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「中華民国総統府」の版間の差分

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[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の[[1919年]][[3月31日]]に完成した建物(設計:[[長野宇平治]])で、'''[[台湾総督府]]'''として利用されていた。
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[[第二次世界大戦]]末期の[[1945年]][[5月31日]]、[[アメリカ軍]]による[[空襲]]によって内部が全焼し中にいた職員の多くが死傷、建物も大きく破損した。大戦終結後に[[台湾]]へ進駐した中華民国政府が[[接収]]し、修復を行ったため1948年に元に戻った。この時[[介石]]総統生誕60周年を記念し「介寿館('''介寿'''とは'''介'''石の長'''寿'''を祝うという意味)」と名を改めた。 翌[[1949年]]、[[中国国民党|国民党]]が[[国共内戦]]の際、中国より追われる形で台湾に[[中華民国]]の[[首都]]機能を移転。以降、[[南京市|南京]]の[[太平天国天王府跡|総統府]]に代わって中華民国の総統府として利用されるようになった。[[1963年]]、室内の大理石を補充したのに続いて[[1978年]]と[[2001年]]にも庁舎を大規模に修理した。


[[国民政府]]が遷台した初期には総統府と[[行政院]]が一緒に入居したが、行政院は[[1957年]]に旧台北市役所へ移転されている。
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* 戦略顧問:将軍クラスの軍人の待機ポスト。
* 戦略顧問:将軍クラスの軍人の待機ポスト。


しかし、介石は事実上軍事力を背景に君臨し、その彼が総統の職を占めた。そのため、総統府にも軍人のポストが多いばかりか、戒厳令を口実に総統が直接行政決定を下すため、もう一つの官房機構として、[[国家安全会議]]と[[国家安全局 (中華民国)|国家安全局]]が設けられた。[[民主化]]後も、総統府と国家安全会議の組織はおおむね維持されている。
しかし、介石は事実上軍事力を背景に君臨し、その彼が総統の職を占めた。そのため、総統府にも軍人のポストが多いばかりか、戒厳令を口実に総統が直接行政決定を下すため、もう一つの官房機構として、[[国家安全会議]]と[[国家安全局 (中華民国)|国家安全局]]が設けられた。[[民主化]]後も、総統府と国家安全会議の組織はおおむね維持されている。


=== 所属機関 ===
=== 所属機関 ===

2020年9月15日 (火) 13:23時点における版

座標: 北緯25度2分24秒 東経121度30分43秒 / 北緯25.04000度 東経121.51194度 / 25.04000; 121.51194

中華民国総統府
情報
旧名称 台湾総督府
用途 官邸
階数 6階
高さ 60メートル(タワー)
着工 1912年6月1日
竣工 1919年3月31日
所在地 台北市中正区重慶南路1段122号
博愛特区
特記事項 工費280万円
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中華民国総統府
各種表記
繁体字 中華民國總統府
簡体字 中华民国总统府
拼音 Zhōnghuámínguó Zŏngtóngfŭ
通用拼音 Jhōnghuámínguó Zŏngtóngfŭ
注音符号 ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇ|ㄣˊ ㄍㄨㄛˊ ㄗㄨㄥˇ ㄊㄨㄥˇ ㄈㄨˇ
台湾語白話字 Tiong hôa bîn kok Chóng thóng hú
日本語読み: ちゅうかみんこくそうとうふ
英文 Presidential Office Building
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中華民国総統府
中華民国の旗 中華民国 文化資産
中華民国総統府
登録名称總統府
その他の呼称旧台湾総督府
種類衙署(官公庁)
等級国定古蹟
文化資産登録
公告時期
1998年7月30日[1]
位置中華民国の旗 中華民国台湾
台北市中正区
中華民国総統府(別方向より)
上空から見ると「日」の字型に見える。
中華民国総統府の内部

中華民国総統府(ちゅうかみんこくそうとうふ、英語: Presidential Office Building)は、中華民国元首および首脳である中華民国総統が執務をおこなう官邸博愛特区台北市中正区重慶南路一段122号)にある。また転じて、「総統府」は概念的に総統の側近や政府も意味する。

これとは別に、総統が居住する公邸中華民国総統官邸(ちゅうかみんこくそうとうかんてい)、通称「永和寓所」といい、少し離れた同区龍福里の重慶南路二段にある。

建物

建物は博愛特区台北市中正区重慶南路1段122号)にある。

日本統治時代1919年3月31日に完成した建物(設計:長野宇平治)で、台湾総督府として利用されていた。

第二次世界大戦末期の1945年5月31日アメリカ軍による空襲によって内部が全焼し中にいた職員の多くが死傷、建物も大きく破損した。大戦終結後に台湾へ進駐した中華民国政府が接収し、修復を行ったため1948年に元に戻った。この時蔣介石総統生誕60周年を記念し「介寿館(介寿とは蔣石の長寿を祝うという意味)」と名を改めた。 翌1949年国民党国共内戦の際、中国より追われる形で台湾に中華民国首都機能を移転。以降、南京総統府に代わって中華民国の総統府として利用されるようになった。1963年、室内の大理石を補充したのに続いて1978年2001年にも庁舎を大規模に修理した。

国民政府が遷台した初期には総統府と行政院が一緒に入居したが、行政院は1957年に旧台北市役所へ移転されている。

1998年に文化資産保存法により国定古蹟として登録。2019年には完成100周年を記念した郵便切手が発行された[2]

内部見学

平日の午前9時から12時までは無料で内部見学が可能であり、日本人には日本語ガイドが案内してくれる。日本統治時代からのことをパネルで展示してある。なお、入館には身分証明書外国人パスポート)が必要。自由見学は不可で、全行程ガイド同伴による見学となる。総統府として、建物は常に警察官憲兵隊員による警備下にあり、見学者は監視カメラでチェックされる。撮影不可で、ビデオ、カメラは持ち込みできない(カメラつき携帯も同様)。ただし、月に一度(主に第二日曜)「全館開放日」が設けられており、その日は自由見学となり、写真撮影や、通常の見学コースでは立ち入り禁止の区域も見学可能となる。かつては、政治的理由から中華人民共和国国籍保持者は見学不可能であったが、現在では見学できる。

2019年には総統蔡英文による外国人へのPRの一環で各国(外国籍)のインフルエンサーが敷地内に宿泊できるイベントが開催されている[3]

総統府の組織と役職

本来、総統は行政に関与せず、五院の正副院長や構成員の任命や、五院間の調整役であった。そのため、総統府そのものは、総統官房機構としての役割を持っている。総統府組織法(1948年5月1日公布、1996年1月24日改正)により、総統府の組織や役職が定められている。

府内組織

  • 秘書長:正副総統を除く、総統府の組織のトップ。閣僚クラスの人物が着任している。
  • 副秘書長:2名。秘書長を補佐する。
    • 第一局:総統による法律公布や人事、国家機関・軍などとの調整を行う。
    • 第二局:勲章や国璽の管理、公報の発行などを行う。
    • 第三局:式典などの行事や建物・車・収支などの管理業務を担う。
    • 機要室:正副総統の機要事項を担う。機要とは、国内外への祝電、送付文書に関する業務や、その行動スケジュールの記録や調整をさす。
    • 侍衛室:警備を担当。構成員は軍人が占める。
    • 公共事務室:広報や陳情の処理を行う。
    • 人事処
    • 会計処
  • 資政:上級顧問。有給職と無給職がある。2006年6月以降、空席。
  • 国政顧問:有給職と無給職がある。2006年6月以降、空席。
  • 戦略顧問:将軍クラスの軍人の待機ポスト。

しかし、蔣介石は事実上軍事力を背景に君臨し、その彼が総統の職を占めた。そのため、総統府にも軍人のポストが多いばかりか、戒厳令を口実に総統が直接行政決定を下すため、もう一つの官房機構として、国家安全会議国家安全局が設けられた。民主化後も、総統府と国家安全会議の組織はおおむね維持されている。

所属機関

ギャラリー

出典

関連項目

外部リンク