「マイ・ウェイ」の版間の差分
YOKOTA Kuniteru (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
m Bot作業依頼: イッツ・マイ・ライフ改名に伴うリンク修正依頼 (イッツ・マイ・ライフ (ボン・ジョヴィの曲)) - log |
||
122行目: | 122行目: | ||
=== 歌への影響 === |
=== 歌への影響 === |
||
*[[デヴィッド・ボウイ]]は、1968年に「マイ・ウェイ」の原曲「コム・ダビチュード」に新たな歌詞を付けた「Even a Fool Learns to Love」を作ったが、それはリリースされなかった。「マイ・ウェイ」が世に出てから後に、ボウイは「マイ・ウェイ」のパロディ「[[:en:Life on Mars (song)|Life on Mars?]]」をリリースした。 |
*[[デヴィッド・ボウイ]]は、1968年に「マイ・ウェイ」の原曲「コム・ダビチュード」に新たな歌詞を付けた「Even a Fool Learns to Love」を作ったが、それはリリースされなかった。「マイ・ウェイ」が世に出てから後に、ボウイは「マイ・ウェイ」のパロディ「[[:en:Life on Mars (song)|Life on Mars?]]」をリリースした。 |
||
*[[ボン・ジョヴィ]]の「[[イッツ・マイ・ライフ]]」(のちにポール・アンカが『Rock Swings』でカバー)のコーラス部分の詞は、「Like Frankie said, I did it my way」(フランキーみたいに、わが道を行け)である。 |
*[[ボン・ジョヴィ]]の「[[イッツ・マイ・ライフ (ボン・ジョヴィの曲)|イッツ・マイ・ライフ]]」(のちにポール・アンカが『Rock Swings』でカバー)のコーラス部分の詞は、「Like Frankie said, I did it my way」(フランキーみたいに、わが道を行け)である。 |
||
*ポップデュオの[[スパークス (バンド)|スパークス]]は、「When Do I Get to Sing My Way」という曲を1994年のアルバム『Gratuitous Sax & Senseless Violins』に収録している。 |
*ポップデュオの[[スパークス (バンド)|スパークス]]は、「When Do I Get to Sing My Way」という曲を1994年のアルバム『Gratuitous Sax & Senseless Violins』に収録している。 |
||
*ラッパーの[[Jay-Z]]は、この曲について何度も言及している。アルバム『The Blueprint 2』に、この曲をサンプリングした「I Did It My Way」を収録している。 |
*ラッパーの[[Jay-Z]]は、この曲について何度も言及している。アルバム『The Blueprint 2』に、この曲をサンプリングした「I Did It My Way」を収録している。 |
2020年10月22日 (木) 03:15時点における版
「マイ・ウェイ」 | ||
---|---|---|
フランク・シナトラの楽曲 | ||
収録アルバム | 『マイ・ウェイ』 | |
リリース | 1969年 | |
録音 | ロサンゼルス(1968年12月30日) | |
ジャンル | ポピュラー音楽 | |
時間 | 4分35秒 | |
レーベル | リプリーズ・レコード | |
作詞者 | ポール・アンカ | |
作曲者 | クロード・フランソワ ジャック・ルヴォー | |
プロデュース | ソニー・バーク | |
チャート順位 | ||
27位(アメリカ)
5位(イギリス)
|
「マイ・ウェイ」(My Way)は、フランク・シナトラのポピュラー・ソング。作詞はポール・アンカ、作曲はクロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー。原曲は1967年のクロード・フランソワのフランス語の歌「Comme d'habitude」(コム・ダビチュード 作詞:クロード・フランソワ、ジル・ティボ 作曲:クロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー)で、ポール・アンカが新たに英語の詞を書き[注 1]、1969年にフランク・シナトラのシングル及び同名のアルバムとして発売された。後にエルヴィス・プレスリーはじめ多くの歌手によりカバーされ、カバーされた回数が史上第2位の曲(第1位はビートルズの「イエスタデイ」)だと言われている[1]。
テーマ
主人公の男性が、自分の死が近付く中、自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて、後悔せず自信を持っている、と語る内容である。
解説
ポール・アンカは、1967年のフランス人歌手クロード・フランソワのシャンソン「Comme d'habitude」(コム・ダビチュード)を、南フランスで休暇中に聞いて、曲の権利を交渉するためにパリへ向かった[2]。2007年のインタビューでは、「いまいちのレコードだと思ったけど、何かを感じた」と語っている[3]。そして交渉後に無償で権利を得た[4]。2年後にフロリダでフランク・シナトラと食事をした際、アンカによれば、当時シナトラは自分の嫌いなポップ・ソングを歌わざるを得ない状況にあり「こんな仕事は辞めてやるよ。もううんざりだ、とっとと辞めてやる」と語ったという[3]。
アンカはニューヨークへ戻ってから、元のフランス語の曲のメロディーを微妙に変更して、シナトラのために歌詞を書いた。
「いつかの朝、IBM製の古い電動タイプライターの前に座ったときに『もしフランクにこの書いた詞を渡したら、彼は何て言うだろう?』と思いながら『今終わりが近い・・・』と始めた。雑誌をたくさん読んでいると、すべてが『俺のこれ (my this)』、『俺のあれ (my that)』であることに気づいた。僕らはフランクのことがまさに『俺の世代 (my generation)』だと思った。僕はいつもは使わない言葉だけど、彼が話した内容を『食いつくし、吐き出した』。僕はラットパックの奴ら、自分の影に怯えているにもかかわらずマフィアのように話すのが好きな連中と蒸し風呂のまわりにいたものだった。」
アンカは朝5時に曲を作り終え、「フランクにネバダへ呼ばれた。彼はシーザーズ・パレスに居て、『お前のために特別だよ』と語った[3]。」アンカはさらに語っている。「僕のレコード会社は、僕が自分自身のために曲をつくったのでないことを知ると怒った。でも僕は『ね、僕はこの曲を書くことはできるけど、この曲を歌う人ではないよ』と言った。この曲を歌うのは他の誰でもなく、フランクこそふさわしい[3]。」なお、アンカはシナトラが録音した直後の1969年にこの曲を録音しており、1996年には映画『マッド・ドッグス』でガブリエル・バーンとのデュエットを、2007年にはジョン・ボン・ジョヴィとのデュエットを発表している[5]。
フランク・シナトラのバージョンは1968年12月30日に録音され、1969年のはじめに発売された。アメリカでは総合シングル・チャートのビルボード・ホット100で27位、ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャートで2位を記録し[6]、イギリスでは40位以内に75週間もランクイン(1969年4月から1971年9月まで)する、とてつもない記録をつくった。75位以内ではさらに49週間もランクインしたが、最高位は最初にランクされた5位止まりだった[7]。
カバー
ドロシー・スクワイアーズのカバー
全英シングルチャートでシナトラの記録が続く中、ウェールズの歌手ドロシー・スクワイアーズが1970年8月に「マイ・ウェイ」を発表した。彼女のレコードは全英シングルチャートで25位を記録した[8]。
エルヴィス・プレスリーのカバー
エルヴィス・プレスリーは、1970年代半ばからコンサートでこの曲を歌い始めた。
1973年1月12日から14日にかけて、プレスリーは世界同時生中継番組「アロハ・フロム・ハワイ」でこの曲を歌い、その模様はインテルサットを介して43か国に中継され、特にヨーロッパではゴールデンタイムだった。なお、アメリカ本土では4月14日のゴールデンタイムにNBCから放送され、全部で世界の10億の人々が視聴者した。
彼の死の数週間後である1977年10月3日、「マイ・ウェイ」のライブ・バージョン(1977年6月21日のCBSの特別番組「Elvis In Concert」の録音)のシングルが発売された。アメリカのビルボード・ホット100ではフランク・シナトラ・バージョンを上回る22位を記録し、ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャートでは 6位となり、50万枚の売上を記録してゴールド認定された。翌年には、ビルボード・カントリー・シングル・チャートで 2位を記録したのに対し、キャッシュボックスのカントリー・シングル・チャートでは 1位を記録した。イギリスでは、全英シングルチャートで 9位記録した。
1971年6月10日にナッシュビルのRCAスタジオBでエルヴィスはこの曲を録音したが、ヴォーカルの重ね録音をしている時に女性バックコーラスに対してエルヴィスは怒り「50回もこの曲やってきたのに、お前達はまだ自分のパートがわかってないじゃないか」と言ってマイクを放り出しスタジオを出て行ってしまい[9]、それがナッシュビルのRCAスタジオBでの最後の録音になってしまった。 この録音は1995年に発売されたボックス・セット「ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ ジ・エッセンシャル70’Sマスターズ」で、発表されるまでお蔵入りしていた。
シド・ヴィシャスのカバー
セックス・ピストルズのベーシストであるシド・ヴィシャスが、アップテンポなパンク・ロック調で発表している。歌詞がうろ覚えだった本人は、アドリブでレコーディングに挑んだ。
オーケストラの伴奏は、サイモン・ジェフスがアレンジしている。このバージョンは、1978年にセックス・ピストルズ名義の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・ピストルズ」(原題:No One Is Innocent)との両A面シングルとしてリリースされ[10]、全英7位を記録[11]。また、ヴィシャスの没後の1979年12月にリリースされたアルバム『シド・シングス』にも収録されており、バッキング・トラックはシングル・バージョンと同じだが、ボーカルは一部を除き別テイクに差し替えられたという説もある[12]。
2007年のインタビューで、ポール・アンカが「セックス・ピストルズのバージョンは不安定だけど、興味はあった。でも、僕は彼(ヴィシャス)の誠実さを感じたね」と語った[3]。
映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』には、元々ヴィシャスが観客に発砲して2人の観客が席に沈んで死んでいき、そしてシドはにやついて銃を捨て、観客にV字をみせてステージへの階段をのぼっていく映像があった。監督のジュリアン・テンプルは、元の暴力的な映像を削除し、1950年代からストックされた映像に置き換えた。検閲後のバージョンでは、単に観客へ激しく銃を撃つシドを示すのみで、弾丸や死体の映像はすべて削除された。ミュージック・ビデオは、アレックス・コックス監督の映画『シド・アンド・ナンシー』でシド(ゲイリー・オールドマン)がガールフレンドのナンシー・スパンゲン(クロエ・ウェッブ)を殺害する様子を描いている。しかし、映画の中では、彼女は起きて2人で抱き合ったまま暗転する。
ヴィシャスによるカバーは、1990年の映画『グッドフェローズ』のエンド・クレジットで再生されている[13]。当初はフランク・シナトラのバージョンが使用される予定だったが、シナトラに断られたためヴィシャスのバージョンが代わりに使われた[13]。
その他のカバー
- ブルック・ベントンの1970年のバージョンは、ポップ、R&B、イージーリスニング・チャートでヒットした。
- シャーリー・バッシーは1970年のアルバム『Something』にこの曲を収録している。彼女は1976年のロイヤル・ヴァラエティー・パフォーマンスなど、様々なライヴで演奏した。シナトラが亡くなった数週間後となる1998年、バッシーは彼女のダイモンド・コンサート・ツアーでシナトラへのトリビュートとしてこの曲を歌った。
- ニーナ・シモンは1971年のアルバム『Here Comes the Sun』に収録されたこの曲のアレンジ・バージョンで成功した。よりアップビートでメロディアスな、コンガドラムを加えたバージョンであり、彼女のライヴ・コンサートで定番の曲となった。
- イタリア語バージョンである「La Mia Via」は、1975年にフレッド・ボンガストが録音している。ボビー・ソロが録音したバージョンは「La Mia Strada」である。
- テレサ・テンが1976年に香港のコンサートで歌った英語版が音源化している[14]。テレサは日本語版も歌っている。
- レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラなどフランスのイージー・リスニング大楽団もこの曲を録音している。
- ニーナ・ハーゲンは1980年「マイ・ウェイ」のシングルを発売した。
- ジプシー・キングスは「A Mi Manera (My Way)」のタイトルでスペイン語でカバー、1987年のアルバム『ジプシー・キングス』に収録され1989年にシングルリリースされた。2001年の日本のテレビドラマ「バブル」の主題歌だった。2015年にはUCCコーヒーのコマーシャルで使用された。
- U2は1992年から1993年の「Zoo TV ツアー」で「ウルトラ・ヴァイオレット」のエンディングで「マイ・ウェイ」を演奏していた。
- アルゼンチンのロックスターであるアンドレ・カラマロは、「マイ・ウェイ」のレゲエ・バージョンをアルバム『Las otras caras de Alta Suciedad』に収録している。
- スロヴァキアのハナ・ヘゲロヴァは「Žila som správne」のタイトルで1991年にカヴァーしている.
- ウクライナのロックバンドであるオケアン・エリズィは、ツアーでこの曲を彼らが唯一演奏する英語曲として演奏する。
- ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンがパンク風にカバーし、1996年4月に全英シングルチャートで29位を記録した[15]。彼のバージョンは、ナイキのコマーシャルで使用された。
- CHARAは1996年のYEN TOWN BANDのアルバム『MONTAGE』でこの曲を歌っている。
- メキシコ人歌手のヴィセンテ・フェルナンデスのスペイン語バージョンの曲名は「Mi Manera」である。
- フランスのバンドであるミューティレーションが演奏するブラックメタル・バージョンは、2005年のコンピレーション・アルバム『From the Entrails to the Dirt』に収録されている[16]。
- J-POP歌手の中島美嘉は、ヴィシャス・バージョンのカバーを映画『NANA2』で歌い、2006年のアルバム『THE END』に収録している。この曲を含めた『THE END』のクレジットは、Nana starring Mika Nakashima である。
- フィンランドのシンフォニックメタルグループであるノーザ・キングスは、2008年11月19日のアルバム『Rethroned』にこの曲のカバーを収録している。
- ドイツのユーロディスコアーティストのファンシーのカバーは、2008年のアルバム『Forever Magic』に収録されている。
- パティ・オースティンのカバーは、2011年のアルバム『Sound Advice』に収録されている。
- ジャッキー・チェンは2011年4月17日の第30回香港映画賞で、この曲を演奏した。
- ロビー・ウィリアムズは、2011年10月10日にロイヤル・アルバート・ホールで「マイ・ウェイ」を演奏、DVD『Live At The Albert』に収録されている。
- 布袋寅泰は2012年6月18〜19日に日本武道館で開催された「GUITAR × SYMPHONY」において、渡英前最後の曲としてギターインストゥルメンタルバージョンを演奏。同公演のDVDにも収録されている。
- 2012年、ポール・アンカはクリス・マンのデビュー・アルバム『Roads』のために、従来の年配の男性が過去を振り返る歌詞ではなく若い男性が未来に向かう視点に作詞し直した。
日本語詞によるカバー
音楽・音声外部リンク | |
---|---|
テレサ・テン 「マイ・ウェイ」 (布施明カバー) 1976 Universal Music Ltd. - YouTube |
日本語の訳詞には、岩谷時子による訳詞(「やがて私もこの世を去るだろう〜」)、中島潤による訳詞(布施明カバー)をはじめ、何種類かのバージョンがある。中島潤訳の出だしの歌詞は布施明自身が決めた。当初は「今黄昏近づく人生に〜」であったが、当時20代前半の若者であった布施に合致しないため、布施が代替案を考えたのが「今船出が近づくこの時に〜」である。
- 尾崎紀世彦は、1972年のアルバム『KIEYO'72/尾崎紀世彦アルバムNo.5』(英語詞)・『KIEYO in PERSON 尾崎紀世彦オン・ステージ』(岩谷時子による日本語詞)でカバー、『尾崎紀世彦の世界』他にも収録されている。
- 布施明のカバー(訳詞・中島潤、編曲・堂本重道)は1972年にシングル「愛すれど切なく」のB面として発売され、その後『NHK紅白歌合戦』でこの曲を3回(1972年、2004年、2009年)歌った。訳詞は、片桐和子が併記されることがある。
- 藤圭子が1976年9月新宿コマ劇場(七周年記念リサイタル)で披露した。CD『藤圭子劇場』に収めている。
- 1999年1月13日発売の『水原弘全曲集』CDでは、中島潤訳詞バージョンが収録されている。
- 2000年2月25日発売のアルバム「OH!スーパーミルクチャン/オリジナルサウンドトラック 〜ミルクのカラオケオリンピック〜」にも収録され、ハナゲ(ブラッド・ピュット)によってカバーされている。こちらは布施明版のカバーである。
- J-POP歌手の小柳ゆきのカバーは、2003年のアルバム『KOYANAGI the COVERS PRODUCT 2』に収録されている[19]。
- BLANKEY JET CITYがサビ部分のみ(1分も満たない)を日本語詞(中島淳:訳詞)で演奏され、「SONY WALKMAN」のCMタイアップに使用された。当初は懸賞商品のCDにのみ収録され非売品であったが、解散してから後にリリースされたベストアルバムに収録されている。
- 氣志團は2011年12月6日にメイジャー・デビュー10周年を記念してANNIVERSARYシングル『MY WAY』をロックアレンジでカバーした。
- クミコが2012年9月26日発売のカバーアルバム『アロング・ザ・ソングス 〜この歌と歩いてきた〜』で岩谷時子版にてカバーしている。
- 平井堅が2014年5月28日発売のカバー・アルバム『Ken's Bar III』に日本語歌詞バージョンで収録している。
- 美空ひばりはミュージックフェア(フジテレビ)で2回(1984年1月22日、1986年1月12日)この曲を歌唱している。また、アルバム「美空ひばり全曲集 歌は我が命」にもライブ音源で収録されている。
- JAY'EDが2016年5月25日配信のデジタルシングルでカバー、映画『手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜』の主題歌に採用された。
- テレビ朝日系「タモリ倶楽部」の1994年5月13日放送回にて「フランクシナトラ快気祝特別番組 クイズ!これ誰のマイウェイ!?」と題した企画が放送され、前川清(内山田洋とクール・ファイブ)、山本リンダ、野口五郎、佐良直美、麻丘めぐみ、加山雄三、バーブ佐竹、デューク・エイセス、桂銀淑、田中星児、出門英(ヒデとロザンナ)、美空ひばりによるカバーが取り上げられた。(前川・山本・野口が中島訳、麻丘・田中・出門・美空が岩谷訳、桂が岡田冨美子訳、佐良・加山・デュークが英語詞によるもの。)
文化
トリビュート
- 「マイ・ウェイ」はイギリスで最も葬儀で演奏される曲である[20]。
- ドイツの元首相ゲアハルト・シュレーダーは、アンゲラ・メルケル首相の就任前である彼にとって最後の軍の壮行で、この曲の演奏を要請した。
歌への影響
- デヴィッド・ボウイは、1968年に「マイ・ウェイ」の原曲「コム・ダビチュード」に新たな歌詞を付けた「Even a Fool Learns to Love」を作ったが、それはリリースされなかった。「マイ・ウェイ」が世に出てから後に、ボウイは「マイ・ウェイ」のパロディ「Life on Mars?」をリリースした。
- ボン・ジョヴィの「イッツ・マイ・ライフ」(のちにポール・アンカが『Rock Swings』でカバー)のコーラス部分の詞は、「Like Frankie said, I did it my way」(フランキーみたいに、わが道を行け)である。
- ポップデュオのスパークスは、「When Do I Get to Sing My Way」という曲を1994年のアルバム『Gratuitous Sax & Senseless Violins』に収録している。
- ラッパーのJay-Zは、この曲について何度も言及している。アルバム『The Blueprint 2』に、この曲をサンプリングした「I Did It My Way」を収録している。
ポップカルチャーへの影響
- この曲はシナトラそのものを表すようになり、ソビエト連邦の指導者ミハイル・ゴルバチョフがワルシャワ条約機構加盟国への内政不干渉の方針を、シナトラ・ドクトリンと呼ぶ。
- 「マイ・ウェイ」は世界中のカラオケで人気があるため、フィリピンのバーで発生する多くの殺人事件のことを、メディアは「My Way Killings」と呼ぶ[21][22]。
その他
脚注
注釈
- ^ ポール・アンカが書いた詞の内容は原曲の内容とは無関係である。
出典
- ^ 映画『最後のマイ・ウェイ』の宣材資料より
- ^ http://music.guardian.co.uk/vinylword/story/0,,2129407,00.html How Sinatra did it My Way - via a French pop star and a Canadian lounge act
- ^ a b c d e McCormick, Neil (2007年11月8日). “Paul Anka: One song the Sex Pistols won't be singing”. The Daily Telegraph. 2015年9月29日閲覧。
- ^ Paul Anka, "With Paul Anka, 'Rock Swings', Part Two", interviewed on Fresh Air, WHYY, 10 August 2005
- ^ Paul Anka: Classic Songs My Way. Progressive Songs Online. disk union. 2007年11月21日.
- ^ Frank Sinatra | Awards | AllMusic
- ^ http://www.everyhit.com/record6.html
- ^ “DOROTHY SQUIRES - full Official Charts History”. Official Charts Company. 2015年9月29日閲覧。
- ^ エルヴィス伝―復活後の軌跡1958-1977 456P
- ^ Sex Pistols - No One Is Innocent (A Punk Prayer By Ronald Biggs) / My Way (Vinyl) at Discogs
- ^ SEX PISTOLS | full Official Chart History | Official Charts Company
- ^ Singleton, Phil. “God Save The Sex Pistols - Sid Vicious: The true story of the recording of My Way”. 2015年9月29日閲覧。
- ^ a b “Sinatra blocked My Way in Goodfellas”. Daily Express. Northern and Shell Media, Publications (2010年12月2日). 2015年9月29日閲覧。
- ^ テレサ・テン 「My Way」 (Live In Hong Kong /1976) 2005 TNT Productions Ltd. - YouTube
- ^ “SHANE MACGOWAN - full Official Charts History”. Official Charts Company. 2015年9月29日閲覧。
- ^ Malicious Secret / Antaeus / Mütiilation / Deathspell Omega - From The Entrails To The Dirt (CD) at Discogs
- ^ DVD『沢田研二 in 夜のヒットスタジオ』(2011年)ディスク2収録
- ^ DVD『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』(2010年)ディスク5収録
- ^ WARNER MUSIC JAPAN. “KOYANAGI the COVERS PRODUCT 2”. 2011年5月20日閲覧。
- ^ My Way tops funeral charts - An article in The Guardian
- ^ Utton, Dominic (2009年3月28日). “My Way: The story behind the song”. Daily Express. London: Northern and Shell Media Publications. 2009年7月11日閲覧。 “'Meanwhile in the Philippines My Way is so popular at karaoke bars that it has been declared responsible for a number of deaths after arguments over performances degenerated into violence - a social phenomenon referred to by the Philippine media as "My Way killings".'”
- ^ Onishi, Norimitsu (2010年2月6日). “Sinatra Song Often Strikes Deadly Chord”. New York Times (New York: New York Times) 2010年2月9日閲覧. "'Whatever the reason, many karaoke bars have removed the song from their playbooks. And the country's many Sinatra lovers... are practicing self-censorship out of perceived self-preservation.'"