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「太閤記 (NHK大河ドラマ)」の版間の差分

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2020年7月17日 (金) 14:41時点における版

太閤記
ジャンル ドラマ
原作 吉川英治新書太閤記
脚本 茂木草介
演出 吉田直哉
出演者 緒形拳
(以下五十音順)

赤木春恵
石坂浩二
石山健二郎
稲野和子
乙羽信子
尾上菊蔵
片岡秀太郎
片岡孝夫
川津祐介
岸恵子
山茶花究
佐藤慶
佐野周二
茂山七五三
島田正吾
高橋幸治
田村高廣
田村正和
土屋嘉男
坪内ミキ子
冨田浩太郎
中村歌門
浪花千栄子
浜木綿子
早川雪洲
フランキー堺
福田善之
藤村志保
御木本伸介
三田佳子
ナレーター 平光淳之助
オープニング 入野義朗
製作
製作総指揮 関口象一郎 他
プロデューサー 広江均[1]
制作 日本放送協会
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1965年1月3日-12月26日
放送時間日曜20:15-21:00
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数全52
テンプレートを表示

太閤記』(たいこうき)は、1965年1月3日から12月26日NHKで放送された3作目の大河ドラマ

概要

原作は吉川英治の小説『新書太閤記』。前2作は娯楽時代劇の内容であったが、本作品は現代的な視点で歴史を描く歴史ドラマ路線へと転換した[2][3]。この路線転換には演出を担当した吉田直哉の功績が大きかった[2]

路線転換の最たる例として、第1話の冒頭で前年に開通した東海道新幹線名古屋駅豊国神社の実写のシーンから始めたことである[2][4]。これには視聴者だけでなくNHKの技術スタッフも驚かせた[5][6]。以後、事件の舞台となった場所の現況を挿入し、石垣の積み方や武士俸禄といった当時の習慣の解説を入れるなど、「社会科ドラマ」という新語を生み出した[7][2][8]

スター総出演の前2作とはガラリと変わって、メインキャストに新人を抜擢したのも本作品の特徴の一つである。これも吉田の方針であった[9]。吉田はドラマ関係の部署に異動して1年余りだが、『日本の素顔』などドキュメンタリー番組の実績を買われ初めて大河ドラマの演出を担当した[2]。「スタッフも新人だから、役者も新人で」ということから、主演に新国劇のホープだった緒形拳織田信長役に文学座研究生の高橋幸治が抜擢された[10]。また、石田三成役にも当時慶應義塾大学在学中だった石坂浩二が起用された[10]。俳優のギャラを抑えることができたため制作費が浮き、その分大規模なロケーションの収録が可能となった[2]

平均視聴率は31.2%、最高視聴率は39.7%を記録した(10/17放送分 ビデオリサーチ調べ・関東地区)。本作品のテーマ音楽の演奏にNHK交響楽団が起用されたが、NHKの音楽番組以外で登場する最初の事例となった[11][12]。また、本作品から初めて総集編が作られ、12月30日・31日の2回に分けて放送された[13][14]

キャスト

太字は現存する第42話の出演者

羽柴・豊臣家

織田家

明智家

徳川家

武田家

他の武将

その他

スタッフ

放送

特記が無い限りNHKクロニクルのNHK番組表ヒストリーで確認。

通常放送時間

  • NHK総合テレビジョン:毎週日曜 20時15分 - 20時59分
  • (再放送)NHK総合テレビジョン:(11話まで[17])毎週土曜 13時15分 - 14時00分、(14話から[17])毎週土曜 13時25分 - 14時10分

放送日程

  • 第27話は20時58分から参議院選挙ローカル開票速報を放送したため1分短縮。
  • 第34話は20時14分から台風17号にかかるニュース速報を放送したため1分繰り下げ及び1分短縮。
放送回 放送日
第1話 1965年1月3日 孤猿の春
第2話 1965年1月10日 京の針
第3話 1965年1月17日 天文群雄
第4話 1965年1月24日 わが君
第5話 1965年1月31日 閑日月
第6話 1965年2月7日 秋の嵐
第7話 1965年2月14日 三日普請
第8話 1965年2月21日 死のうは一定
第9話 1965年2月28日 聟の君
第10話 1965年3月7日 洲股築城
第11話 1965年3月14日 母の駕籠
第12話 1965年3月21日 竿頭一瓢
第13話 1965年3月28日 伊勢軍功帳
第14話 1965年4月4日 堺町人
第15話 1965年4月11日 琴線
第16話 1965年4月18日 動中の静
第17話 1965年4月25日 四面楚歌
第18話 1965年5月2日 時々刻々
第19話 1965年5月9日 旧閣瓦解
第20話 1965年5月16日
第21話 1965年5月23日 花の輪
第22話 1965年5月30日 援軍三万八千
第23話 1965年6月6日 長篠
第24話 1965年6月13日 湖南湖北
第25話 1965年6月20日
第26話 1965年6月27日 中国入り
第27話 1965年7月4日 苦境
第28話 1965年7月11日 誓紙
第29話 1965年7月18日 南蛮寺
第30話 1965年7月25日 官兵衛救出
第31話 1965年8月1日 秋風平井山
第32話 1965年8月8日 明暗
第33話 1965年8月15日 機微
第34話 1965年8月22日 若獅子
第35話 1965年8月29日 埋言
第36話 1965年9月5日 大気者
第37話 1965年9月12日 春騒譜
第38話 1965年9月19日 身命考
第39話 1965年9月26日 岐路
第40話 1965年10月3日 心闇
第41話 1965年10月10日 老の坂
第42話 1965年10月17日 本能寺
第43話 1965年10月24日 墳涙
第44話 1965年10月31日 悲歌
第45話 1965年11月7日 折鶴
第46話 1965年11月14日 賎ヶ嶽前後
第47話 1965年11月21日 大願
第48話 1965年11月28日 心と形
第49話 1965年12月5日 天下人
第50話 1965年12月12日 世継ぎ
第51話 1965年12月19日 凡愚の情
最終話 1965年12月26日 夢のまた夢
平均視聴率 31.2%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ[18]

総集編

  • 太閤記総集編 「日吉から太閤まで」(前編):1965年12月30日19:30-20:59[14]
  • 太閤記総集編 「日吉から太閤まで」(後編):1965年12月31日19:30-20:50[14]

補足・エピソード

キャストについて

  • 秀吉役の選考にあたっては「若くて猿っぽい顔」を求め、田中邦衛ジェリー藤尾アイ・ジョージが候補に挙がった[19][20]。その後、「新国劇にサルに似たヤツがいる」という情報をスタッフが聞き、プロデューサーが京都の撮影所にいた緒形拳を訪ねた。その時笑顔の写真を撮り、その写真を吉田直哉や脚本を担当した茂木草介に見せたところ、「これならいける」として緒形を秀吉役に決めた[19][21]
  • 信長役が高橋幸治に決まった過程は、高橋が宮口精二の車の運転をしていたところをスタッフの人が見かけ、それを吉田に紹介したことが最初のきっかけとなった[21]。その後、吉田が高橋を部長会に連れて行き、その際に高橋が「信長です。よろしくお願いします。」と大声で挨拶した。それに大きな拍手が起こり、信長役に決まった[19]
  • 石坂浩二が三成役に決まったのは「頭がよさそうに見えるから」と写真だけで判断した[19]。なお、出演にあたっては大学に「この出演で大学を落第しても文句は言わない」という誓約書を提出した[22]
  • 吉田の方針でスター俳優を使わずに新人起用が中心となった。これにはスターを使うと彼らのわがままを聞かざるを得なくなり、十分な稽古が出来なくなる。その点、新人であれば十分な稽古が出来るので納得のいくようなリハーサルが出来るのが理由であった[9]
  • その一方で「新人起用は大いに認めるが、中には有名スターを入れたらどうか。前二作に出演した俳優でなく、テレビバージン(テレビ未出演者)を出演させろ」という当時の芸能局長からのお達しがあり、高峰秀子美空ひばりに白羽の矢が立てられた。高峰は、秀吉の母・なか役で出演依頼を受け、一度は承諾したものの出演料の額で折り合いがつかなかったため、出演依頼を断った。なお、美空に関しても全くの論外と、話にもならなかったそうである[23]

制作・技術面について

新人を登用したため、人件費が大幅に削減され、その分、大規模な合戦ロケーション撮影に回すことができた。また、新しい技術も多く採用された。

  • 最初の大規模なロケは、1965年1月8日から10日間、桶狭間の戦いのシーンを栃木県塩原町(現・那須塩原市)で行った[24]。このロケではテレビドラマで初めてヘリコプターからの空中撮影が行われ[25]、前年の東京オリンピックの撮影で開発されたヘリコプター自動防震装置が用いられた[26]。また、カメラマンを足軽に扮装させて合戦の中に入っての撮影も行われた[1]。このロケに際しては地元の協力が得られ、消防団員のエキストラへの参加や婦人会の炊き出しが行われた[27]
  • 大規模なロケはその後も3月に川崎市の柿生、5月には再び塩原で長篠の合戦、8月には長野県飯山市北竜湖で、高松城水攻め、山崎の合戦、賤ヶ岳の合戦などの収録が10日間行われた[28]。このうち、5月と8月のロケでは再度ヘリコプターを撮影に使用した[11]
  • 本能寺の変のシーンの撮影は世田谷区国際放映のスタジオを借り、本能寺の本堂、中庭、表門、裏門などの大がかりなセットを組んだ[28][29]
  • 信長が自害するシーンではドライアイスを使ったフォグ・メーカー(霧製造機)が使われ、これにより白煙に包まれる信長を映し出すことが出来た[1][30]

ストーリーについて

  • 本能寺の変は当初8月8日の第32回で放送する予定であった。しかし、高橋幸治の人気でNHKに「信長を殺さないで」という投書が相次いだため、10月17日の第42回まで2カ月延期された[1]。なお、信長はその後も回想シーンで登場している[29]
  • 本能寺の変後、残りの10回で秀吉の天下統一と死までが放送されたが、これは原作にはなくオリジナルストーリーによって構成されている[1]

映像の現存状況

本能寺の変を題材にした第42話「本能寺」が現存しており、『NHK想い出倶楽部2~黎明期の大河ドラマ編~(3)太閤記』としてDVD販売されている。テレビ開局記念番組での石田三成役の石坂浩二のコメントによると、この回は室内で火を焚くことが出来ず、フィルムで撮影したため残ったとのことであるが、実際に保管されている媒体は放送局用ビデオテープ2インチVTR)である[31]。いずれにしても、放送局用ビデオテープが非常に高価で大型だった時代でもあり、テープは放送終了後に消去されて他の番組に利用されたため、本番組の素材もほとんど消去されたものの、第42話は放送されたバージョンと、コンクール出品用に再編集されたバージョンの2種類が現存している。

残存している第42話には「秀吉と信長の出会い」、「桶狭間合戦」、「秀吉の稲葉山上でのお市救出」、「安土桃山城築城」が回想シーンとして挿入されている。「桶狭間合戦」については製作現場を撮影した映像と当該シーンも残存している。

なお、2008年に主演の緒形拳が亡くなった際、NHKのニュースにおいて唯一現存する第42話にないはずの、秀吉とねねが戯れるシーンが紹介されていた(ただし第何話か不明)。  

また、本作品の美術を取り上げた『ネットワークNHK スタジオ一夜城』が保存番組に登録されている。

脚注・注釈

  1. ^ a b c d e 『NHK大河ドラマ大全:50作品徹底ガイド』NHK出版、2011年、87頁。 
  2. ^ a b c d e f 日本放送協会(編)『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年、496頁。 
  3. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、64頁。 
  4. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、57頁。 
  5. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、57-58頁。 
  6. ^ 志賀信夫『テレビ番組事始 創世記のテレビ番組25年史』NHK出版、2008年、329頁。 
  7. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、128頁。 
  8. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、58頁。 
  9. ^ a b 志賀信夫『テレビ番組事始 創世記のテレビ番組25年史』NHK出版、2008年、325頁。 
  10. ^ a b 日本放送協会(編)『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年、497頁。 
  11. ^ a b 日本放送協会 編『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、129頁。 
  12. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、88-90頁。 
  13. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、63頁。 
  14. ^ a b c 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、90頁。 
  15. ^ 緒形は1978年度大河ドラマ『黄金の日日』でも豊臣秀吉を演じた。
  16. ^ 高橋は1978年度大河ドラマ『黄金の日日』でも織田信長を演じた。
  17. ^ a b 12話から13話までは特別編成による時間帯での放送のため、本来の時間は不明。それ以外でも通常放送時間外の再放送は行われている。
  18. ^ ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
  19. ^ a b c d 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、60頁。 
  20. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、75頁。 
  21. ^ a b 志賀信夫『テレビ番組事始 創世記のテレビ番組25年史』NHK出版、2008年、326頁。 
  22. ^ 志賀信夫『テレビ番組事始 創世記のテレビ番組25年史』NHK出版、2008年、328頁。 
  23. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、81頁。 
  24. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、166頁。 
  25. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、83頁。 
  26. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、166,198頁。 
  27. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、84-85頁。 
  28. ^ a b 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、85頁。 
  29. ^ a b 鈴木嘉一『大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ』中央公論新社、2011年、62-63頁。 
  30. ^ 大原誠『NHK大河ドラマの歳月』日本放送出版協会、1985年、86頁。 
  31. ^ 映像を見ると、火を扱う場面のある本能寺のセットや屋外の場面では、全てフィルムで撮影されているが、それ以外の箇所はVTRで撮影されている

外部リンク

NHK 大河ドラマ
前番組 番組名 次番組
太閤記
NHK 日曜20時台
太閤記
(この番組より大河ドラマ枠に変更となる)
源義経