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「光市母子殺害事件」の版間の差分

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戦後、犯行当時[[未成年者]]の死刑が確定した例は[[少年死刑囚]]を参照のこと。
戦後、犯行当時[[未成年者]]の死刑が確定した例は[[少年死刑囚]]を参照のこと。


[[永山則夫連続射殺事件#永山基準|永山基準]]の枠組みでは、当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る、という基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した<ref>2006年6月29日新聞{{Full citation needed|date=2019年4月}}、元[[白大学]]法科大学院教授[[土本武司]]のコラム。</ref>。
[[永山則夫連続射殺事件#永山基準|永山基準]]の枠組みでは、当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る、という基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した<ref>2006年6月29日新聞{{Full citation needed|date=2019年4月}}、元[[白大学]]法科大学院教授[[土本武司]]のコラム。</ref>。


== 死刑判決確定をめぐる動き ==
== 死刑判決確定をめぐる動き ==

2020年7月24日 (金) 07:57時点における版

光市母子殺害事件
光市の位置
場所 日本の旗 日本山口県光市
新日本製鐵光製鐵所社宅アパート
日付 1999年平成11年)4月14日
概要 当時18歳の少年が、主婦を殺害後に屍姦し、その娘も殺害した上、財布を窃盗した。
攻撃側人数 1人
死亡者 主婦(事件当時23歳)・乳児(事件当時生後11か月)
犯人 少年F(犯行当時18歳0か月)
1981年3月16日生まれ[1]
動機 強姦
対処 逮捕起訴
謝罪 なし
刑事訴訟 死刑少年死刑囚未執行
影響 被害者主婦の夫・本村洋は、Fへの死刑適用を求めつつ、犯罪被害者の権利確立のため、全国犯罪被害者の会(あすの会)を設立し、犯罪被害者等基本法の成立などに尽力した。
第一次上告審から、Fの弁護活動を担当した弁護団(主任弁護人安田好弘)の主張が、日本国内で論議を呼んだ。
管轄 山口県警察光警察署
山口地方検察庁広島高等検察庁
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最高裁判所判例
事件名 光市母子殺害事件第一次上告審
事件番号 平成14年(あ)第730号
2006年(平成24年)6月20日
判例集 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第289号383頁
裁判要旨
  • 原判決を破棄する。 本件を広島高等裁判所に差し戻す。
  • 犯行当時、少年だったことは死刑回避の決定的事情とは言えない。
第三小法廷
裁判長 濱田邦夫
陪席裁判官 上田豊三藤田宙靖堀籠幸男
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
参照法条
強姦致死罪殺人罪窃盗罪
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最高裁判所判例
事件名 光市母子殺害事件第二次上告審
事件番号 平成14年(あ)第730号
2012年(平成24年)2月18日
判例集 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第289号383頁
裁判要旨
  • 本件上告を棄却する。
  • 犯行当時、少年だったことは死刑回避の決定的事情とは言えない。
  • 少年法が死刑適用の可否について定めるのは18歳未満か以上かという形式的基準であり、精神的成熟度の要件を求めていない。
第一小法廷
裁判長 金築誠志
陪席裁判官 宮川光治桜井龍子白木勇
意見
多数意見 3人賛成
意見 あり
反対意見 宮川光治
参照法条
強姦致死罪殺人罪窃盗罪
テンプレートを表示

光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)とは、1999年平成11年)4月14日山口県光市内の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートで発生した殺人事件。

当時18歳0か月の少年F(現姓O)により、主婦(当時23歳)が殺害屍姦され、その娘である乳児(生後11カ月)も殺害された上、財布が盗まれた少年犯罪である。Fは殺人強姦致死窃盗の各容疑の罪状で、刑事裁判で裁かれた。一・二審で、Fは死刑求刑に対し、無期懲役判決を受けるも、最高裁で破棄差し戻しされ、差し戻し控訴審で言い渡された死刑判決が確定し、現在再審請求中である。

裁判中はその残虐な事件内容と、Fを死刑にすべきでないと主張する弁護団の突飛とも言える弁護内容(後述)がマスコミで大きく取り上げられ、日本国内で論議を呼んだ。また被害者の夫が「犯罪被害者の権利確立」を訴えたことにより、この問題が大きく取りあげられるきっかけの一つとなった。

事件の概要

以下、検察側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく事件の概要である。

1999年(平成11年)4月14日午後2時半頃、少年F(当時18歳、現姓O)が、山口県光市の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートに、強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入したFは、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。

その後、Fは女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘(生後11カ月)を殺意を持って床に叩きつけるなどした上、首に紐を巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。

Fは、盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の1999年(平成11年)4月18日逮捕され、同年6月に公訴が提起された。

弁護側主張

上告審よりFの主任弁護人となった安田好弘は、接見内容をもとにFに母子を殺害する故意が無かったことを主張した。しかし、2006年に審理の差し戻しを決定した最高裁判所判決では「Fは罪の深刻さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として採用されなかった。

広島高等裁判所での差し戻し審では、「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」として死刑の回避を求める方針を明らかにした。

以下は、差し戻し審の弁護団によって引き出されたFの主張の一部である。

  • 強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
  • (乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
  • 乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから
  • 死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから[注釈 1]

Fは第一審当初はこのような主張はしておらず、弁護人による被告人質問で主張が変わった理由を「生き返らせようとしたと話せば、馬鹿にされると思ったから」「ドラえもんの話は捜査段階でもしたのだが、馬鹿にされた。だから、(第一審の)裁判官の前では話をしかねた」と説明している[2]

Fの書いた手紙

一審で無期懲役判決が出た後、Fは知人に以下のような手紙を、拘置所から出している。広島高等検察庁は、これを「被告人Fに反省の情が見られない証拠」として、広島高等裁判所に証拠提出した。

  • 終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
  • 無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
  • 犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか
  • 2番目のぎせい者が出るかも。

被害者側の動き

被害女性の夫であり、被害女児の父である会社員男性・本村 洋(もとむら ひろし、1976年3月19日 - )は、犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された、元日本弁護士連合会副会長・岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現・全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。

また、裁判の経過中、本村は死刑判決を望む旨を強く表明し続けてきた。例えば2001年(平成13年)12月26日に行われた意見陳述の際にFに対し「被告人Fが犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい」と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを分かった上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言し、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動をしている。

裁判の経過

  • 1999年平成11年) 
    • 4月18日 - 山口県警察がFを逮捕。
    • 4月21日 - 山口地方裁判所山口地方検察庁からの請求を受け、Fの身柄を4月29日まで10日間勾留することを認めた[3]。その後、地裁は4月28日付で地検からの勾留延長請求(4月30日 - 5月9日の計10日間)を認めた[4]
      • 当時Fは検察官からの取り調べに対し全面的に容疑を認め、供述内容は一貫していたほか[3]、被害者への謝罪の弁も述べていた[5]
    • 5月8日 - 山口地検は被疑者・Fを「刑事処分相当」の意見付きで山口家庭裁判所へ送致した[6]。山口家裁は同日付で観護措置(最長4週間)を決定し、Fは山口少年鑑別所に収容された[6]
    • 6月4日 - 少年審判の結果、山口家裁(三島昱夫裁判官)は、Fを山口地検へ検察官送致(逆送致)することを決定し、身柄を地検へ引き渡した[7]
    • 6月11日 - 逆送致を受けた山口地検はFを殺人などの罪で山口地裁[注釈 2]起訴した[8][9]
    • 8月11日 - 山口地裁で被告人・Fの初公判が開かれ、Fは起訴事実を認めた[10]
    • 12月22日 - 論告求刑公判が開かれ、山口地検はFに死刑を求刑した[10][9]
  • 2000年(平成12年)
  • 2002年(平成14年)3月14日 - 広島高裁(重吉孝一郎裁判長)は第一審・無期懲役判決を支持して検察の控訴棄却する判決を言い渡した[11][9]。広島高検は3月27日付で最高裁へ上告した[10]
    • 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、被告が犯行時18歳1か月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について、「更生の可能性が無いわけではない」と曖昧な判断をしていた。
  • 2005年 (平成17年)12月6日 - 最高裁判所第三小法廷は上告審口頭弁論公判の期日を翌年3月14日に指定した[9]
    • 通常、死刑判決に対する上告審を除いて最高裁で口頭弁論が行われる場合は控訴審の判決が覆る場合が多く、世論の注目を集めた。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月14日 - 最高裁の弁論で、上告審から主任弁護人となった安田好弘弁護士と足立修一弁護士が欠席した[9]。最高裁はこれまでで初となる「出頭在廷命令」を翌日に発動した[9]。弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難された。一方、安田と足立が提出した裁判の延期申請について、通常は認められるものであり最高裁による不当な却下であるとする森達也[注釈 3]による指摘もある[12]
    • 6月20日 - 最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)は広島高裁の判決を破棄し、審理を広島高裁へ差し戻した[13]。最高裁は判決の中で、一審及び1回目の控訴審において酌量すべき事情として述べられた、殺害についての計画性のなさや、Fの反省の情などにつき、消極的な判断をしている。
  • 2007年(平成19年)
    • 5月24日 - 広島高裁で差し戻し控訴審の第1回公判が開かれた[10]
      • 検察側は「高裁の無期懲役判決における『殺害の計画性が認め難い』という点は著しく不当」とした上で、事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまるべき」として死刑回避を主張した。
  • 第2回以降の公判は6月26日から3日連続で開かれた。
    • 一審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において、Fは殺意、強姦目的を否定した。
    • 7月24日から3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。
    • 9月18日から3日連続の公判が行われた。Fは一・二審から一転して殺意を否定したことについて「(捜査段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。
    • 10月18日に検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した[10]
    • 12月4日に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。
  • 2008年(平成20年)4月22日 - 差し戻し控訴審の判決公判が行われ、広島高裁(楢崎康英裁判長)は弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決を言い渡した[14]。弁護側は判決を不服として即日上告した。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月23日 - 最高裁判所第一小法廷金築誠志裁判長)にて、第二次上告審口頭弁論公判が開廷。検察側は死刑適用(被告人側の上告棄却)、弁護側は死刑判決の破棄をそれぞれ求め、結審した[15]
    • 2月20日 - 最高裁判所第一小法廷(金築誠志裁判長)で判決公判。同小法廷は、差し戻し控訴審判決を支持し、Fの上告を棄却する判決を言い渡した[16]。これにより、死刑判決が確定することとなった[17]。犯行当時少年の死刑が確定するのは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生、2011年判決確定)以来であり、平成の少年事件では市川一家4人殺人事件(1992年発生、2001年判決確定、2017年執行)と連続リンチ殺人事件以来3件目、計5人目となる(これら2件はどちらも罪状に強盗殺人が含まる死者4人の事件なのに対し、単純殺人事件及び死者2人での犯行当時少年の死刑確定は平成の事件では初)。これを受け、毎日新聞を除く全国メディアは実名報道に切り替えた(#実名報道の節を参照)。
    • 3月14日 - Fの弁護団は最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)に上告審判決訂正の申し立てを行っていたが、3月14日付で申し立てを棄却する決定がなされた[18]。これによりFの死刑が正式に確定した[19]。犯行当時18歳1か月での死刑確定は最高裁が把握していた1966年以降の少年事件で最年少だった[18]
    • 10月29日 - 「確定した死刑判決に重大な誤りがある」として弁護団が広島高裁に再審請求を行い、法医学者や心理学者による鑑定結果などを新証拠として提出[20]
  • 2015年(平成27年)10月30日[10] - 広島高裁が「証拠には新規性がない」としてFの再審請求を棄却する決定を出した[21]。弁護団は同年11月2日付で異議を申し立てた[10]
  • 2019年令和元年)11月7日 - 広島高裁(三木昌之裁判長)は弁護団からの異議申し立てを棄却する決定を出した[10]。弁護団は同決定を不服として11月11日付で最高裁へ特別抗告した[22]

死刑囚の現在

2019年令和元年)10月1日時点で[23]F(現姓O)は広島拘置所死刑囚として収監されている[1]

補足

戦後、犯行当時未成年者の死刑が確定した例は少年死刑囚を参照のこと。

永山基準の枠組みでは、当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る、という基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した[24]

死刑判決確定をめぐる動き

最高裁の判断

最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は「何ら落ち度のない被害者の命を奪った残虐で非人間的な犯行で、犯行当時、少年であっても刑事責任はあまりにも重大で死刑を是認せざるをえない」とし、「Fは犯行当時少年で、更生の可能性もないとは言えないことなど酌むべき事情を十分考慮しても刑事責任はあまりにも重大」と述べ、被告側上告を棄却した。判決の中で金築誠志裁判長は被告の犯行を「冷酷、残虐で非人間的」と批判、「遺族の処罰感情は峻烈を極めている」と述べた[25]宮川光治裁判官は「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」と反対意見を述べた[26]

確定判決を受けてのコメント

判決後の記者会見で、本村は「決して嬉しいとか、喜びの感情はない。彼(F)にとっては大変残念かもしれないが、罪はきっちりと償わなければならない。判決を受け止めてほしい。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」と述べた。最高検察庁は「社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、最高裁判決は妥当なものと考える」とのコメントを表明した[25]

Fの弁護団は「判断を誤っており、極めて不当だ。強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠鑑定から明らかにされたのに、裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており、実質的には18歳未満で、死刑は憲法少年法に反する」との声明を発表した[27]

識者の意見

佐木隆三(作家)
今回の判決は妥当なものだと思います。悪質極まりないと言われても仕方のないと思います。少年犯罪に対する基準、ハードルが下がったというふうには思っていません[25]
後藤弘子(千葉大学教授)
少年に対して死刑を言い渡すべきでなかったと思います。今後少年が重大な事件を起こした場合に、大人と同じような形で、死刑を含めた形で責任を取る状況が加速していくということになると思います[25]

実名報道

死刑確定判決によってFが社会復帰する見込みがほぼなくなったことで、これまでの匿名報道から実名報道に切り替えるマスコミと、従来どおり匿名報道で通すマスコミとで判断が分かれることになった[28]

全国メディアでは毎日新聞(及び東京新聞と同系列の中日新聞)以外、各全国紙4紙とNHK、在京キー局は実名報道に切り替えた[29]。これは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件最高裁判決時の対応を踏襲しているが、テレビ朝日のみ連続リンチ殺人事件では最高裁判決時点では匿名で報じたが、正式に確定後実名報道に切り替えたのに対し、今回の事件では最高裁判決直後から実名で報じた。これらの対応は後の石巻3人殺傷事件(2010年発生、2016年判決確定)でも踏襲されている。

朝日新聞は「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだとの判断」(同社は2004年に少年死刑囚については原則実名報道する方針を決めている)[29][30]読売新聞は「死刑が確定すれば、更生(社会復帰)の機会はなくなる一方、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」[29][31]産経新聞は「死刑が事実上確定し、社会復帰などを前提とした更生の機会は失われます。事件の重大性も考慮」[29][32]日本経済新聞は「犯行時少年だった被告に死刑判決が下された重大性に加え、被告の更生の機会がなくなることを考慮」[33]として、それぞれ実名報道に切り替えた。

毎日新聞は「母子の尊い命が奪われた非道極まりない事件ですが、少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を変更すべきでないと判断」[34]中日新聞東京新聞は「死刑が確定しても再審恩赦の制度があり、元少年の更生の可能性が直ちに消えるわけではない」[35][36]とし、匿名報道を継続した[注釈 4]

日本弁護士連合会(日弁連、会長:宇都宮健児)は、2012年(平成24年)2月24日付で、「(実名報道は)少年法61条に明らかに反する事態であって、極めて遺憾」「今後同様の実名報道、写真掲載等がなされることがないよう、強く要望する」とする、会長声明を発表した[40]

社会への影響

テレビで懲戒請求呼びかけ

弁護士橋下徹(後に大阪府知事及び大阪市長を歴任)が、本事件弁護団に対し、2007年(平成19年)5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」と懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりテレビを見た視聴者らから約7,558通[41]の懲戒請求書(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍を上回る)が弁護士会に殺到することになった(しかしながら、橋下自身は「時間と労力を費やすのを避けた」[42]「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので……」[43]などの理由で懲戒請求はしていない)。これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち、足立修一・今枝仁ら4人は2007年9月に橋下に損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こした。第一審、控訴審では橋下の行為を不法行為と認定して損害賠償を命じたが、2011年7月15日、最高裁判所は橋下の行為には弁護士として問題なしとはしないが、懲戒請求の呼びかけそのものは不法行為とはいえないとして、原告の訴えを棄却した。

この懲戒請求呼びかけについて江川紹子からは「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケース[注釈 5]もある。橋下は、そういう負担やリスクを説明せず、ただ「誰でも簡単に」できると、気楽なノリでしゃべっている」[44]と批判されている。

懲戒請求の具体的内容については、web上で懲戒を求める書面のフォームが出回り[45]、それに基づく懲戒請求が多かった旨弁護団は主張しており、その内容は弁護団の法廷戦術を根拠に「弁護士に相応しいとは思えない」といったものであった。

2007年の弁護士に対する懲戒請求件数は、前年1367件の約7倍に当たる9585件となり、うち84%に当たる8095件が弁護団に対するものだった[46]

しかしいずれの弁護士会も、「弁護士の職責を果たすためで、懲戒事由に当たらない」[47]との理由で、2007年11月22日付の東京弁護士会を始め[45]、12月下旬の大阪弁護士会[48]、仙台弁護士会[47]、2008年4月の広島弁護士会と、いずれもが処分せずの結論を出した[47]。これに対し橋下は2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7000通も(懲戒)請求が出てるのに何にも意味がないんだ」と懲戒請求制度および弁護士会の態度に不満を洩らしている。

死刑囚Fの実名入り本出版

2009年(平成21年)10月、『F君を殺して何になる― 光市母子殺害事件の陥穽 ― 』(Fは当時、上告中だった際の旧姓) ISBN 978-4-9035-3803-7 が出版。これに対し、Fの弁護団側は、同年10月5日に出版差し止めの仮処分広島地裁に申し立てているが「本は公益を図る目的であり、実名記載に同意していた」という理由で却下された。

この本の著者・増田美智子は「Fに了解を取って実名を公表した」と主張している。しかし、Fの弁護団側は「Fから話を聞いていない」と、双方の主張が交錯しており、F側は「プライバシー権・肖像権の侵害」を理由として出版差し止めと約1300万円の損害賠償を求める裁判を起こしたが、2012年5月23日にでた地裁判決ではF側の主張を一部認めて著者側に66万円の支払いを命じたものの、出版差し止めについては認められなかった[49]

F側は地裁の判決を不服として控訴していたが、広島高等裁判所は2013年5月30日に「出版による権利侵害は認められない」として地裁判決を取り消す判決を出した。顔写真掲載については「加害者に対する社会的関心は高く、少年法61条を考慮しても報道の自由として許される」と判断。手紙についても「Fは取材に積極的に協力しており、掲載を承諾していたと判断できる」とした。

F側は高裁の判決も不服として上告していたが、最高裁判所第1小法廷は2014年9月25日付で上告を棄却する決定をした。これにより広島高裁の判決が確定した[50]

著者側も「虚偽の主張により名誉を毀損された」としてF側に約1600万円の損害賠償を要求する訴訟を起こしていたが、2012年5月23日に著者の主張を退ける地裁判決が出た[49]

マスメディア

放送倫理・番組向上機構(BPO)は、本事件に関する差戻控訴審の判決前の報道について、被害者遺族側の一方に寄った「集団的過剰同調」があり、Fや弁護団側への中立性を欠いた報道であった旨を指摘した[51][52]

阿武野勝彦は2008年(平成20年)に、弁護団側から取材したドキュメンタリー番組『光と影 〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜』で民放連賞最優秀の表彰を受けている[53][54]

脚注

注釈

  1. ^ 実際にはそのような儀式は小説『魔界転生』には登場しない
  2. ^ 本来、光市は山口地方裁判所徳山支部(当時、現・周南支部)(徳山市、現:周南市)の管轄であるが、本事件のように少年事件は取り扱っていないため、山口地方裁判所本庁(山口市)が代行した
  3. ^ 安田を主人公とする『死刑弁護人』の公開記念鼎談にゲストとして招かれ司会を務めた
  4. ^ なおこれら3紙は2017年12月、市川一家4人殺人事件の少年死刑囚に死刑が執行された際は「死刑執行により社会復帰の可能性が完全になくなったことに加え、国家が人命を奪う刑罰の対象は明らかにするべき」と説明した上でいずれも実名報道に切り替えた[37][38][39]
  5. ^ 江川の指摘した判決は最高裁第三小法廷平成19年4月24日判決と思われる[独自研究?]

出典

  1. ^ a b c 年報・死刑廃止 (2019, p. 270)
  2. ^ MSN産経ニュース 2007年9月18日
  3. ^ a b 『山口新聞』1999年4月21日朝刊第二社会面18頁「光の母子殺害 容疑の少年10日間拘置」
  4. ^ 『山口新聞』1999年4月29日朝刊第二社会面20頁「光の母子殺害 容疑の少年拘置延長」
  5. ^ 『山口新聞』1999年4月20日朝刊第二社会面18頁「光の母子殺害 容疑者少年、水道検査装い侵入 当日、別棟でも目撃」
  6. ^ a b 『山口新聞』1999年5月10日朝刊第二社会面18頁「光の母子殺害 少年を家裁送致」
  7. ^ 『山口新聞』1999年6月5日朝刊第二社会面20頁「光の母子殺害 少年を地検に逆送致 山口家裁『刑事処分が相当』」
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参考文献

刑事裁判の判決文

  • 広島高等裁判所第1部判決 2002年(平成14年)3月14日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成12年(う)第66号、『殺人,強姦致死,窃盗被告事件』。
  • 最高裁判所第三小法廷判決 2006年(平成18年)6月20日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成14年(あ)第730号、『殺人,強姦致死,窃盗被告事件』。
  • 広島高等裁判所第1部判決 2008年(平成20年)4月22日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成18年(う)第161号、『殺人,強姦致死,窃盗被告事件』「 被告人を無期懲役に処した第一審判決を是認した差戻前控訴審判決(平成14年3月14日、広島高等裁判所 平成12年(う)第66号)について,最高裁判所が,刑の量定が甚だしく不当であるとして,同判決を破棄し,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について更に慎重な審理を尽くさせるため当裁判所に差し戻した事案(平成18年6月20日、最高裁判所 平成14年(あ)第730号)について,12回の公判を開いて審理を尽くしたものの,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情は認められないなどとして,第一審判決を破棄して死刑を宣告した事例」。
  • 最高裁判所第一小法廷判決 2012年(平成24年)2月20日 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第307号155頁、平成20年(あ)第1136号、『殺人,強姦致死,窃盗被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(反対意見がある。)(光市母子殺害事件)」。

書籍

  • 年報・死刑廃止編集委員会『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日、270,275頁。ISBN 978-4755402982 

関連書籍

  • 天国からのラブレター』新潮社、2000年4月 ISBN 4104365017
    • 被害者の遺族による著書。2007年に映画化された。
  • 週刊新潮』(新潮社)1999年9月2日号 p.50-53 「告発手記 山口・光市母子殺し事件 被害者の夫・本村洋氏 『妻と娘の命を奪った18歳少年をなぜ実名報道しない』」
    • 1999年9月11日に初公判が山口地裁第3号法廷で開かれた後、本村が新潮社に宛てた手記。「なぜこの凶悪犯が実名報道されないのか」として加害者Fの実名が掲載された。
  • インパクト出版会(編)『光市裁判 年報・死刑廃止2006』特集・光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか インパクト出版会、2006年10月 ISBN 4755401690
  • 光市裁判を考える有志の会(編)『橋下弁護士VS光市裁判被告弁護団』一般市民が見た光市母子殺害事件 STUDIO CELLO 2007年10月 ISBN 9784863210134
  • 現代人文社編集部(編)『光市事件裁判を考える』現代人文社、2008年1月、ISBN 4877983589
  • 門田隆将著『なぜ君は絶望と闘えたのか 』新潮社、2008年7月 ISBN 4104605026
  • 増田美智子著『福田君を殺して何になる: 光市母子殺害事件の陥穽 』2009年10月 ISBN 9784903538037

関連項目

外部リンク

(以下は弁護団の光市事件懲戒請求扇動問題広報ページ)