コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「西千石町」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
137行目: 137行目:
* [[鹿児島市]]
* [[鹿児島市]]


{{鹿児島市の町}}
{{鹿児島市の町}}
{{鹿児島市発足時の町・字}}
{{鹿児島市発足時の町・字}}
{{Pref-stub|pref=鹿児島県}}
{{Pref-stub|pref=鹿児島県}}

2020年9月15日 (火) 12:09時点における版

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 西千石町
西千石町
鹿児島市立山下小学校
西千石町の位置(鹿児島市中心部内)
西千石町
西千石町
西千石町の位置(鹿児島市内)
西千石町
西千石町
西千石町の位置(鹿児島県内)
西千石町
西千石町
北緯31度35分16.6秒 東経130度32分51.4秒 / 北緯31.587944度 東経130.547611度 / 31.587944; 130.547611座標: 北緯31度35分16.6秒 東経130度32分51.4秒 / 北緯31.587944度 東経130.547611度 / 31.587944; 130.547611
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 中央地区
人口
2020年(令和2年)4月1日現在)
 • 合計 2,169人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
892-0847
地図
大久保利通

西千石町(にしせんごくちょう Nishisengoku-Chō)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧鹿児島府下西千石馬場町、鹿児島市西千石馬場町郵便番号は892-0847。人口は2,169人、世帯数は1,347世帯(2020年4月1日現在)[1]。西千石町の全域で住居表示を実施している。

西千石町の「千石」はかつて一帯に千以上の所領をもつ上級武士の屋敷が多くあったことに由来しており[2]鹿児島城(鶴丸城)を中心として千石を東西に分けた西側に位置していたことに由来する[3]

地理

鹿児島市の中心部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には平之町照国町、南方には加治屋町山之口町、西方には西田、東方には東千石町が接している。

町域の北端を鹿児島県道24号鹿児島東市来線が東西に通っており、南端には鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。以前は加治屋町電停より鹿児島市電伊敷線が分岐していたが、1985年(昭和60年)に廃止となった。東端には甲突川が流れており、町域の南東部にあるライオンズ公園には1979年昭和54年)に除幕された大久保利通像がある[2]

東部には鹿児島市立山下小学校が所在している。

歴史

江戸期は鹿児島城下の士屋敷であり、主に上級武士の居住地域であった。明治初期に鹿児島県鹿児島府下の西千石馬場町となり、1889年(明治22年)には市制が施行されたのに伴い、鹿児島市が成立。江戸期の西千石馬場町は鹿児島市の町名「西千石馬場町」となり、その後1899年(明治32年)に「西千石町」に改称した[4]

1963年昭和38年)には西千石町の全域で住居表示が実施された[5]

人口の変遷

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 備考
明治10年代 604
-
[4]
1908年(明治41年) 371 1,731 [4]
1922年(大正11年) 559 3,389 [4]
1935年(昭和10年) 635 3,490 [4]

施設

教育
商業

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]

町丁 小学校 中学校
西千石町 全域 鹿児島市立山下小学校 鹿児島市立甲東中学校

交通

道路

県道

脚注

  1. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  2. ^ a b 南日本新聞 2014年7月1日付 20面(ふるさと新聞 西千石町版)
  3. ^ 『かごしま市史こばなし』 p.89 - 木脇 栄、1976年
  4. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.496
  5. ^ 『鹿児島市史 第三巻』 p.742 - 鹿児島市 1972年
  6. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月24日閲覧。

関連項目