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「亡命政府」の版間の差分

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== 亡命政府に准ずる政権(現在および近年) ==
== 亡命政府に准ずる政権(現在および近年) ==
1. 外国に脱出したわけではないが、国内の辺境地域などで自らの正統性を標榜し、新政権への抵抗を続ける政権。
1. 外国に脱出したわけではないが、国内の辺境地域などで自らの正統性を標榜し、新政権への抵抗を続ける政権。
*[[中華民国]] - [[第二次世界大戦]]後、[[南京]]の[[国民政府]]([[介石]]政権)が[[中国大陸]]と[[台湾]]を統治。しかし、[[国共内戦]]で[[中国共産党]]が勝利した結果、[[1949年]]以降は[[中華人民共和国]]が[[北京]]から中国大陸を統治し、介石政権は首都機能を[[台北]]へ移して[[台湾地区]]のみを統治する政府と変質した。ただし、中華民国の立場からすれば、中央政府の台北移転、及び[[台湾国民政府|台湾地区の統治に専念した政府]]の樹立はあくまでも内戦の悪化にともなう非常措置であり、今日でも中華民国政府は正式な首都の移転([[遷都]])、及び中国大陸の領土放棄を宣言していない。そのため、中華民国政府は今なお「中国全土を代表する政府」であり、「台湾だけの政府」ではない。
*[[中華民国]] - [[第二次世界大戦]]後、[[南京]]の[[国民政府]]([[介石]]政権)が[[中国大陸]]と[[台湾]]を統治。しかし、[[国共内戦]]で[[中国共産党]]が勝利した結果、[[1949年]]以降は[[中華人民共和国]]が[[北京]]から中国大陸を統治し、介石政権は首都機能を[[台北]]へ移して[[台湾地区]]のみを統治する政府と変質した。ただし、中華民国の立場からすれば、中央政府の台北移転、及び[[台湾国民政府|台湾地区の統治に専念した政府]]の樹立はあくまでも内戦の悪化にともなう非常措置であり、今日でも中華民国政府は正式な首都の移転([[遷都]])、及び中国大陸の領土放棄を宣言していない。そのため、中華民国政府は今なお「中国全土を代表する政府」であり、「台湾だけの政府」ではない。


*[[北部同盟 (アフガニスタン)]] - [[1992年]]後、[[カーブル]]を首都とするアフガニスタン・イスラム国として[[アフガニスタン]]を統治。しかし、[[アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)|1990年代半ばまでの内戦]]で[[ターリバーン]]が勝利した結果、[[1996年]]以降は[[アフガニスタン・イスラム首長国|ターリバーン政権]]がアフガニスタンの大部分を支配し、反ターリバーン勢力は北部同盟を結成してアフガニスタン北部を支配する「従来からのアフガン政府」となった。[[2001年]]の[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アメリカによるターリバーン攻撃]]でターリバーン政権が崩壊した後、北部同盟の各勢力は[[ボン合意|国際連合主導の新政府樹立プロセス]]に参加し、現在は[[アフガニスタン|アフガニスタン・イスラム共和国]]に合流している。
*[[北部同盟 (アフガニスタン)]] - [[1992年]]後、[[カーブル]]を首都とするアフガニスタン・イスラム国として[[アフガニスタン]]を統治。しかし、[[アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)|1990年代半ばまでの内戦]]で[[ターリバーン]]が勝利した結果、[[1996年]]以降は[[アフガニスタン・イスラム首長国|ターリバーン政権]]がアフガニスタンの大部分を支配し、反ターリバーン勢力は北部同盟を結成してアフガニスタン北部を支配する「従来からのアフガン政府」となった。[[2001年]]の[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アメリカによるターリバーン攻撃]]でターリバーン政権が崩壊した後、北部同盟の各勢力は[[ボン合意|国際連合主導の新政府樹立プロセス]]に参加し、現在は[[アフガニスタン|アフガニスタン・イスラム共和国]]に合流している。

2020年9月15日 (火) 13:22時点における版

亡命政府(ぼうめいせいふ)とは、クーデターや他国による占領などでその国の政治から排除された元首または国民などが、外国に脱出してその地で組織する政府組織。通常は転覆された政権のメンバーが中心となって亡命先で結成し自らの正統性を主張しているものを呼ぶ。いくつかの国家の支持・支援を受けている場合もある。

現在の亡命政府

アジア

アフリカ

ヨーロッパ

過去の亡命政府

日本併合地域

ロシア内戦後の亡命政府

スペイン内戦後の亡命政府

第二次世界大戦

東欧
南欧
西欧
北欧
アジア

戦後

亡命政府に准ずる政権(現在および近年)

1. 外国に脱出したわけではないが、国内の辺境地域などで自らの正統性を標榜し、新政権への抵抗を続ける政権。

2. もともとの「国家」が、国際法上では認められていない場合

  • 西ドイツ・シーランド亡命政権 - 1978年にシーランド公国の首相に任命されたドイツ人投資家のアッヘンバッハは国家元首のロイ・ベーツ公の息子・マイケル皇太子を人質に取ってクーデターを起こしロイ・ベーツ公を一度公国から追放したが、ロイ・ベーツ公は公国を急襲し反乱を鎮圧。この後、アッヘンバッハはシーランド公国の「枢密院議長」を名乗り、西ドイツで亡命政府を樹立させた。ただし、シーランド公国自身、国際法上の国家成立要件を満たしているかは疑わしい。

3. その他

近代国家成立以前

現代的には亡命政府とは言えないものもあるが、近代国家成立以前と現代とでは国家の概念が異なることを考慮して、類似した概念の事例を以下に示す。

中国

日本

ヨーロッパ

イスラム世界

関連項目