「スパルティヴェント岬沖海戦」の版間の差分
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|caption=38.1cm砲を斉射する戦艦[[ヴィットリオ・ヴェネト (戦艦)|ヴィットリオ・ヴェネト]] |
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2020年8月16日 (日) 15:33時点における版
スパルティヴェント岬沖海戦 | |
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38.1cm砲を斉射する戦艦ヴィットリオ・ヴェネト | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1940年11月27日 | |
場所:サルデーニャ島沖の地中海 | |
結果:勝敗つかず | |
交戦勢力 | |
イギリス | イタリア |
指導者・指揮官 | |
ジェームズ・サマヴィル | イニーゴ・カンピオーニ |
戦力 | |
空母1、戦艦1、巡洋戦艦1、重巡洋艦5、軽巡洋艦1、防空巡洋艦1、駆逐艦4、コルベット4、貨物船4 | 戦艦2、重巡洋艦6、駆逐艦14 |
損害 | |
重巡洋艦1損傷 | 駆逐艦1損傷 |
スパルティヴェント岬沖海戦、またはテウラダ岬沖海戦は、第二次世界大戦中の海戦の一つ。1940年11月27日にイギリス海軍とイタリア海軍が交戦した戦いで、イギリス海軍がイタリア海軍を撃退したともみられる[1]が、双方1隻が損害を出すのみで決定的な勝敗は付かなかった。
背景
1940年11月11日のタラント空襲においてイギリス軍は、タラント湾に停泊していたイタリアの戦艦の半数を撃破した。タラント湾に停泊するイタリア艦隊の動きは開戦時から消極的ではあったものの、出撃しなくても地中海を行き来するイギリス軍にとって脅威となっており、またイタリアはそのことに満足していた。しかし、タラント空襲後、港にいても安全ではないことがわかり、生き残った艦隊を使用するようになった。
11月17日、戦艦2隻(ヴィットリオ・ヴェネト、ジュリオ・チェザーレ)を中心とするイタリア艦隊が、マルタへ航空機輸送中(ホワイト作戦)の空母2隻(アーク・ロイヤル、アーガス)を中心とするイギリス艦隊の迎撃に出撃した。イギリス艦隊はイタリア艦隊の接近を知り、艦載していたマルタへの輸送航空機を本来の予定地よりも遠くで発艦させ、すぐにジブラルタルへ引き返した。しかし、マルタへ向けて発進した航空機は、強風の影響や誘導の失敗などで14機中9機が失われた。
続いて地中海ではイギリス軍のMB9作戦が実行されようとしていた。この一部としてジブラルタルからマルタとエジプトへ向けてイギリス空軍の人員や物資を運ぶ船団が運航されることとなった(カラー作戦)。また、ドイツの通商破壊艦対策に充てるため、地中海艦隊から戦艦ラミリーズ他何隻かの艦艇がジブラルタルへ向かうことになっていた。この作戦でジブラルタルから出撃するH部隊のサマヴィル中将は、イタリア艦隊が攻撃に出撃してくる可能性が高いと考えていた。
海戦前の動き
11月24日から25日の夜、サマヴィル中将が指揮するB部隊(巡洋戦艦レナウン、空母アーク・ロイヤル、巡洋艦2隻、駆逐艦9隻)、F部隊(巡洋艦2隻、駆逐艦1隻、コルベット4隻、輸送船3隻)がジブラルタル海峡を通過した。26日、マルタからD部隊(戦艦ラミリーズ、巡洋艦3隻、駆逐艦5隻)が出航し、ジブラルタルへ向かった。
11月26日、ジブラルタルからの船団攻撃のためイタリア艦隊が出撃した。11月27日から28日の夜、イタリアの水雷艇シリオがD部隊を発見した。シリオは雷撃をおこなったが命中しなかった。
戦闘経過
イタリア軍は、イギリスのH部隊とD部隊が合流する前に攻撃しようとした。一方、イタリア艦隊の存在を察知したイギリス軍は、艦隊を北へ向かわせてイタリア艦隊が輸送船団に接近する前に攻撃しようとした。両艦隊は接近し、27日11時45分にイギリス軍は、イタリア艦隊が80キロの距離にいて接近していることを察知した。この時点でD部隊はまだアレキサンドリアから到着していなかったため、イギリス軍は数で劣っていたが、15分後にはD部隊も現れ、両軍はほぼ互角となった。イギリス側には航空母艦が配備されていたものの、砲撃における射程、火力ではイタリアのほうが勝っていた。しかし、イタリア艦隊の指揮官は非常に有利な状況以外では戦闘は避けるように命じられており、イタリア側には非常に大きな制約があった。
サマヴィル提督は部隊を二つに分けた。ランスロット・ホーランド少将指揮の巡洋艦5隻を先陣にし、2隻の戦艦と7隻の駆逐艦が第2陣として南に位置した。さらに南では空母アーク・ロイヤルがソードフィッシュ雷撃機の発艦準備を行っていた。対するイタリア軍は3つの部隊に分かれていた。2つの部隊は重巡洋艦6隻と駆逐艦7隻からなり、その後方に位置する3つ目の部隊は戦艦2隻と駆逐艦7隻からなっていた。
H部隊とD部隊はすでに合流していると判断したイタリア艦隊の指揮官は艦隊をまとめて撤退しようとし、12時7分に戦闘に入らないよう命じたが、すでに巡洋艦はイギリス艦隊のほうに向かっており両者は戦闘に突入した。
12時22分、両軍の巡洋艦部隊の先頭は射程距離内に入り、イタリアの重巡洋艦フィウメは距離23500メートルで砲撃を開始した。両軍は接近し砲戦が続いたが、イタリア側のほうが優勢であった。旧式戦艦ラミリーズは、その砲撃力で両軍の戦力を互角にしていたが、低速のため数斉射の後12時26分には戦闘から落伍した。その時点でややイタリア側が優勢になったのだが、4分後にはイタリアの巡洋艦部隊の指揮官アンジェロ・イアキーノ中将は戦闘を打ち切るように命令された。そのためイアキーノ中将は速度を30ノットに上げるよう命じ、煙幕を張って退却を始めた。この間、イタリアの駆逐艦ランチエーレはイギリスの軽巡洋艦マンチェスターから命中弾を受け、対するイギリスも重巡洋艦ベリックが12時22分に命中弾を受けて乗員9名が戦死し、12時35分にも2発目がベリックに命中した。
次の数分間は、イギリスの巡洋戦艦レナウンがイタリアの巡洋艦に接近しイギリス軍優勢となった。しかし、13時00分にはイタリアの戦艦ヴィットリオ・ヴェネトが距離26500メートルで砲撃を始めた。ヴィットリオ・ヴェネトは7斉射19発を砲撃し、今度はイギリス巡洋艦隊の旗色が悪くなった。その直後に両軍は撤退し、戦闘は終結した。54分続いたこの戦闘における両軍の損害は軽微であった。
参加艦艇
- アンジェロ・イアキーノ提督
- イニーゴ・カンピオーニ提督
- 戦艦2隻: ヴィットリオ・ヴェネト、ジュリオ・チェザーレ
- 駆逐艦7隻: アルピーノ、ベルサリエーレ、フチリエーレ、グラナティエーレ、ダルド、フレッチア、ストラーレ
- ランスロット・ホーランド提督
- ジェームズ・サマヴィル提督
- 戦闘に参加しなかった艦
- 輸送船団を護衛
出典・脚注
- ^ 世界の艦船増刊第67集
外部リンク
- Battle of Cap Spartivento
- The Battle of Cape Teulada
- Battaglia di Capo Teulada - Plancia di Comando