「許 (姓)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼: 「チョ」→「褚」の改名に伴うリンク修正依頼 (許褚) - log |
|||
63行目: | 63行目: | ||
*[[許慎]] - 後漢の儒学者・文字学者。 |
*[[許慎]] - 後漢の儒学者・文字学者。 |
||
*[[許劭]] - 後漢末期の人物批評家。 |
*[[許劭]] - 後漢末期の人物批評家。 |
||
*[[ |
*[[許褚]] - 後漢末期から三国時代の魏の武将。 |
||
*[[許靖]] - 後漢末期から三国時代の後漢・劉璋・蜀漢の政治家 |
*[[許靖]] - 後漢末期から三国時代の後漢・劉璋・蜀漢の政治家 |
||
*[[許圉師]] - [[唐]]の官僚。 |
*[[許圉師]] - [[唐]]の官僚。 |
2020年8月15日 (土) 00:44時点における版
許(きょ)は、漢姓の一つ。
中国の姓
許 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 許 |
簡体字: | 许 |
拼音: | Xǔ |
注音符号: | ㄒㄩˇ |
ラテン字: | Hsu |
広東語発音: | Heoi2 |
上海語発音: | Shiu2 |
台湾語白話字: | Khó͘ |
北京語などでは発音が近い「徐」と区別するために、「言に午の許」と呼ぶことが多い。
来源
この節の加筆が望まれています。 |
許氏古墓
- 許由墓
- 許氏始祖墓
- 位於:河南登封箕山
堂号
- 洗耳堂
- 得仁堂
- 訓詁堂
- 魯斎堂
- 賜恩堂
郡望
灯号
著名な人物
- 歴史上の人物
- 許慎 - 後漢の儒学者・文字学者。
- 許劭 - 後漢末期の人物批評家。
- 許褚 - 後漢末期から三国時代の魏の武将。
- 許靖 - 後漢末期から三国時代の後漢・劉璋・蜀漢の政治家
- 許圉師 - 唐の官僚。
- 許敬宗 - 唐の官僚、歴史家。
- 許崇智 - 中華民国の軍人。
- 中華人民共和国
- 香港
- 台湾
朝鮮の姓
ホ | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 허 |
漢字: | 許 |
発音: | ホ |
日本語読み: | きょ |
英語表記: | Heo, Hŏ, Hur, Huh, Her, Hu, Ho, Hoh, Heoh |
許(きょ、ホ、朝: 허)は、朝鮮人の姓の一つである。2000年の国勢調査による韓国内での人口は300,448人。
著名な人物
- ホ・ファンオク - 金官伽倻の女王。
- 許黄玉 - 金官伽倻の始祖首露王の妃
- 許康安 - 高麗の役人であり、朝鮮の氏族の河陽許氏の始祖
- 許筠 - 李氏朝鮮時代の文人、政治家、思想家、小説家
- 許浚 - 李氏朝鮮時代の医者で『東医宝鑑』の著者。
- 許穆 - 李氏朝鮮時代後期の文臣、政治家、書家、画家
- 許任 - 李氏朝鮮時代の医者
- 許蘭雪軒 - 詩人、ホ・ギュンの姉。
- ホ・ギュン - 洪吉童伝の作者。
- 許積 - 領議政。
- 許政 - 第6代国務総理。
- 許鼎九 - 元三養物産名誉会長。
- ホ・ ジャンカン - 俳優。
- ホ・ソンピョ - サッカー選手。
- ホ・ヨンマン – 漫画家。
- 許京寧 - 政治運動家。
- 許昌秀 - GSグループ及びFCソウルオーナー。
- 許南植 - 釜山広域市市長。
- ホ・ジュニョン - 韓国鉄道公社のCEOで仁川コレイルのオーナー。
- ホ・ジョンモ - サッカー選手。
- ホ・ジンホ - 映画監督。
- ヨンソン・ホ - バレエ振付師。
- ホ・ジョンホ - 俳優。
- 許載 – バスケットボール選手。
- ホ・ヨンモ - アマチュアボクサー。
- アラム・ホ – 教育者。
- ホ・ソンウォク – アルペンスキー選手。
- ホ・ソクホ - ゴルフ選手。
- ホ・ヨンスク - ハンドボール選手。
- ホ・ソンヨン - ハンドボール選手。
- ホ・ジェウォン - サッカー選手。
- ホ・ヨンホ – 囲碁棋士。
- ホ・ヨンジ - KARA のメンバー。
- ホ・ヨンセン - SS501 のメンバー。
- ホ・イジェ - 女優。
- M. J. ・ホ - ゴルフ選手。
- ホ・ガユン - 4Minute のメンバー。
- ジョン・ホ - ゴルフ選手。
- 許百錬 - 韓国の南画家
- 許壮会 - 韓国の囲碁棋士
- 許丁茂 - 韓国のサッカー選手・指導者
氏族
許氏の淵源は遠く駕洛国首露王妃許黄玉に遡る。許皇后は本来インドの阿踰陀国の王女だったが、船に乗って今の慶南鎮海市運動沖合に至り、首露王の妻になったという。
許黄玉は息子10人を生み、長男登は金海金氏となり、二人の息子は許氏を賜姓し、残りの七人の息子は仏家に帰依して、河東七仏(慶南河東に七仏寺がある)となった。つまり金海金氏は父姓、許氏は母姓をそれぞれ受け継いだため、現在でも相婚を避ける。
許氏は駕洛国が新羅に敗れて、各地方に散らばった。その中の陽川許氏の始祖である許宣文は今のソウル市陽川区である孔岩村に腰を据え定住して、農業を営み、高麗の太祖が後百済の甄萱を征伐する時軍糧を補給した功労で孔岩村を食邑とする下賜を受けて村主になったという伝説がある。
高麗中期に王室の外戚で勢力をふるった李子淵、李資謙など仁川李氏も元々は許氏だったが、高麗時代に邵城伯(邵城は現在の仁川)であった許謙が、唐に使臣に行き、皇帝から李姓を下賜され、李氏となった。つまり金海金氏から許氏が、許氏から仁川李氏が輩出されたということで、これら3姓は駕洛宗親会を中心に血族としての紐帯を緊密に結んでいる。
許氏は朝鮮時代文科及第者122人、相臣6人を輩出した。
氏族(地域) | 創始者 | 割合 (%) (2000年) |
---|---|---|
金海許氏 | 金官加羅国の初代王首露王の妃のサータヴァーハナ朝の王女許黄玉の35代子孫の許琰 | |
陽川許氏 | 高麗太祖王建が甄萱を征伐した時に物資を提供した功績から孔巖村主に封じられた許宣文 | |
泰仁許氏 | 金官加羅国の初代王首露王の妃のサータヴァーハナ朝の王女許黄玉の30代子孫の許士文 | |
河陽許氏 | 金官加羅国の初代王首露王の妃のサータヴァーハナ朝の王女許黄玉の33代子孫の許康安 | |
咸昌許氏 | ||
水原許氏 | ||
梁州許氏 | ||
孔巖許氏 |
人口と割合
年度 | 人口 | 世帯数 | 順位 | 割合 |
---|---|---|---|---|
1960年 | 2万8685世帯 | 258姓29位 | ||
1985年 | 26万4228人 | 6万3037世帯 | 274姓中29位 | |
2000年 | 30万448人 |