ベルトラメリ能子
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ベルトラメリ 能子 | |
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出生名 | 鐡能子 |
生誕 | 1903年4月1日 |
出身地 | 茨城県 多賀郡平潟町 |
死没 |
1973年8月2日(70歳没) 東京都 千代田区神田和泉町 |
学歴 | 東京音楽学校 卒業 |
ジャンル | ソプラノ歌手 |
職業 |
声楽家 音楽学者 |
事務所 | 日本コロムビア |
ベルトラメリ 能子(ベルトラメリ よしこ、1903年4月1日[1][2] - 1973年8月2日[1][2])は、日本の声楽家・ソプラノ歌手。
経歴
[編集]1903年(明治36年)4月1日生まれ。茨城県多賀郡平潟町(現・北茨城市)出身[1]。旧姓は鐵(てつ)[2]。
8歳頃から東京で育つ[2][3]。東京音楽学校(現東京芸術大学)卒業[2][3]後アドルフォ・サルコリに師事し[1][2]、三浦環の妹弟子でもあった[1]。高輪尋常小学校で教師をしながら山田耕筰に師事[2][3]。
1922年(大正11年)オペラ研究のため、イタリアに留学[1][2]。ナポリに3年、後にローマに移り、国立音楽学校でオットリーノ・レスピーギなどに理論を、ベリット・ド・ラビカらに声楽を学んだ。
ローマでイタリアの詩人・アントニオ・ベルトラメリと出会い、のちに結婚[注 1]。1930年(昭和5年)に夫と死別し、1931年(昭和6年)に一時帰国して日本コロムビア専属歌手となり、独唱会などを開いた。
1932年(昭和7年)には再びイタリアへ渡り、1935年(昭和10年)に帰国[1][2]。帰国後は鎌倉に住み[1][2]、ベルカント唱法の日本普及に貢献するなど、教育活動に尽力した。
1959年(昭和34年)国立音楽大学専任講師[2][3]。1964年(昭和39年)同大学教授[2][3]。
1973年(昭和48年)8月2日、東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去[4]。享年70歳。著作に『イタリア歌曲集』(音楽之友社、1956年 - 1958年)がある。