「武都郡」の版間の差分
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武都の地には[[氐]]族や[[羌]]族・[[ケン為郡|犍為]]族・[[ソウカ郡|牂牁]]族・[[越嶲郡|越巂]]族といった諸族が雑居しており、その習俗はだいたい巴族や蜀族と同じである。 |
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2020年8月30日 (日) 08:21時点における版
中国地名の変遷 | |
建置 | 漢代 |
使用状況 | 唐代に廃止 |
前漢 | 武都郡 |
---|---|
新 | 楽平郡 |
後漢 | 武都郡 |
三国 | 武都郡 |
西晋 | 武都郡 |
東晋十六国 | 武都郡 |
南北朝 | 武都郡 永都郡 武州 |
隋 | 武州 武都郡 |
唐 | 武州 武都郡 武州 |
武都郡(ぶと-ぐん)はかつて中国に存在した郡。漢代から北魏まで置かれた涼州系武都郡と、北魏から隋代にかけて置かれた岐州武都郡がある。
涼州系武都郡
前漢
戸数:51376、人口:235561、領県:9
- 武都県
- 上禄県
- 故道県
- 河池県
- 沮県
- 平楽道
- 嘉陵道
- 循成道
- 下辨道
武都の地には氐族や羌族・犍為族・牂牁族・越巂族といった諸族が雑居しており、その習俗はだいたい巴族や蜀族と同じである。
新
王莽が今までの郡県名を改名したため、武都郡は楽平郡となり、領県も以下のようになる。
- 武都県→循虜県
- 上禄県
- 故道県→善治県
- 河池県→楽平亭
- 沮県
- 平楽道
- 嘉陵道
- 循成道
- 下辨道→楊徳県
後漢
戸数:20102、人口:81728、城数:7
- 下辨県
- 武都県
- 上禄県
- 故道県
- 河池県
- 沮県
- 羌道県
西晋
戸数:3000、統県:5
- 下辨県
- 河池県
- 沮県
- 武都県
- 故道県
北魏
西魏~隋
- 将利県(旧:石門県)…西魏が安育県と改め、北周が将利県と改める。武都郡に置き、後に改めて永都郡とした。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃したが、大業(605年 - 618年)の初めに武都郡を置く。
- 建威県(旧:白水県)…北魏が粟邑県を白水県と改め、武都郡に属させた。西魏はふたたび郡を立て、改めて綏戎郡とした。北周は郡を廃し、改めて建威県とする。
- 覆津県…北魏で初め翫当県といい、武街郡を置いた。西魏は覆津県を設置して万郡に置くと、赤万・接難・五部の3県を統べる。北周は一郡三県を翫当県とした。開皇(581年 - 600年)の初めに武街郡が廃される。
- 盤堤県…西魏が設置。南五部県といい、後に改名する。
- 長松県…西魏が設置。初めは建昌県といい、のちに文州及び葭蘆郡を置く。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃し、開皇18年(598年)に県を長松と改め、大業(605年 - 618年)の初めに州を廃す。
- 曲水県…西魏が設置。
- 正西県…西魏が設置。
唐
武徳元年(618年)、武州が設置されると、将利・建威・覆津・盤堤の4県を領した。
岐州武都郡
岐州武都郡は北魏の太延年間(435年 - 440年)に設置される。領県:3
西魏の時代に洛邑県と改め、北周は朔州を置いた。隋の大業の初めに虢県となり、扶風郡に属した。