「新城郡 (湖北省)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
2行目: | 2行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[220年]]([[黄初]]元年)、[[孟達]]が[[魏 (三国)|魏]]に降ると、魏の[[曹丕|文帝]]により[[房陵郡]]・[[上庸郡]]・[[西城郡]]の3郡を合わせて新城郡が置かれ、孟達が新城[[太守]]に任じられた<ref>『[[華陽国志]]』漢中志</ref>。新城郡は[[荊州]]に属し、[[巫山県|巫]]・[[ |
[[220年]]([[黄初]]元年)、[[孟達]]が[[魏 (三国)|魏]]に降ると、魏の[[曹丕|文帝]]により[[房陵郡]]・[[上庸郡]]・[[西城郡]]の3郡を合わせて新城郡が置かれ、孟達が新城[[太守]]に任じられた<ref>『[[華陽国志]]』漢中志</ref>。新城郡は[[荊州]]に属し、[[巫山県|巫]]・[[秭帰県|秭帰]]・[[夷陵区|夷陵]]・[[当陽市|臨沮]]・[[房県|房陵]]・[[上庸県|上庸]]・[[漢浜区|西城]]の7県を管轄した<ref>『[[後漢書]]』郡国志注所引『魏氏春秋』</ref>。 |
||
[[晋 (王朝)|晋]]のとき、新城郡は房陵・[[綏陽県|綏陽]]・[[房県|昌魏]]・[[夏邑県|祁郷]]の4県を管轄した<ref>『[[晋書]]』地理志下</ref>。 |
[[晋 (王朝)|晋]]のとき、新城郡は房陵・[[綏陽県|綏陽]]・[[房県|昌魏]]・[[夏邑県|祁郷]]の4県を管轄した<ref>『[[晋書]]』地理志下</ref>。 |
2020年9月3日 (木) 11:02時点における版
新城郡(しんじょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から南北朝時代にかけて、現在の湖北省十堰市と陝西省安康市にまたがる地域に設置された。
概要
220年(黄初元年)、孟達が魏に降ると、魏の文帝により房陵郡・上庸郡・西城郡の3郡を合わせて新城郡が置かれ、孟達が新城太守に任じられた[1]。新城郡は荊州に属し、巫・秭帰・夷陵・臨沮・房陵・上庸・西城の7県を管轄した[2]。
晋のとき、新城郡は房陵・綏陽・昌魏・祁郷の4県を管轄した[3]。
南朝宋のとき、新城郡は梁州に属し、房陵・綏陽・昌魏・祁郷・閬陽・楽平の6県を管轄した[4]。
南朝斉のとき、新城郡は南新城郡と改称され、南新城郡は房陵・綏陽・昌魏・祁郷・閬陽・楽平の6県を管轄した[5]。
南朝梁のとき、新城郡の称にもどされた。