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「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」の版間の差分

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2020年7月17日 (金) 14:39時点における版

独眼竜政宗
ジャンル ドラマ
原作 山岡荘八『伊達政宗』
脚本 ジェームス三木
演出 樋口昌弘 他
出演者 渡辺謙
(以下五十音順)

秋吉久美子
いかりや長介
池部良
石橋蓮司
岩下志麻
榎木孝明
音無美紀子
大滝秀治
奥田瑛二
勝新太郎
勝野洋
金田龍之介
神山繁
北大路欣也
西郷輝彦
桜田淳子
真田広之
沢口靖子
陣内孝則
竹下景子
谷啓
津川雅彦
寺田農
野村宏伸
林与一
原田芳雄
樋口可南子
三浦友和
八千草薫
山形勲
竜雷太
ナレーター 葛西聖司
オープニング 池辺晋一郎
製作
製作総指揮 中村克史
制作 日本放送協会
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1987年(昭和62年)1月4日-12月13日
放送時間日曜20:00-20:45
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数全50
テンプレートを表示

独眼竜政宗』(どくがんりゅうまさむね)は、NHK1987年昭和62年)1月4日から12月13日に放送した大河ドラマ。 NHKの行ったアンケート調査では、最も好きな大河ドラマに輝いている。大河ドラマ絶頂期の代表作の一つである。

原作は山岡荘八の小説『伊達政宗』で、伊達家を題材にした大河ドラマとしては江戸時代伊達騒動を描いた『樅ノ木は残った』(1970年)以来17年ぶりとなる。己の知恵と才覚によって仙台藩62万の礎を一代で築いた奥州戦国武将伊達政宗の生涯を描いた。

制作の前段

1984年昭和59年)の『山河燃ゆ』、1985年(昭和60年)の『春の波涛』、1986年(昭和61年)の『いのち』と、大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズが続いていた。時代劇路線の視聴者のためには「NHK新大型時代劇」が水曜日の枠でつくられた。

近代路線シリーズの視聴率は、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%、『いのち』29.3%であった[1]。 『いのち』は視聴率的には近代路線シリーズ中で唯一成功し、ドラマ性も評価も高かったものの、画面に登場する作中の名前が明らかな人物に実在の人物が全く登場しなかった異色作で「大河ドラマではなく、連続テレビ小説の延長線だ」という意見もあった。その一方で「NHK新大型時代劇」は良作が続き評判がよく、視聴者は時代劇を求めていると判断したNHKは『いのち』以降の近代路線シリーズを白紙とし、『徳川家康』以来4年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。

特徴

大河ドラマ最大のヒット作

平均視聴率39.7%は、大河ドラマの歴代トップを誇っており、主人公伊達政宗の最期を描いた最終回の最高視聴率47.8%は、『赤穂浪士』(53%)、『武田信玄』(49.2%)に次ぐ第3位の記録である(2019年8月現在)[1]

不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)がその養育係である喜多に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった。ただし本編でこのセリフを言うのはこのシーンと、第11回「八百人斬り」で政宗が刀に映った自分の顔を見て、少年時代を回想したのち、刀を振るいながらこのセリフを繰り返す場面のみである。先述の梵天丸のシーンは、この第11回や26回「絶体絶命」など、政宗が幼少期を回想する場面で使用された。

2003年平成15年)、NHKがテレビ放送開始50年を記念して行なった「もう一度見たいあの番組」という一般視聴者によるテレビ番組のリクエストでは、総合部門の第9位、大河ドラマ部門の第1位に輝いた。また、2005年(平成17年)に行われた好きな大河ドラマは?というアンケートで第1位を獲得し、放送から31年経った後でも人気は根強い。なお2004年(平成16年)1月3日・4日に総合テレビで、同年7月26日〜30日に衛星第2テレビで総集編が本放送当時の完全ノーカット版で再放送された。

2014年4月5日よりBSプレミアムで当時の放送をアバンタイトルも含めたノーカット版で全編が再放送された。

2016年2月19日にTBSラジオの番組『荻上チキ・Session-22』内で「今夜決定!最高の大河ドラマ」という特集が放送され、同番組リスナーや出演者が1人1票で投票した順位の結果が発表された。この時点まで発表された全ての大河ドラマ全54作が対象で総投票数1,000票以上の大規模なものであったが[2]、本作は2位(88票)となった。1位『平清盛』(2012年放送)が209票で本作とは大差をつけた結果ではあったが[3]、3位『新選組!』(2004年放送)4位『龍馬伝』(2010年放送)等と、2000年代以降の作品が上位にある中で80年代の本作がこの順位になった事を考慮しても、未だ根強い人気があることが伺える。

オープニング解説

オープニング前に史実の解説などを行う手法は『獅子の時代』に前例があるが、本作を期として以降の大河ドラマの恒例となった。

NHKでの本放送ではアバンタイトルとしてオープニング前に1987年(昭和62年)当時の世相などを絡めて史実の解説などが行われていた。以下に具体例を挙げる。

  • 秀吉家康政宗の年齢差を長嶋清原に置き換えて説明した。
  • 梵天丸役の藤間遼太米沢城間取りを、藤次郎役の嶋英二聚楽第の間取りを紹介した。
  • 本能寺の変の説明を、過去の大河ドラマの映像から信長が自刃する場面を交えて行った[4]
  • 小田原攻めでの解説では、CGを使い豊臣軍20万の兵が北条軍が立てこもる小田原城を包囲している様子を詳しく説明[4]
  • 本物の花押にしか入れていないと政宗が主張した鶺鴒(せきれい)の眼で有名なエピソードでは、当時の内閣総理大臣中曽根康弘の花押を紹介。
  • 秀吉の臨終の回では、政宗や家康を始めとする豊臣大名の石高を1~10位までランキング形式で紹介した。
  • 46話ではジェームス三木が仙台城大広間のセットに登場し、政宗の有名な五言絶句・「馬上少年過ぐ」の解説を行った。

しかし現在では権利上の問題が絡むため、CSなどでのNHK以外での放送ではともにカットされている。なお、DVDなどで販売されている「完全版」に関しては、このオープニング前の紹介・解説も完全に収録されている。

オープニング映像

またオープニング映像自体も大河ドラマの常識を変えた作品であった。それまでの大河ドラマのオープニングは、風景などの単純な映像が中心であった。

本作のオープニングはアバンタイトルの映像に被せてテーマ音楽が流れ、それと共に題字が現れる。映像には終始、青色を基調としたトンネル風の背景と、「黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用」の兜を着用し、馬に騎乗した姿の政宗に扮した渡辺謙が登場。レーザー光線や、逆光撮影によるシルエットや合成といった特殊効果を駆使した映像が使われた。映像に登場する変わり兜はすべてレプリカではない本物が使われ、ラストでスポットライトを浴びて政宗が佇む姿は、仙台城址の騎馬像とほぼ同じ構図になっている。

オンド・マルトノを効果的に用いた独特のテンポと、重厚で壮大な曲調が特徴の池辺晋一郎作曲のテーマ音楽は、他のテレビ局も含めてテーマ音楽を「伊達政宗」や「仙台」に関する映像を流すときにBGMとする例が現在でも多々見られる。

なお、宣伝用のポスターにも特殊効果を用いたり、あるいはタキシード姿の渡辺謙に兜を持たせ眼帯を着けさせるなど、時代劇の枠を超える様々な工夫が施された。

遺骨映像

最も斬新な演出の一つとして、伊達政宗本人の遺骨が映像として紹介された。政宗墓所・瑞鳳殿第二次世界大戦時の仙台空襲で焼失、1979年昭和54年)に再建されたが、それに先立ち1974年(昭和49年)に行われた発掘調査で発見されたもので、年月が経過していたにも拘らず、奇跡的に残っており、科学的鑑定により生前の政宗の容貌・体格・血液型なども推定できた。本作ではそれらを第1話のアバンタイトルで紹介し、最終回ラストで発掘調査の映像と政宗本人の頭蓋骨を再び映して物語は幕を閉じる。

登場人物のイメージを重視した俳優陣

主演俳優については、当初西城秀樹を起用する構想があったが西城サイドがNHKからのオファーを辞退したことで実現しなかったことが後年明らかにされている[5]

最終的には新進気鋭の俳優の1人であった渡辺が起用されるが、このドラマをきっかけに一躍国民的な俳優の仲間入りを果たすことになった。渡辺は1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』以来、2度目の大河ドラマ出演であり、本作の前年(1986年)に同じNHKで放映されていた連続テレビ小説はね駒』出演中に「眼がいい」と言われ、抜擢されたという。ただ、はまり役となったために、「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまい、彼はその後役者としては苦労したようである。十数年後、渡辺は映画『ラストサムライ』でアカデミー賞助演男優賞候補に挙げられるが、その時の記者会見でも「これでようやく伊達政宗から卒業できるかな」と発言している。

渡辺の出演は実際に右目を閉じた状態で行われたため所作には苦労し、西郷輝彦によると、入室の場面で頭を下げていたら大きな音がしたので面を上げると、渡辺がひっくり返っていたという。ただし、第11回「八百人斬り」での夢の中のシーンにて、かつ鏡に映った姿でのみ両目を開いた状態で登場している。最終話の脚本段階では、政宗臨終の幻想シーンで両目が開かれるという演出が盛り込まれていたが、本編では用いられなかった。

また、豊臣秀吉役を演じた勝新太郎は、『座頭市』シリーズなど数多くの時代劇に主演した名優であるが本作が生涯唯一の大河ドラマ出演であった(NHK制作のドラマとしても同様)。『影武者』での勝の降板劇を踏まえ、勝が降板しても良いように秀吉役の候補も三國連太郎仲代達矢山崎努緒形拳に検討されていた。本作での「渡辺=知名度の高くない若手」、「勝=衆目の知るところの大御所」という図式が、そのまま「政宗=奥羽の若き大名」、「秀吉=老成した天下人」にも当てはまる。配役決定後、渡辺は勝のクランクイン前に一度挨拶したのみで、初共演のシーン本番まで顔を合わせることがなかった[6]。これは「小田原で政宗が秀吉と初めて出会うのなら、そのシーンの撮影まで渡辺と会うべきでない」という勝のアイデアによるもので、収録は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われた[6]。初共演となる小田原参陣での対面シーンはリハーサル無しで収録され[6]、2人の楽屋も隔離されており収録シーン本番で初めて対面することとなった[7]。このシーンの収録後、渡辺は勝から「いい眼をしていたぞ…」との声をかけてもらったという。

また、終生のライバルのひとり最上義光役には当初、松田優作がキャスティングされていたが実現しなかった(奇しくも後年、2009年の大河ドラマ『天地人』では優作の長男である龍平が政宗役を演じ、渡辺の娘であるが愛姫役だった)。

錚々たる豪華出演陣にジェームス三木は「嬉しい悲鳴」と前置きしつつ「勝さんと岩下さんのクレジットの優劣をつけられないから、二人が同じ回に登場しないように書き分けた」と語っている[8]。他誌のインタビューでも「トメは秀吉役の勝新太郎。北大路欣也、岩下志麻をどうするかでモメた。その結果、勝、岩下の2人が出る放送回がなくなった」と語っている[9]

実際のクレジットでは、勝は全出演回で(助演出演陣の中で最高位とされる)トメに位置され、勝と同じ回に出演した時の岩下はトメのひとつ手前の位置(トメ前)であり、ハッキリと勝優位の序列がなされている(渡辺が登場する第8回までは北大路がトップ、岩下がトメであった。渡辺が登場後は渡辺がトップに位置された)。

大河バブルの先駆け

また、本作の大ヒットの結果、仙台市を初めとした縁の地には、東北新幹線1982年開業)により観光客が殺到し、渡辺謙や桜田淳子が参加した仙台・青葉まつりも前年比3倍の過去最高の観光客数となって「大河バブル」のさきがけとなった。この作品以降、各地の自治体は地元でインフラを整備したり、オープンセットを作ったりしてでも、大河ドラマの舞台地の誘致をするようになる。

しかし、本作はバブル景気1986年12月1991年2月)初期に放送され、好景気による国民の高揚感と、受け入れ側の仙台市の政令指定都市化(1989年4月1日)前の関連インフラ整備(仙台市営地下鉄南北線開通など)、各種イベントの開催(「SENDAI光のページェント」開始、「'87未来の東北博覧会」開催など)、そして、政宗没後350年関連事業(「瑞鳳殿」再建、「仙台・青葉まつり」再開、「仙台市博物館」新築)等々が重なった結果であり、降って湧いたような「バブル」であった。

一方、政宗にとって最大の敵役となる最上義光があくどく描かれてしまったことや、意図の有無にかかわらず各種イベントが用意されていた仙台市や宮城県側に観光客が集中してしまったことなどに、山形県の関係者らからは不満が上がった。ただし、当時は山形新幹線山形自動車道も開通しておらず、特に東北地方以外からの観光客には山形県へのアクセスが悪かった背景もある。

また、伊達政宗の江戸時代での領国である宮城県は観光客で賑わったものの、戦国時代の伊達政宗の版図であり、作中の前半期の舞台である山形県や福島県は大河バブルとはほぼ無縁であった。例えば米沢市は江戸時代の米沢藩ゆかりの上杉景勝上杉鷹山に代表される「上杉の町」をアピールしており、伊達政宗をはじめ伊達家については全くアピールしなかった(もっとも本作の放送期間中・直後は、戦国時代の伊達政宗の本拠であった事をアピールしている)。

その他

先述の通り、「梵天丸もかくありたい」という台詞が流行語となり、ドラマの人気に拍車をかけた。手応えを得た脚本のジェームス三木は、その後の作品でも流行語を作り出そうとするも、当作ほどの反響は得られていない。例として『八代将軍吉宗』でも江守徹演じるナビゲーター役の近松門左衛門に「さればでござる」という台詞を連発させたが、流行語にはならなかった[8](ドラマ自体はヒットしている)。

本作は幼少・幼年期のエピソードを8話中盤まで取り上げるため、それまで本来の主演である渡辺謙は出演しない(オープニングは除く)。そのため1話〜7話までの出演のトップクレジットは渡辺謙ではなく、伊達輝宗役の北大路欣也が挙げられている。このように本作以後作品でも、本来の主演が登場しない回では主役の幼年期やそれに準ずる武将などが演じる俳優が出演のトップクレジットになるケースもある(例として『毛利元就』の3話〜5話、『おんな城主 直虎』の2・3話)。

キャスト・登場人物

スタッフ

放送

特記が無い限りNHKクロニクルのNHK番組表ヒストリーで確認。

通常放送時間

放送日程

  • 第1回は40分繰り上げかつ23分拡大で放送。
放送回 放送日 演出 視聴率[15]
第1回 1987年1月4日 誕生 樋口昌弘 28.7%
第2回 1987年1月11日 不動明王 36.9%
第3回 1987年1月18日 親ごころ 吉村芳之 40.7%
第4回 1987年1月25日 元服 37.9%
第5回 1987年2月1日 愛姫 樋口昌弘 42.0%
第6回 1987年2月8日 侍女成敗 45.8%
第7回 1987年2月15日 初陣 吉村芳之 43.0%
第8回 1987年2月22日 若武者 45.2%
第9回 1987年3月1日 野望 樋口昌弘 43.4%
第10回 1987年3月8日 男の器量 43.7%
第11回 1987年3月15日 八百人斬り 吉村芳之 46.9%
第12回 1987年3月22日 輝宗無残 43.1%
第13回 1987年3月29日 人取橋 西村与志木 41.2%
第14回 1987年4月5日 勝ち名乗り 樋口昌弘 36.5%
第15回 1987年4月12日 めごとねこ 吉村芳之 35.9%
第16回 1987年4月19日 南北の敵 35.1%
第17回 1987年4月26日 宮仕え 木田幸紀 40.3%
第18回 1987年5月3日 お東、居座る 樋口昌弘 36.9%
第19回 1987年5月10日 大移動 西村与志木 35.0%
第20回 1987年5月17日 決戦、摺上原 吉村芳之 44.7%
第21回 1987年5月24日 修羅の母 36.5%
第22回 1987年5月31日 弟を斬る 樋口昌弘 38.6%
第23回 1987年6月7日 小田原へ 39.9%
第24回 1987年6月14日 天下人 吉村芳之 39.2%
第25回 1987年6月21日 人質、めご 37.2%
第26回 1987年6月28日 絶体絶命 西村与志木 39.7%
第27回 1987年7月5日 黄金の十字架 37.1%
第28回 1987年7月12日 知恵くらべ 樋口昌弘 45.5%
第29回 1987年7月19日 左遷 41.0%
第30回 1987年7月26日 伊達者 吉村芳之 35.1%
第31回 1987年8月2日 子宝 36.3%
第32回 1987年8月9日 秀次失脚 西村与志木 35.2%
第33回 1987年8月16日 濡れ衣 樋口昌弘 37.5%
第34回 1987年8月23日 太閤の死 吉村芳之 36.8%
第35回 1987年8月30日 成実失踪 36.6%
第36回 1987年9月6日 天下分け目 西村与志木 36.9%
第37回 1987年9月13日 幻の百万石 諏訪部章夫 43.0%
第38回 1987年9月20日 仙台築城 木田幸紀 39.7%
第39回 1987年9月27日 五郎八、嫁ぐ 吉村芳之 38.8%
第40回 1987年10月4日 大船造り 32.9%
第41回 1987年10月11日 海外雄飛 樋口昌弘 41.3%
第42回 1987年10月18日 大坂攻め 42.3%
第43回 1987年10月25日 ねこ、宇和島へ 木田幸紀 43.7%
第44回 1987年11月1日 大坂夏の陣 吉村芳之 40.8%
第45回 1987年11月8日 ふたりの父 諏訪部章夫 44.1%
第46回 1987年11月15日 離縁状 樋口昌弘 41.5%
第47回 1987年11月22日 天下の副将軍 木田幸紀 38.9%
第48回 1987年11月29日 伊達流へそ曲がり 吉村芳之 40.7%
第49回 1987年12月6日 母恋い 44.2%
最終回 1987年12月13日 大往生 樋口昌弘 47.8%
平均視聴率 39.7%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[1]

総集編

  1. 「梵天丸もかくありたい」 1987年12月27日、19:20-20:35
  2. 「男は一生、父とたたかう」 1987年12月28日、 19:30-20:45
  3. 「母の愛は海より深く」 1987年12月29日、19:20-20:35
  4. 「難波のことも夢のまた夢」 1987年12月30日、19:20-20:35
  5. 「楽しまずんばこれいかん」 1987年12月31日、19:20-20:35

メディア

  • 独眼竜政宗 奥州の覇者 (VHS、30分のハイライト集、発売日:1987年10月21日、販売元:ポニーキャニオン)
  • 総集編: 全5巻 (VHS)、3枚組 (DVD)
  • 完全版: DVD-BOX全2集、13枚、50話 (DVD)

脚注

  1. ^ a b c ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
  2. ^ 2016年02月19日(金)「今夜決定!最高の大河ドラマ」[1]2018年2月19日閲覧
  3. ^ 各作品ごとの投票数は、放送時にアシスタント・南部宏美によって口頭で発表されたのみ。番組ホームページなどには記載なし。
  4. ^ a b これらの映像は総集編でも見られる。
  5. ^ “「ヤングマン」製造工場のミカン箱で歌った 秘話”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年5月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201805180000094.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp 2018年5月18日閲覧。 
  6. ^ a b c 渡辺謙が語る、独眼竜政宗での秘話とは……!? 感動のエピソードで綴る天才・勝新太郎の真実”. 吉本浩二「カツシン」. デイリー新潮. 2016年6月13日閲覧。
  7. ^ 渡辺謙が語る、独眼竜政宗での秘話とは……!? 感動のエピソードで綴る天才・勝新太郎の真実”. 吉本浩二「カツシン」. デイリー新潮. 2016年6月13日閲覧。
  8. ^ a b 『週刊現代』2012年10月13日号166頁 「『独眼竜政宗』を語ろう」のジェームス三木、北大路欣也、吉村芳之の対談
  9. ^ 名作ドラマ&漫画「最終回のヒミツ」(1)平均視聴率40%「独眼竜政宗」が変えた大河の歴史
  10. ^ 第1回時は喜多長世名義。また本編にも出演した。
  11. ^ 第26回まで
  12. ^ 第27回から
  13. ^ 第25回まで
  14. ^ 一部放送日時の変更あり
  15. ^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。

外部リンク

NHK 大河ドラマ
前番組 番組名 次番組
独眼竜政宗