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[[宋 (南朝)|南朝宋]]のとき、晋興郡は晋興・[[右江区|熙注]]・[[象州県|桂林]]・[[隆安県|增翊]]・[[横県|安広]]・[[凌雲県|広鬱]]・[[江州区|晋城]]・[[大化県|都陽]]の8県を管轄した<ref>『[[宋書]]』州郡志四</ref>。 |
2020年8月17日 (月) 07:29時点における最新版
晋興郡(晉興郡、しんこう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。晋代から南北朝時代にかけて、2カ所の晋興郡が立てられた。
広州晋興郡
[編集]本節では、現在の広西チワン族自治区南部に設置された晋興郡について述べる。318年(大興元年)、鬱林郡が分割されて晋興郡が立てられた。晋興郡は広州に属し、郡治は晋興県に置かれた。
南朝宋のとき、晋興郡は晋興・熙注・桂林・增翊・安広・広鬱・晋城・都陽の8県を管轄した[1]。
南朝斉のとき、晋興郡は晋興・熙注・桂林・增翊・安広・広鬱・晋城・都陽の8県を管轄した[2]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、晋興郡は廃止されて、尹州に編入された[3]。
涼州晋興郡
[編集]本節では、現在の青海省民和回族トゥ族自治県一帯に設置された晋興郡について述べる。311年(永嘉5年)、張軌により西平郡の境に晋興郡が置かれた。晋興郡は涼州に属し、晋興・枹罕・永固・臨津・臨障・広昌・大夏・遂興・罕唐・左南などの県を管轄した[4]。北魏のときに廃止された。