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* [[廖永忠]] - [[明]]初の軍人。
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* [[廖平]] - 清末から中華民国の学者。
* [[廖平]] - 清末から中華民国の学者。
* [[廖仲ガイ|廖仲愷]] - 清末から中華民国の政治家。
* [[廖仲愷]] - 清末から中華民国の政治家。
* [[廖承志]] - 政治家。廖仲愷の子。
* [[廖承志]] - 政治家。廖仲愷の子。
* [[廖錫竜]] - 軍人。
* [[廖錫竜]] - 軍人。

2020年8月14日 (金) 11:33時点における版

各種表記
繁体字
簡体字
拼音 Liào
注音符号 ㄌㄧㄠˋ
ラテン字 Liao
広東語発音: Liu6
上海語発音: Liau3
台湾語白話字 Liāu
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(りょう)は、漢姓のひとつ。『百家姓』の342番目。

2007年の公安部の統計によると、中華人民共和国で62番目に多い姓だった。現在ではとくに南方に多い姓であり、2005年の内政部の調査によると台湾で21番目に多かった。

由来

元和姓纂』の引く『風俗通』によると、廖叔安の子孫であるという[1]。廖叔安については、のときに龍を飼う官についていた董父の父として飂叔安という人物が『春秋左氏伝』昭公29年、王充論衡』龍虚、王符潜夫論』志氏姓などに見える。『漢書』古今人表の帝嚳のところに同じ人物が「廖叔安」と書かれている。これが正しいとするならば古い国名に由来する氏であり、『通志』氏族略では「以国為氏」に含めている。いっぽう『広韻』では文王の子の伯廖(不詳)に由来するという[2]

なお、『広韻』などに従うならば姓の場合はリュウと読むはずであるが、現在は日本でも中国語でもリョウにあたる音で読まれている。この読みは古いものらしく、『通志』でも「今はリョウと読む」と言っている[3]

著名な人物

脚注

  1. ^ 元和姓纂』 去声四十九宥・廖https://archive.org/stream/06065093.cn#page/n60/mode/2up。「『風俗通』古有廖叔安、『左伝』作「飂」。蓋其後也。」 
  2. ^ 『広韻』去声四十九宥(力救切)「廖、姓。周文王子伯廖之後。後漢有廖湛。」
  3. ^ 通志』 巻26・氏族略・以国為氏・廖氏https://archive.org/stream/06058575.cn#page/n146/mode/2up。「亦作「飂」、並力救切。今呼為「料」。」