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== 交通 ==
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* [[富山県営渡船]]
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** [[六渡寺駅|六渡寺]] - [[越ノ潟駅|越ノ潟]]



2020年9月27日 (日) 09:10時点における版

伏木富山港
空から見た富山新港
所在地
日本の旗 日本
所在地 富山県高岡市富山市射水市
【伏木地区】高岡市
【富山地区】富山市
【新湊地区】射水市
詳細
管理者 富山県
種類 国際拠点港湾

伏木富山港(ふしきとやまこう)は、富山県高岡市富山市射水市にわたる港湾の総称である。港湾管理者は富山県

富山湾沿岸奥部の3つの港域によって形成されており、高岡市の伏木地区(伏木港)、富山市の富山地区(富山港)、射水市の新湊地区(富山新港)の3地区が所在する。

港湾法上の国際拠点港湾港則法上の特定港に指定されているほか、日本海側拠点港のうち総合的拠点港と、部門別では国際海上コンテナ[1]、国際フェリー・国際RORO船、外航クルーズ(背後観光地クルーズ)の3部門の拠点港に指定されている。

概要

港内に保存してある初代海王丸

富山湾岸に位置し、富山県及び北陸地方の主要な港湾である。富山県を含む北陸工業地域、ひいては中華人民共和国大韓民国ロシアなど、環日本海圏の交易拠点として重要な役割を担っている。北陸工業地帯のほぼ中央、また東京都市圏首都圏関東圏)、名古屋都市圏中京圏東海圏)、大阪都市圏(関西圏・近畿圏)及び新潟都市圏・東北方面とほぼ等距離に位置し、輸送において比較的優位とされる。また、高速道路や国道、鉄道を用いて容易にアクセスが可能。

港一帯はみなとオアシスとして登録していて、伏木地区は伏木コミュニティセンターを代表施設とするみなとオアシス伏木として地域振興や交流を深めるためのコミュニティー施設となっている。また新湊地区は帆船海王丸を中核施設とするみなとオアシス海王丸パークとして観光スポットとなっている。

1975年(昭和50年)撮影の伏木富山港西側エリアの空中写真。画像左(西側)の小矢部川庄川河口付近が伏木港。画像右(東側)の掘込港が富山新港。画像中央付近の海岸線沿いの市街地が旧新湊市の中心部放生津である。この画像撮影時には新湊大橋海王丸パークは建設されていない。
1975年撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

旅客航路

貨客船「ルーシ号」
富山新港と海王丸

以前は極東船舶会社(FESCO)が貨客船ルーシ号により伏木港とウラジオストクを結ぶ旅客航路を月に2 - 5便運航していた。しかし、ロシアの中古車輸入規制に伴う利用者減少のため、2009年12月25日を最後に運行を休止し、ルーシ号は売却された。現在は定期旅客便の就航はない。

歴史

  • 室町時代から岩瀬湊として三津七湊の1つ。
  • 江戸時代:富山の岩瀬も新湊の放生津も高岡の伏木も北前船西回り廻船北国廻船)の寄港地として栄える[2]
  • 1621年:東岩瀬港が加賀藩の積卸し港(河東七浦の一つ)に指定され、工事奉行の指揮下で港内整備が実施される[3]
  • 1875年:地元廻船問屋藤井能三の働きかけにより伏木港が岩崎弥太郎三菱商会の汽船定期航路の寄港地となる。
  • 1877年:日本海側で最初の洋式灯台「伏木燈明台」が完成[4]
  • 1899年:伏木が開港場に指定される[4]
  • 1910年:東岩瀬港の改修工事を開始。それまでは神通川から流出する土砂の堆積によって汽船や大型帆船の停泊が不可能となっていた[3]
  • 1921年5月:東岩瀬港が指定湾港となる[3]
  • 1928年3月:東岩瀬港が神通川と分離される[3]
  • 1939年:東岩瀬港が伏木港税関区域に編入され、伏木岩瀬港として開港場に指定される[3]。同年、県が「5,000万円大港湾計画」を作成(着工直前に戦争の影響で中止)[5][6]。なお、これを前後に1919年1947年にも改修計画があった[7]
  • 1943年1月:東岩瀬港が富山港と改称[3]
  • 1951年:伏木港と富山港が「伏木富山港」として統合し、重要港湾に指定される。
  • 1961年4月:放生津潟にて富山新港の建設工事に着手[8]
  • 1968年4月21日:放生津潟の掘削と港口を大きく広げ、富山新港が開港。
  • 1986年6月17日:「伏木富山港」が特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に昇格指定される。
  • 2011年11月11日:「伏木富山港」が日本海側拠点港(総合的拠点港)指定される。
  • 2012年(平成24年)9月23日新湊大橋が開通して3港の連携が拡大。
  • 2015年(平成27年)4月24日:伏木港は「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡-人、技、心-」の構成文化財として日本遺産に認定される。
  • 2017年(平成29年)10月23日平成29年台風第21号接近に伴う強風により、トーゴ船籍の貨物船 REAL号が波消ブロックに打ち寄せられて座礁。貨物船は、2018年1月7日に離礁作業が行われた後、富山港を離れた[9]
  • 2020年3月4日、岸壁付近の海底に坪野鉱泉女性失踪事件の行方不明女性2人が乗っていたものとみられる乗用車があるのが見つかり、車内から複数の人骨が発見された。

施設

埠頭

発電設備

レジャー施設

交通

環境

伏木富山港のヘドロにはダイオキシン類が含まれており、その面積は41haで、環境基準を超過する汚染底質量は286,000m3であり、底質汚染のダイオキシン類濃度は160 - 10,000 pg-TEQ/gと国土交通省が発表している。

参考文献

  • 西師意著『伏木築港論』北陸政論社、1893年 [1]
  • 肝付兼行述『肝付大佐演説の要領』高柳精一、1897年 [2]

脚注

  1. ^ 伏木富山港の2014年のコンテナ貨物取扱量(速報値)が、前年比6.7%増の8万2066個(20フィートコンテナ換算)となり史上最高になり、コンテナヤードを拡げる予定(北日本新聞2015年1月10日)。
  2. ^ 北前船で栄え、衰亡していく過程は伏木出身の作家堀田善衛の小説『鶴のいた庭』に描写されている。
  3. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)586ページ
  4. ^ a b 伏木港開港百周年を記念して、1999年に近代伏木港開港の祖である藤井能三が建設に尽力した初代灯台をかたどったデザイン灯台伏木外港万葉東防波堤灯台が建設された。
  5. ^ 射水市 くらしの情報 富山新港のあゆみ
  6. ^ 「イラストでつづるとやまのれきし」(1983年(昭和58年)1月8日 内田忠紀、アド・パルス発行)「昭和時代 ゆたかな富山県へ」より
  7. ^ 『富山新港史』(1983年6月1日発行)142 - 144ページ
  8. ^ 北日本新聞 2018年1月5日付朝刊16 - 17面『富山新港 開港50周年 貿易と観光の拠点港』より。
  9. ^ 富山)富山港の座礁貨物船、ふ頭まで曳航”. 朝日新聞デジタル (2018年1月8日). 2018年3月2日閲覧。
  10. ^ 「万葉」の名は大伴家持が越中国国守として伏木にいた時に詠んだ和歌が多く『万葉集』に収録され、編纂したとされていることによる。
  11. ^ 『万葉集』の大伴家持の「奈呉の海人の 釣する船は 今こそば 船棚打ちて あへて漕ぎ出め」(17巻3956)にある「奈呉」とは射水市(旧新湊市)の放生津周辺の海の古名。

関連項目

外部リンク