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=== 太原王氏 === |
=== 太原王氏 === |
2020年8月28日 (金) 05:00時点における版
王氏(おうし、わんし)は
- 中国などにおける氏族の一つ。新を建てた王莽の一族の他、前漢から後漢末~三国時代の貴族・琅邪王氏[1]と太原王氏[2]、高麗の王族などが特に知られる。
- 日本における王氏は諸王の集団であり、令制では二世から四世まで(後に五世)までの皇族を範囲としていた。
中国の王氏
王 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 王 |
簡体字: | 王 |
拼音: | Wáng |
注音符号: | ㄨㄤˊ |
ラテン字: | Wang |
広東語発音: | Wong4 |
上海語発音: | Waon1 |
台湾語白話字: | Ông |
現代の中華人民共和国では王はもっとも多い姓である[3]。北方各省においては第1位の姓で、特に東北部の吉林省と遼寧省では省の総人口の10%以上を占める[4]。
広東語や呉語で「黄」と同音であるため、「横3本の王」「画数3の王」などと呼ぶことが多い。特に「黄」が2番目に多い名字である広東語圏では「黄」と勘違いされることが多い。
起源
琅邪王氏
秦の将軍王離の長子の王元の末裔といわれる王吉を祖とし琅邪郡臨沂県を本貫とする。太原王氏は同族にあたると伝わる[5]。
王吉
王吉 ┃ 王駿 ┃ 王崇 ┃ 王遵 ┃ 王音 ┃ ┣━━━━┓ ┃ ┃ 王仁[6] 王時 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王融 王叡 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王覧 王祥 ┃ ┏━━┳━━┻━┳━━━━━┳━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 王彦 王基 王会 王正 王裁 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┏━━╋━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 王敦 王含 王舒 王彬 王廙 王曠 王導 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王籍之 王羲之 ┃ ┏━━━┳━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 王献之 王操之 王徽之 王粛之 王渙之 王凝之 王玄之 ┃ ┃ 王靖之 王楨之 ┃ ┃ 王悦之 ? ┃ ? ┃ ? ┃ 王法極(智永)
王雄
王某 ┃ 王雄 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王乂 王渾 ┃ ┃ 王衍 王戎 ┃ ┃ 王玄 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王万 王興
王導
王導 ┃ ┏━━┳━━┳┻━┳━━┳━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 王薈 王劭 王協 王洽 王恬 王悦 ┃ ┏━┻━┓ ┃ ┃ 王珉 王珣 ┃ ┏━━━┳┻━┳━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ 王孺 王曇首 王柳 王弘 ┃ ┃ 王僧虔 王僧達 ┃ ┃ ┏━━┳━━╋━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 王彬 王楫 王志 王慈 王道琰 ┃ ┃ 王筠 王融
太原王氏
上記の王離の次子の王威を祖とする氏族で、琅邪王氏とは同族と伝わる[5]。後漢末の王允とその甥である王淩などが著名である。
朝鮮の王氏
朝鮮半島で918年に王建が建国した高麗では、王氏は王族として栄え、家臣にも王姓を下賜したため、高麗末期には王氏の人口に占める割合は大きかったという。
ところが、高麗を滅ぼし李氏朝鮮を建国した李成桂は、1394年に旧高麗勢力の叛乱を懸念し、主だった高麗王族を殺害した上で王族の血をひく王氏を一ヶ所に集め皆殺しにした。生き残った者は、姓を玉、全、田などに改めて逃げのびたという伝承がある。また、かつて王姓を与えられた家もすぐさま元の姓に戻している。李氏朝鮮の体制が盤石になった後も王氏の摘発と弾圧は形骸化しながらも続き、17世紀になって中国系の済南王氏が帰化するまで解かれなかった。
現代の韓国では李氏朝鮮時代に帰化した数系統の中国系王氏が存在し、人口は2万人程度である[7]。
日本における王氏
王氏は諸王の集団であり、令制では天皇の孫(二世)から皇玄孫(四世)までを範囲としていた。慶雲3年(706年)に五世王まで拡大されるが、貞観12年(870年)に諸王の数が429名に定められた。嵯峨天皇以降は臣籍降下が増え、諸王の数は減少する。推挙は第一親王(親王の中で官位の最も高い者)の役割だったが、院政期になると法親王制の確立により親王がいなくなり、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川伯王家が、是定(王氏長者)として氏爵を行うようになった。
沖縄県の王氏
沖縄県では、琉球国時代の1392年に久米三十六姓と呼ばれる華僑集団が、当時は沿岸の島だった那覇の久米村に移住し交易に携わった。琉球への定住帰化後も1650年まで数百年間、中国式の習俗を続けていたという。これらの中国系住民のうちに福建省出身の王氏があった。沖縄では中国式の姓(唐名)と日本式の名字(大和名)を一族の名乗りとし、王氏国場家といったように称する。王氏の子孫の門中には国場、小渡、新崎、上運天、仲宗根などの各家がある。
脚注
出典・参考文献
- 比田井南谷 『中国書道史事典』普及版(天来書院、2008年(平成20年)8月)ISBN 978-4-88715-207-6
- 西川寧ほか 「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年(昭和44年)7月)
- 飯島春敬 『書道辞典』(東京堂出版、1975年(昭和50年)4月)
- 鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年(平成19年)10月)ISBN 978-4-544-01078-7
- 大辞林第三版 松村明 編 ISBN 978-4-385-13905-0
- 竹内理三 「氏長者」『律令制と貴族政権.第2部』御茶の水書房、1958年。
- 宇根俊範 「氏爵と氏長者」『王朝国家国政史の研究』坂本賞三編、吉川弘文館、1987年。
- 田島公 「「氏爵」の成立-儀式・奉仕・叙位-」『史林』71-1、1988年。