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2020年7月28日 (火) 23:59時点における版
郡 和子 こおり かずこ | |
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内閣府大臣政務官就任に際して 公表された肖像写真 | |
生年月日 | 1957年3月31日(67歳) |
出生地 | 宮城県仙台市 |
出身校 | 東北学院大学経済学部 |
前職 | 東北放送報道制作局部長 |
所属政党 |
(民主党→) (民進党(菅グループ・赤松グループ)→) 無所属 |
公式サイト | 郡和子 公式ホームページ |
選挙区 |
(比例東北ブロック→) (宮城1区→) 比例東北ブロック |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2005年9月12日 - 2017年7月9日 |
第18代 仙台市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2017年8月22日 - 現職 |
郡 和子(こおり かずこ、1957年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、政治家。第18代仙台市長。旧姓は高橋(たかはし)。
東北放送株式会社報道制作局部長、衆議院議員(4期)、衆議院厚生労働委員会理事、衆議院消費者問題に関する特別委員会理事、内閣府大臣政務官、復興大臣政務官、民主党筆頭副幹事長などを歴任した。
来歴
生い立ち
宮城県仙台市出身。仙台市立長町小学校卒業後、仙台市立長町中学校に入学。秋保町立秋保中学校(現在の仙台市立秋保中学校)を卒業。宮城県第二女子高等学校(現・宮城県仙台二華高等学校)から東北学院大学経済学部経済学科にすすむ。大学卒業後の1979年、東北放送にアナウンサーとして入社。2005年、解説委員や報道制作局の部長を務める[1]。
衆議院議員
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬。自由民主党の土井亨に敗れるが比例東北ブロックで復活し初当選した。2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井を破り2選。2011年9月7日、野田内閣で内閣府大臣政務官(消費者・食品安全、拉致問題、防災、死因究明の推進担当など)、東日本大震災復興対策本部宮城県現地対策本部長に就任。2012年2月10日、復興庁の設置に伴い復興大臣政務官(宮城復興局担当)を兼務。同年10月、野田第3次改造内閣で内閣府大臣政務官(行政改革、社会保障と税の一体改革、公務員制度改革、行政刷新担当)に再任。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井に敗れるが比例復活で3選。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に、宮城1区から民主党公認で出馬、土井に敗れるが比例復活で4選。2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた[2]。
2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加した[3]。2016年民進党代表選挙では、民主党政権時代に事業仕分けで名をはせた手腕を評価し、蓮舫を支持した[4]。
仙台市長
衆議院議員の任期途中の2017年6月9日、同年7月23日投開票の仙台市長選挙に市民団体の出馬要請を受けて仙台市長選挙に立候補することを表明し[5]、同年7月9日、民進党を離党して無所属で立候補、公職選挙法の規定により衆院議員を自動失職した[6]。 民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補として、菅原裕典ら3人を破り当選[7]。
放送作家として
- 1998年、浅野史郎宮城県知事(当時)の選挙戦を追ったドキュメンタリー「あれは民主主義の学校だったのか」で、民間放送連盟賞のラジオ部門に入選(優秀賞)[8]。
- 2005年、「北へ渡ったヒーロー ~北朝鮮帰国事業とは何だったのか~」のプロデューサーを務め、日本放送文化大賞のラジオ部門グランプリ候補番組に入選[9]。
政策・人物
選択的夫婦別姓制度
選択的夫婦別姓制度の導入については、個人と個人の選択権の尊重、男女の対等な関係を確立する観点から、賛成し、導入推進を図っている。95%以上の夫婦が、(妻の姓を選択することも可能なのに)夫の姓を選んでいる現状では、女性が「自分の姓を変えたくない」と思っていても、事実上はその選択肢を選ぶことは非常に困難であり、個人の選択が社会的に制限されているのは問題、また、個人の選択権の問題ばかりではなく、例えば仕事をしている女性にとっては、姓を変えることで不利益が発生することもある。さらに少子化傾向によって一人っ子同士のカップルが増えるとともに、「自分が結婚すると、家族の姓がなくなってしまう」と、結婚をためらうケースも増えている。世論についても、選択的夫婦別姓制度に賛成する人が反対する人を上回るようになった。すぐにも、選択的夫婦別姓制度を実現するために民法を変えるべき、と述べている[10]。
東日本大震災への対応
2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、2012年2月11日に宮城復興局の局長に就任。自身のブログで、各省庁から送られてきた専門家を「専門家なるがゆえに視野が狭くなるという陥りやすい穴もそれぞれの足元に持っています」としながらも「経験のある復興庁・復興局・支所の職員を大いに使って頂きたい。」と国民に訴えた[11]。
また、宮城県の「東日本大震災復興交付金」が岩手県などが申請額を満額で配分されている中で申請額の57%しか配分されなかったことに対する村井嘉浩知事からの抗議に対して、「重く受け止めたい。」と述べた[12]。その後、第2次配分では満額回答となり、村井知事も「これからはいがみ合うことなく、前に向かって力を合わせてがんばっていこうと思います。郡さんとはメールをする間柄で親しい仲なので心配ない」と述べた[13]。
慰安婦問題
従軍慰安婦問題に関しては、2006年3月15日に自身も水曜デモに参加し、マイクを持って「1日も早い謝罪と補償を」と主張している[14]。
新型コロナウイルス感染症対策
2020年5月28日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身の7月から2021年3月までの月額給与を10%減額すると発表した。副市長2人については7%、企業管理者と教育長については5%、常勤の監査委員らについては3%、それぞれ同期間減額する[15]。
その他
- 未納期間の後払い可能期間を延長させる年金確保支援法[16]成立時に、与党民主党厚生労働担当政策調査会副会長として受けた党内インタビューでは、25年間以上保険料を収めないと受給資格を得られないというルールがあるが、家族、夫婦など働き方は多様化しているのに対して、旧来の年金制度が時代に合っていない。今回の法改正で、将来の年金額が増えるだろうという人は最大で1710万人、無年金から救済される人は最大で40万人に上る。これはかなり大きな効果であるが、公平な年金制度のために、近い将来には抜本的な改正も再び必要だろうとの見解を述べている[17]。
- 拉致問題担当政務官として拉致問題を考える道民集会に政府主催者代表として挨拶出席した際「ぶつけることのできない怒りをお持ちであるということは十分認識している。愛する御家族との再会が果たされない限り、拉致問題は風化しないという思いを強く持ちつつ、野田総理の下、政務官として、1日でも早い拉致被害者の帰国を目指し、関係省庁と協力しながら全力で取り組んでまいりたい。」と述べた[18]。
- 復興大臣政務官の時の市民感覚から辻元清美議員に仙台市長選挙にて支持と支援を受けている [19]。
- 永住外国人への地方選挙権付与に賛成[20]。
- 2011年7月、松本龍 復興担当大臣に「(自身の言動を)書いた社は終わり」と脅されても現地メディアが被災地で村井嘉浩宮城県知事、達増拓也岩手県知事への高圧的な言動が報道されて世論の反発により辞任表明した[21][22]。辞任に対して、宮城3区選出の橋本清仁議員が「被災地出身の人間として(復興担当大臣の発言には)ガッカリだ」、「復興大臣には被災者の立場で言葉を発するべきである」と述べたのに対して、民主党宮城県連の幹事長だった郡は「松本大臣は当たり前のことを指摘したまでである」、「復興の妨げになるので、この問題を大きく取り上げるべきではい」として擁護した[23]。
議員時代の所属団体・議員連盟
- 東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟(幹事)[24]
- 立憲フォーラム(幹事)
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 海事振興連盟
- 国際観光産業振興議員連盟
- 日韓議員連盟
発言
- 2007年1月26日の日記で、安倍晋三の施政方針演説について『安倍さんの演説は、現場を知らない官僚の作った政策を「美しい国」というラップをかぶせ、現実を見ようとしない、はなはだいい加減、しかも、安倍さん自身の心が微塵も感じられないお粗末な演説だった』と述べている。
- 2008年9月29日の日記で、麻生太郎の所信表明演説について『明治以来歴代の総理を称賛し戦争への誤った道を歩んだ政権も是とするような、驚きの所信表明演説でした。』『驚きと合わせこの国の未来が危険にさらされるのではないかという気持ちを強くさせるものでした。』と述べている。
- 2014年11月12日の内閣委員会にて(解散がうわさされ)与党席の空席が目立つことを受け「定足数に達していないのではないか。大変不真面目な議会運営だ」と与党を批判した[25]。
脚注
- ^ 公式プロフィール
- ^ “民主代表選候補の推薦人名簿”. 時事ドットコム (時事通信). (2015年1月7日) 2015年1月8日閲覧。
- ^ “民進党が結成大会 衆参156人、代表に岡田克也氏選出”. 朝日新聞. (2016年3月27日) 2016年3月29日閲覧。
- ^ “<民進代表戦>東北議員 蓮舫氏支持最多8人”. 河北新報. (2016年9月3日)
- ^ “仙台市長選に郡衆院議員が出馬表明 新人4氏の争いに”. 産経新聞 (2017年6月10日). 2017年7月8日閲覧。
- ^ “4新人が届け出=仙台市長選”. 時事通信 (2017年7月9日). 2017年7月10日閲覧。 “民進・吉田氏が繰り上げ当選へ 衆院、郡氏は自動失職”. 日本経済新聞 (2017年7月9日). 2017年7月10日閲覧。
- ^ 元衆院議員の郡和子氏が初当選、毎日新聞、2017年7月23日。
- ^ 日本民間放送連盟賞/1998年(平成10年)入選・事績[1][2]
- ^ 日本放送文化大賞/第1回入選・事績 [3]
- ^ 別姓通信 2005年8月
- ^ 郡和子 公式ホームページ 2012年2月11日[4]
- ^ 東日本大震災:復興交付金で知事抗議 初回配分額、申請の57% 調整力不足の声も 毎日新聞 2012年03月04日 地方版[5]
- ^ 宮城県知事記者会見(平成24年5月28日)[6]
- ^ 郡和子 公式ホームページ 2006年3月15日 [7]
- ^ “仙台市長、給与10%カット 議会に押し切られ決断?”. 河北新報. (2020年5月29日) 2020年5月29日閲覧。
- ^ “これって朗報?年金確保支援法成立”. (2011年8月15日) 2017年7月12日閲覧。
- ^ “年金額増は最大で1710万人。年金確保支援法が成立しました”. 民主党アーカイブ 2017年7月12日閲覧。
- ^ 「拉致問題を考える道民集会」を開催しました。
- ^ “仙台市長選挙・郡和子候補とともに”. (2017-07 -11) 2017年7月12日閲覧。
- ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ^ “松本復興相が辞任の意向表明 / 国民「何がしたかったんだ」”. (2011年7月5日) 2017年7月24日閲覧。
- ^ “松本復興相が辞意 宮城県知事への発言の責任で”. (2011年7月5日) 2017年7月24日閲覧。
- ^ “「高圧的」被災地激怒”. 河北新報. (2011年7月5日)
- ^ “役員人事”. 東京オリンピック・パラリンピックに向けて 受動喫煙防止法を実現する議員連盟. 2019年6月6日閲覧。
- ^ [8]
関連項目
外部リンク
- 郡和子 公式ホームページ
- 郡和子事務所 (koorikazuko) - Facebook
- 市長室へようこそ - 仙台市
公職 | ||
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先代 設置 |
復興大臣政務官 吉田泉→若泉征三 大串博志→金子恵美 津川祥吾→加賀谷健 橋本清仁と共同 2012年 |
次代 徳田毅 長島忠美 亀岡偉民 島尻安伊子 |
先代 阿久津幸彦 大串博志 園田康博 |
内閣府大臣政務官 大串博志→加賀谷健 園田康博→金子恵美 北神圭朗→岸本周平 稲見哲男 大野元裕 本多平直 高山智司と共同 2011年 - 2012年 |
次代 山際大志郎 亀岡偉民 島尻安伊子 北村茂男 平将明 秋野公造 |
先代 奥山恵美子 |
仙台市長 公選第18代:2017年 - |
次代 (現職) |