「平之町」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:08時点における版
平之町 | |
---|---|
平田公園内にある平田靱負像 | |
北緯31度35分27.2秒 東経130度32分51.3秒 / 北緯31.590889度 東経130.547583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 2,599人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0848 |
平之町(ひらのちょう Hirano-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下平之馬場町、鹿児島市平之馬場町。郵便番号は892-0848。人口は2,599人、世帯数は1,568世帯(2020年4月1日現在)[1]。平之町の全域で住居表示を実施している。
平之町という町名は、北部に傾斜地が広がっており、傾斜地を鹿児島弁で「平」ということに由来している[2]。
地理
甲突川下流域に位置しており、鹿児島市の中央部に所在している。町域の北から東方にかけて照国町、新照院町、南方に西千石町、西方に鷹師が接している。
町域の南端を東西に鹿児島県道24号鹿児島東市来線(千石馬場通り)が通り、中央部を国道3号が東西に通っており、平田橋交差点で進路を北方に変え以降は甲突川に沿ってほぼ南北に通っている。また、町域内の教育施設は町域の東端に鹿児島三育小学校・幼稚園が所在している。
また、西部に所在する平田公園は平田靱負の屋敷跡であり、平田公園の隣には調所広郷の屋敷も所在していたなど上級武士の居住区であった。
町域の南西端付近にある平田橋の周辺には日本画家の木村探元の誕生地の碑や、1887年(明治20年)に鹿児島 - 川内間(現在の国道3号)の道路建設工事を皮切りに着工され、その後県内六つの幹線道路が開通し、それを記念して道路開鑿記念碑が建立された[3]。
河川
歴史
江戸期の平之馬場町
江戸期には薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであり、この一帯は鹿児島城下の士屋敷で鹿児島城に近い位置に所在している為、上級武士の屋敷が多く所在していた。現在の平田公園の敷地は宝暦治水事件で指揮をとり、後に宝暦治水の責任をとって自害した平田靱負の屋敷跡であり、鹿児島県の史跡にも指定されている[4]。
また、公園内には平田靫負の銅像が1955年(昭和30年)に建立され、現在でも頌徳慰霊祭が行われている[5]。平田靫負の屋敷の隣には調所広郷の屋敷が所在していた[4]。
延宝8年に発生した田尻殿大火では地内にあった田尻殿屋敷から出火し、3,308軒が全焼し、54名の死者を出すなど大きな被害を出した[6]。
市制施行以後
1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下47町及び近在3村より鹿児島市が成立し、それまでの鹿児島城下平之馬場町は鹿児島市の町名「平之馬場町」となった。1899年(明治32年)には平之馬場町は平之町に改称した。
1965年(昭和40年)には住居表実施に伴い、平之町の一部及び山下町の一部より照国町が設置され[6]、同時に平之町の全域で住居表示が実施された[7]。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
照国町(全域) | 1965年(昭和40年) | 平之町の一部 |
山下町の一部 |
人口の変遷
統計年次〔年〕 | 世帯数〔世帯〕 | 総人口〔人〕 | 出典 |
明治10年代 | 634 | [6] | |
1908年(明治41年) | 660 | 2,992 | [6] |
1922年(大正11年) | 620 | 3,471 | [6] |
1935年(昭和10年) | 643 | 3,170 | [6] |
施設
- 公共
-
- 平田公園
- 教育
- 商業
-
- 健康家族本社
平之町に関係する人物
- 出身
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
平之町 | 全域 | 鹿児島市立山下小学校 | 鹿児島市立甲東中学校 |
交通
道路
- 国道
鉄道(廃止路線)
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 『かごしま市史こばなし』 p.90 - 木脇 栄、1976年
- ^ 道路開鑿記念碑 - 鹿児島市HP 2010年11月20日閲覧。
- ^ a b 平田靭負屋敷跡 - 鹿児島市HP 2010年11月20日閲覧。
- ^ 平田靭負屋敷跡 - 岐阜県海津市HP 2010年11月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.553
- ^ 『鹿児島市史 第三巻』 p.742 鹿児島市 1972年
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月14日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度35分27.2秒 東経130度32分51.3秒 / 北緯31.590889度 東経130.547583度