | 1973年4月3日(51歳) |
出身地 | 日本 神奈川県厚木市 |
学歴 | 神奈川県立厚木北高等学校中退 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 |
1989年 - 1995年 2003年 - 2004年 |
瀬能 あづさ(せのう あづさ、1973年4月3日[1] - )は、日本の歌手、女優。神奈川県厚木市[1]出身。神奈川県立厚木北高等学校中退。愛称はあっちゃん。血液型はB型[1]。
略歴
- 1989年 - 「パラダイスGoGo!!」(フジテレビ)の乙女塾2期生としてデビュー。アイドルグループCoCo[1]結成。
- 1991年 - 9月、シングル「もう泣かないで」でソロデビュー。
- 1992年 - 5月17日の日本武道館でのコンサートを最後にCoCoを脱退、以後ソロ活動に専念[1]。
- 1995年 - 6月、芸能界を引退する。
- 1996年 - 横浜ベイスターズ(当時)の石井琢朗との婚約を発表。
- 2000年 - 石井琢朗と離婚。
- 2003年 - 「AZU」名義でCDを販売。(通販限定)
- 2004年 - 写真集を発表。
来歴
在籍していたCoCoが活躍した時代は「アイドル冬の時代」とも言われる程で、おニャン子クラブに代わる新たなアイドルを模索するべく始まったのがパラダイスGoGo!!(パラGo!!)であった。
そこで三浦理恵子らと共に乙女塾2期生としてデビューする。
昔から歌が好きで、カラオケでもコブシをまわしながら演歌を熱唱するなど、単なる「唄う事が好きな女の子」ではない才能を露にしていた。パラGo!!時代から「次期・工藤静香」とも言われるほど歌唱力を買われており、CoCoとして工藤と同じプロダクション尾木に在籍することとなる。
歌唱力を買われ、いち早くCoCoから脱退し、高見沢俊彦(THE ALFEE)にその才能を認められ、セカンドアルバム「HORIZON」のほとんどの曲を高見沢が作曲するなど、アイドルとしてよりも歌手としての評価が高まっていった。瀬能自身はアイドルという殻を脱ぎ捨てて心機一転を図っていたが、多くのファンは最後までCoCo時代と同様の扱い(ライブ中のコール、バラード熱唱中の手拍子など)をやめなかった。
石井琢朗との婚約を機に引退。2000年、離婚。
2003年、g-crewのライブに「AZU」名義で参加。そこで披露した曲をオンラインのみで販売(通販限定・現在は販売中止)。
2004年に週刊プレイボーイのグラビアで突然復帰し、そのグラビア写真を用いたセミヌード写真集を発売。その後は活動らしい活動はないままで、写真集発表の目的や近況などは不明である。
人物・エピソード・トリビア
- 身長156cm、靴のサイズは23.5cm
- 好きなアーティストはプリンセス・プリンセスと今井美樹、山口百恵、森川美穂、浜田麻里等である。
- 車の種類に詳しくその事をレギュラーを務めていたラジオ番組でもよくネタにしていた。
- プロレス好きで、好きなプロレスラーは長与千種。
- 中学生の時、深夜に目が覚めると枕元に泥棒が立っていたという体験をしている。危害は加えられなかったが、その後2ヶ月ほど眠れない日が続き、体がやつれ、体重が40kg以下にまでなってしまった。
- 子供の頃、スカートを履いて友達と遊んでいた時、酔っ払いの年配男性が近づいてきて「ちょっと(スカートの中を)見せてごらん」と言われ、とても怖ったという[2]。
- 自身のラジオ番組がプロ野球中継で頻繁に潰れる為、いつも番組内でぼやいていた。放送時間が変わった時は「この時間なら野球もないしね」と胸を撫で下ろしていた[3]。
- 高い歌唱力を持ち、曲のサビに繋がる盛り上がる部分やソロパートを多く担当していた。また、後にその歌唱力を買われ、ソロ転向という理由でCoCoを脱退することとなった。
- CoCo在籍時は基本的にセンターのポジションを務め、CDジャケットにおいても中央に写ることが多かった。そのため、「CoCoのエースは瀬能あづさ」というイメージが多くのファンに浸透していった。
- CoCo脱退について、「正直言って自分でもCoCoを抜けることになるとは思ってなかったんですよね、だからまずはビックリですよね。ただ、3年間やってきて、自分たちで想像してた以上に成長出来て、メンバーみんながそれぞれの今後を漠然と考える時期でもあって…。じゃあ、チャンスをもらったんだから頑張ってみようって。でも実際のところ全然実感なんてなかったんですよ」と後に語っている。
- CoCo脱退、独立に関してはバーニングプロダクションの平野昌一プロデューサーからのアドバイス・薦めがあったとされている[4]。
- CoCo脱退後にHYU2(ヒューヒュー)という番組に出演し、嘘発見器にかけられた(全ての質問に「いいえ」と答える設定)。その際、CoCoについて「はっきり言ってCoCoを辞めて肩の荷が下りた」という質問に対して嘘発見器は微妙な反応を見せたが、「私は団体生活にむいていない」という質問にはほとんど嘘発見器の反応は無かった。
- メンバーの三浦理恵子とは唯一の同級生のメンバーということもあり、特に仲が良く、ロケや番組内でも常に一緒に行動している程であった。
- メンバーの羽田惠理香は瀬能について「若いのにおばさんみたいなことを言う子」と語っている。
ディスコグラフィ
シングル
枚 | 発売日 | タイトル | 収録曲 | 備考 |
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1st | 1991年9月4日 | もう泣かないで |
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2nd | 1992年1月15日 | 見つめていても |
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3rd | 1992年6月3日 | 君の翼~だいじょうぶだから~ |
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4th | 1992年10月21日 | あなたじゃなければ |
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5th | 1993年2月19日 | I miss You | ||
6th | 1993年6月18日 | 失恋カフェ |
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7th | 1993年10月21日 | 秋 |
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アルバム
リリース日 | タイトル | 収録曲 | 備考 | |
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1st | 1992年8月21日 | Crystal Eyes |
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2nd | 1993年7月21日 | Horizon |
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BEST | 2002年9月19日 | Myこれ!クション 瀬能あづさBEST |
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MINI | 2003年 | 愛することの意味 忘れずにいたら |
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BEST | 2008年7月16日 | Myこれ!チョイス Crystal Eyes+シングルコレクション |
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BEST | 2010年5月19日 | Myこれ!Liteシリーズ |
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出演番組
(※CoCo時代に出演した番組はCoCo (アイドルグループ)を参照)
テレビ
- 愛という名のもとに(1992年、フジテレビ) - 藤木由美 役
- 逃亡者 第7話「セーラー服に秘められた事実が…」(1992年、フジテレビ)
- 華岡青洲の妻(1992年、フジテレビ) - 雪乃 役
- 積木くずし-崩壊(1994年、テレビ東京) - 泉ひかり 役
映画
- SOWHAT(1988年、松竹)
ラジオ
- 瀬能あづさマイ・ブライト・ナイト(文化放送)
写真集
- 予感(1991年10月、ワニブックス、撮影:山内順仁)ISBN 978-4847022180
- Liberty(1992年11月10日、ワニブックス、撮影:萩庭桂太)ISBN 4847022971
- LEGENDE(2004年5月26日、ワニブックス、撮影:山内順仁)ISBN 4847028074