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2020年9月14日 (月) 22:22時点における版
上福元町 | |
---|---|
北緯31度31分52.2秒 東経130度30分24.7秒 / 北緯31.531167度 東経130.506861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 谷山地域 |
地区 |
谷山地区(一部) 谷山北部地区(一部) |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 7,420人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-0116 |
上福元町(かみふくもとちょう Kami-Fukumoto-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧谿山郡谷山郷上福元村、谿山郡谷山村大字上福元、鹿児島郡谷山町大字上福元、谷山市上福元町。郵便番号は891-0116。人口は7,420人、世帯数は3,121世帯(2020年4月1日現在)[1]。
『鹿児島市史第5巻』によると2014年10月1日現在の町丁別人口は12,297人であり、吉野町に次いで鹿児島市で2番目の人口を擁していた[2][3]。
地理
鹿児島市南部(谷山地区)、永田川下流域に位置している。町域の北方には中山町、東谷山、清和、南方には西谷山、谷山中央東方には東谷山、南方から西方にかけて下福元町がそれぞれ接している。
町域中央部に鹿児島市立西谷山小学校がある。
交通は南部をほぼ東西に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通っており、中央部付近を指宿スカイラインが南北に通る。町域内には谷山インターチェンジがあり、指宿方面へ接続する指宿スカイラインと国道225号方面を結ぶ鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が分岐している。
河川
歴史
上福元の成立
上福元という地名は江戸期より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった。また、上福元村は下福元村と共に福本村と称していることもあったとされる。地内には谷山郷の地頭仮屋が所在しており、その周辺には麓が形成されていた。村高は「旧高旧領」には3,191石余であった[4]。
山川路沿線には町場が広がり、その町場は松崎町と称されていた[4]。
町村制施行から鹿児島市編入まで
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上福元村、下福元村、和田村、塩屋村、松崎町、平川村、中村、五ケ別府村の区域より谷山村が成立し、上福元村の区域は谷山町の大字「上福元」(1924年の町制施行の際も同じ)となった。
1958年(昭和33年)に谷山町が単独で市制施行し谷山市となり、それまでの大字上福元は谷山市の町名「上福元町」となった。1969年(昭和44年)には谷山市が鹿児島市と新設合併し鹿児島市となったのに伴い、鹿児島市の町名となった[4]。
住居表示実施に伴う町の分離
1976年(昭和51年)に魚見町、1979年(昭和54年)には小松原一丁目及び東谷山一丁目、1982年(昭和57年)には東谷山二丁目及び東谷山三丁目に一部が分割された[4]。
1988年(昭和63年)2月15日には上福元町の一部より東谷山四丁目及び東谷山五丁目が設置され[5]、1990年(平成2年)には一部より小原町[6]、自由ケ丘一丁目及び自由ケ丘二丁目、希望ケ丘町が新設され[7]、魚見町の一部に編入された[6]。
1996年(平成8年)には谷山市街地の区域が谷山中央一丁目から谷山中央四丁目に分割された[8][9]。1997年(平成9年)2月17日には上福元町及び中山町の一部より東谷山六丁目が設置され[10]、2001年(平成13年)に上福元町の一部より清和一丁目及び清和二丁目が設置された[11][9]。
2014年(平成26年)2月17日には谷山第二地区土地区画整理事業の事業区域の一部で谷山第二地区(第一期)として住居表示が実施され、上福元町の一部より谷山中央八丁目の全域、西谷山一丁目の全域及び西谷山二丁目の一部が設置された[12]。2017年(平成29年)2月6日に清和小学校周辺の上福元町の一部及び中山町の一部より、清和三丁目及び清和四丁目が設置された[13]。
また2020年(令和2年)2月3日には、上福元町及び下福元町の一部より西谷山三丁目、西谷山四丁目が設置された[14]。
字域の変遷
分割実施後 | 分割実施年月日 | 分割実施前 |
---|---|---|
魚見町 | 1976年(昭和51年) | 上福元町の一部 |
小松原一丁目 | 1979年(昭和54年) | |
東谷山一丁目 | ||
東谷山二丁目 | 1982年(昭和57年) | |
東谷山三丁目 | ||
東谷山四丁目及び東谷山五丁目 | 1988年(昭和63年) | |
小原町 | 1990年(平成2年) | |
魚見町の一部 | ||
希望ケ丘町の一部 | ||
自由ケ丘一丁目及び自由ケ丘二丁目 | ||
谷山中央一丁目から谷山中央四丁目 | 1996年(平成8年) | |
東谷山六丁目 | 1997年(平成9年) | 上福元町及び中山町の各一部 |
清和一丁目及び清和二丁目 | 2001年(平成13年) | 上福元町の一部 |
谷山中央八丁目 | 2014年(平成26年) | 上福元町の一部 |
西谷山一丁目及び西谷山二丁目 | 上福元町及び下福元町の各一部 | |
清和三丁目 | 2017年(平成29年) | 上福元町及び中山町の一部 |
清和四丁目 | 上福元町の一部 | |
西谷山三丁目及び西谷山四丁目 | 2020年(令和2年) | 上福元町及び下福元町の各一部 |
施設
- 自動車教習所
- 郵便局
-
- 谷山上福元郵便局
- 寺社
-
- 諏訪南方神社
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[15]。
町・丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
上福元町 | 一部 | 鹿児島市立清和小学校 | 鹿児島市立東谷山中学校 |
上福元町 | 一部 | 鹿児島市立西谷山小学校 | 鹿児島市立谷山中学校 |
上福元町 | 一部 | 鹿児島市立谷山小学校 |
交通
鉄道
町域内には駅は所在していないが町域内を指宿枕崎線が通っており、隣接する谷山中央一丁目に谷山駅、慈眼寺町に慈眼寺駅が所在している。
道路
- 有料道路
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 注:出典での順位は2014年10月1日時点で12,297人。
- ^ 鹿児島市史第5巻 p.899
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.211
- ^ かごしま市民のひろば1988年 (昭和63年2月号) 第249号 (PDF) - 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ) 2012年4月13日閲覧。
- ^ a b かごしま市民のひろば1990年 (平成2年11月号) 第282号 (PDF) - 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ) 2012年4月14日閲覧。
- ^ かごしま市民のひろば1990年 (平成2年2月号) 第273号 (PDF) - 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ) 2012年4月13日閲覧。
- ^ かごしま市民のひろば1996年 (平成8年02月号) 第345号 (PDF) - 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ) 2012年4月13日閲覧。
- ^ a b 鹿児島市都市計画関連事業(5)住居表示 - 鹿児島市役所 2011年1月16日閲覧。
- ^ 平成9年鹿児島県告示第140号(町の区域の変更、平成9年1月27日付鹿児島県公報1167号の2所収)
- ^ 平成13年鹿児島県告示第912号(町の区域の設定及び変更、平成13年6月8日付鹿児島県公報第1684号の2所収)
- ^ 谷山第二地区(第一期)住居表示実施 - 鹿児島市、2014年2月17日閲覧。
- ^ かごしま市民のひろば 平成29年1月号 (PDF) p.7 - 鹿児島市、2017年2月5日閲覧。
- ^ 住居表示実施ー令和2年2月3日ー上福元町・下福元町→西谷山三・四丁目 - 鹿児島市、2020年2月8日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年5月30日閲覧。
参考文献
関連項目
座標: 北緯31度31分52.2秒 東経130度30分24.7秒 / 北緯31.531167度 東経130.506861度