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== モデル・女優 == |
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・1985年 二人のベンチ(舞台)[[紀伊國屋ホール]]。女優。当初は母の付き人をさせられていたが、演出家の目にとまり、眼鏡の文学少女役として冒頭部分に出演。相手役の[[清水 |
・1985年 二人のベンチ(舞台)[[紀伊國屋ホール]]。女優。当初は母の付き人をさせられていたが、演出家の目にとまり、眼鏡の文学少女役として冒頭部分に出演。相手役の[[清水綋治]]を「ふざけんじゃねぇ!酔っ払いのくせに」と一喝する台詞。 |
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・1989年 フォードモデルジャパン(現、[[クリームインターナショナル]])に所属。 |
・1989年 フォードモデルジャパン(現、[[クリームインターナショナル]])に所属。 |
2020年8月20日 (木) 00:09時点における版
MAH(マー ・本名、小川雅代)は、日本のギタリスト。作家。モデル。女優。東京都港区出身。
人物・概要
ロック・バンド「JETT SETT」のリードギターリスト、ヴォーカリスト、作詞家、作曲家。東京近郊で活動中。メロディックコアで哀愁漂うメロディーや、60年代ガール・グループを思わせるポップソングを基調とし、幅広いルーツをバックグラウンドに生み出す作品とパフォーマンスで、海外、日本を問わず音楽マニア達からの評価も高い。10代から女優、モデルとしての実績もあり。一時は女優であり母である小川真由美とドラマやバラエティー番組で共演していた事もあった。著書に母との確執を綴った「ポイズン・ママ~母・小川真由美との40年戦争」(文藝春秋)があり、2018年に電子書籍化されている。父親は俳優の細川俊之。(2歳の時に離婚)
生い立ち
世間的には大女優である母、小川真由美は、狂信していた占いにより、身の回りから一切の緑色と紫色を排除したり、数十羽のチャボを飼ったり、MAHの本名や、学校や、何もかもを「このままだと悪い事が起こる」と次々変えた。幼い頃は母の言う事に従っていたが、付き人が盗んだ300万円の犯人の濡れ衣を着せられたり、食事を与えられず、頻繁に5~7日間の飢餓状態に追い込まれたり、母との関係に苦しみ、自殺も考えるようになる。父親や周囲も助けてはくれず、唯一の楽しみは、同居していた、母のバンドマンだった彼のレコードを隠れて聞く事だった。その中にあったピンク・フロイドのアルバム原子心母の「マザー」という曲の歌詞を読み、「世界には同じ思いをしている人達が居るかもしれないから、もう少し生きてみよう」と思った。その経験を2012年に著書で告白している。
音楽
・1982年 学校の先輩が出演したYAMAHAポプコンを見に行ったのをきっかけに、ライブハウスに通い、バンドで演奏するようになってゆく。
・1985年 新宿ロフトでシーナ&ザ・ロケッツのギター、鮎川誠氏に出会う。
・1980年代、新宿ロフトやShibuya O-EASTで開催されていた「ロックの日」で、シーナ&ザ・ロケッツをバックにブロンディやイギー・ポップのカヴァーでゲスト出演。
・1988年 ex.サンハウスの柴山俊之氏のプロデュースによりビクター青山スタジオでレコーディング。ドラム 池畑潤二(ルースターズ、COMPLEX)、ベース 奈良敏博(サンハウス、シーナ&ザ・ロケッツ)、ギター 下山淳(ルースターズ、沢田研二)、キーボード 中山務(シーナ&ザ・ロケッツ、ピチカート・ファイヴ)
・2004年 自身のバンドは何度かメンバーチェンジを経た後、現在のバンド名「JETT SETT」に。
・2005年 和気優のアコギな奴ら(インターネットラジオ)出演。
・2006年 ミニアルバム「Go Ahead」発売。(JETT CATT RECORDS)
・2006年 少女時代からの心の支えだったブロンディのライブでShibuya O-Westの楽屋を訪ねた際、泣き崩れてドラムのクレム・バーグに心配され、憧れのデボラ・ハリーに抱きしめて貰う。
・2011年 8月6日恵比寿 Live Gateで行われた「三色丼プロジェクト」にゲスト出演。自身の楽曲「Crazy Blue」を演奏。ギター 田中一郎(ARB、甲斐バンド) 、ギター 斉藤光浩(ARB、BOWWOW) 、ギター 白浜久(ARB、THE MOZZ) 、 ベース 榎本高(many) ドラムス 西川貴博(THE KIDS、many)
・2015年 BOLLOCKS(ロック雑誌)JETT SETTグラビア。
・2015年 以前よりギター一本のソロ活動も並行していたが、この年はex.シーナ&ザ・ロケッツの渡邊信之と大阪、京都ツアーへ。
・2018年 現在のメンバーに。(ベース Goro、ドラム Tommy)
その他、幻冬舎Webマガジン ロックと猫が好きな人の為の漫画「昭和軒」を連載したり、ラジオ、THE MIKE ROGERS SHOW等、多数。
毒親・毒母
・2012年 母と娘の確執に迫った「ポイズン・ママ〜母・小川真由美との40年戦争〜」を文藝春秋より上梓。2週間後に出版された田房栄子の漫画「母がしんどい」と共に、毒親・毒母ブームの火付け役となり、社会現象が起こる。発表と同時に、覚悟していた好奇の目や偏見から、「親を悪く言うなんて!」と叩かれたり、小川真由美を盲信するファンからの反撃にあったりしたが、精神科医岡田尊司著書の「母という病」の参考文献になったり、テレビや雑誌で取り上げられ、毒親・毒母の認知は確実に上がっていった。
・2012年 問題家族とのつきあい方(文藝春秋BOOKS)しまおまほと対談。
・2012 - 2015年 毒母ミーティング(トークイベント)阿佐ヶ谷LOFT。臨床心理士の信田さよ子、田房永子と共に10回に渡り開催。ゲストに内田春菊、増田ぴろよ、勝山実、二村ヒトシ、他。チケットは毎回完売。大阪ロフトプラスワンでも開催された。
・2013年 婦人公論(女性誌)インタビュー。
・2014年 フランスの女優、エヴァ・イオネスコが母親のイリナ・イオネスコの虐待にあっていた少女時代を、自ら監督となり映画化したヴィオレッタ(映画)にいがた国際映画祭。トークショーゲスト。
・2014年 ヴィオレッタ(映画)シアター・イメージフォーラム。信田さよ子と共にトークショーゲスト。
・2014年 ヴィオレッタ(映画)シネマート六本木。エヴァ・イオネスコ監督と主演のアナマリア・ヴァルトロメイが来日し、歓談。ポイズン・ママを献本。「生きてて良かった!」と大感激。
・2017年 STORY(女性誌)インタビュー。
・2018年 ポイズン・ママが電子書籍化。
・2019年 Wezzy(Webマガジン)インタビュー。
その他、読売新聞、週刊文春、週刊新潮、文藝春秋、女性自身、女性セブン、週刊女性、VERY、Grazia、週刊プレイボーイ、季刊Be!、多数。
モデル・女優
・1985年 二人のベンチ(舞台)紀伊國屋ホール。女優。当初は母の付き人をさせられていたが、演出家の目にとまり、眼鏡の文学少女役として冒頭部分に出演。相手役の清水綋治を「ふざけんじゃねぇ!酔っ払いのくせに」と一喝する台詞。
・1989年 フォードモデルジャパン(現、クリームインターナショナル)に所属。
・1989年 無印良品カタログ。モデル
・1989年 ヒロミチナカノコレクション。モデル。
・1990年 ヤクルト珈琲タイム(CM)とんねるず木梨憲武の恋人役。
・1990年 オフィス・メイへ移籍。
・1991年 東海漬物きゅーりのキューちゃん(CM)3代目Qちゃんガールに抜擢。宍戸開と恋人役。
・1992年 以後、フリーに。
・1994年 プロゴルファー織部金次郎2(映画)ヒロイン財前直見の同僚役。
・1996年 大江戸弁護人走る!(テレビ朝日)時代劇。町娘役。
・1996 - 1997年 月曜ドラマスペシャル / 湯けむり仲居純情日記シリーズ。(TBS) Vol.5 旅館のお嬢役、Vol.6 自殺願望アリの誘拐犯役(準主役)
・1997年 月刊カメラマン「カメラマンEX」で表紙&完頭5ページ。Photo 曽根陽一。モデル。
・1998年 壮絶バトル!花の芸能界(日本テレビ)小川真由美とゲスト出演。
・1998年 ジャングルTV 〜タモリの法則〜(TBS)同。
・2000年 仰天めんたまりあ(関西テレビ)同。
・2011年 スッキリ(日本テレビ)父親で俳優の細川俊之が亡くなり、追悼出演。
・2019年 池袋Wacca(ポスター)ファッションビル。モデル。 Crawdaddy Studioデザイナーの黒川聡アートディレクションのもと、1人9役で9人のロックスターに。
その他、Bild-Zeitung(ドイツ新聞)、朝日新聞、毎日新聞、北海道新聞、多数。
関連項目
・細川俊之
・文藝春秋
外部リンク
・文藝春秋BOOKS「ポイズン・ママ~母・小川真由美との40年戦争~」(文藝春秋)電子書籍