「川上町 (鹿児島市)」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:09時点における版
川上町 | |
---|---|
北緯31度39分24.2秒 東経130度34分9.2秒 / 北緯31.656722度 東経130.569222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 吉野地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 4,561人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
定義部を参照 |
川上町(かわかみちょう Kawakami-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在川上村及び花棚村、鹿児島郡吉野村大字川上。郵便番号は3660番台・3670番台の一部及び4100番台・4200番台の一部が891-1275、その他が892-0875であり、3660番台・3670番台・4100番台・4200番台も892-0875が存在する為、詳しくは郵便番号検索で調べる事が必要である。人口は4,561人、世帯数は2,167世帯(2020年4月1日現在)[1]。
地理
鹿児島市の北部、稲荷川流域に位置している。町域の北西部には稲荷川上流に小規模な盆地が広がっている[2]。町域の北方には宮之浦町、北方から西方にかけては岡之原町、南方から東方にかけては吉野町、南方には下田町、西方には西伊敷、緑ケ丘町がそれぞれ隣接している。
町域には東部の吉野台地上を鹿児島県道16号鹿児島吉田線が南北に縦断しており、吉野町と川上町の一部を区域として吉野地区土地区画整理事業が1992年より事業に着手し区画整理と共に県道16号の拡張工事が行われ、また沿線には商業施設が建設され交通量も増加している[3]。
また鹿児島県道25号鹿児島蒲生線及び九州自動車道が西端を通り、古くは村内を吉田往還(現在の県道16号鹿児島吉田線)が通っていた。かつては九州自動車道と県道25号鹿児島蒲生線が交差する付近に発掘当時としては大規模である縄文期の住居跡及び中世の川上氏の居城とみられる遺跡群から構成される加栗山遺跡があったが[2]、九州自動車道の建設に伴い1975年から1976年までに発掘されるも建設計画を変更するのは困難であるとして一部を鹿児島県立埋蔵文化財センターに移設したほかは九州自動車道の用地となった[3]。
教育施設は町域の南部に鹿児島市立川上小学校がある。
河川
- 稲荷川
歴史
河上の成立と中世
河上(川上)という地名は室町期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。応永11年の島津元久宛行状に「薩摩国鹿児嶋郡河上村事」という記述があるのが初見であると考えられている。この宛行状により河上の地が川上家久に宛行われた。町域内にある栫山は中世川上氏の居城跡とされている[4]。
江戸期の川上村と花棚村編入
江戸期には鹿児島郡鹿児島近在のうちの川上村であった。村高は「天保郷帳」では983石余、「旧高旧領」では1,142石余であった。1871年(明治4年)には花棚村を編入した[4]。
花棚村は室町期より見える地名で、川上村と同様に室町期は薩摩国鹿児島郡のうち、江戸期は薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、村高は「天保郷帳」では565石余[5]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島郡鹿児島近在のうち北部の5村(吉野村、坂元村、岡之原村、下田村、川上村)より吉野村が成立し、江戸期の川上村は吉野村の大字「川上」となった。1934年(昭和9年)には吉野村が鹿児島市に編入され、それまでの大字川上は鹿児島市の町名「川上町」となった[4]。
1977年(昭和52年)には川上町の一部が西伊敷一丁目から西伊敷七丁目及び緑ケ丘町に分割された[4]。
2015年(平成27年)2月2日に川上町の一部が分割され、吉野一丁目の全域及び吉野二丁目の一部となった[6]。
町・村域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
藩政村時代 | ||
川上村の一部 | 1871年(明治4年) | 花棚村の全域 |
町村制施行以後 | ||
西伊敷一丁目から西伊敷七丁目 | 1977年(昭和52年) | 川上町の一部 |
緑ケ丘町 | ||
吉野一丁目の全域、吉野二丁目の一部 | 2015年(平成27年) | 川上町の一部 |
施設
- 公共
-
- 鹿児島本線料金所
- 鹿児島県警察高速道路警察隊鹿児島北分駐所
- 鹿児島市川上福祉館
- 教育
-
- 鹿児島市立川上小学校
- 川上幼稚園
- 郵便局
-
- 鹿児島川上郵便局
- 寺社
-
- 川上天満宮
- 本願寺鹿児島別院川上出張所
- 日枝神社
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
川上町 | 花棚 | 鹿児島市立川上小学校 | 鹿児島市立吉野中学校 |
川上町 | その他 | 鹿児島市立緑丘中学校 |
交通
道路
著名な出身人物
- 高崎五六 - 江戸時代末期までは薩摩藩士、明治維新後は官僚(初代岡山県令、第10代東京府知事、元老院議官)
- 高崎正風 - 江戸時代末期までは志士、明治維新後は作詞家、初代國學院院長。
- 福元岩吉 - 澎湖庁長
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.683
- ^ a b 『南日本新聞』 2013年9月17日付 14面(ふるさと新聞 川上町版)
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.221
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 pp.274-275 角川書店
- ^ 80 住居表示実施 平成27年2月2日 川上町、下田町、吉野町→吉野1,2丁目[リンク切れ] - 鹿児島市、2015年2月2日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月24日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度39分24.2秒 東経130度34分9.2秒 / 北緯31.656722度 東経130.569222度