コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

MAH

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
MAH
基本情報
出生名 小川 雅代(おがわ まさよ)
生誕 (1969-05-25) 1969年5月25日(55歳)
出身地 日本の旗 日本東京都港区
職業 ギタリスト作詩家作曲家作家モデル女優
担当楽器 ギター
著名な家族 小川真由美(母)
細川俊之(父)
共同作業者 JETT SETT
公式サイト https://jettsett.jimdofree.com/

MAH(マー、本名:小川 雅代(おがわ まさよ)、1969年5月25日 - )は、日本ギタリスト[1]作家モデル女優東京都港区出身。

概要

[編集]

ロック・バンドJETT SETTのリードギターリストヴォーカリスト作詞家作曲家編曲家。東京近郊で活動中。10代から女優モデルとしての実績もあり。一時は母である小川真由美とドラマやバラエティー番組で共演していた事もあったが、後に母との確執を綴った『ポイズン・ママ~母・小川真由美との40年戦争』文藝春秋 2012年3月)を刊行した。同書は2018年10月19日に電子書籍化されている。父親は俳優の細川俊之だが2歳の時に離婚。

音楽活動

[編集]

1980年代 新宿ロフトShibuya O-EASTで開催された「ロックの日」で、ザ・ロケッツをバックに出演。

2004年、自身のバンドは何度か名前やメンバーチェンジを経た後、現在のバンド名JETT SETTとなる。

2006年、ミニアルバム「Go Ahead」発売(JETT CATT RECORDS)

2014年『BOLLOCKS』(ロック雑誌)にJETT SETTがグラビア掲載される。(No.015 2014年09月 67頁)

2020年10月15日、渋谷Egg Manで行われたCOLOR RED RECORD ワールドデビューオーディションファイナルに出場。

その他、ラジオTHE MIKE ROGERS SHOW、 MIKE ROGERS SHOW CHANNELインタビュー出演

母との確執

[編集]

大女優である母、小川真由美は、狂信していた占いにより、身の回りから一切の緑色と紫色を排除したり、数十羽のチャボを飼ったり、MAHの本名や、学校や、何もかもを「このままだと悪い事が起こる」と次々変えた。幼い頃は母の言う事に従っていたが、付き人が盗んだ300万円の犯人の濡れ衣を着せられたり、食事を与えられず、頻繁に5~7日間の飢餓状態に追い込まれたり、母との関係に苦しみ自殺も考えるようになる。父親や周囲も助けてはくれず、唯一の楽しみはロックのレコードを隠れて聞く事だった。その中にあったピンク・フロイドの「マザー」という曲の歌詞を読み、「世界には同じ思いをしている人達が居るかもしれないから、もう少し生きてみよう」と思った。

2012年、上記の母と娘の確執に迫った『ポイズン・ママ〜母・小川真由美との40年戦争〜』を文藝春秋より上梓。毒親・毒母が社会現象となる。その一方で、好奇の目や偏見から「親を悪く言うなんて!」と叩かれたり、小川真由美を盲信するファンからの反撃にあったりしたが、同書はテレビや雑誌で取り上げられ、毒親・毒母の認知は確実に上がっていった。同年、『問題家族とのつきあい方(春秋BOOKS文藝)』でしまおまほと対談。(春秋BOOKS文藝「本の話」2012年4月13日486~490頁)これ以降、毒親・毒母に関連するイベントに盛んに出演した。また、精神科医岡田尊司の著書『母という病』に参考文献として『ポイズン・ママ』の一部が掲載される。 (ポプラ社 2012年11月4日 198~199頁)

2012年 - 2015年、阿佐ヶ谷ロフトA、大阪ロフトで行われた毒母ミーティング(トークイベント)では、臨床心理士の信田さよ子、漫画家の田房永子とともに10回にわたるミーティングを実施した。

2013年、『婦人公論』から母である小川真由美との対談を求められるが、これを断り、両者別々のインタビューとなった。(中央公論社2113年10月17日38~41頁)

2014年9月 『季刊Be! 116号』にインタビュー掲載(特定非営利活動法人ASK事業部2014年9月 58~63頁)

2018年『雑誌STORY2月号』私と毒親の"一方的講和条約"特集にインタビュー掲載。(光文社 2月号 2018年2月 211~213頁)。同年『ポイズン・ママ』が電子書籍化される。

2021年『毒親から離れて、幸せになる方法』(宝島社ムック本)でインタビューに応じる(宝島社 2021年11月21日 26~31頁)

2022年、ポイズン・ママ・コミック版をYoutube配信開始。

芸能活動

[編集]

1985年、「二人のベンチ」が女優として初めての活動である。当初は母の付き人をさせられていたが、演出家の目にとまり、眼鏡の文学少女役として出演し、相手役の清水綋治を「ふざけんじゃねぇ!酔っ払いのくせに」と一喝する役どころを務めた。1989年からフォードモデルジャパン(クリームインターナショナル)に所属した後、1990年オフィス・メイへ移籍。1992年以降はフリーとして活動。

モデル活動

[編集]

CM

[編集]

テレビ・映画出演

[編集]

その他

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ SiM・MAHの考え方が180度変わった出来事とは。THE ORAL CIGARETTES・山中拓也が聞く | J-WAVE NEWS”. J-WAVE NEWS | 音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」 | J-WAVE 81.3 FM. 2021年12月26日閲覧。