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「愛国行進曲」の版間の差分

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== 吹き込み歌手 ==
== 吹き込み歌手 ==
*[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]:[[中野忠晴]]、[[松平晃]]、[[伊藤久男]]、[[霧島昇]]、[[佐々木章]]、[[松原操]]、[[二葉あき子]]、[[渡辺はま子]]、[[香取みほ子]]/[[東京音楽学校]]/[[ベルトラメリ能子]]、松原操
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*[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターレコード]]:[[徳山たまき|徳山璉]]、[[灰田勝彦]]、[[四家文子]]、[[中村淑子]]/徳山璉、[[浅野常七]]、四家文子、中村淑子/[[平山美代子]]、[[日本ビクター児童合唱団]]/中村淑子、[[滝田菊江]]、四家文子
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*[[キングレコード]]:[[永田絃次郎]]、[[長門美保]]/[[三門順子]]/[[河村順子]]
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*[[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]]:[[藤山一郎]]/[[菊池武]]/[[古賀久子]]([[菅原都々子]])
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2020年8月25日 (火) 05:12時点における版

愛国行進曲(あいこくこうしんきょく)は、戦前に広く歌われた日本の国民的愛唱歌である。作詞は森川幸雄、作曲は瀬戸口藤吉


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key g \major \time 2/4
   d8. c16 b8 d | g g a4 | b8. b16 b8 b | b4. r8 | c8. e,16 e8 c' | b b b4 | a8. a16 a8 a | a4. r8 |
   d8. d16 d8 d | d d d4 | d8. d16 e8 d | d4. r8 | d,8. d16 e8 d | g a b4 | a8. a16 b8 a | g r d4 |
   d2 | g4 a | b4. b8 | a4 g | e2 | g4 b, | d2 ~ | d8 r4. |
   d8. c16 b8 d | g g a4 | b8. b16 b8 b | b4. r8 | c8. e,16 e8 c' | b b b4 | a8. a16 a8 a | a8 r g8. g16 |
   e'2 ~ | e4 c8. a16 | d2 ~ | d8 r d,4 | b'2 | a4 d, | g2 ~ | g8 r4. \bar "|."
   }
   \addlyrics{
   み よ と う か い の そ ら あ け て
   きょ く じ つ た か く か が や け ば
   て ん ち の せ い き は つ ら つ と
   き ぼ う は お ど る お お や し ま
   お お せ い ろ う の あ さ く も に
   そ び ゆ る ふ じ の す が た こ そ
   き ん お う む け つ ゆ る ぎ な き
   わ が にっ ぽ ん の ほ こ り な れ
   }
  >>
 }

作曲

愛国行進曲(ポリドール)
愛国行進曲(キング)
愛国行進曲(コロムビアレコード歌詞カード)

1937年(昭和12年)8月に閣議決定された国民精神総動員の方針のもと、「国民が永遠に愛唱すべき国民歌」として同年に組織された内閣情報部(のちの情報局)によって歌詞が公募され「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの」「内容は日本の真の姿を讃え帝国永遠の生命と理想とを象徴し国民精神作興に資するに足るもの」などの規定が設けられた。国民歌謡で放送。

応募は57,578点[1]にのぼり、その中から鳥取県境町(現:境港市)で印刷業を営んでいた森川幸雄の歌詞が選ばれた。任命された審査員は、乗杉嘉寿片岡直道穂積重遠佐佐木信綱河井酔茗北原白秋および島崎藤村の7名であった。ただし審査員によって補作が行われ、ほとんど原詞は変えられている。審査員の北原白秋佐佐木信綱は補作のやり方をめぐって対立し、生涯和解しなかった。また、その歌詞に対する曲の応募も10,000点を超え(一書に9,555点[1])、こちらは「軍艦行進曲」の作曲でも有名な元海軍軍楽隊長の瀬戸口藤吉の曲が選ばれた。任命された審査員は、岡田国一内藤清五橋本国彦信時潔山田耕筰小松耕輔堀内敬三および近衛秀麿の8名であった。

同年12月24日、首相官邸で内閣情報部内発表会として初めて公の場で演奏され、2日後の26日に日比谷公会堂で一般聴衆に発表された。

なお、2位に当選したのは「若しも月給が上がったら」の平岡照章の曲で、3位は一般人の山中しづえであった。

影響

内閣情報部はこの曲の著作権フリーとしたためレコード各社が競って録音し、1937年12月に一斉に発表された。日本コロムビアだけでも5種類の録音があったとされ、その他、ビクターキングポリドールテイチクタイヘイレコードと有名各社でもレコードが制作された。下記に記入した有名歌手の吹き込み以外にも、歌い方指導や軍楽隊、合唱団のみの吹き込みも存在し、その数は20種類以上にも及び、累計売り上げは100万枚に上ると推定される[2]

当時の評価は賛否両論あり、近衛秀麿が「ああいう選者の顔ぶれでああいう募集方法で絶対といっていい位、詩と曲とが本当に融合した国民が永遠に歌い得る『国民行進曲』などは出来るはずはない」[3]と述べたほど、一般募集の方法に批判的な意見が相次いだ。特に詩は時代に合わない表面的なものだけと厳しい意見が多かったが、瀬戸口の曲には「あれに追随するものはない」(橋本國彦)というような高い評価が与えられた。

1937年(昭和12年)に支那事変日中戦争)が勃発したが、当時の軍人送迎などには、『赤い夕日』『陸軍の歌』などもっぱら日清日露戦争の軍歌が歌われていた。新たに作曲された軍歌もあったが、古関裕而の『露営の歌』など少数を除けは、国民の心を捉える曲は少ないと見なされたのである。

大東亜戦争太平洋戦争)でアジア各地を占領した日本軍はこの歌を広めた。そのため戦後40年ほどまでは日本を代表する曲だと思っていた外国人が多かった。作家の阿川弘之は1966年(昭和41年)山本五十六の搭乗機の残骸を探しにブーゲンビル島に行った際、ガイドの住民が「ミヨトウカイノ」と歌っていたことを『私のソロモン紀行』に記述している。パラオでは『パラオの夜明け』という替え歌になっている。また、インドネシアの独立記念行事では独立戦争の関係者達によって歌われ、1994年(平成6年)に日本の報道機関によって取材されている。フィリピンの大統領だったフェルディナンド・マルコスの妻イメルダ・マルコスは訪日した際に香淳皇后とこの歌を一緒に歌った[4]

また、歌詞を「見よ東條禿頭」または「見よ東京の関東焚(カントダキ)=関東煮、おでん」などに変えたパロディも密かに流行したという。

戦時中の愛唱歌で、山田耕筰作曲の『なんだ空襲』や、『進め一億火の玉だ』、『この決意』の間奏部には、本曲の一部が流用されている。

1938年(昭和13年)2月16日に内閣情報部が創刊した『写真週報』の創刊号表紙には、『愛国行進曲』の楽譜を持って合唱する子ども達が写されている。

映画「釣りバカ日誌」(松竹)の中に登場する鈴木建設の社歌は、この曲の前半部分のメロディをモチーフにしている。(16から新社歌へ変更)

歌詞

1番
見よ 東海の 空明けて
(みよ とうかいの そらあけて)
旭日高く 輝けば
(きょくじつたかく かがやけば)
天地の正気 溌剌と
(てんちのせいき はつらつと)
希望は躍る 大八洲
(きぼうはおどる おおやしま)
おゝ 清朗の 朝雲に
(おお せいろうの あさぐもに)
聳ゆる富士の 姿こそ
(そびゆるふじの すがたこそ)
金甌無欠 揺ぎなき
(きんおうむけつ ゆるぎなき)
我が日本の 誇なれ
(わがにっぽんの ほこりなれ)

2番
起て 一系の 大君を
(たて いっけいの おおきみを)
光と永久に 戴きて
(ひかりととわに いただきて)
臣民我等 皆共に
(しんみんわれら みなともに)
御稜威に副はん 大使命
(みいつにそわん だいしめい)
往け 八紘を 宇となし
(ゆけ はっこうを いえとなし)
四海の人を 導きて
(しかいのひとを みちびきて)
正しき平和 うち建てん
(ただしきへいわ うちたてん)
理想は花と 咲き薫る
(りそうははなと さきかおる)

3番
いま 幾度か 我が上に
(いま いくたびか わがうえに)
試練の嵐 哮るとも
(しれんのあらし たけるとも)
断乎と守れ その正義
(だんことまもれ そのせいぎ)
進まん道は 一つのみ
(すすまんみちは ひとつのみ)
あゝ 悠遠の 神代より
(ああ ゆうえんの かみよより)
轟く歩調 うけつぎて
(とどろくほちょう うけつぎて)
大行進の 往く彼方
(だいこうしんの ゆくかなた)
皇国つねに 栄あれ
(こうこくつねに さかえあれ)

英語歌詞

AIKOKU KOSHIN KYOKU
“Patriotic March”
Lo ! above the eastern sea
  Clearly dawns the sky ;
Glorious and bright the sun
  Rideth up on high.
Spirit pure of heaven and earth
  Fills the hearts of all,
Hope abounding springs--O sweet
  Isles Imperial.

    Yonder where the clouds of morn
      Shed a radiant glow,
    Fuji Mountain, Nippon's pride,
      Rears its crown of snow.
    Fair of form without a blot
      Nobly doth it stand,
    And unshakable--a ture
      Symbol of our land.

He who reigns above in power
  And in virtue dight,
Sovereign of unbroken line,
  Is our changeless light.
We will follow--one and all
  Loyal subjects, we--
Follow Him aright: fulfil
  Our great destiny !

    Onward, east, west, north and south.
      Over land and main !
    Let us make the world our home,
      Call to fellow-men
    Everywhere on the four seas,
      Let us build the tower
    of just peace--let our ideal
      Bloom forth like a flower !

Though again and yet again
  Trials we may meet,
Over us may tempests roar,
  Storms upon us beat,
Resolute in heart and mind
  Justice we defend.
But one road we know to gain
  Triumph in the end.

    Hark ! far from the hallowed past
      Of the Age Divine
    Sounds our fathers' measured tread.
      O come fall in line !
    As we, sons and daughters, march,
      Shines our path before.
    Glory be unto our land
      Ever, evermore !

吹き込み歌手

脚注

  1. ^ a b 倉田喜弘『日本レコード文化史』東京書籍(東書選書 124)、1992年、202頁。ISBN 4-487-72224-1
  2. ^ 牛山充による。『音楽年鑑 昭和14年版』(『日本レコード文化史』203頁)。
  3. ^ 東京朝日新聞1937(昭和12)年10月22日
  4. ^ 週刊文春』1991年11月14日号、219頁