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[[五代十国]]の[[南漢]]のとき、勲州は弁州の称にもどされた。 |
[[五代十国]]の[[南漢]]のとき、勲州は弁州の称にもどされた。 |
2020年9月14日 (月) 22:45時点における最新版
弁州(辯州、べんしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から北宋初年にかけて、現在の広東省化州市一帯に設置された。
概要
[編集]623年(武徳6年)、唐により羅州石竜県の地に南石州が置かれた。635年(貞観9年)、南石州は弁州と改められた。742年(天宝元年)、弁州は陵水郡と改称された。758年(乾元元年)、陵水郡は弁州の称にもどされた。弁州は嶺南道の容管十州に属し、石竜・陵羅・竜化の3県を管轄した[1]。904年(天祐元年)、弁州が汴州と音が似ていて紛らわしいという理由で、朱全忠は弁州を勲州と改めさせた[2]。
980年(太平興国5年)、北宋により弁州は化州と改称された[3]。