「梵網経 (大乗仏教)」の版間の差分
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[[唐]]の[[法蔵 (唐)|法蔵]]は詳細な『梵網経菩薩戒本疏』を著した。 |
[[唐]]の[[法蔵 (唐)|法蔵]]は詳細な『梵網経菩薩戒本疏』を著した。 |
2020年8月16日 (日) 12:48時点における版
『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』とは、大乗仏教の経典であり、『梵網経』と通称する[1]。鳩摩羅什訳とされる漢訳が伝わる。上下の二巻本で、下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。
僧肇[2]の序文によれば、原本『梵網経』120巻61品の1品を訳出したものであるという[3]。 漢伝仏教における菩薩戒はこの経典に説かれるものが用いられる。
原本は伝わっておらず、5世紀頃に宋 (南朝)で成立した偽経(中国撰述経典)とみる学者が多い。[4]
パーリ語で書かれた上座部仏教所伝の『梵網経』とは内容がまったく異なる。
内容
上巻は菩薩の階位である四十種類の法門を述べたものである。
下巻は十重四十八軽戒と呼ばれる禁戒を述べたもので、父母に孝順であることなど、中国的な内容が見られる。
後世への影響
智顗は、『梵網経』下巻(菩薩戒)について天台宗の立場から『菩薩戒義疏』を著した(天台戒疏とも呼ぶ)。智顗は実際に煬帝をはじめとする多くの人々に菩薩戒を授けた[5]。
新羅の太賢は『菩薩戒本宗要』と『梵網経古迹記』を著した。『古迹記』は日本にはいって多くの注釈書が書かれた。
空海は、真言密教の立場から『梵網経』を解釈した『梵網経開題』を著した。
関連項目
脚注
- ^ 宋・元・明本は『仏説梵網経下』とする。
- ^ (374、一説に474~414年)東晋、長安の人。鳩摩羅什(くまらじゅう)門下の学僧。
- ^ 「口翻解釋。五十餘部。唯梵網經。一百二十卷六十一品。其中菩薩心地品第十。專明菩薩行地。是時。道融道影三百人等。即受菩薩戒。」
- ^ 平川彰 『インド・中国・日本 仏教通史』 p.74 (1977年、新版 2006年 春秋社) ISBN 978-4393118221
- ^ 『隋天台智者大師別伝』。「大王(『続高僧伝』巻17には「晋王」とする)方希浄戒、故妙願唯諾。請戒文曰(中略)以今開皇十一年十一月二十三日、於総管金城殿設千僧会、敬屈授菩薩戒。戒名為孝、亦名制止。」