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2020年8月16日 (日) 12:08時点における版
大乗仏教(だいじょうぶっきょう、梵: महायान Mahāyāna, 英: Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。衆生救済を目的とし、悟りを開いていないが、仏道に励む「菩薩」の立場を重視した[2]。
概要
名称
大乗はサンスクリットのmahā-yānaの訳であり、大きな乗り物の意[3]。摩訶衍・摩訶衍那と音写される[3]。乗り物とは仏教の教義体系を指す[3]。大乗とは、偉大な教え・優れた教えの意味である[3][注 2][注 3]。
大乗の語は、漢訳の初期教典と部派教典にも見られるもので[5]、摩訶衍(まかえん)はその音写とされ摩訶衍を採る経典も多くある[6][信頼性要検証]。摩訶衍は後漢時代の漢訳『雑譬喩経(支婁迦讖訳)』、三国時代の漢訳『舊雑譬喩経(康僧会訳)』、南北朝時代の漢訳『央掘魔羅経(求那跋陀羅訳)』からすでにみられるが[7][信頼性要検証]、央掘魔羅経は大乗の語も合わせて用いている[8][信頼性要検証][注 4]。
パーリ上座部の文献やスリランカの史書に出てくる方等部(ほうとうぶ)あるいは方広部(ほうこうぶ、巴: Vetulla, Vetullavādin, Vetulyaka[10], 梵: Vaitulyavādin, Vaitulika)という言葉は大乗を指していたと推定される[11][注 5][注 6]。
小乗という訳語は部派仏典には瞿曇僧伽提婆(ゴータマ・サンガデーヴァ)による漢訳『増一阿含経』に一例だけみられるが[14]、あらゆる般若経の最古形とされる『道行般若経』には「小乗」(Hīnayāna)の語はない[15]。「小乗」の語の成立は「大乗」の語より遅れており、起源も別であるらしい[15]。大乗経典が生まれてくる過程において、その一部に「小乗」の語が考案されて用いられたとされる[15]。この語は部派仏教の全てを指すのではなく、説一切有部のみを、もしくはその一派のみを小乗と呼んだことが、ほぼ論証されている[15]。
形成
大乗仏教は紀元前後に起こり,1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっている[16]。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている[2]。つまり、自らが悟りを開いて「阿羅漢」になることを目的とした姿勢を「利己的」と批判し、「(少数しか救われない)小乗」とさげすんだのである[2]。大乗仏教を体系化したのは、2世紀から3世紀に活躍した龍樹であり、大乗仏教の基盤となる般若経で強調される「空」の概念を説明し、諸宗派に影響を与えた[2]。龍樹の思想をもとに形成されたのが「中観派」である。さらに、4世紀に入ると、瞑想(ヨーガ)を通じて心の本質を見る、瑜伽行唯識学派が登場[2]、中観派とともにインド大乗仏教の二大流派を形成する[17]。瑜伽行唯識学派は弥勒を祖とし、無著と世親が教学を大成した[17]。
教義
大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと[18][注 7]、如来蔵説が唱えられたこと[21]などがある。
これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していった。そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがある。
自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、大乗の求道者は、阿羅漢ではなく他者を救済するブッダに成ることを主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創り出していった。
また、ブッダとは歴史上に現れた釈迦だけに限らず、過去にも現れたことがあるし、未来にも現れるだろうという考えはすでに大乗仏教以前から出てきていたが、大乗仏教ではこれまでに無数の菩薩たちが成道し、娑婆世界とは別にある他方世界でそれぞれのブッダとして存在していると考えた。この多くのブッダの中に西方極楽浄土の阿弥陀如来や東方浄瑠璃世界の阿閦如来・薬師如来などがある。また、歴史的存在、肉体を持った存在であった釈迦の教えがただそのまま伝わるのではなく、大乗仏教として種々に発展を遂げ、さまざまな宗派を生み出すに至る。三法印などすべての宗派に共通する教義も多々ある。
発展の諸相
顕教
インド
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ネパール
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チベット
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中国・日本
智顗(538年-597年)を実質的な開祖とし、『法華経』を根本経典とする宗派。
阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを説いている[22]。『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の「浄土三部経」を根本経典とする[注 8]。
座禅を中心においた修行によって、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする[23][24]。
インド
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ネパール
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チベット
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中国
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チベット
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日本
大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持 ・祈祷 を重んじる[25]。根本経典は『大日経』と『金剛頂経』。天台密教では『蘇悉地羯羅経』も重視する
伝播
紀元前3世紀、インド初の統一国家となったマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は、やがて西北インドから中央アジアを経由して、紀元1世紀には中国まで伝播した[26]。そして、さらに朝鮮、日本、ベトナムに伝わっている(北伝仏教)。北伝仏教は大乗仏教と同義ではなく、西北インドや西域諸国では部派仏教も盛んで、中国にもその経典が伝えられたが、受容は限定的だったという[26]。またチベットは8世紀より僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入、その後、チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていった(チベット仏教)。
7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教(Tantra または Tantrism)と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(すぐれた素質の者は今生で(即身成仏)、劣った素質の者でも十六生のうちに成仏)できるとする。密教は、仏教圏全域に流布したが、東南アジア諸国では上座部仏教を国教と定めた各王朝が大乗仏教を排斥するのにともない消滅、現存するのはインドからネパールに伝わったサンスクリット語の経典を用いる系統、インドから中国・朝鮮半島を経由して日本に伝わった漢訳経典を用いる系統、インドからチベットを経由してモンゴルにも伝わったチベット語経典を用いる系統が残存するのみで、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。
考古学的には、スリランカ、そして東南アジアなど、現在の上座部仏教圏への伝播も確認されている。スリランカでは東南部において遺跡が確認されており、上座部仏教と併存した後に12世紀までには消滅したようである。また、東南アジアではシュリーヴィジャヤなどが大乗仏教を受入れ、その遺跡は王国の領域であったタイ南部からスマトラ、ジャワなどに広がっている。インドネシアのシャイレーンドラ朝のボロブドゥール遺跡なども著名である。東南アジアにおいてはインドと不可分の歴史的経過を辿り、すなわちインド本土と同様にヒンドゥー教へと吸収されていった。
- 紀元前5世紀頃 : インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
- 紀元前3世紀 : セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
- 紀元後1世紀 : 中国に伝わる(中国の仏教)
- 2世紀:ベトナムに伝わる(ベトナムの仏教)
- 4世紀 : 朝鮮半島に伝わる(朝鮮の仏教)
- 538年 : 日本に伝わる(日本の仏教)
- 7世紀前半 : チベットに伝わる(チベット仏教)
- 11世紀 : ビルマに伝わる(ミャンマーの仏教)
- 13世紀 : タイ王国に伝わる(タイの仏教)
- 13-16世紀 : モンゴルに伝わる(チベット仏教)
- 17世紀 : カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
- 18世紀 : 南シベリアに伝わる(チベット仏教)
脚注
注釈
- ^ 図では漢訳仏典に基づく東アジア仏教圏は大乗に、チベット仏教は金剛乗(密教)にラベリングされている。チベット仏教とは密教であると誤解されることがあるが、実際のところチベットの仏教観では、金剛乗は釈尊が段階的に説いた教えのひとつであり、声聞乗・大乗・金剛乗のすべての教えの完備が尊重されている[1]。
- ^ なお、ジャイナ教でも古くから巴: mahājāna(梵: mahāyāna)ということをいう[疑問点 ][3]。
- ^ アルダマーガディー語に近縁するプラークリットであるパーリ語では mahā jana は「大勢の人々(大衆)」という意味。[4]。
- ^ 大正蔵の阿含部に収められている央掘魔羅経は大乗経典である[9]。
- ^ Vetullavada - Wisdom Library
- ^ 平川彰は Vetullavāda を方広派、Vetulyaka を方広部と翻訳している[12]。パーリ語 vetulla はパーリ語文献では異端という否定的意味で用いられたが、これは九分経のひとつである vedalla (広破)が変化したものと推測され、これに対応するサンスクリットの vaipulya (方広)、vaidalya (広破)、vaitulya (無比)は大乗側では自称として用いられたものである[13]。cf. 付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの - 真宗大谷派 西照寺
- ^ 波羅蜜という用語が現れたのは、かなり後に編纂された部派仏典のわずかな経論や[19]ジャータカ系・仏伝系の経典から[20]。
- ^ 融通念仏宗では、『華厳経』・『法華経』を正依とし、「浄土三部経」を傍依とする。
出典
- ^ 吉村均「チベット・ネパール仏教の実践」『仏教の事典』 末木文美士・下田正弘・堀内伸二編、朝倉書店、2014年。
- ^ a b c d e 保坂俊司監修 『決定版 よくわかる世界三大宗教―キリスト教・イスラム教・仏教』 学研パブリッシング、2012年、118頁。
- ^ a b c d e 中村元 『広説佛教語大辞典 中巻』 東京書籍、2001年6月、1120頁の「大乗」の項目。※同頁によれば、ジャイナ教での用例の出典は『アーヤーランガ』の一・三、四・二。
- ^ 『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社)1487頁。
- ^ 大乗 (阿含部・毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 摩訶衍 - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 摩訶衍(阿含部「央掘魔羅經」, 本縁部「舊雜譬喩」「舊雜譬喩經」) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 大乗 摩訶衍(央掘魔羅經) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 『大蔵経全解説大事典』雄山閣、30頁。
- ^ Vetulla:m. 方等部, 方広部, 大乗仏教. -pițaka 方広説の三藏, 大乗経. -vādin 方等部, 大乗説者. (水野弘元「増補改訂 パーリ語辞典」 p.302)
- ^ 馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、145頁、152頁、157頁、167頁・註(20)、169頁・註(44)、170頁・註(61)。
- ^ 平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新版2011年(初版1974年)、170頁、322頁。
- ^ 馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、167頁・註(20)、169頁・註(44)。
- ^ 小乗 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ a b c d 『バウッダ』 中村元・三枝充悳著. 小学館. 337-338頁。
- ^ 平山朝治 (2007). “大乗仏教の誕生とキリスト教” (PDF). 筑波大学経済学論集 (筑波大学) (57): 139 .
- ^ a b 唯識派 - コトバンク
- ^ 『バウッダ』 中村元・三枝充悳著. 小学館. 337-339頁。
- ^ 波羅蜜 (阿含部・毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 波羅蜜 (本縁部) ※鳩摩羅什以前の漢訳で訳者が明白な経典のみ表示。 - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ “如来蔵(にょらいぞう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月7日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉「浄土教」
- ^ デジタル大辞泉「禅宗」
- ^ 『大辞林』第三版「禅宗」
- ^ デジタル大辞泉「密教」
- ^ a b 薗田香融「東アジアにおける仏教の伝来と受容 : 日本仏教の伝来とその史的前提」『関西大学東西学術研究所紀要』第22号、関西大学東西学術研究所、1989年、1-36頁、ISSN 02878151。