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2020年9月15日 (火) 12:10時点における版
名山町 | |
---|---|
名山町に所在する三島村役場本庁舎 | |
北緯31度35分41.4秒 東経130度33分34.7秒 / 北緯31.594833度 東経130.559639度座標: 北緯31度35分41.4秒 東経130度33分34.7秒 / 北緯31.594833度 東経130.559639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 337人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0821 |
名山町(めいざんちょう[1])は、鹿児島県鹿児島市の町[2]。郵便番号は892-0821[3]。人口は337人、世帯数は219世帯(2020年4月1日現在)[4]。
1965年(昭和40年)に築町の全部、六日町の一部、易居町の一部より設置された町である[2][5]。同年より全域で住居表示を実施している[6][7]。本項では1965年(昭和40年)の住居表示実施に伴う町の再編により町の全部が廃止され、名山町の一部となっている六日町(むいかまち)、築町(つきまち)についても記述する。
町域の東部には薩摩半島の南方沖、薩南諸島北部に位置する上三島の区域からなる自治体である鹿児島郡三島村の村役場(本庁舎)が設置されている[8][9][10]。
地理
鹿児島市の中部、城山の麓に位置する。町域の北方には易居町、南方には泉町、金生町、西方には山下町、東方には本港新町にそれぞれ接している。
名山町は主に小規模な住宅用地、店舗併用住宅用地、商業用地からなる[11]。町域の南端を東西に朝日通りと呼ばれる国道58号(鹿児島市-沖縄県那覇市)が通り、東部を南北に鹿児島県道204号鹿児島停車場線が通る。
東部には、日本でも3村しか存在しない自治体の区域外に所在している町村役場の1つである三島村役場が置かれている[9][10]。
町名の由来
町名は江戸期頃に付近にあった名山堀に由来している[2]。
名山堀は小川町の南部から山下町・名山町を抜ける全長約760m、幅約12mの堀であり[12][13]、対岸にある桜島が堀に映り眺めがよかったことから名山堀と名付けられたという[14][15]。現在、堀は埋め立てられており、みなと大通りなどに転用されている[12]。
歴史
現在の名山町は1889年(明治22年)の市制施行時の築町(つきまち)の全部、六日町(むいかまち)の一部、易居町の一部にあたる[2]。
前史
江戸時代
名山町の前身となる六日町、築町は江戸時代から見える町であり、共に鹿児島城下下町のうちであった[16][17]。江戸時代の六日町は、広小路に薩摩藩の高札が設置されており、町内では毎月6のつく日に市が開かれていたという[18]。築町は安永年間に海岸が埋め立てられた区域に成立した町であり[17]、築町は築地町とも称されていた[19]。
明治時代以降
明治時代前期は六日町、築町ともに平民が多く住んでおり、町人街であった[20]。明治時代になると築町には郡役所や銀行、商法会議所(商工会議所)が置かれた[18][21]。
1877年(明治10年)には大区小区制による区長事務取扱所が築町に設置されたが[22]、郡区町村編制法が施行されたのに伴いそれまでの大区小区制に変わり、郡制が敷かれ、1879年(明治12年)には築町に鹿児島郡、谿山郡、日置郡、熊毛郡、馭謨郡の5郡を管轄する郡役所が設置された[17]。その後郡役所は1881年(明治14年)に山之口馬場に移転した[19]。築町は明治時代後期には鹿児島港の玄関口として賑わいを見せ[17]、六日町には郵便局と警察屯所が設置された[19][23][24]。また、六日町は大正時代以降、鹿児島港に近い立地から商業地域となった[16]。
1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下の47町及び近在の3村より鹿児島市が設置され、六日町、築町、易居町はそれぞれ鹿児島市の町となった[16][17]。
1897年(明治30年)に六日町に鹿児島県最初の電気事業者である鹿児島電気株式会社が設立され鹿児島市及び周辺自治体に電気の送電が始められ、1910年(明治43年)には築町に鹿児島瓦斯株式会社(日本ガスの前身)が設立され、ガスの供給が始まった[25]。また、「鹿児島市史第2巻」によると1924年(大正13年)時点では築町、六日町の全戸数に対して殆どが商店であり、商業区域であると記載されている[26]。
第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)12月25日、稲荷町12番地(1945年2月24日設置[27])に設置されていた十島村仮役場が築町52番地へ新たに庁舎を建設して移転した[27]。十島村はトカラ列島と上三島から構成される村であったが、1946年(昭和21年)に十島村(じっとうそん)のうち役場がある中之島を含む北緯30度以南が日本国政府の行政権下から分離されアメリカ合衆国の統治下に置かれたため、日本国政府の行政権下に残った上三島の区域を管轄する村の役場が鹿児島市に設置された[28]。築町に役場を置いた十島村は、1952年(昭和27年)に北緯30度以南北緯29度以北が日本国の行政権下に復帰したが(本土復帰)、復帰した区域をもって新たに十島村が設置されたため、上三島の区域は北緯30度以北に区域を変更し、同時に村名を三島村に改称し、三島村役場となった[27][28][29]。
名山町の設置
1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[6]。1965年(昭和40年)7月20日に六日町、築町、易居町を含む区域で住居表示を実施することとなり、住居表示の実施に合わせて築町の全域及び、六日町、易居町の各一部の区域より「名山町」が新たに設置された[2][5]。また六日町の一部は山下町に編入され、築町及び六日町は廃止された[5]。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
名山町(全域) | 1965年(昭和40年) | 築町(全域) |
易居町(一部) | ||
六日町(電車通りより東側) | ||
山下町(一部) | 六日町(電車通りより西側) |
産業
商業
名山堀と呼ばれる下町の飲み屋が連なる地区があり、「赤ちょうちん」と呼ばれる飲み屋が立ち並ぶ[14]。木造建築の狭い長屋が連なり古き良き昭和の下町として地元メディアなどで紹介されている[30][31]。名山町に本社を置く鹿児島酒造が販売している焼酎「名山堀」は名山町の地域活性化のために通り会、町内会とともに開発した商品であり[32]、名山堀の地域限定で販売されている[33]。
人口
以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
統計年 | 人口 | ||
---|---|---|---|
1995年(平成7年) | [34] | 487 | |
2000年(平成12年) | [35] | 408 | |
2005年(平成17年) | [36] | 415 | |
2010年(平成22年) | [37] | 339 | |
2015年(平成27年) | [38] | 316 |
施設
公共
教育
- 天陽会保育園
金融
その他
- 鹿児島県地域振興公社
- 鹿児島県産業会館
- 西日本新聞鹿児島総局
- 九州電力名山変電所
-
鹿児島信用金庫本店の外観
教育
学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[41]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
名山町 | 全域 | 鹿児島市立名山小学校 | 鹿児島市立長田中学校 |
交通
道路
- 国道
鉄道
脚注
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 p.619
- ^ “鹿児島県鹿児島市名山町の郵便番号”. 日本郵便. 2020年7月24日閲覧。
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b c “かごしま市政だより(昭和40年6月号)” (PDF). 鹿児島市 (1965年6月20日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ a b 鹿児島市(1970) p.742
- ^ “住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ 三島村(1990) p.327
- ^ a b もがみ (2010年3月4日). “村役場が村外に? 鹿児島の特殊事情”. Exciteニュース. 2020年7月23日閲覧。
- ^ a b “三島村役場のご案内”. 三島村役場. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “鹿児島駅周辺土地利用基本計画(素案)” (PDF). 鹿児島市. p. 4. 2020年7月23日閲覧。
- ^ a b 角川日本地名大辞典 p.693
- ^ 鹿児島市(1969) p.705
- ^ a b 深野、山城、下野(2012)
- ^ 名山校区コミュニティ協議会. “第1期(2019年度~2023年度)コミュニティプラン【校区振興計画】”. 鹿児島市. p. 3. 2020年7月23日閲覧。
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 p.614
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 p.435
- ^ a b 山下悟(2011)
- ^ a b c 鹿児島県の地名 p.164
- ^ 鹿児島市(1969) p.771
- ^ 鹿児島市(1969) p.765
- ^ 鹿児島市(1969) p.702
- ^ 鹿児島市(1969) p.632
- ^ 鹿児島市(1969) p.703
- ^ 鹿児島市(1969) p.354
- ^ 鹿児島市(1969) p.320
- ^ a b c d 三島村(1990) p.328
- ^ a b 角川日本地名大辞典 p.595
- ^ 市町村変遷史 p.110
- ^ “てゲてゲ「ディープ探検!名山堀なう」”. 南日本放送. 2020年7月24日閲覧。
- ^ さわだ悠伊 (2019年7月11日). “昭和レトロと新しい!が混在する、鹿児島屈指のディープスポット「名山堀」を大満喫♪”. ぐるなび. 2020年7月24日閲覧。
- ^ “本格焼酎「名山堀」発表セレモニーに行ってきました!”. Region(渕上印刷株式会社) (2010年9月24日). 2020年7月24日閲覧。
- ^ “名山堀【地域限定品】”. 鹿児島酒造株式会社. 2020年7月24日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
- ^ 鹿児島市(2015) p.376
- ^ a b c d e f g h i 鹿児島市(2015) p.416
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所 (2020年3月29日). 2020年7月23日閲覧。
参考文献
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市、1969年 。
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年 。
- 南日本新聞『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年 。
- 三島村誌編纂委員会『三島村誌』三島村、1990年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 鹿児島県総務部参事室『鹿児島県市町村変遷史』鹿児島県、1967年。
- 山下悟「373ワイド 鹿児島市の消えた13町を訪ねなさい 地域の歴史今も刻む」『南日本新聞』2011年9月9日、15面。
- 深野修司、山城裕司、下野敏行「373ワイド 名山町新聞」『南日本新聞』2012年3月27日、17面。
関連項目
- 名山(曖昧さ回避ページ)
山下町 | 易居町 | 本港新町 | ||
山下町 | 本港新町 | |||
名山町 | ||||
金生町 | 金生町・泉町 | 本港新町 |